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地震特集完全版

そんぽのホントは、9月1日の「防災の日」を前にした8月に地震特集をお届けしました。
阪神・淡路大震災で被災経験をもつ安田大サーカスの団長こと安田裕己さんを ゲストに招き、さまざまな経験談や被災者ならではのアドバイスを伺いました。
ここでは、番組では紹介できなかった団長のお話も一挙公開しています。

団長が語る震災のおそろしさ


竹内: さて涙子、9月1日といえば、防災の日だよね。
来月の防災の日までおよそ1ヶ月ということで、
今月は阪神・淡路大震災を経験したこの方をゲストに招いて、
体験談を聞いてみたいと思います。
ご存知、安田大サーカスの団長こと安田裕己さんです。
よろしくお願いします!

団長: よろしくお願いします!ベタでーす(笑)。
いやあ、このような番組で喋れるとは…いいんですか僕で?

吉田: 大丈夫です!

竹内: 我々も勇気あるブッキングだと思ってます(笑)。
関西の方なら多かれ少なかれ体験はしたと思うのですが、
団長の体験談なら一番リスナーの方に伝わるんじゃないかと思って、
今日は忙しい中お招きしました。ありがとうございます。

団長: ありがとうございます。

竹内: 思い返せば、1995年1月17日、
阪神淡路大震災から15年経ちますが、団長、当時のことは覚えていますか?

団長: そうですねえ。やっぱり薄れていってる部分もあるんですけど、
ピンポイントでああやったこうやったって思い出しますね。
やっぱり震災の日が近くなると、テレビとかで当時の様子が映るじゃないですか?いまだにちょっと目を背けたくなるというか。そんな感じですね。

竹内: 15年前の団長は、震災の当日、どこで何をしていたんですか?

団長: 僕は家で寝てたんですけど。

竹内: もう芸能活動は始めていましたか?

団長: いえ、ちょっと前ですね。この少し後からです。

吉田: あ、そうなんですか。この震災は朝早かったですよね?6時前とかでしたっけ?

団長: 6時前ですね。成人式が当時、15日にありまして、
その2日後でしたね。だから僕、その成人式の写真全然ないんですよ。
たくさん撮ったはずなのに。探せばあるんでしょうけど、1枚も残ってないですね。

竹内: よく体験者の皆さんから、揺れた瞬間は床の中にいて
何が起こったかわからなかったと聞くんですけど、団長はどうでしたか?

団長: 本当ね、何が起きたかわからなかったです。
自分が宙に浮いているのはわかるんですけど。

吉田: え?宙に舞ってる感じなんですか?

団長: 寝てるでしょ?そうするとドンドンドンドンって揺れて、自分が飛んでるんですよ。

吉田: えええっ!!

竹内: そんなにすごかったんだ…。

団長: 体を揺すられるだけじゃないですよ。飛んじゃいますよ。宙に浮きます。
で、最初はドンドンドンドンってなってガシャガシャって…
もう音がもう言葉で言い表せられないくらいでした。
もうドンドンドンドンガシャガシャガシャ、バリンバリンって。
で、収まったと思ったら、電気がすぐ点くんですけど、
パッと見たらスキーブーツが壁に突き刺さってたんです。

竹内: うわ!え?ブーツ?

吉田: 刺さってたんですか?

団長: はい。ブーツが刺さってて、で母親が「大丈夫か?」って来たんですけど、
その日僕が最初に発した言葉が・・・
「スキーブーツあった!」って言うてもうたんです(笑)。
「見つかった!」言うて。「スキーブーツどこやったん?」って言うてましたから。

竹内: そのなくなっていたと思っていたスキーブーツが、
どこからともなく飛んできたんですね。

団長: そうです、どっから飛んできたんやろう?って(笑)

竹内: 今こうやって笑い話になっていますけど、それが頭に当たってたら…。

団長: もう確実に怪我以上ですね。

竹内: 他の家財道具はどうだったんですか?

団長: タンスはもちろん倒れてますし、金魚を飼ってたんですけど、それも倒れてました。
気をつけなきゃならないのはそこですよ。
電気って一回戻るんですよ。予備の電気で。
だから大丈夫やなあって家を出たんです。
で、おばあちゃんの家に行って帰ってきたら、
熱帯魚のヒーターがクラッシュしていて火事直前だったんですよ。

吉田: うわあ!

