第18回かもめ亭レポート

<瀧川鯉昇師匠&日向ひまわり師匠>

文化放送主催の『浜松町かもめ亭』第18回公演が、6月30日(月)、文化放送メディアプラスホールで開かれました。
今回の番組は、『日向ひまわり真打昇進披露公演』と称して、この5月に真打昇進を果たした落語芸術協会所属の女流講釈師、神田ひまわり改め日向ひまわり先生の披露会として、落語芸術協会の重鎮お二人をお招きしました。(協力 (社)落語芸術協会)

番組は
『三方が原の合戦』  神田改め日向ひまわり
『ちりとてちん』  瀧川鯉昇
『船徳』  春風亭小柳枝
仲入り
『清水次郎長伝』  神田改め日向ひまわり
という出演順。

開口一番は、本日の主役・神田改め日向ひまわり先生自ら登場。講釈師として、最初に教わる修羅場の『三方が原の合戦』から「内藤三左衛門の物見・五色揃え」を語ります。 落語で言えば前座噺で口ならしのために教わるのが修羅場。張り扇をパンパンと叩きながら、滔滔と、また朗々とリズミックに読み、かつ語る中に合戦絵巻が髣髴と浮かんでくる点に講釈ならではの魅力があり、同時に、その講釈師の基礎的な技量が分かっちゃう怖さもあります。
また、修羅場がちゃんと修業出来ていないと、大ネタの一つである『赤穂義士伝』のうち、「忠臣二度目の清書」なんてネタは腰砕けになってしまいます。今回はかもめ亭プロデューサーから、「真打昇進披露の会だけに、あえて講釈師としての"初心に戻る"というニュアンスで是非に」と、お願いしての口演となりました。

ひまわり先生、自ら書いた修羅場の本を前にやや緊張の面持ちで、「講釈師にとっては教科書みたいなもので、家で稽古はしますが、お客様の前では演りません。演ると、お客様が落語の『寝床』状態になってしまうので(笑)・・・お客様には言葉の意味を追いかけるより、雰囲気を味わって戴くネタです」とマクラを振って本題に入ります。

"神君徳川家康、生涯ただ一度の負け戦"と言われる、武田信玄を相手にした『三方が原の合戦』。武田の大軍を前に籠城せず、敢えて城から討って出た徳川軍。目の前には"武田二十四将"と呼ばれた名将が見事な陣を張っています。例えば、全軍赤の衣装に身を包んだ山縣昌景の「赤備え」、馬場美濃守の「白備え」など、五色の備えを陣容・衣装を、「黒糸縅の籠手臑当、五枚錣の兜を猪首に着なし」といった具合に紹介して行きます。 ひまわり先生も久しぶりの口演なのか、やや声が細い事もあり、当初はリズムを取るのに苦労され、張り扇の響きにも緊張がありありでしたが、語り込むほどに調子を上げ、御座を固めてくれました。

二番手は、必ずオチのつく独得のマクラとフンワリおかしい落語の瀧川鯉昇師匠が『かもめ亭』初登場。舛添厚労相に似たゴツめの容貌と軽妙洒脱な語りのギャップに魅力が光ります。
高座に座っても、なかなか喋り出さないので有名な鯉昇師匠ですが、本日は早々と口を開かれ、「私は、芸にも人生にも力が入らない方で」と笑わせてから、新真打・ひまわり先生についてひと言。
「楽屋に女性がいると明るくなります。ただ、ひまわりさん以前は酷かった。一応、女性の芸人さんもいらっしゃいましたが、皆さん、年齢も性別もハッキリしない方ばかりで、何でも"官軍と一緒に江戸に来たらしい"という・・・ひまわりさんは前座時代からいつも一生懸命で、私など彼女に羽織を着せてもらう時、男の前座さんの時より前に屈んで、背中に当る胸元のほのかな感触を楽しむという・・・そういうセクハラも乗り越えての今回の真打昇進でございます」
 そう笑わせたかと思うと、
「全体に女性の方が出世は早いようで、前座から真打まで10数年(ひまわり先生は入門からだと16年目です)、男性だと前座から真打までだいたい15、6年、これは人殺しの時効成立と同じ期間ですが」と、脱線したり、「食堂に連れ立って入った男女の警官が"不倫ではないか"と疑われて停職(定食)になった」など、オチをつけながらの爆笑マクラを展開!
そこから、「お世辞というものは人付き合いの上では大切なもので、この技術が成長すると、腹に無い事を平気で言えるようになります」と振って、物知りぶる隣人を腐った豆腐を食べさせて懲らしめる、夏の定番落語『ちりとてちん』へ。

予定か変わって余った食事を、ご隠居が愛想のよい隣人・竹さんに食べてもらおうと呼びよせます。この竹さんが正に、「腹に無い事を平気でいうタイプ」。「灘の生一本」の酒を見せられると、「灘の生一本というのは実在したんでございますか!」と驚いてみせ、鯛の刺身を出されると「鯛の刺身!日本にあるんですか!?」と言う有り様。更に鰻の蒲焼を見て、「昔、図鑑で見た事がある」とか、一ヶ月前に食べ残した豆腐に毛のような黴が生えているのを発見した隠居が「豆腐は独りでに毛が生えるのか。羨ましいものがあるね」と隠居が呟く辺り(師匠はちょいとオツムリが寂しくなられています。舛添厚労相似ですから)、鯉昇師匠らしい、ちょいと知的でバカバカしいおかしさが客席に溢れます。

