第22回かもめ亭レポート

文化放送主催の『浜松町かもめ亭』第22回公演が10月8日(水)、文化放送メディアプラスホールで開かれました。「ベテランの至芸を!」とタイトルされた今回の番組は
『寿限無』          立川こはる
『親子酒』          金原亭馬治
『長短』           桂小金治
仲入り
『景清』           三遊亭金馬
という出演順。


<桂小金治>

開口一番は、色白な顔が最近益々白くなった立川こはるさん。開演のご挨拶もそこそこに、「かくばかり偽り多き世の中に、子の可愛さは真なりけり、とか申しますが、その通りなんだそうでして」と簡潔にマクラを振って、子供にと〜んでもなく長い名前をつけたばかりに、ひと騒動起きる “戸籍係迷惑落語“『寿限無』へ。ちなみに、「かくばかり偽り多き世の中に、子の可愛さは真なりけり」の代りに、「かくばかり 親は思うぞ千歳飴」と語る三代目蝶花楼馬楽師匠型の入り方もあると、林家彦六師匠は書かれていましたっけ。

長屋の八っつぁんが隠居の下を訪れ、「子供が生まれた」と告げますが、そこで隠居が「お前のところのお光さん、そういえば大きなお腹をしてたな」というのは珍しい演出。「生まれてから今日がちょうど七日目、“初七日”とかって言うんだろ」「“お七夜”っていうんだよ」というトンチンカンな遣り取りから、“お七夜”にちなんで、子供の名前をつけることに。
「こんな風に育って欲しいって願いはないのか?」、「強くなって貰いてェんだ。うちが田中だから、“田中加藤清正”ってのはどうだい」と言い出す八五郎。これに対して隠居は「お前さんは口に毒はあっても、腹には何もないから」と言って子供の名前を考えますが、「鶴は千年というから、鶴太郎、鶴吉はどうだい?」「鶴、ツルツルしてて禿げそうな名前ですね」と交ぜっ返され、さらに、「とこしえに、奈辺に長生きするような名前を」と望まれてしまい、今や全国の幼稚園で園児たちが声を揃えて合唱する“寿限無”に入ります。さあ、皆さんもご一緒に!
 
こはるさん、若いのに似合わず、妙に隠居の方が様になるのは不思議です。“老人体質”なのかな?途中で登場する「五光」が今回は天人が登場する「石光」だとか、“やぶらこうじにぶらこうじ”で糀の樹の解説が入ったり、最後に隠居が「私がもし孫を持つようなことがあったらつけようと思っていたんだが、長く久しい命と書いて、長久命の長助というのはどうだい?」といった具合に、仲々丁寧な運び。全部の文句を紙に書いてもらった八五郎がそれを読むとお経のようになってしまう辺りが、どうもお経には聴こえない、という苦難の件もありましたが、テキパキと運んで御座を固めてくれました。

年年歳歳 祖父に似たれる 馬子の顔
 

続いては、『かもめ亭』の番外公演にも出演されている、金原亭馬生師匠門下の二つ目さん・金原亭馬治さんがメディアプラスホール、2度目の登場。
「入門の際、師匠から“この決まりを破ったら破門だよ”と厳しく言われたことがあります。それは“10月8日(当日)のお客様を大切にしろ”ということで・・・」といきなり掴みを繰り出しましたが、同じようなことを、亡くなった・桂文朝師匠もよく寄席の高座で仰有っていましたっけ。
「親孝行をしようと、母親をカニの食べ放題の店に連れてったら、カニの殻の中に入れ歯を忘れてしまった!カニの殻の中から入れ歯を探すのは大変ですよ、良い保護色になってるから」という話から、「次に師匠孝行で、白内障の手術を受ける師匠に付き添って病院に行ったら、手術の受諾書に家族以外の保証人を書き込む欄があり、私が署名することに。ただ、“続柄”をどう書けば良いかが分からない。“知人・友人”も変なので師匠に訊いたら、“従業員てェのどうだ”と言われましたが、そう言われるほど賃金を貰ってる訳じゃない。結局、続柄には“家来”と書きました」というおかしな師弟談義へ。おかしさと共に、「あのヒラヒラとキザで、やさ男の現・馬生師匠が白内障を催す年齢になったのか」と、感慨も一入でございました。

