第23回かもめ亭レポート

文化放送主催の『浜松町かもめ亭』第23回公演が11月11日(火)、文化放送メディアプラスホールで開かれました。「百栄・兼好 真打昇進記念二人会」とタイトルされた今回の番組は
『ご挨拶』          春風亭百栄・三遊亭兼好・立川こはる
『桃太郎DV』        春風亭百栄
『七段目』          三遊亭兼好
『雁風呂』          三遊亭圓橘
仲入り
『元犬』           三遊亭兼好
『素人義太夫』       春風亭百栄
という出演順。


<春風亭百栄/三遊亭兼好>

今回は開口一番はお休みで、この秋に真打昇進を果たしたお二人、春風亭百栄師匠、三遊亭兼好師匠の御二人がまず登場。百栄「今日ふァ・・」、兼好「二人、そんなに仲良くはないんです」、百栄「別に話すこともないし」と、客席を煙に巻いて爆笑させます。更に兼好師が「『笑点』へ二人一緒に出演したとき、家で視ていた中学2年の可愛い娘が百栄アニさんに、すっかりハマッて、ビデオにとって、アニさんの出てる場面だけを何度もくりかえして視てるんです。“キモーイ!”とか言いながら(笑)」と軽くジャブを送ると、百栄師は憮然としてみせるとった具合に、この秋、何度か共演されているだけに二人の呼吸はなかなか。

さらに、兼好「今日は高座がなくて可哀想だから」と、高座返しの前座さん、かもめ亭のアイドル的存在・立川こはるさんを二人で呼び出します。ところが、百栄「おれたちの印象は?」と訊かれると、こはるさんも急なお呼び出しで慌てたのか「御二人とも、年齢が全然分からないんですね。でも、男だってのは分かります。“これから真打だ!”というお目出度い席で、御二人共、既に大御所だと、私は思ってたので」と、ボケてんだか?突っ込んでんだか?という受け答えに、会場は爆笑。そのまま、気を取り直して、出演順などを新真打御二人が紹介。
愈々高座がスタートしました。

フワフワと 弥栄に飛びし 雲雀あり
 

トップバッターはまさしく年齢不詳のマッシュルームカットながら、実は46歳!戦後最高齢真打昇進ではないか?という(何しろ入門が33歳と遅かったのデス)春風亭百栄師。 口を開くやいなや、「永遠の扶養家族、春風亭百栄です」とジャブをかましてから、「昨日、国立演芸場での真打昇進披露興行が終わりましたが、披露目のときは荷物が多い。二度と使わない“後ろ幕”とか、今後は下駄箱の上に置いとくしかない“まねき”とか捨てる訳にも行かない」と披露目ですっかり疲れて調子がおかしいと「今日も出るのに、慌ててトレーナーだけで外に出る。上着を羽織って出直すと定期と財布を忘れる。定期と財布を持って出直すと、最後は鍵を忘れる。酷い状態で“今日は本当に落語会があるの?”と不安になった程です」というボヤキ話へ。

それから文化放送に着いて楽屋入りはしたものの、「開演前に、ちょっと文化放送の外に出たら、もう簡単には中へ入ってこれないんですね。エレベーターで今日のお客さんと一緒になっちゃって気まずい思いをして、エレベーターを降りたら、係りの人も出演者だと分かってると思うんですが“チケットを拝見させて戴きます”と言われて、何度か顔を合わせてるだろうが!」と怒り、さらに着物に着替えようと思ったら、「着物は二枚持ってきたのに、帯を忘れてきたのに気が付いて、二本持ってきた兼好さんの帯を借りました。こう見えても46歳で、そこそこ行ってますが物忘れが酷い」と、フワフワとしたボヤキのおかしさは抜群です。

そんなボヤキから、「子供が羨ましい。発音もハッキリしててね。“小児は白き糸の如し”とか申しますが、親の思い通りには染められないもので」と、定番マクラへ急に入ると、そのまま、寝つかない子供を御伽噺の「桃太郎」を聞かせて寝かした昔の親と違い、今の親は子供の逆襲に遭うという“親子関係変化実証落語”『桃太郎』へ。
子供を寝かそうと普通に喋る昔のオヤジの表情に、“オヤジが妙に似合うなァ”と思いながら伺っていると、「最近は学校でイジメ、塾で受験勉強のストレスとくるから素直な子供にはなかなか育たない」と話を展開して、今の子供とオヤジの会話へ。