その腐った豆腐を「台湾土産の珍味」と偽り、知ったかぶりで愛想の悪い隣人の寅さんに食わせちゃおうと隠居が計画した所から、噺は愈々佳境に入ります。
それを知らずに現れた寅さん、灘の生一本には「本物の生一本なんかいま日本にないんだよ」とケチをつけ、鯛の刺身には「板前が捌いたばかり?どっから来た板前なの?"船場吉兆"とかいうんじゃないの?」と毒づきながら、アッという間に全部平らげます。鰻の蒲焼についても「何処の鰻?一色町?」「どうせ養殖だろ。人間に餌を貰ってブクブク太ってるから、生活に努力の跡が見られない」なんて嘯くから、シニカルな笑いが会場に満ち溢れます!

わざと困ったフリをした隠居が「これはどう?」と出したのが、腐った豆腐に一味唐辛子をタップリとかけ、ビンに詰めた怪品。「台湾名物の"ちりとてちん"という、珍しいものだそうだよ」と出してみせると、寅さん、直ぐに食いつき、「台湾にいた時分、よくやった。あたしは"ちりとて友の会アジア支部の会長で"」と知ったかぶりをして、食べようとしはじめます。
 そこでも腐った豆腐の凄い臭いや目に滲みる刺激に寅さん、「本場じゃね、風下では食べない。目にしみるから目を瞑って、息を止めて、鼻をつまんで食う」と、一息に口の中へ!口に入れてからの七転八倒をクドく演る方もいますが、鯉昇師匠はサラッと演られるので、オカシイけれど後口が良いのが流石!いかにも鯉昇師匠らしい、飄々とした爆笑高座となりました。

仲入りは、70歳を越えながら、いつも若々しい春風亭小柳枝師匠が『かもめ亭』初見参!
「小さな柳の枝とかいて"こりゅうし"と読みます。どうか"つまようじ"などとお読みになられませんように」と、いつもながらのご挨拶から入って、「長い付き合いですが、ひまわりさんは名前の通り、雲っていても陽を探り当てるんですな」と新真打について温かく語られます。
そこから、「梅雨の合間、晴れて庭に水蒸気が立つと、そこにユラユラと僧侶の姿が現れた・・・"貴方は何方でございますか?"と問うと、"私は縁の下の出家(湿気)でございます"」という、如何にも梅雨時分らしい、珍しい小噺へ(私は初めて聞きました)。
続いて、『雷弁当』『夕立屋』と、夏の小噺を続けて居候のマクラへ。「『湯屋番』かな?夏の定番の『船徳』かな?」と思っていると、主人公の若旦那が「アルコールにつけた米で雀を採る方法」を話すので、「こりゃ『湯屋番』だ」と思ったら、「お前のとこの商売が船宿だから」と、矢張り『船徳』へ。寄席の主任でも度々伺っている師匠の十八番です。

親から勘当され、出入りの船宿の二階に居候している若旦那。「船頭になりたい」と言い出して、船宿の親方が止めるのにも耳を貸さない。仕方なく、若旦那が船頭になるのを皆に披露しようと船頭たちを呼びます。
ここで船頭の言う、「若旦那が船頭に?!こないだから(河岸で)イタズラしてましたからねェ」ってセリフが、若旦那の暢気さをパッと感じさせて結構でした。また、「若旦那の船頭披露」ってェのが、「ひまわり先生の披露目」に、ちょいとかぶる辺りもご趣向でございますよ。
落語協会の先代文楽師匠、今の小三治師匠系の『船徳』は、若旦那のキャラクターが強く、全体に華奢な噺ですが、小柳枝師匠の『船徳』は口調はスイスイと速いにも関わらず、伊香にも腕力(かいなぢから)のありそうな親方や、ガッチリした船頭たち、不精な船宿の女中など、骨太な噺になっているのが特徴。先代小さん師匠の『船徳』を思い出しました。

さて、場面変わって土用の最中の四万六千日。暑さに閉口した観音様参りのお客二人。片方が「人力に乗ろう」というのを、もう片方が押し留め、「柳橋に馴染みの船宿があるんだ。船で吾妻橋から上って参詣しよう」と若旦那のいる船宿へ。折悪しく、船頭は忙しさに出払って、船を引っくり返したり、赤ん坊を負ぶったお内儀さんを川へ落とした挙句、船に載せてもらえず、家の中で居眠りして船を漕いでいた若旦那しか"船頭らしきもの"はいなかった!
 船宿の女将が止めるのもきかず、若旦那の船に乗り込んだ二人の客。「どうなることか?!」と、真っ青な顔に冷や汗をかいている女将を残して、ついに運命の船出をしてしまいます。この女将の小デップリとした、江戸家まねき猫師匠みたいな、ざっかけない年増っぽさも面白い!

