ドコモ団塊倶楽部

放送レポート

5月30日 ゲスト:原 信夫さん

テーマ:「日本のジャズを牽引して58年!
      『原信夫とシャープス&フラッツ』いよいよファイナルへ」

 日本のジャズを牽引されて58年、
 現在ファイナルコンサートツアー中の
 日本が誇るジャズバンド
 「原信夫とシャープス&フラッツ」
 リーダーの原 信夫さんをお招きして
 ジャズとの出会い、
 リーダーとしてバンドをまとめる方法、
 さらには「引退」「引退後」についても伺いました。

ジャズ大好きの弘兼憲史さん、
物心ついた頃から家にジャズが流れていた石川真紀アナウンサーは
原信夫さんを番組にお迎えできるとあって
放送前からテンションあがりっぱなし!

そして原信夫さんが引退を決意された理由とは・・・?
 
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弘兼憲史&石川真紀も・・・ジャズ大好き!
1926年 富山市出身82才の原信夫さん。

若い頃―16才から2年半、海軍軍楽隊に入隊し
その後、24才で「シャープス&フラッツ」を結成。

以来、58年間もの長きに渡りリーダーとしてバンドを引っ張ると同時に、
日本のジャズを牽引されてきた原さん。
これまでに共演されたアーティストは「豪華」のひと言に尽きます。
サミー・デイヴィスJr.、ダイアナ・ロス、ナット・キング・コール・・・

「超一流といわれる方とはほとんどご一緒しました」

番組パーソナリティーの弘兼憲史さんとジャズとの出会いは・・・
小学生の頃に「FEN」で聴いたのが最初。

弘兼 「岩国基地の近くに住んでいたので『FEN』から
    ジャズがいきなりドーン!と入ってきた時、童謡・小学校唱歌といった
    日本独特のメロディから価値観が180度かわりました。
    小学生でしたけど、あれで完全に(ジャズに)ハマりました」

一方、石川真紀ぴょんは・・・

石川 「父がアマチュアのジャズバンドをやっておりまして
    生まれて初めて知ったバンドが原信夫とシャープス&フラッツで
    そのあとにグレン・ミラーを知ったんです。
    物心ついた時にはジャズが家で流れていました」

その石川真紀ぴょん、「誰にも言ってなかったんですけど・・・」
最近、アルトサックスを練習し始めたことを打ち明けました。

実際に自分が演奏することで気になったのが
「サックスストラップのかけ方」

石川 「アルトサックスをやっていると“位置”がおかしくなるんです。
    吹き口がナナメになるといいと思っているんですが・・・」

原さんご自身の体験談とアドバイスは次の通りです。

「左肩にかけてみるとワイシャツが崩れない。
 でも両肩にかければもっと楽かもしれない。

 (とはいえ)片がけの方がかっこいいですよね。
 左の親指で楽器を支えて グっと楽器を前に出すと楽なんです」

石川 「その方法、いただいてよろしいでしょうか。
    今、個人レッスンを受けてしまいました!」

憧れの原さんを目の前にして直接お話を伺う上に
「即席レッスン」までしてもらい、気分は最高潮!

石川 「父がやっていますのでアルトをやってみたかったんです。
    吹けるようになったらちょっと…。
    原信夫さんとジャズの話をしていると…
    あ!気がついたらこんな時間!?」

「吹けるようになったら…」のあとに続く言葉は何だったのか気になりますね。
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スタンダードナンバー「Sing Sing Sing」

原信夫さんがジャズを始めた頃に演奏したという曲が
今、若い人の間で人気です。

学生を教えることもある原信夫さんによると
「ブラスバンドでジャズをやりたい!」という学生が多いのだそうですが
その理由のひとつに2004年公開の映画「スウィングガールズ」のヒットが
挙げられるでしょう。劇中で演奏された「Sing Sing Sing」
1936年に発表され、ベニー・グッドマンが演奏して有名になりました。

この日の放送中も、たくさんのリクエストをお寄せいただき
「弘兼セレクション」2曲目として
「原信夫とシャープス&フラッツ」による演奏(CD)でお聴きいただきました。
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原信夫流!リーダー学

ジャズは自由であり“自分を出す”音楽・・・。

一方で、自由ゆえに、中にはさまざまな点で“ルーズ”になる
ミュージシャンもいて、出演時間に遅刻するのも当たり前、
「ジャズは不良がやるもの」と言われることもあり・・・

 そこで原信夫さんは
 ジャズの地位を向上させるため…
 「世間から後ろ指を指されることはやめよう」と
 【ステージ前に酒を飲まない】【遅刻をしない】
 などのバンド内ルールを作りました。
 さらに、健康のために、
 夏に軽井沢で 7~10日間の合宿を張り
 毎朝6時に起き、体操、マラソンを行ったそうです。