御伽噺を始めるオヤジに対して、「眠くねェんだ」と、妙に無気力な返事をする今の子供が酷くおかしい。「御伽噺を聞くの?それとも寝るの?」と訊く子供に、「聞いてるうちに寝ちまうんだ。寄席に行ってみろ、そういうお客ばっかりだ」とオヤジがボヤクのもキャハ、オモチロイ!
子供にからかわれたオヤジがヤケになって、「なんか文句あるのか!」と喚きながら「桃太郎」を語る調子と表情のオカシサも独特なら、「子供の豊かな想像力を育むために、昔々、或る所にと話をボカしてくれたんだって」と子供に逆襲され、「おっかぁ、縫い物をしてる場合じゃないぞ。今、“良い話”が始まった」とボケるオヤジがまた可愛らしい。「おとっつぁん、子供の頃、致命的な高熱とか出したことあるでしょ」と子供が言いたくなるのも分かります(笑)
普通の『桃太郎』は、子供の話を聞いているうちにオヤジの方が眠ってしまい、「大人なんて罪のないもんだ」のサゲで終わります。ところが、百栄師、これで噺が終わらなかった!

「最近の問題には家庭内暴力があります、ドメスティック・ヴァイオレンス(DV)。本場といえばアメリカ」と急展開して、殺人鬼が息子を寝かしつけようとする『桃太郎DV』へ。さすが、アメリカで寿司職人をしていという百栄師らしい破天荒な展開です。
「HeyKid!早く寝ちまいな」から始まるという、殺人鬼オヤジのおかしなセリフに大笑いしていると、さらに子供に向かって殺人鬼が「そういう下らねェGagを言ってると、日本へやって落語芸術協会に入れちまうぞ・・・普段はここんとこ、“圓楽党”で演ってるんです」に爆笑。
「それいつのこと?」「おめェのMamaが、オレとオマエを捨てて、Mexico野郎と駆け落ちした日だ!」、「場所はどこなの?」「おめェの可愛がってた犬のバーキーをミンチにして埋めた所だ!」と親子の会話は更に更にエスカレート(笑)。

殺人鬼オヤジが、「おじいさんはMountainに柴を刈りに、おばさんはRiverへ線抱くに行った。すると川を流れてきたPeachをおばあさんが拾って持ち帰ると、それをおじいさんがSurvivalKnifeでズタズタに切ると、中から傷だらけのBabyが生まれて、桃から生まれたけれど敢えてJasonと名前をつけた。この無茶苦茶な話に子供が反発して突っ込むと、殺人鬼オヤジが抜群のタイミングで「Woops!」といったり、「Mouthの減らねェやつだ」&「おめェもなかなかCorner(隅)に置けねェな」という直訳Gagを炸裂させるのも強烈にオカシイ!

更に殺人鬼オヤジの「Jason桃太郎」は続き、「さっきは芝刈りといったが、本当はおじいさんはMountainで道に迷った人間の首を鎌で掻き切り、おばあさんはRiverで人間のハラワタをゴシゴシ」って地獄絵図から、「このJasonが大きくなってBigなChainsawをプレゼントされると、山荘へ出かけて悪い大学生どもを容赦なくブッ殺して、途中でブチ殺したDogsとMonkeyとBirdの死体も抱えて、切り取った大学生たちの首をHouseに持ち帰った。するとおじいさんとおばあさんは大層喜んで、それをパンに挟んで食べた。お前も大きくなったら、立派な殺人鬼になれ」という無茶苦茶な御伽噺(かな?)から 「殺人鬼なんて罪のないもんだ」というオチまで爆笑の連続。目のギョロッとした殺人鬼オヤジと妙に可愛い子供の対照が絶妙の爆笑高座でありました。

秋深し 隣は徒然に下座の人?