竹内: 僕らも地震が起きたときのアナウンスコメントって、
即座に言えるように訓練は積んでいまして、
そのときに「電源を一回切ってください」って必ず言うんですけど、
そういうことだったんですね。

団長: そういうことなんです。

被災後に一番困ったこと


吉田: この震災でまずお聞きしたかったのは、
被災したときに一番困ったことって何かを聞きたかったんですよ。

団長: まず要るもの。何でしょう?やっぱり水でしょ。
飲み水だけじゃないじゃないですか?生活に水ってすごく必要なんですよ。
で、震災後、水は持ってきてもらえるわけですよ。
大きなポンプみたいなので。でも、このときに水を入れる容器がない。

竹内: なるほど。

団長: どうするんだと。そのとき一番役に立つのがポリタンクというか、
何リットルも入る容器。これが一つあると便利なんです。
なんですけど、震災のときに、これ普通は200円とか300円ですよね。
これが当時1000円2000円するんですよ。
高いときは5000円くらいしてましたよ。

吉田: えええ!

団長: 高いけど、背に腹は変えられんということで、
うちはたぶん3000円くらいで買ったんじゃないですかね。

竹内: でも、人の足元見て嫌な商売する人もいるんですね。

団長: そうなんですよね~。でも、助かりましたよ。

竹内: そんなに高くても容器を買うくらい水は大切だったんですね。

団長: 水は大切でした。震災直後って実はまだ蛇口から水が出るんですよ。
そのときに風呂桶にためておくのは大事ですよ。

吉田: 団長は震災直後、お風呂に水は貯めたんですか?


団長: 僕はね、お風呂行って蛇口ひねったんですよ。そしたら出たんです。
で、貯めておけばよかったんですけど、それで安心しちゃったんです。
「あ、出る出る」って。そのまま貯めておけばよかったのに。

吉田: あ~、でもそのときはわからないですよね。

団長: ええ、わからない。

竹内: じゃあ、水が出るのは震災の直後だけなんですね!?
その後はピタッと止まっちゃったんだ。

団長: ええ、全然出なくなっちゃいます。だから何が役に立つかというと、
『サランラップ』です。皿の上にラップをつけるわけです。
そうすれば、食べ終わったらラップを捨てるだけですからね。洗い物しなくて済む。

吉田: あ~!

竹内: なるほど。飲み水はもちろん、生活用水を含めて水が一番大切だったと。

吉田: 飲み水も必要だし、洗い物でも水が必要って中で、
いつもは使うけど水を節約しなきゃならないって、
場面もあったと思うんですけど・・・どこで水を節約しました?

団長: これは汚い話ですけど、
トイレを何回かに一回しか流さないとかはまずやりましたね。
それと洗い物をなるべく出さないよう努力はしました。

竹内: 地域差はあると思うんですけど、
団長の住む地域で水が復活したのは震災後どのくらいでしたか?

団長: どのくらいですかねえ…はっきりは覚えていないですけど、
1ヶ月以上かかったと思いますね。

竹内: そんなにかかったんですか。

吉田: 電気よりも水は復旧が遅かったって話がありましたからね。

これは必要だったと思ったもの


竹内:地震にあったとき、これは必要だと思ったものを教えてもらえますか?

団長:震災直後に一番要るもの、これはスリッパなんです。

吉田:ええ?

団長:なぜだかわかりますか?スリッパって、
別にクロちゃんの頭を叩くためにあるわけじゃないんですよ。

竹内&吉田:(笑)

団長:ガラスが割れますよね。破片があって裸足で歩くと危険なんで、
スリッパが非常に助かりました。

竹内:家中にあるガラスというガラスは割れる、と思ってかかった方がいいですか?

団長:ほっとんど割れますよ!

吉田:ちなみに、団長のお部屋で割れたものにはどんなものがありました?

