第19回かもめ亭レポート

<立川生志師匠>

文化放送主催の『浜松町かもめ亭』第19回公演が、7月7日(月)、文化放送メディアプラスホールで開かれました。
今回の番組は、『立川生志真打昇進披露公演』と称して、苦節20年、遂に真打昇進を果たした"立川流伝説の二ツ目"立川笑志改め立川生志師匠の披露として、立川流の重鎮お二人をお招きしました。

番組は 『手紙無筆』    立川こはる
『三方一両損』    立川談春
『バールのようなもの』    立川志の輔
仲入り
真打昇進披露口上    立川志の輔・立川談春・立川生志
『唐茄子屋政談』    立川生志
という出演順。

開口一番は、お馴染みの立川こはるさん。後ろに尊師・談春師匠が控えるためか、緊張の面持ちでマクラも殆ど振らず、字の読めない男が手紙を読んでもらいに兄貴の所へ出かけると、兄貴も字が読めなくて誤魔化しにかかるという、無筆落語の典型『手紙無筆』へ。立川談幸師匠に教わった噺との事で、楷書の芸でキッチリと進みます。

自分も無筆の癖をして、弟分が「実は字が読めない」というと、「オメエは字が読めないのかァ!」と世間に広めるように叫ぶという、厄介な兄貴ですが、自分も字が読めないのを誤魔化すため、「自分は鳥目だから読めない」「今は昼間ですよ!」「オレのはミミズクの鳥目だ!」という辺りの呼吸は、こはるさん、真に結構なものでありました。
談幸師匠譲りのクスグリかなと思いますが、「伊藤公に井上公、焼津港に清水港」という件や、「箸なんざ荒物屋で買うから良いよ」とインチキな手紙の読み方をされた弟分が「うちの伯父さん、荒物屋なんですけど」と呟く辺りもオカシイ。
こはるさん、ジワジワと腕を上げて、手堅く御座を固めてくれました。

夏も涼しい家元譲り、いなせで知られた江戸っ子気質
続く高座は、こはるさんの師匠であり、『かもめ亭』公演においても、柳家喬太郎師匠と並ぶ重鎮・立川談春師匠の登場。
「生志さんの披露の会だという事を来るまで知らず」、そうトボケたかと思うと、「(次に上がる)志の輔師匠はいつも通り疲れてます。今日はきっと長いですよ。だから、私は短く演らないと」とか、「朱に交われば赤くなるという訳で、私も疲れてます」とボヤいてから、先日催された歌舞伎座における談志・談春親子会の話へ。
「今、落語で(観客に)受け入れてもらおうというアクや欲といったものがなくなりました。今年の談春は歌舞伎座で終わりました」って言葉に会場は大爆笑デス。

そこからスッと、「江戸っ子は五月の鯉の吹流し。口先ばかりてでハラワタはなし」と、お定まりの文句を振って、江戸っ子二人の軽快な意地の張り合いを描く『三方一両損』へ。
噺の運びは談志家元譲りで、一見素っ気ないほどにトントンと行きます。素っ気ない口調の後口に持って生まれた愛嬌が浮かぶ談志家元に対して、もう一つクールで現代的なのが談春師匠の特徴。尤も、クール一辺倒ではなく、柳っ原で財布を拾った左官の金太郎が財布を拾った途端、「拾ったって、革財布じゃねェ」とパロディックにひと言。歌舞伎座の主任ネタが『芝浜』だったと知っている客席は大喜び!

