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diary

2011年3月28日 悲しい位の青と白

東日本大震災から半月が過ぎた。
あの大きな揺れが起きてから、
一日過ぎるのがあっという間だ。
充実という理由でない何かのために時の流れが速まった。
そんな気がしてならない。
今回の地震で、2つの教訓を得た。
1つめ。世の中に「絶対」は無いのだということ。
宮城県女川町女川漁港付近。
想定外の津波は、鉄骨ビルすらも横倒しにした。
高さ17メートルを超えたと思われる津波。
その力は、4階建てのビルを基礎部分から引きちぎった。
これまで、津波の危険地帯では4~5階建ての鉄筋ビルを建て
緊急時にはビルの高層階に逃げる、これが一般的な対処法とされてきた。
今回、それは必ずしも安全とは言えなくなった。
原子力発電所の安全には2重3重の策が労されてきたはず。
その仕組みを地球はいとも容易く飲み込んだ。
受けたダメージはあまりにも大きい。
しかし、まずは、被害を止めて、明日へ生かしていくほかは無い。
もう一つ。それでも「奇跡」はあるということ。
宮城県石巻市。
津波に襲われ、自宅の屋根の上に乗って流された男性。
家族を先に高台へ避難させ、自分もというとき津波にあった。
何とか屋根の上に逃げた。
すると屋根だけ浮いて流されていった。
暫くすると水が沖合に引き始めた。
「沖へ流されて死んでしまうのか」と、弱気になっていると
津波に耐えている建物の2階の窓が近づいてきた。
屋根から窓に飛び移った。体が動いた。
現状より新たな可能性を求め判断したのだろう。
窓の中にはもう1人男性がいた。毛布にくるまり夜を明かした。
翌日11時。
漸く水が下がった。
高台に行き避難したという。
「絶対」と「奇跡」
それは自信の前に崩れ、がむしゃらのあとに生まれるものなのだろうか。
空を見た。
美しすぎる青。白い雲。
悲しいくらい綺麗だった。

写真
悲しい位の青と白

写真
光り