続いては三遊亭兼好師が登場。「九月から真打に昇進をしました三遊亭兼好と申します。お手荷物にはなりませんから、どうぞ名前だけでも覚えて戴ければ」と、独特のスイスイとした調子で軽快に真打昇進話へ。
「真打になりましてから、なぜか、“もうひとり立ちだね、もう良いよね”と仰っしゃるお脚様が増えましたが、ある野菜作りの方から伺いました。“実を結んで野菜になりかけたときに一生懸命世話をしてあげないと良い野菜になれない”。また、ある金物作りの方からは“ちょうど形が出来上がったかな?というくらいのときが一番壊れやすいから、一番大事にしないといけない”と伺いました。また、漁師の方に伺うと“船も港を出たところが一番波を受けて危ないから大事にしないといけない。もう自ずと、皆さんお分かりと思いますが・・」という、くりかえしの展開で、場内はキモ〜イ(失礼)百栄日和からサラリとした兼好日和に変わりました。

それから、「落語は扇子と手拭っきりで、しかも立ち上がらない。誰でも出来ます。でも、お客様は大変です。我々の演じているものを高速回転で想像しないといけない。頭の悪い人が聞いても面白くないという、珍しい演芸です」と振って、隠居の家を八五郎が尋ねる件をちょっと演じてみせ、「“あ、八五郎はまだ立ってるんだな”。“あ、こちらは座ってんだな”。“隠居さんはお茶を出してくれたんだ”と、お客様は、こんな難しい芸当を瞬時に想像して行く訳ですね」と語りますが、こういう目の付け所は柳家喬太郎師匠系のシャープさですねェ。

さらに、「こういう高度な芸に携われるのが我々の誇りですが、世界に発信出来ないのが弱みです。歌舞伎は外国の方がご覧になっても分かりますが、落語は“Cornerに置けない”なんて言っても無理でしょう。歌舞伎みたいにイヤホンガイドがついても、落語を聞いてるとイヤホンガイから、“百栄。低号は春風亭。いつもより変わった落語をしています。因みに鬘ではない”なんて、これでは歌舞伎に勝てません。昔は歌舞伎をただ観るのではなく、自分も演ってみたいという、役者気取りの白塗りで街中を歩いたりする若旦那が幾らもいました。そういう倅を持つと親父さんは大変で」と、“歌舞伎実演マニア恐怖の二人芝居落語”『七段目』へ。
春風亭小朝師匠→初音家左橋師匠経由で伝わったネタだそうですが、なるほど、途中で店の小僧までもが「何御用にござりまする?」と親旦那の前に現れ、「ハッと答えて丁稚の定吉、帯引き締めて」と形をつけて二階へ向かうのは小朝師以来の演出です。

親旦那の前に現れた若旦那、親旦那の小言に対しても『忠臣蔵四段目』の判官、『妹背山〜山の段』の定高、『義経千本桜〜鮨屋』の権太、さらに御所の五郎蔵など、立役・女方のセリフ入り混じって大熱演。兼好師、この辺りから何故か声が少し枯れはじめ(空調の利きすぎかも)、歌舞伎調セリフのメリハリはやや弱かったものの、スイスイと楽しく噺を進めて行きます。特に、親旦那に叱られて、梯子段を二階へ上がる若旦那が『八百屋お七』の人形振りを真似する仕科はコキコキして、『サンダーバード』を視てるようだったのには大笑いでアリマス。
 二階に上がった若旦那、「勘三郎が良いな。明るいね。舞台へ出てくるときが良いな。観客を見回してブツブツ言って出てくるんだ。“みんな、今日は何、待ってるの”とか」なんて具合に役者の評判や真似するかと思えば、「歌舞伎役者の襲名口上もいいね。(女方の口調で)“播磨屋のオジ様には色事も教えて戴き”なんて、噺家とは違うな。“圓橘のオジ様には”なんて言えないもんな」と、益々狂騒的になつてきますが、兼好師の調子が軽快で、聞きモタレしないのがGood!
 
若旦那の芝居狂騒を鎮めに向かった丁稚の定吉が「毒は毒をもって制し、芝居には芝居をもって」と、芝居を始めたため、若旦那と二人掛け合いで『忠臣蔵〜七段目』のお軽と平右衛門兄妹の件が始まってしまいます、
そこへ、下座の三味線が『踊り地』をゆっくりと弾き始めると若旦那、「寄席で下座さんて、お囃子をしている人が隣にいるんだ。結構年齢だけど」と捨てセリフを言いながら、定吉に姉さん手拭で被りをさせ、妹の長襦袢を着せますが、「こっち向いてごらん。(笑いながら)気味が悪いね」と案外シニカル。ただし、自分は二階に置いてあった本身の刀を使うというから大変!
そのまま、芝居に夢中になった若旦那が腰に下げた刀の下げ緒をふりほどき、定吉のお軽に切りかかってオチがつくまで、軽快にして端正な高座で楽しませて戴きました。