金太郎が財布の持ち主である大工・吉五郎の家の場所を尋ねる相手、煙草屋の親父がまたノンビリとしてェて面白い。鈴々舎馬風師匠系の顔立ちである談春師匠は(失礼)、噺のちょい役である市井のオジサンや風采の上がらない若い衆がいつも楽しいのでアリマスよ!
この後、金太郎との喧嘩を仲裁に入る吉五郎側の大家さんも、何かトボけたノンキさがあります。ちょっと先代小さん師匠っぽいのは談志家元経由の隔世遺伝かも。
煙草屋に「アリガト」とカワユク礼を言ってから、吉五郎の長屋に来た金太郎が、「オレは綺麗な障子に孔をあけて覗くのが大好きなの」とニコニコしながら障子に孔をあける辺りの愛嬌は、談春師匠の地のように感じられてなりませぬ。
「殴れるもんなら殴ってみろ!」といった途端、吉五郎にゲンコで殴られ、「普通は殴れるもんなら殴ってみろといったら、ひと言あってポカッと来るのに、あいつの殴り方は(順序が)おかしい」とボヤく金太郎も大変に可愛うございました。因みに、大工の吉五郎に職人ってより向こうぶちっぽい怖さがあるのは、バクチ愛好家として知られる談春師匠故でしょうか。

喧嘩で髷を乱した金太郎が帰ってくるのを見た、金太郎側の大家さんが話の顛末を聞き、「オウ、江戸っ子だな」「喧嘩しろ、オメエ!」と焚きつけるのも大笑い。「談春師匠って、実はオジサン芸なんじゃないの?」と感じた程でアリマス。

この二人の喧嘩を、金太郎側の大家が奉行所に訴え出ますが、申し立てを読んだ与力は「こいつらバッカだなァ」と取り上げないのが大笑い。ところか、暇つぶしがなくて困っていた町奉行・大岡越前守が「余が裁くような、面白き訴えはないか?」と取り上げちゃう辺りのいい加減さは、「出てくる人は、基本的にみんな変!」という、落語の楽しい基本姿勢に適っていて、真に結構でございますよ(笑)。
 話がお白洲での裁きに移ってからは、世話講釈っぽい談春師匠の口調がお奉行様にもあって軽快に進み、「江戸っ子ってのは、こんなもんだよね」という気楽な雰囲気で、オチまで気楽に楽しまして戴きましたヨン。

珍問答、『やかん』のようで『やかん』じゃない!?
仲入りは、立川流の重鎮にして、文化放送パーソナリティーの重鎮である立川志の輔師匠が『かもめ亭』初登場!
開口一番、「え〜、とても元気です」のひと言に会場大爆笑。
「(談春師匠に)"きっと長いですよ"って、ああいう言い方されると、長く演ってやろうと思うけれど、今日の主役の生志さんが高座に上がろうとした僕に、"主任で『唐茄子屋政談』演ろうと思います"なんて言うんです。『唐茄子屋政談』が主任ネタなら、時間配分を考えると、私の持ち時間は5分か6分ですよ」と来たから、さらに会場は爆笑。
「だいたい、披露目の会で長く演ると""今日の主役でもないのに"と言われるし、だからって短いと"お祝いの会なのに15分しか演らないのかよ"と言われる。ですから、今日は21分18秒の落語を演ります」と語って、「サミットの厳戒な警備体制で、マジシャンの人は大変です。鞄を調べると剣とか出てくるし。でも、"持ち主の分からない荷物がありましたら車掌にお報らせ下さい"って言いますけど、私自身の持ち物以外、全部、持ち主の分からない物なんですよね」と、世情のアラを拾うマクラから、スッと男と隠居(かな?)の会話に入って行く呼吸は鮮やかなもの!この辺りの呼吸は談志家元や林家彦六師匠の噺の入り方の巧さを思わせますね。

