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diary

2017年3月6日 みんなのために

日曜の夜である。
空を見上げると、輪を纏った上弦の月。
かなり滲んでおり、天気が良くないことを暗示している。
「あの日は、天気が良くなくて、仕舞には、小雪が混じったんです」
2011年3月11日午後2時46分
東北を中心に広い範囲で大きな揺れを感じた。
そして約30分後、太平洋沿岸を想像を遥かに超えた津波が襲ったのは
記憶から消えることはないだろう。
18000人以上の死亡・行方不明者を数えた大災害。
あれから6年。
今年も宮城県・気仙沼市にお邪魔した。
毎年同じ時期に行っているので
去年無かったものがあるとびっくりし
1年前に在ったものが姿を消していると
「あれ?」と声を上げてしまう。
今の気仙沼は、両方で驚くのだ。
1年ぶりの気仙沼を歩いた。
大島行きのフェリー乗り場近くに
にょきにょきと、6階建てや9階建ての団地が完成している。
遅れていた公営住建設が大方済んで
いまだに仮設住宅で暮らしていた人達が
引っ越しの準備をしていると聞いた。
不幸にして再び津波が襲ってきても
垂直避難場所の役割を兼ねているのだろう。
頼もしく見えた。
一方で、去年あったのに無くなっているもの。
毎年泊めてもらっている旅館大鍋屋本館が姿を消していた。
(新館は元気に営業中。そちらに泊まった)
海から100メートルくらいしか離れていない
当時はもちろん被害に遭い、1階は大破。
しかし、復旧の人達の宿が必要と、
突貫修理で、数か月後に営業を再開したという
伝説の館が無くなっていた。
大鍋屋の若旦那に話を聞くと
「市の取り組みで、嵩上げが必要な場所なんです」とのこと。
津波対策で、1.3メートル以上の高さに上げるのだという。
新館は相変わらず人気で大勢泊まっていた。
震災後、皆の為にいち早く営業再開した施設で
取り壊されるのは大鍋屋だけではなかった。
この話は来週にしよう。

みんなのために
みんなのために

待望の館
待望の館