二羽の雁 遠く飛べ どこまでも飛べよとか

仲入り前は、かもめ亭が何度もお世話になっている大ベテラン・三遊亭圓橘師匠の高座。
実は今回の「真打昇進記念」、「圓楽党」では正に兼好師のオジさん的立場である圓橘師の提案から始まった企画なのであります。
 そのためか、「『桃太郎』をああいう風に演るという腕っこきでございまして、落語協会には百栄さんのようなアブノーマルな奴が多いようです。一方、圓楽党の兼好は『七段目』で“勘平の女房”というセリフを“勘平の妹”と言い間違えていましたが、福島の生まれで、九段の二松学舎大学を出まして、両親が謡と地唄舞の師匠。やはり、伝統文化に生まれついたものがあるんじゃないかと」と、結婚式の仲人さんのような人物紹介から入りました(笑)。

「一生懸命がんばりまして、いずれ百栄の方はアイドル、兼好の方は国文学者ですが・・・何事にせよ、物に蛻けるというのは大変で」と、今も淀屋橋に名を残す江戸時代・大阪の豪商・淀屋辰五郎の事跡紹介へと入ります。ここで、今は亡き三遊亭圓生師匠が二世桂三木助師匠譲りで稀に演じていた“名画絵解滋味落語“『雁風呂』と分かりました。東京では、明治時代に三遊亭圓朝と並び称された名人・初代談洲楼燕枝も得意にした講釈系のネタです。
「ネタの数ある師匠にしては、これはまた随分と地味な噺を」と一瞬思いましたが、もしや、伯父分として楽屋にいる御二人への「聞かせ」だったのかも・・・

貧民救済もした淀屋ですが、天井をガラス張りにして金魚を泳がすといった私生活の豪奢を幕府に咎められ、財産没収、三都所払いの罪を受けて大阪から姿を消します。
 話変わって講談や芝居に描かれる水戸黄門・徳川光圀の事跡を紹介して。「映画で私は月形龍之介の黄門をリアルタイムで見ております。なぜ“黄門”だというと、弱い者の尻を押すから“肛門様”だと申しますが、その黄門様が水戸に隠居して暮らしていた西山荘を出て、御祐筆など三人の供揃いを連れ、郷士姿で晩秋の東海道を京へ向かいます。ちょうど遠州の掛川宿辺り。街道筋の掛け茶屋に入って昼食を摂ろうということになりました」
この掛け茶屋にあった半双の屏風が「松に雁」を扱った見事な物。黄門様は「土佐将監、狩野光信の作」と見ますが、「日本画の約束事として、松ならば鶴か日の出、雁ならば月か葦を添えるものだが、土佐将監ともあろうものがどうして松に雁を描いたかが分からぬ。誰か分かるものはおらぬか」と供の者に質しますが、誰一人として分からない。
圓橘師の黄門様は、君臣を隔てる敷居のない西山荘の主らしく、偉そうでなく、物堅い雰囲気に月形龍之介的味わいがありましたね。
 
そこへ入ってきた上方者らしい旅人が「これからは富士を見ての旅じゃが、胸に一物ある旅ではなァ」というセリフに滋味があります。この上方者が屏風を見て、「雁風呂でっしゃろ」、「よく見抜いたな。土佐将監が松に雁を描いて、偉く評判が悪いのやで」、苦労した将監が気の毒や。町人なら兎も角、二本差した侍でそんなこと言うのは侍の価値がおまへんな。目があっても節穴みたいなもんや」と連れと遣り取りをするのを聞いて、「あの者に、絵解きをさせよう」と黄門様が呼び寄せます。
侍をなぶるようなことを言っていたのを咎められるのかと、最初はビビッていた上方者も、勧められて絵解きを始めます。
「燕の便り、雁の文」という逸話(これがまた佳い)をマクラに、辰五郎はこう語ります。