団長:僕は寝室にいたので寝室は鏡くらいでしたけど、
キッチン周りはお皿やコップ、ガラス張りの食器棚、水槽も全部割れてましたから。
そんな中で歩いて行けるからスリッパは大事でした。
で、やっぱり暗かったですからね。

竹内:冬場の朝5時は真っ暗ですもんね。団長は怪我はされなかったんですか?

団長:僕は大丈夫でしたけど、母親がちょっと切っちゃいまして…。
だからスリッパは履こうと。
本当言うとスニーカーくらい厚いものがあるといいんですけど、
なかなか置いておくのは難しいですから。でも、スリッパくらいならね。
枕元であったり、ベッドの下に置いておくことができるじゃないですか。

竹内:そうですね。せっかく揺れで家財道具の下敷きにならなくて済んだと思ったのに、
ガラスは切りようによっては大怪我になっちゃいますからね。

団長:そうなんですよ。しかも足の裏を切ると、うちの母親がそうだったんですけど、
動きがそうとう鈍くなりますから。生活しにくくなりますよ。

吉田:あ~!

竹内:避難場所に行くとか、給水車に水をもらいに行くとか、
ただでさえ困難な生活が続くのに不便になりますよね。
何はともあれ、履き物は大事だと。

団長:履き物、これは用意しておいてください。地震はいつ来るかわからないですから。

竹内:そうですね。うちなんか小さい家だからっていうのもありますけど、
スリッパなんてお客さんが来たときしか出さないんですよ。

吉田:あ~、わかります(笑)

竹内:でも、これは考え方を改めた方がいいですね。

団長:ええ、寝室用に1個買いましょ。今100均にも売ってますから。

竹内:これはスリッパ本来の有効な利用方法ですね。
頭をどつくためにあるわけじゃないと(笑)

団長:じゃないですよ。ツッコミの道具じゃないですから(笑)

被災する前と後で変わったこと


竹内:次にお聞きしたいのは、震災する前と後で変わったことなんですが…
教えてもらえますか?

団長:変わったことはですね、寝室の高いところに硬いものを置かなくなりました。
以前はスキーブーツを置いていたんですけども、
それが壁に突き刺さっていたんでね。
もしそれが体に当たっていたら、顔面に当たっていたらと思うと怖いので、
硬いものは高いところに置かない。
で、今僕は寝室に自分より高いものは何も置いてないです。

竹内:家具でも?

団長:はい。家具は家具の部屋にまとめて、寝室には置いてないです。
震災当時、僕は家にクローゼットがなかったので押入れだったんですけど、
押入れも押入れじゃなくなってましたね。
中の物がバンバン出てきてましたから…。

吉田:え?押入れは扉が閉まってたんですよね?

団長:閉まってたんですけど、色々なものが出てきていたので。

竹内:和風の押入れだと襖だしね。
中の物の方が重いから襖越しに全部飛び出してきちゃうんだ。

吉田:え?襖が破けちゃうんですか?

団長:襖が外れてましたね。いや、開いてました。
そういうのも含め、自分より高いものは置かないようにしてます。

竹内:涙子は大丈夫?

吉田:いや、私、狭い部屋をいかに広く見せようかと思ってるので、
壁に高く積み上げて置いているのが正直なところです。
なので、今これ改めないと!と背筋がゾッとしました。

竹内:うちもそうですよ。僕の部屋にクーラーを取り付けにきた電気屋さんがね、
「納戸にクーラー付けるなんて旦那さん、贅沢ですね」って言われたくらい
ゴチャゴチャな部屋なんですよ。

団長&吉田:(笑)

竹内:僕も思わず「寝室です」って言ったんですけど(笑)。
それほどゴチャゴチャしてるんです。
特に頭の上はですね、今団長が気をつけてくださいって言ってた押入れなんですよ。

団長:それは気をつけた方がいいですよ。
僕は押入れの上の段にはあんまりものを置いてないですよ。布団くらいですよ。

竹内:なるほど。とにかく柔らかくて軽いもの、と。

吉田:あの、地震が起きた時に「これはまさか飛ばないな」、
「これは動かないな」と思っていたけど動いた物ってどんなものがありましたか?

団長:大きなテレビももちろん動きましたし、風呂桶が動いてましたよ、うちは。

吉田:えええ!!