噺は自作の『バールのようなもの』。『やかん』を改作したような、一種の現代的根問物ですが、"それぞれの魚の名前がどういう理由で付けられたか?"という『やかん』と比べると、男の繰り出す質問と隠居の屁理屈ロジックが格段に面白い。男が何かトッポイのも、隠居の悪落ち着きなとこも、談志家元の味わいをよく受け継いでおられて、実におかしいのでアリマス。
 男「どうして暑いのかね?」
 隠居「夏の熱さは冬に焚いたストーブの熱の余りだ」
 男「どうして冬は暑くないの?」
 隠居「夏にストーブ焚かないからだ」
 男「エイヒレってェけど、エイのどこまでがヒレなの?」
 隠居「エイを切って痛がる所まで」
 男「ライオンの頭がデカイのはどうして?」
 隠居「檻から出られないように」
 男「キリンの首が長いのはどうして?」
 隠居「頭があんな高いとこにあるからじゃないか」
 男「接ぐしかないのか」
 男「蚊に刺されると痒いのはどうして?」
 隠居「痒くないと、何処を刺されたか分からないだろ」
 男「親切だったんだ」
こういう、バッカバカしいナンセンスなのに、チロッと、「物の本質をついてるかも?」と思わせちゃう、まことに立川談志家元的なロジックから、ニュース番組でアナウンサーが良く使う常套句へと話は展開。隠居曰く、「ふだん遣わない言葉を使うと、ニュースに深みが出るんだ」ということで、そこから次々と例が挙げられます。

「"今日の暑さで寒暖計は鰻上り"っていうけど、鰻がクネクネ上ってゆくような寒暖計なんて見た事あるか?"捜査のメスが入った"って、見たことあるか?メス持った刑事。"犯人は犯行を仄めかした"っていうけれど、犯人が刑事の前で"やったかなァ?"なんていうか?そういう言葉を使うと深みが出るんだ。」というのが隠居のロジック。
そこで男は、「"泥棒がバールのようなもので扉をこじあけ"っていうけど、"ようなもの"って何?バールじゃないの?」と質問しますが、隠居は絶対に負けませんよ。
こうなると異種の意地比べみたいなもんでありますが、時々、こういう人っていますね。
「"女のような奴"っていうけれど、それは女かい?違うだろ。"ダニのような"って、ダニかい?"肉のような味がしますね"って言ったら、肉か?違うだろ、"ハワイのような"って言ったらハワイか?熱海だろ。だから、"バールのようなもの"ってのは、バールじゃないっていうことなんだ」

このロジックに納得しちゃった男、。家に帰ると、数日前、イチャイチャしていたスナックのオネェチャンについて、嫁さんから「あれは妾だろ」と言われると付け焼刃のロジックで、「イチャイチャしていたけれど、あれは"妾のようなもの"で"妾"じゃない」と説明しますが、全然、納得してもらえず、「"女のような"とか"ダニのような"ってのは、お前みたいな男の事だよ」と散々罵倒されちゃいます。よく、「落語家さんの演じる女性は、その人の奥さんに似ている」と観客の間では申しますが、この嫁さんのドスの利いた迫力は、いったい、誰が影響しているのかしら?
挙句、嫁さんに殴られた男が、隠居の所へ文句を言いに舞い戻ると、隠居曰く、
隠居「ごめん。妾だけは、"ようなもの"をつけると意味が強まっちゃうんだ。所で、なんで殴られたんだ?」 男「バールのようなものです」というオチまで、十二分に笑わせていただきました。"ほとんど内容はないんだけど、圧倒的に面白い"ってのは、落語の本道でありますね!

仲入り後は、まず「立川生志真打昇進披露口上」
談春師匠の司会で、志の輔師匠も登場。二人とも高座の左右に立っております。
談春師匠がいきなり、「(志の輔師匠は)富山の県知事線に出るんですか?」と振ると、志の輔師匠が「県知事戦の話、誰に訊いた?」と返す辺りから白兵戦みたいな遣り取りスタート!
 志の輔「初めてだけど、意外と喋りやすいホールですね」
 談春「それは、間接的にイマジンスタジオを批判してるんですか?」
 志の輔「本当に嫌な奴だな。歌舞伎座で談志師匠と親子会やって、
     ここにも出るの?。こんな時間があるなら、もっと落語演るん
     だった」