「常盤という国から日本に雁が渡ってまいります。秋、海を越える際、身体が大きいので、波間に羽交いを休むことが出来ません。そこで常盤で柴を一本咥えて飛び立ち、波間にその柴を落として掴まり羽交いを休めます。日本に着くと、函館の“一つの松”の根元にその柴を落として、更に陸地を奥へと旅を致します。その柴は土地のものが“また帰りに要るやろ”と仕舞っておきます。春になり、土地の者が柴を松の根元に置いておくと、常葉に帰る雁がその柴を拾い、また海へと向かいます。しかし、雁の去った後には夥しい柴が残ります。“ああ、今年もこれだけの雁が日本で(猟や鷲鷹の餌食となって)落ちたか”と、土地の者が哀れに思い、その柴で風呂を焚き、難渋する旅の者に慈善の宿をした。この雁供養が世に言う“函館の雁風呂”でございます」。この「雁風呂」の伝説、その昔、サントリーウィスキーの名作CMにも使われて、作家の故・山口瞳氏が、「哀れな話だなァ」と言われていたのをよく覚えております。

話終わった黄門様は大感心。その身分を供の者が明かして、名乗りを憚る上方者の名を問うと、これが大阪を所払いになった淀屋辰五郎。江戸の老中・柳沢美濃守吉保の下へ、かつて貸した三千両を少しでも返して貰いたいと、向かう途中の旅でした。この時、田舎侍と思っていた相手が黄門様と知り、飛びのいて土間に平伏する辰五郎へ、「土間に降りては、衣服が汚れる」と言った黄門様のセリフの妙、サラリとした情味が実に結構でしたね。
黄門様は「美濃守が三千両を下げ渡さぬときは、江戸の水戸屋敷へこの目録を持って参れ。直ぐさま三千両を下げ渡すであろう」と添書を手渡します。天下の老中・柳沢美濃守も、黄門様の添書付きの借金を返さない訳には行きません。
黄門様一行が立ち去ってから、辰五郎たちは「柳沢様の屋敷に行っても、百両か二百両の涙金で済まされるのが関の山と思っていたのに、これは助かった」と大喜び。
すると圓橘師、ここでポンとひとこと。「辰五郎は雁風呂の話をして三千両、圓橘が話しまして二千円」と言って、ポイと高座を降りて行かれましたが、ポカンとしてちゃうくらい洒落たもんでしたねェ(もちろん、圓橘師の出演料が二千円なんてことは決してございませんから、噺家のみなさん、かもめ亭出演の際はご心配なく)

誰もが演るネタで 誰よりも面白いとは そりゃ凄い

仲入り後は三遊亭兼好師が二席目の登場。「今朝食べた松茸が喉に引っかかって声がうまく出なくてなんでございますが・・」と先ほどの高座の言い訳(笑)でまず客席を和ませます。
続いて「山梨の39歳の男が“結婚したくない!”というんで、式の前日に結婚式場を焼き払ったという、織田信長みたいな男らしい人で、どうして私にその勇気がなかったか?と思いますが・・」というボケグチ話から、“生まれ変わったら?”という話題へ。
「調査で、結婚している男女に“生まれ変わったら、また同じ相手と結婚しますか?”という質問にイエスと答えた人は男女共に平均で30%、7割はChange(笑)だった訳ですが、私などは逆にイエスと答えた3割は“何を考えてんだろ”と思いました。特に50代女性は一番低くてイエスは20%以下だったそうです。50代女性の旦那というと大抵は60代になったかな?というくらいですから、その世代の男性が奥様にかなり嫌われている訳ですね。先ほど登場した圓橘師匠は62歳ですが(笑)・・・私が嫁さんに“どう?”と訊いたら、“私は貴方に生まれ変わって欲しくない!”と言われてしまいました」(笑)。この軽くスッキリとシニカルな味わいには、ちょっと亡くなった桂文朝師匠を思わせるところもありますね。
 