そこから話は急展開。「良い季節になりましたが、暑いにつけ寒いにつけ酒で」と、酔うと親子の見境がつかなくなる父・息子のマクラへ入りましたが、酔っ払いの調子が先代の馬生師匠とよく似ているのにビックリ。前回かもめ亭出演の際の『笠碁』もでしたが、馬治さんは不思議なくらい先代の十代目馬生師に口調や表情が似ています。
そこから、「これはあるご商家のお噂で、息子さんが大変な酒好きなんですが、呑んでるうちに“ああたは三年前とお変わりがありませんね、着ている着物もその帯も”などと、人様の嫌な事を木綿針で瘡蓋を刺すようにチクチクとつついて、相手が怒る顔を見ながら呑むのが何よりの楽しみ、という人で」と、先代馬生師十八番の“家庭内禁酒法崩壊落語”『親子酒』に入ります。『親子酒』とか『替り目』なんて酒飲み噺は、先代馬生師に限りやす。これ定説!
その息子を諌めるため、「俺も一緒に禁酒をする」と親父の大旦那が言い出し、親子で禁酒とあいなりますが、商売を息子に譲って家にいるたけの大旦那は、「ただ生きてるってだけで命に別状がないという状態は案外苦しいもので」と、これも先代馬生師匠の台詞そのまんま。

大旦那は息子の留守を幸い、禁酒の誓いを破ろうと老妻に迫ります。「背筋がゾクゾクするから、何か体の芯から温まるものを呑んで寝たいねェ・・(中略)・・沢山呑もうってんじゃないんだ、薬だから。お婆さん、愛してます」とせがみ、遂に大きな湯飲み一杯分の酒にありつきます。
久しぶりの一杯に「久しぶりじゃありませんか。どうぞもっと奥へ」などと酒に戯れたかと思うと、「なまじ呑まされたから、寝た子を起こしちゃった。もう一杯だけ。お婆さん、今夜一緒に寝よう」と妙な色仕掛けをしたり、「あの婆さんは燗をつけるのが上手。他は何にも出来ない」と、息子並みに毒づいたり、さらに「お前が甘やかすから、息子があんな酒飲みになるんです。おまけに学校を出たら“噺家になる”って言いやがった」と、馬治さんの親御さんの愚痴みたいになったりと、ボヤキ酒になる辺り、先代柳家小さん師匠系の『親子酒』とは、かなり違う、志ん生師⇒先代馬生師系の、トロトロした『親子酒』の味わいがあったのは嬉しうございました。

すっかり酔ったところへ、息子が予定より早く帰ってきたので、大旦那は慌てて酔いを隠そうとしますが、息子も出先で禁酒の誓いを破っていて、もうベロベロ。その有り様を見た大旦那が「バカ、バカッ」と叱る調子が、これまた先代馬生師に似てるんだなァ。
まさしく、『隔世遺伝親子酒』で、「呑まば焼酎、死なば卒中」と名言を吐き、本当に脳溢血で倒れちゃった志ん生師のひ孫弟子かつ、喉頭癌で水も通らないのに酒だけは喉を通ったという先代馬生師の孫弟子らしい、「酒飲みってこういうもん」の世界を楽しませて戴きました。

こぞもまた 翁の面に 秋の月

仲入り前は、大ベテラン・桂小金治師匠が「野崎」の出囃子に乗って、かもめ亭に初登場。
「一昨日、82歳になりましたが、こうして座布団に座ると、“嬉しい”という気持ちが一杯になって、皆様から120円ずつ貰いたくなりますね(笑)」と振ってから、「杉並の魚屋の長男に生まれて、戦争の終わり、陸軍の戦車隊で八ヶ月訓練を受けましたが、実戦に出ないうちに終戦になり、焼け跡で“落語家になろう”と決心しました。それから川島雄三監督の手引きで映画に行きました。・・(中略)・・以前はテレビ番組の司会で“怒りの小金治”“泣きの小金治”と言われましたが、今は“駄洒落の小金治”と呼ばれております」と、自信の駄洒落小噺を幾つか披露。
「中国の人が骨を折ったら音がした。“ペキン”」、「結婚式の司会をしていると、新郎新婦の入場の局が映画『タイタニック』のテーマでした。花婿に“何処で知り合ったの?”と訊いたら、“実はナンパ(難破)です”というから、花嫁に“ナンパされたんだって”と訊いたら、“後悔(航海)してます”」といった具合。

