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diary

2012年5月21日 努力の結晶

頂点を極める秘訣・・・それは、諦めず努力し続けること。
大相撲夏場所千秋楽、西前頭7枚目の旭天鵬(37)が
平幕同士の優勝決定戦を制して優勝した。
昨年5月は八百長問題の影響で無料公開の技量審査場所が実施されたため、
興行としての夏場所開催は2年ぶり。
その場所で天鵬は昭和以降、最年長での初優勝。
また、初土俵から所要121場所、新入幕から86場所は、
貴闘力の103場所、58場所を抜いて1909年以降で最も遅く、
平幕優勝は01年秋場所の琴光喜以来11年ぶりと記録ずくめの優勝となった。
琴欧洲の休場で3敗の栃煌山が不戦勝。
取組が始まる前に白鵬ら4敗の3人が優勝争いから脱落。
史上初の6大関となった夏場所だったが、
稀勢の里以外は優勝争いに絡めなかった。
旭天鵬はこう振り返った。
自分でもよくわからないで1日1日相撲を取っていた。
終盤にトップに立つのは初めての経験で、
1日か2日寝られない時があり、酒を飲んで寝ていた。
信じられない。賜杯は重かった。
決定戦になりここまできたら、やるしかないと思った。
頭が真っ白になった。
20年間相撲をやってきて本当によかったと、つくづく思った」
5人で来日し、初のモンゴル出身力士となった。
半年後、稽古の厳しさや日本の食文化などに馴染めず、
ともに来日した5人とモンゴル大使館に駆け込むが、
モンゴルの実家まで来た師匠大島親方に
今にモンゴルの時代になると説得され、部屋へ戻った。
2004年日本国籍の取得を申請し、翌年5月12日にモンゴル国籍を離脱、
その後日本国籍を取得し帰化。
モンゴル出身力士としては初めてだった。
日本国籍取得に際しては母国モンゴルで「なぜ祖国を捨てるのか」
と非難の声も上がったが、
旭天鵬は「将来親方となり後進を指導するためには日本国籍を取得する必要がある」
現在の制度に従ったことを説明した。
帰化にあたっては師匠である大島親方が養親となっており、
停年退職に伴い自身が引退して部屋を継承すると見られていたが、
2012年4月に大島親方が退職する以降も旭天鵬は現役を続行することを希望。
大島部屋は2012年4月をもって閉鎖され、
旭天鵬ら大島部屋の所属力士は友綱部屋へと移籍し今日に至る。
現役続行という判断があってこその初優勝。
人なつっこい旭天鵬関。
優勝後の涙に感動。
日本人にもモンゴルの人達へも色々教えてくれた。
拍手を送りたい。

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努力の結晶

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先は見えないもの