「生まれ変わるといえば、人間に一番近いのが真っ白い犬だそうで、生まれ変わったら人間になるんだそうです。今、盛んにCMでやっていますけれど、迷惑な宣伝ですね。CMを見ていた子供に“お父さんもこれくらい可愛いければいいのに!”といわれております・・・ある八幡様の境内にいた一匹の白犬のお話で、頭の天辺から尾の先まで真っ白・・・」と、犬が人間に変身して奉公に出るという、“ウィルス性?突然変異落語”『元犬』へ。そういえば、文朝師も『元犬』は良く演じていましたっけ・・
死なずに人間に生まれ変わりたいと願った白犬。三七二十一日の裸足参り。そのおかげで満願の日、身体中の毛が抜けると、素っ裸の人間に大変身。折角だからとまず立ってみて、「人間ってこんなに高いところから見てたんだ」と感心する様子が如何にも可愛らしうございます。
「人間が裸で境内にいるのも、拾い食いもおかしいな」と、匂いを頼りに八幡様を通りかかった口入屋の上総屋に頼んで、奉公を世話して貰おうと、上総屋の自宅へついて行きます。

道すがら、上総屋「裸足じゃ寒いだろう?」白犬「(ニコッとして)慣れてますから」も楽しいけれど、上総屋に着いたら着いたで井戸端で足を洗う際に、上総屋「そのつぶらな瞳で私を見てないで、裏へお回り。そこで回ってないで裏へ回るの!」というのもうれしい遣り取り。特に、「つぶらな瞳」が利いてオリマス(笑)。
上総屋「この寒いのに足を洗いながら、水浴びしてるよ」と感心させたり、廊下を拭いてと命令されると、上総屋「だから、そういう目で見ないで、四つんばいになって雑巾で廊下を拭くの!」と叱られたりしますが、特に上総屋が手を叩くと、直ぐに飛んで来ると言うのが元犬らしくて大笑い。『鉄腕アトム』の「ホットドッグ兵団の巻」を思い出しましたね。
全体にオーソドックスな雰囲気でいながら、随所に細かい仕掛けがしてあり、しかも仕掛けに無理が無い。この辺り、端倪すべからざる演出力の持ち主です。

かくして白犬くん、上総屋に連れられて、「真面目に働くんだが、どこか面白い奉公人が欲しい」というご隠居の所へ奉公するために出かけます。ご隠居の家に着いても、「伏せない!」「その目を止めろ!」と上総屋に叱られますが、ご隠居には「あたし、こういう人、大好きだよ」とすっかり気に入られます。「目」が完全に笑いのキーワードですね。
ここで普通は上総屋が帰ってしまうのですが、ご隠居の家にそのままいるという演出は初めて耳にしました。白犬に父親は?と聞くと「みんな米屋じゃないか?って言うんですけれど、あたしはか魚屋だと思うんです」という返事に、ご隠居が「ご近所で色々あったんだな。悪いこと訊いてしまったね」と反省するのもおかしく、「兄弟のうち、下の弟は近所の子供たちに蜜柑箱に入れられて川へポンと捨てられて、、今、どうしてますかねェ?」と、アッケラカンとしている白犬の身の上話に、ご隠居が「地獄絵のようだね」と一瞬呆然とするのも珍無類!
「お茶を焙じるから、焙炉を取っておくれ、焙炉!」と言われて、吼える(鳴き声が上手い!)白犬にご隠居が「大好きだねェ、本当に面白いね」というと、「エエ、頭も白かったんです」と白犬が答える新機軸(?)のオチまで、終始軽快な爆笑の連続。こういう前座噺を、これだけ楽しく演じられるとは、何とも頼もしい高座でございましたネ。

マニアックといえども フラがあるならキモカワイイ

本日の主任は春風亭百栄師が再登場。『フライ2』の電送人間犬ように「速く人間国宝になりた〜い!」と呻くように一発かましただけで、直ぐ、「歌は世につれと申しますが、明治から大正へかけて義太夫が人気を博した時代があったそうで」と、旦那の義太夫に店のもの・長屋の衆が苦しめられる“資本家横暴義太熱落語”『素人義太夫』へ。
 基本演出は最近では珍しい、黒門町・八代目桂文楽師匠の型ではないかと思われますが、緻密で小綺麗な作りの文楽師と違い、独特のフラを活かして、何となくフワフワしているのが百栄流の特色かな。冒頭、旦那が摩訶不思議な声で発声練習をしている件から、暢気に馬鹿馬鹿しいおかしさがあり、伺っていて、良い意味で肩が凝らないのですよ。

この旦那、確かに義太夫に熱中して他人に聞かせようとする以外は良い人で、「こないだの義太夫の会では、客席で酒を飲んでいる隣で大福を食っている人がいた。あれじゃお互いに美味くない。上戸と下戸の席を分けて」と気遣う人格。尤も、「ここはあたしの楽屋ですよ。半紙に“楽屋”、脇に“関係者以外立ち入り禁止”と書いて貼っておきなさい」とか、「静香に聞くように言っておくれ。ハックション!なんてわざとらしくクシャミをされると、後のセリフが出てこない。そういう噺家を今まで随分見てるんだ」なんてェ入れ事のボヤキは気遣い人格と関係なくオモチロイ(笑)。どうせなら、「半紙に橘流で」というのは如何でしょう?
 