ここでようやく、真ん中の高座に主役の生志師匠が登場。その両側に志の輔師匠・談春師匠が立ってると、なんだか雷門の真ん中に狛犬を置いたような形です。
 志の輔「初めてだよな。本人だけ座って、(二人が)立ってるの」
 談春「(座っている生志師匠を見て)ああやってると被疑者
    ですね(爆笑)。これじゃ、師匠は呼べないや(爆笑)」

ここでやっと口上になりましたが、まだテンヤワンヤ。
談春「真打昇進を祝いまして、"立川流の跡目"、私がそう決めました(笑)、立川志の輔よりひと言口上を」
 志の輔「お前、ホント、少しおかしいよ。
     彼(生志師匠)は本当に偉いなと思いました。20年間、しんどい所
     を顔にも態度にも出さないという努力をしてきました。間違いなく、
     談春では勤まりません」その辺りの詳しい事は『赤めだか』に書い
     てあります(場内爆笑)
     20年掛けたおかげで、福岡では1800人も入るホールを満員立ち
     見にした披露公演をしました。その1800人が一斉に笑う凄さに、
     談志師匠も喜んでくれました。
     これもひとえに、20年頑張ったおかげで、ですから私の弟子にも
     20年、30年と真打までの長い道のりを歩ませようかと・・・・」
 生志「すみません、本当に辛かったんですから・・・」
 志の輔「耐えに耐えた生志くんを、これをご縁に、末永くご声援を賜りた
     いとお願い申し上げます」
ま、だいたい、こんな内容でありまして、最後は、談春師匠に促される形で、志の輔師匠の音頭により、客席も一体となった三本締めで、生志師匠の前途を祝い、口上を終了したのであります。おっかしかったなァ・・・

人柄は芸に出にけり、そしてまた唐茄子の味となりけり
主任はいよいよ、本日の主役・立川生志師匠の晴れ姿であります。
談志家元に何故かお許しが出ず、真打までは20年かかりましたが、既に主要な落語会の若手賞は総なめにしてきた実力派真打として知られる師匠。最近では珍しい、古風な口調と温かな雰囲気を醸し出してくれる高座ぶりです。

高座に上がると、ふくよかな顔でニコニコと、「決して元横綱・花田勝氏ではありません」と語りだした生志師匠。「真打昇進披露公演でお客様に必ず申し上げていることがあります。"披露目だけに来るんじゃねェ!"というんですが、アンケートに"披露目だけでゴメンナサイ"」と書かれてしまいました」とボヤキながら、「今回はまた、披露目でいきなり『かもめ亭』初出演という事ですが、文化放送さんにも申し上げておきたい事があります。"披露目だけ呼ぶんじゃねェ"」といった具合に語ってから更に脱線。
「真打にならなくても良いと思った時期もありました。色んな賞を受賞して、ものすごく期待された時期もあったんですが、それがなかなか真打になれないとなると、段々、人が遠巻きになってくるんですね。独裁政権下で軟禁されてるみたいで、アウンサン・スーチーさんの気持ちがよくわかるというか」と、すこし切ない話をしてから、「本当は違うネタを演ろうと思ってたんですが、ネタ帳を見ると前に演ってらっしゃる方もいるんで・・じゃ、『唐茄子屋政談』を演りますね」と、ようやく若旦那のマクラに入ります。

「暢気に育った人、素直に育った人は良いですね。落語界でいうと林家木久蔵くんなどもそうです。一緒に番組をしてるんですが、まさか、彼に真打で抜かれるとは思いませんでした。その時だけは"死んでやろうか"と思いました(笑)、でも、あの大らかさが若旦那ですね」なんて、プチボヤキを交えながら、いよいよ本題に入ります。
「『唐茄子屋政談』という噺は、若旦那を描くんじゃなくて、若旦那を通して、江戸の街の人情を描く噺だ」と、四代目の柳家小さん師匠はおっしゃったそうですが、果たして、生志師匠の出来や如何に?高座を見つめ直しました。