1~2日目は、メンバーの多くが マラソン後の朝ご飯を
食べられなかったそうですが、その後は・・・

「炊いたご飯が足りなくなるくらい食欲が出てきました」


また、音楽性の違いによるメンバー間の口論ケンカは日常茶飯事。
“自分の音楽”の主張がぶつかり合い・・・
殴り合いに発展することもあったそうですが
そんな時、リーダーとしてどのようにグループをまとめたのでしょうか。

「シャープス&フラッツ」は“僕の音楽性”でやってもらってますから
   僕が『こういう風にやろうよ』と言って
   音楽性を合わせた方が まとまりが早いです。

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引退のわけ

「若い頃は『生涯現役』がかっこよくみえましたけど
 年をとってきて、舞台にあがるってことは大変なことなんです」

原信夫さんに引退を決意された理由を伺いました。

「舞台で倒れたら・・・大変なんです。
   緞帳を下ろさなきゃいけない、お客さんは大騒ぎ、
   裏はもっと大変・・・。
   後の巡業の切符を払い戻したり・・・
   『舞台で倒れたら本望』と
   いいカッコしていられないということをわかったんです」

   「今までやってきて、世界の有名バンドがいつの間にか
   いなくなったり、リーダーが代わって2代目になったり…
   『それでいいのかな?』と悩みまして
   やはり、聴いてくださる方にいい音・いい印象を残して
   終わったほうがいい、と判断したんです」

理由はほかにも【体調の変化】も挙げられました。

70才を過ぎた頃からは、ゴルフの飛距離も落ち、
歩くのが大変になったとそうです。

「リハーサルから本番まで立っていると
   楽器がだんだん重く感じるようになってきて、
   今はよくても(いい演奏を)できなくなったときに、
   『バンドをもってたら(存続していたら)どうなるか』と考えまして
   『いい音を聴いてもらえる時にキッパリ宣言したほうがいい』と
   判断して、お願いして“ファイナル”としていただきました。
   “けじめ”ですね」

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ファイナルアルバム&コンサートツアー

◇アルバム情報◇

2008年11月2日の東京文化会館の公演の模様が収録された
ファイナルアルバム「Last Forever」が発売されています。

石川 「DVDの最後の収録曲は「Blue Flame」で
    映像では原信夫さんがそでに引っ込まれるところまで
    追っているんですけど『キュ~ン!』となりました」

※「Last Forever」にはCDとDVDがあり、それぞれ収録楽曲が異なります。
※価格:CD 3,000円/DVD 4,000円
※アルバムのお問い合わせ先:イーストワークスエンターテインメント
 03 - 5413 - 7415(受付時間 平日11~18時)

◇ファイナル・コンサート情報◇(関東地区のみ)

○6月13日(土)群馬・笠懸野文化ホール パル(16時開演)
○7月25日(土)東京・NHKホール(18時開演)SOLD OUT
○7月26日(日)神奈川・神奈川県民ホール(16時開演)SOLD OUT

原信夫とシャープス&フラッツ ファイナルコンサート 2008−09
 ポータルサイトはこちら
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団塊ホームルーム

この日のレトロアイテムは3点。

【LPレコード】 町田忍さんのコレクションから厳選された6枚がスタジオに。

「LPの方がCDより音があたたかい」という原信夫さんは
3千枚ものレコードをお持ちだそうですが、なかなか聴くことができないとか。

  そのわけは・・・レコードを聴くと“徹夜”になってしまうから。

「夜中に聴くのが一番いいんです。
   そうすると、ついお酒を・・・気がつくと朝です」

弘兼 (ジャズのレコードは)「お酒が合います。ジュースじゃダメ」

(今秋の閉店が決まった)ジャズ喫茶マサコのマッチ】(11年前の「45周年マッチ)

2007年4月7日の放送で番組の生中継を行った
東京・下北沢のジャズ喫茶「マサコ」は弘兼さんも通いつめた思い出の喫茶店。

 創業は1953年(昭和28年)で
 56年の歴史を数えますが
 とうとう今年2009年9月23日
 閉店することが決まりました。
 
 弘兼 「漫画がおいてあって、
    漫画を読みながらジャズを聴いて
    あの頃の毎日は最高でしたね」


また、原信夫さんの「ジャズ喫茶」の思い出は・・・

「ジャズ喫茶はたくさんありました。我々にとって勉強の場でしたね。
   珍しいレコードがありまして、曲を知ることができ“ノリ”を勉強しました。
   ジャズは“ノリ”がいろいろ難しいんです」

【ROXYのチケット&写真】

1976年、町田さんはアメリカ・ロサンゼルスのシアター「ROXY」へ。
ちょうどその時、公演を行っていたのがサラ・ヴォーン。
前列に陣取った町田さんの顔にはサラ・ヴォーンのつばが飛んできたそうです(!)

町田 「砂かぶりです」
石川 「つばかぶりだったんだ!」

原 「サラ・ヴォーンには30周年の武道館で歌ってもらいました」

この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

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