団長:最初は風呂場の扉が開かなかったから、
なんやろなと思ってたんですけど、
よう見たら風呂桶がバーっと移動してるんですよ。

吉田:わああ!

団長:だから手伸ばして、うまいこと風呂桶を寄せてから開けまして。

吉田すごい…。

竹内:つまり、そういう体験をしていない我々には想像がつかない出来事が起こると。

吉田そういうことですよね。

竹内:普段はビクともしないと思っていたものも宙を飛んでいくと。

団長:2階の手すりのある廊下を歩いていた僕の知り合いは、下に落ちましたからね。

吉田え?どういうことですか?

団長:その手すりから飛んでそのまま下に落ちちゃったんです。
物よりそっちの方がビックリしますよね。人が落ちちゃうんですから。2階から。

竹内:HIRO君がのしかかってきたよりも遥かに強い力ということですよね。

団長:もしHIROが上から落ちてきたら…臼が落ちてきたようなもんですよ。
さるかに合戦ですよ、ほんとに。

竹内&吉田:(笑)

竹内:でもね、これは団長の話を聞いてよかったです。
我々が想像してもし尽くせないくらいのことが起きると。
そして、高いところには硬くて重いものは置かないと。そういうことですね。

団長からリスナーへメッセージ


竹内:ここまで聞いて、涙子は何が印象に残ってる?

吉田:私は一番初めに伺った、地震で揺れた時に
スキーのブーツが壁に刺さったという話が印象的でした。
刺さるまで揺れるんだって。そのことにすごい衝撃を受けました。

竹内:団長だって、そんな経験をするまではまさかブーツが壁に刺さるなんて、
考えたことなかったでしょ?

団長:考えたことなかったですし、関西ってめったに地震がなかったので、
地震に対する免疫がまったくなかったので。何の事かがわかんないですよね。

吉田:よく非常持ち出し袋を作っておきましょうなんて言いますけど、
団長のお宅では作ってらっしゃいましたか?

団長:当時はないです、今は置いてます。今は一袋置いてます。

吉田:やっぱりそういう風に意識も変わるんですね。

竹内:それでは団長、最後にラジオをお聞きの皆様に一言お願いできますか?

団長:そうですね。僕は仲のよかった友達がですね…、
ビルが崩れて死んでしまったので…。
本当にね…地震って悲しいだけでは済ませられないものがあるんです。

当時はもうその悔しさとか悲しみをどう伝えればいいのか、
何をどうぶつけりゃいいのかわからないくらいつらかったです。
対策して助かるものならなるべく対策した方がいいと思います。

違法建築とかのニュースとかありましたけど、
もう家選びとかも築年数とか施工方法も見て、
ちゃんと震災で悲しい思いをしないように選んだり、
しっかり対策はして欲しいですね。僕もきちんと対策しているつもりです。

竹内:事故っていつ何どき襲ってくるかわかりませんが、
大地震などの震災に対する備えって普段は無駄だと思ってしまいがちだけど、
やっておくべきなんだよね。

吉田:そうですよね。

団長:それで済むなら安いもんやし。で、人間の力って何にもならないですよ。
逃げれないですから、震災中は。もう何もできないですから。

吉田:なんか「窓を開けましょう」とか色んなことを言われますけど…

団長:それは、揺れが終わった後です。
揺れてる最中、人間は無ですね。何の力にもならない。

吉田:あのときはマグニチュード7.3くらいだったと思うんですけど、
座ってくるくらいしかできないですか?

団長:僕は寝てたんですけど、その座ることすらできないです。
もう揺れを受け入れて、「飛んでる、飛んでる」ですよ。
目をつぶって終わるのを待つだけですよ。頭を抱えて。

竹内:怖さとかが訪れるのも揺れの後ですか?

団長:後ですね。もう何もできないです。

竹内:我々の想像の及ばないこと…そういった事が起きるのが大震災という訳なんですね。
こういう経験をした団長だからこそ、
今現在、地震への備えをしっかりされてるんだなと思いました。
我々もこの団長の経験をいい形で生かさないとね。

吉田:そうですね。本当にありがとうございました。

竹内:安田大サーカスの団長こと安田裕己さん、どうもありがとうございました。

団長:ありがとうございました。

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