道楽が過ぎて勘当された若旦那の徳三郎。頼りとした花魁にも見限られ、吾妻橋から身を投げて死のうとした所を、偶然、実の叔父さんに助けられます。
この叔父さんが生志師匠の持ち味発揮で、『文七元結』の長兵衛っぽいのが魅力。
「泣いてる奴に飛び込めっていうほど、心の臓は強くねェんだ」といったセリフの端々に、「目立たない親切心」が現れていて、「頼りになる人」って感じがとってもしましたゾ。
さらに、若旦那を叔父さんがやに連れて帰ると、そこにいる叔母さんがまた生志師匠の柄にピッタリ!「ひもじい思いをしたんだろ。可哀想に。今、鰻屋へ行って鰻を」と出かけようとする件とか、翌日、「徳はまだ二階でグッスリ」と笑っている辺り、夏場、汗をかいてフウフウ言いながら笑っている下町のオバサンが目に浮かぶようです。
主人公の叔母さんや阿っ母さんが優しいつてのは、家元譲りの人物造形でステキですし、こういう人物像を見ちゃうと、何よりもまず生志師匠を信頼したくなりますよね。

さて翌日、若旦那は唐茄子を天秤棒で担いで往来へ売りに出ます。唐茄子が重くて歩けず、立ち尽くしてるなんて描写も、若旦那のヒヨワさを一層感じさせてくれました。
慣れない仕事と暑さにやられ、若旦那は往来でけつまづくと、泣き出してしまいます。そこへ通りかかるのが、親切の国から親切を広めにきたような江戸っ子。
道行く知り合いに次々と唐茄子を売ってくれますが、その間、若旦那は泣き崩れるばかりというのが、何とも「乳母日傘」の雰囲気で楽しい。
一方、親切な男が「泣いてんじゃねェよ。(買ってくれて人に)お礼を言えよ。(買ってくれた人につい)ありがと。・・・なんでオレが礼を言ってんだよ」という辺りも、おかしさの中に江戸っ子のざっかけない情愛が溢れます。この親切な男がとにかく良い!
泣いている若旦那に悪態をついて行った知り合いのことを、{あいつも悪い奴じゃねェんだけどよ、虫の居所が悪かったんだろ。勘弁してやってくれよ」という気遣いの良さ!更に、「気をつけてな、暑いから。叔父さん、恨んじゃいけねえぞ」と声を掛けながら、やっと立ち上がった若旦那の着物の誇りをさりげなく手で払ってやる優しさが抜群!
四代目小さん師匠の言っていた"江戸の街の人情"がクッキリと浮かんでおりました。「強いばかりが男じゃないと、いつか教えてくれた人」ですねェ。落語は話術だけでしゃありませんね。人柄が出ますよ。さすが、20年目の苦労人!!

何とか立ち直った若旦那。唐茄子の売り声の稽古をするうち、たどり着いたのが吉原田圃。
彼方に吉原の景色をみやりながら、若旦那は花魁との逢瀬を偲びながら「びんほつ」の替え
歌を歌ったら、見事に調子っぱずれ。ここらに20年苦労した原因があるのかも(笑) 
生志師匠ご本人も直ぐ、「若旦那が歌が上手いとは限らない。上手い歌が聞きたければ、志ん朝師匠のCDをどうぞ」な〜んて弁解をしておりましたが、打ち上げの席ではちゃんと、「稽古の時はちゃんと歌えたのに!」と悔しがっておられましたヨン(笑)。

ちなみに生志師匠に直接関係のある事ではありませんが、吉原田圃の件は志ん生師匠のが絶品ですが、明治の名人・初代圓右師匠や、大正から昭和初期名人・三代目圓馬師匠にはなかったという、後から付け足された演出らしいのですが、あれですね。通しで『唐茄子屋政談』を演る時は、雰囲気が変わり過ぎる気も、私などはちと致すのであります。