船は出たものの、若旦那、直ぐに竿を流して、お客に「(川の中に)竿を取りに行って下さいなァ」と頼んだり、石垣に船をへばりつかせて、「石垣だ?カニや忍者じゃないんだよ!」とお客からケンツクを食ったりと、早くも波乱の幕が開く! それでも若旦那が橋の上にいる芸者を見上げて、「あの芸者、"船頭さんは良い男。それに比べて傍のお客の酷い顔ォ"なんて思ってる」と、能天気ぶりを発揮していたうちはまだ良かったのであります。
石垣を脚の傘でついて貰い、船はなんとか離れたけれど、傘が石垣に挟まったまま取れなくなると、「傘の一本くらい、命には代えられない!」と必死の形相で叫ぶ若旦那。
船はそのまま、石垣をゴリゴリと擦りながら進み、顔も切れそうな鋭い葦の茂みに突っ込む!こうなると、ほとんど『インディ・ジョーンズ』の世界(笑)。ついには汗が目に入って前が見えなくなった若旦那、「阿っ母さ〜ん、もう嫌だ!」と叫んで、船櫓を放り出すまで、真に軽快で、落語らしい、悲惨な爆笑が続いたのであります。

仲入り後の主任は再び、ひまわり先生。
 「修羅場は矢張り『寝床』になりますね。二席目は安心してお付き合いのほどを」と、清水港の大親分・清水の次郎長こと山本長五郎が、子分の森の石松と伊勢参りに出かけた『清水次郎長伝』の一節へ。
 次郎長と石松が浜松まで来ると、11、2歳の子供が仲間を集め、往来の脇でバクチをはじめます。石松は「末が落しみだ」なんて言うけれど、次郎長は「とんでもねェ」と見守ります。
すると、子供バクチの上前を撥ねようと現れた男を、中心になっていた子供が叩きのめして、とどめをさそうとした!それを慌てて止めて、次郎長が訳を聞きます。

仲裁に入った次郎長に向かい、「オジサンは、目配りといい、体のこなしといい、ただものじゃねえな」と、こまっしゃくれた事をいうその子供。小柄な政吉少年の語る身の上話には、オヤジはバクチに凝って大貧乏の末に行方をくらまし、病気の母親を魚屋をして助けているとのこと。
「オヤジがバクチで負けた分、オレが取り返さなくちゃ。オレがバクチうちにならなきゃ、病気の阿っ母ァは死んでも死にきれねェ」とおかしな理屈を言い出します。この辺り、落語の『佐々木政談』に出てくる子供に感じが似ておりますが、調子の高いひまわり先生だけに、こまっしゃくれてはいても、イヤラシイ感じがしないのは芸風に適っております。

身の上を話した相手が次郎長と知るや、子供は「子分にしてくれ」と言い出しますが、次郎長、は「子供は子分に出来ない。その代り、阿っ母ァに万が一の事があったら、清水に訪ねてこい。俺が預かって一人前の商人に育ててやる」と約束、何がしかのお足を渡して分かれます。

で、こっからの後半は政吉一人の物語。母親がほどなく亡くなり、野辺の送りを済ませ、百ケ日も終わると、清水に行こうと思った政吉。路銀がないので、知り合いの駿河屋平兵衛を訪ねて、「餞別帳」を作ってもらった上、その初筆(書き出し)として、"駿河屋平兵衛 金一両"と自分で書いて、まず一両をせしめます。
さらに、一両の文字を二両に書き換え、「こういうものは、初筆より順番に金額のさがるもの。初筆が一両じゃあ、次がもっと安くなっちゃうからニ両と書き換えた」といけしゃあしゃあ。
駿河屋平兵衛が納得すると、「"駿河屋平兵衛は帳面には二両と書いたのに、一両しかくれなかった"と街中に触れてまわる」と脅かし、結局二両をせしめます。このちゃっかりしたおかしさも、ひまわり先生の明るさでトントン進むから軽快で楽しい。

結局、政吉は餞別帳をあちこちに廻して十両余の路銀を集めると清水へ向かい、次郎長の下に加わりますが、商人になる気などサラサラなく、その利発さと腕っ節の強さから、後には次郎長一家でも"大政小政は鬼より怖い"と呼ばれた二枚看板の一人"清水の小政"になる「小政の生い立ち」と、話を締めくくるまで、落語に近い面白さで楽しませてくれました。
最後は、鯉昇師匠の愉快な司会に、小柳枝師匠の発声による三本締めで、ひまわり先生の前途を客席の皆様共々、祝して、本日のかもめ亭、目出度く打ち上げました。

という訳で、第18回『浜松町かもめ亭 日向ひまわり真打昇進披露』。講釈の基本である修羅場から、夏の定番ネタである飄々とした『ちりとてちん』に軽快な『船徳』、そして真打昇進披露らしく、小政のから生い立ちから立身を語るネタと、落語芸術協会の総力を結して(そりゃ大袈裟か)目出度くお楽しみ戴けた次第・・・・・・・という訳で、次回、7月のかもめ亭『立川生志真打昇進披露公演』も、御多数ご来場あらん事を。


高座講釈・石井徹也

今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。



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