そこから「十人寄れば気は十色。人の心は黄なり、奇異なり。全部同じだと無気味ですね」から、田舎の人と都会の人の“道の教え方の違い”を経て、「気の長い人は陰、気の短い人は陽の性格だそうですが・・」と、十八番の“正反対性格友人落語”『長短』へ。
気の長い“長さん”が友達の“短七”の家を訪ねて、世間話をしながら、菓子を食べ、煙草を喫むというだけの噺ですが、何か言うのと動作がシンクロしない長さんの様子に、短気な短七さんがイライラしながら、サゲまでは怒らず、不思議な友情を醸し出すのがポイント。三代目三木助師匠から五代目小さん師匠を経由して小金治師匠へと伝わった噺ですが、落語を再開された頃と比べて、更に淡々とされた口調での遣り取りには“滋味”といったものが感じられます。  

菓子を勧めるのに、「早くしろ。腐っちゃうよ」という短七さんの江戸っ子ぶりもおかしいけれど、菓子をひと口で短気に飲み込む短七さんを眺めて、長さんが微笑する表情の佳さ。煙草を喫うためにキセルを上げ下げする動きとセリフの間の妙味など、ベテランらしい枯淡さが光ります。それでいて、短七さんが「急いでる時は、煙草に火を点けないうちに、キセルを(煙草盆の縁で)叩いちまうんだ(叩いて煙草を捨てる動作)」という件で、普通は火皿に詰めた煙草を捨ててしまうのに、そこだけ、火皿に煙草を詰めず、キセルを叩く仕科だけ見せる(物の無い時代を経験した方ならではの“もったいない”の現れでしょうか)とか、「四服目の煙草をね」と長さんが数える時、ちゃんと指を折るといった細かさ・気配りの丁寧さには“なるほど”と唸らされました。なんというか、現行の『長短』の原型を見ている思いのする、有難い高座でありましたゾ。

分かり易さも凄さなりけり これが分かれば 落語天狗もホンモノなりけり

仲入り後の主任は、三遊亭金馬師匠が、かもめ亭初登場。
膝を痛めておられるため、寄席出演の際と同じ、釈台を前に置いての高座ですが、元気さは全く変わっていらっしゃいません。
「文化放送も浜松町も、昔とはずいぶん様変わりがしましたね。周りは大きなビルばかりで、そこに字でも書いたら墓の化け物みたい。ただ、嬉しかったのは入り口で“あっ、金馬さん!”と言われたことですね。最近は三遊亭金馬も、特に若い方には通りが悪くなって、電話でホテルの予約をする際、“お名前は?”と訊かれたので、“三遊亭金馬です”と答えたら、“国籍はどちらですか?”ですって。日本じゃ通用しなくなってきました」という話から、「“金馬、あいつ幾つになったんだろう”と皆さんに大変ご心配をおかけしていますが、噺家は長生きしますね。79歳で“後期高齢者”の仲間入りですが、“後期高齢者”だから良いんで、“末期高齢者”じゃいけません」と変わらぬ童顔でニコニコ。 

「放送では特に気を使いますね。今は使えない言葉が色々とありますから・・(中略)・・目のご不自由な方を演じるとき、生まれつきの方と途中からの方では、杖の突き方と体の位置が違うと教わりましたが、目のご不自由な方には感心しますね。同じように目を瞑ったら、あたしなんて一歩も歩けませんよ。勘が良いんですね。中には、勘に頼りきっちゃって、杖を肩に担いで、歌いながら歩いてる人なんかがいて・・」と続けて、主人公・定次郎の鼻唄から“観音利生開眼人情落語”『景清』にスッと入られた呼吸は鮮やか!

『景清』は三代目三遊亭圓馬師匠から先代の八代目・黒門町の桂文楽師匠に受け継がれて十八番となり、一時期は演じ手が非常に少なかった噺。その後、金馬師が文楽師の演出をベースに、細部に手を入れられて得意ネタとされ、金馬師からさらに鈴々舎馬桜師匠⇒林家正蔵師匠などへと伝わっている名作落語です。実は今回、かもめ亭スタッフから、「かもめ亭初出演に当たっては、是非『景清』を」と、注文させて戴いたネタでもあります。