吉原田圃を出て、誓願寺店という、極貧長屋に迷い込んだ若旦那。貧しい貧しい母子と出会い、自分が食べようとした弁当を「オマンマが食べたい」と泣く男の子に与えます。
この時、慌てて食べようとする男の子を見て、若旦那が「喉に詰まらせちゃ駄目だよ。慌てて食べるんじゃないよ。お水飲みながら食べな」と言った優しさと、「お水要らねェや」と言って必死に食べ続ける子供の切なさには参った。ちょっと泣いてしまいました、私は。この演出は初めて聞きましたが、いいなぁ!
貧しい母親の身の上話を聞いた後、「子供に三日たべさせてないって、あなた(貧しい母親)、幾日食べてないんですか。顔色を見れば分かります。あなたにもしもの事があったら、子供や赤ん坊はどうするんです」と言って、若旦那が売りだめを母親に全部渡して逃げるように帰る件も、ただ金を恵むのではなく、人間の会話になっているんですよね。

それから叔父さんの家に帰った若旦那が、ちょっと済まなそうに、低い調子で「ただいま、帰りました」と入って来るのもいい!「自分の金じゃないのに、勝手な事をして済みません」というセリフが後にありますが、元は叔父さんの金である売りだめを全部渡してしまったという、臆する気持ち、済まなさがある好人物ぶりは、本当の意味での"江戸っ子気質""若旦那気質"を感じさせてくれました。だって、本来この噺、"若旦那もちゃんと江戸っ子"なんですから。

若旦那の「売りだめを全部貧しい母親に渡した」という話を聞いて叔父さんのいう、「その神さんに、財布ごと渡してやったのか・・・えれえな・・・えれえよ・・・本当ならな」というセリフも、甥っ子を心配する気持ちと江戸っ子気質が入り混じって、真に結構なもの!
それから、「とにかく、その長屋へ連れてけ」という叔父さんと一緒に、若旦那が請願寺店に戻ると、因業な大家に恵んだ金を奪われ、申し訳なさに母親は首を括ったという悲劇が待ち受けています。ここで、長屋の老婆が、金を恵んでくれた若旦那にを「他人事ながら、生き神様だと思いましたよ」と泣きながら礼を言う時、自然と手が拝みます。これも傑出した演出で、如何にも「拝みます」でなく、言葉につれて自然と拝んでいる佳さがありました。「良いお弟子をお持ちになりましたね」と、談志家元に言いたいくらいに良かった!(生志師匠のこの噺では、長屋の人たちが、み〜んなちゃんと長屋の人の顔をしてるのも、なかなか見られない魅力です)。
怒りに震える若旦那が因業大家の薬缶頭をヤカンでひっぱたくと、長屋の人たちが「あの八百屋、良い男だねェ。ヤカンを持って様になってる!」ってのは絶妙のクスグリですが、同時に「橘屋!(十五代目)」と声をかけたいような、若旦那のカッコよさもめに浮かびます。
この話がお上に伝わり、因業大家は重いお咎め、若旦那はその徳で勘当が許される。首をくくった母親も助かるという最後まで(母親が死んじゃうのが本来の演出ですけど、それは矢張り嫌だなァ。この噺は"江戸っ子の夢"ですもん)、50分強、実に心地よく楽しませて戴きました。

という訳で、第19回『浜松町かもめ亭 『立川生志師匠真打披露公演』、家元譲りの江戸っ子がりの楽しい『三方一両損』、家元譲りの屁理屈ロジックが楽しい『バールのようなもの』、そして家元譲りの江戸の巷情満載の『唐茄子屋政談』と、立川流の芸力と談志家元の教えのまっとうさをタップリとお楽しみ戴けた次第・・・・・・・という訳で、次回、8月のかもめ亭も、御多数ご来場あらん事を。

高座講釈・石井徹也

今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。




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