長屋へ“今夜、旦那の義太夫の会がある”と知らせに行った店の茂蔵が戻ると、その茂蔵へ向かって旦那が、「岩田の隠居は“オレがこの長屋に住んでいるのは、旦那の義太夫が聞きたいからだァ!”なんて言うんだ」とニコッと笑う表情がまた可愛い。
しかし、なんやかんやと言い訳をして、長屋の連中が誰も来ないと分かると、旦那の機嫌は次第に悪くなります。ここで旦那から「長屋の者は一体誰が来るんだ!」と詰問された茂蔵が「ヘッ?」(理解不能)と答える、この軽さが絶妙! 「今日は店の者に聞かせましょう!」と言われても「ヘッ?」(驚く)。店の者から旦那の奥さんまでが仮病やらなんやらで避けていると分かった旦那に「茂蔵、お前はどうなんだ!」と言われても「ヘッ?」(恐怖)と、兼好師の『元犬』の「目」みたいなもので、なんとも言えず、軽く無責任というかアナーキーにも感じられる3種の「ヘッ?」が笑いのキーワードとなっておりました。この「ヘッ!」と好対照に、 「店の者には暇を出す。長屋は店立て!」と怒り狂う旦那(時々黒門町、さらに時々橘家圓蔵師匠の雰囲気が出るのも不思議)が妙に子供っぽいのも、義太夫オタクっぽくて、リアルにおかしかったなァ。

旦那対策に長屋の連長と店の者が集まっての協議となりますが、以前の義太夫の会で目が殆ど見えず、耳も殆ど聞こえない木下さんのご隠居を一番前の席に座らせておいたら、だんなの義太夫が胸に当たって真っ黒な痣が出来た上、高熱を発したので慌てて医者に担ぎ込むと、「“義太熱といって節々が痛む。難病に指定されてます”と言われて、私の手には負えません」と医者が言ったってのも馬鹿馬鹿しくて楽しい。
さらに、かつて店にいた名番頭の佐兵衛さんが、奉公人全員の身代わりとして旦那の義太夫に一人で立ち向かったものの、我慢出来なくなり蔵へ逃げ込んだ。ところが、旦那が蔵の天窓を外から破って義太夫を吹き込まれて七転八倒!という件までは普通ですが(この件だけ志ん生型)、「断末魔の悲鳴が聞こえた後、ドーンと蔵の戸前が開いて出てきた佐兵衛さんは髪が真っ白になっていて、一瞬で50も60も年をとっていた。それから、はお人形さんを抱っこして練るようになった。今はなんでも噂で聞くと中国で冷凍インゲンを作っているらしい(客席大爆笑)、『素人義太夫』という馬鹿ばかしいお笑いで」と展開するサゲの辺り、「お人形さんを抱っこしている」が百栄師だと妙な映像が目に浮かび、他に類の無いような、心地よくキモ〜イおかしさを堪能させて戴きました。

かくして、第23回『浜松町かもめ亭』も無事終了。マニアックなスタンスで爆笑を生んだ『桃太郎DV』と、アナーキーさとキモイ楽しさが交差する『素人義太夫』に特性を発揮した百栄師、伝統芸能の継承ぶりを軽快に感じさせた『七段目』と、シニカルな着眼点を活かした『元犬』の兼好師という御二人の新真打の持ち味、そして、敢えて笑いの少ない『雁風呂』でベテランらしい「懐かしい滋味」をジックリと聞かせて下さった圓橘師と、新旧相俟った味わいをお楽しみ戴けた次第・・・・・・・という訳で、次回、12月のかもめ亭『恒例・立川流忘年会』も、御多数ご来場あらん事を。

高座講釈:石井徹也



今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。




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