金馬師のこの噺は、ふとした病から両眼が不自由になった木彫り職人・定次郎が、文楽師演に比べて、如何にも明るく、線の太い人物になっているのが特徴。そのため、盲人を扱った噺にありがちな暗さが感じられないのですよ。
 「赤坂の圓通寺にある日朝様にお参りして、神仏の力で目を治そうと考えたものの、満願の夜、つい色気というか悪心を起こして、やはりお堂でお籠もりをしていた若い女性を“これはモノになるな!”と袖を引いてしまった。そしたら仏罰が当たったか、前より見えなくなってしまった。そこで頭にきて、”日朝様が縁で一緒になりゃ、盆暮れには鮭の一本も持って礼に来るのに分からねェか!“って啖呵を切っちゃったんです」と語る定次郎が、文楽師だと二枚目である半面、チラッと色悪っぽかったのですが、金馬師だと如何にも落語らしい暢気な職人となります。

その後、定次郎は「目が見えなくても、ジャリの自分から鍛えた仕事と、木彫りを始めてみたが、手に付かない」と傷ついた手を見せて泣きますが、ここが余りウェットになると、人情噺になって落語らしさが失せます。金馬師の明るさがここでも生きるのですよ。
また、定次郎の話を聞いて、「神様仏様は人に罰を当てるために、この世に現れたんじゃないよ。それなら上野の清水の観音様へ参詣したら。初午の日がご命日だから、その日からお参りしたらどうだい。道が分からなければ、ウチの者をつけてあげようか?」と勧める“小川の旦那”(落語ではちょっと珍しい苗字です)がまた、変に人情家過ぎず、ざっかけないけれど、親切さに男っぽい情味がある。これは金馬師の師である三代目金馬師匠のお人柄などが参考となっているのでしょうか。
“初午の日が観音様のご命日”というのは金馬師演で初めて伺いました。この件や、定次郎が観音様へ向かう石段を上りながら詠うご詠歌。そして、観音様の前で必死に拝むお経の文句なども正確に演出されております。これでこそ、定次郎の必死の思いが感じられます! 実は文楽師の場合、ご詠歌やお経などの細部に関しては、割といい加減だったのでありますよ。

さて、観音様への百日祈願の満願当日、やっぱり定次郎の両眼はあきらかになりません。
そこで再び毒づき始めた定次郎を小川の旦那が諌め、「もう帰ろう」といいますが、定次郎は「帰れません。オフクロが慣れない手で縞物の着物を縫って着せてくれました。そして“この縞目が見えるようになって帰ってきておくれ”といったオフクロの下へ、目の見えないままじゃあ帰れません!」と泣き崩れます。この定次郎の言葉の中でも、特にオフクロのセリフ回しが素晴らしい。なんだか、野口英世のお母さんの「帰ってきてくだされ。帰ってきてくだされ」の繰り返ししか書かれてないという、有名な手紙みたいな親の哀れがあります。
結句、「旦那には逆らえない」と定次郎は階段を下りて、池之端にさしかかりますが、ここで一天俄かにかき曇り、豪雨に続いて落雷が不忍池に落ちると、その衝撃で定次郎は失神。小川の旦那は「仏罰が当たった」と逃げてしまいます。

それから数刻経って、上野寛永寺の鐘が九つ(真夜中)をボーンと打つと、豪雨もピタッと止んで、定次郎がやっと息を吹き返します。鐘が鳴ることで、シンと静まりかえった夜更けの雰囲気が出るのも金馬師工夫の良き演出です。
雨に濡れた着物を絞りながら、定次郎が「雨がすっかり止んで、お月様も出てら」と思わず言ってから、「お月様?」と振り返って、月に手を翳してからガタガタと震えだし、目が開いた喜びに至るという、細かい演出も金馬師ならでは。「目のない方に目が出来たという、お目出度いお噺でございます」とサゲるまで、もはや“金馬十八番”と称すべき出来栄えでありました。
ちなみに馬治さんに伺うと、現・馬生師匠の『景清』はこの後、定次郎が自宅に帰り、オフクロに「目が見えた」と告げた所でオチのつく演出とのこと。それも一度拝聴してみたいですね。

という訳で、第22回『浜松町かもめ亭・・・一門の伝統を受け継ぐ『親子酒』に始まり、枯淡の味わいで友情を描く『長短』、そして独自の繊細で分かりやすい演出が光る『景清』と、大ベテラン御二人の実力をジックリとお楽しみ戴けた次第・・・・・・・という訳で、次回、11月のかもめ亭も、御多数ご来場あらん事を。

高座講釈:石井徹也

今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。




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