第24回かもめ亭レポート

文化放送主催の『浜松町かもめ亭』第24回公演が12月10日(水)、文化放送12階にある「メディアプラスホール」で開かれました。
「恒例立川流忘年会」(といってもまだ二度目ですが)とタイトルされた今回の番組は
『饅頭怖い』         立川春太
『お花半七』         立川談修
『二番煎じ』         立川生志
仲入り
『夢金』           立川談春
特別対談          談春&生志
という出演順。


<立川談春>

ちなみに、今回の高座のうち、生志師匠の『二番煎じ』と談春師匠の『夢金』、そしてお二人の「対談」は、文化放送から全国10局ネットで、正月二日、「箱根駅伝」中継の後、午後2時30分から90分に渡る新春特番「初笑い!浜松町かもめ亭」で放送されます(パチパチパチ)!

饅頭が怖いか 師匠が怖いか それが問題だ
 

開口一番は、見た目にも、カクカクした口調にも、大学の落語研究会部員みたいな雰囲気の残る談春師匠門下の前座さん・春太さん。「昔から若い者が集まると賑やかで」とマクラを振ると直ぐ、“家元にだって怖いものくらいあるさ落語”『饅頭怖い』へ。ちなみに、この国民的に有名な噺、古典落語では多分唯一、「誕生日」が出で来るネタでありマス。

一人が自分の誕生日に自宅に仲間を集めます。もっぱら、稲荷寿司と海苔巻きで茶をガブガブやりながらバカ話でもしようという暢気な集まり。これへ遅れてきた留公が、途中、銭湯の裏の路地でヘビに出会い、「留公、待たねェか!」と脅かされた、という話から、「それぞれ、何が怖い?」という「怖いもの比べ」へ。生まれた時、胞衣(えな)を埋めた上を最初に通った虫が「生涯、怖いものになる」って言い伝えが基ですから、確かに誕生日とは縁があります。
みんなが「ヘビが怖い」、「カエルが怖い」、「なめくじが怖い」、「アリが怖い」、「馬の鼻息が荒くて、鼻に吸い込まれそうで怖い」と話しているそばで、「何を言ってやがんでェ」と憮然としているのが熊さん。熊さんの線が細い辺りは、春太さんが学生っぽく見える理由かな。

さて熊さん、「ヘビを見るとゾクゾクすらァ、食いたくて!ヘビの眼肉なんぞ、味噌漬けにすると酒の肴にちょうど良い」、「ナメクジなんぞマヨネーズをかけてマカロニの代わりだ(四代目小さんが考案した?という元々のギャグは“ミミズにマヨネーズをかけてマカロニの代わり”ですが)」と威張りだします。「ヘビの眼肉」というギャグも初めて伺いましたが、談春師匠の型かしらん?
威張っていた熊さんですが、そのうち急に、「実は饅頭が怖い。良い饅頭になればなるほど怖い」と言い出すのは、お馴染みの展開。それを聞きながら、ふと、「アドルフ・マンジューはどう?」ってセリフが私の頭に浮かんだのは、談志家元の映画話を最近伺ったばかりだからでしょうか。

そこで、熊さんを懲らしめようと、仲間が揃って「腰高」「栗」「葛」「蕎麦」「中華」と、色んな饅頭を買いに走ります。この時、みんなを呼び寄せる一人の腕から手の動きがキレイなのは印象に残りました。春太さん、踊りが得意なのかな。あと、「饅頭を見て死んだらどうする?」と心配する仲間に、「あんな奴、生きてたって国家の役に立つ奴じゃないよ。セキセイインコかジュウシマツみたいな奴だ」というギャグも初耳。オカメインコの方がもっと国家の役には立たないと思いますが(因みに、女優の天海祐希さん、オカメインコに似てると思いません?)。
そこで饅頭を積み上げると、隣の部屋で蒲団を被ってガタガタ震える熊さんの枕元へ置きます。熊さんが蒲団から顔を出すと目の前には大の苦手の饅頭が!しかし、これは計略で熊さんは饅頭をムシャムシャ食べ始めます。

この辺り、上方の故・枝雀師匠たちの演出だと「高砂屋のへそか(へそ饅頭。高級品)。へそもこの頃、ちっちゃなったな」とボヤくおかしさがありますが、東京型は不思議とグルメウンチクがないんですね。中華饅頭だって、井村屋から中村屋、525、維新号から神楽坂の五十番と色々あるんだから、ひと工夫欲しい気も・・・・。とはいえ、饅頭食いまくりから、「苦い茶が一杯怖い」のサゲまではスイスイと、春太さん、軽快に運んで御座を固めてくれました。

幼な馴染の馴れ初めは 言うに恥ずかし 問うに恥ずかし

続いては、『かもめ亭』の第一回公演にも出演されている立川流の二ツ目さん・立川談修さんが登場。自己紹介に続き「父方の祖母が百歳になり、国からお祝いの賞状を貰いました。そこに書いてあった総理大臣の名前が福田康夫。短命の総理に長命を祝ってもらった訳です」、「歩くのは身体に良いそうです。ウオーキングが流行っていますが、歩く人はなかなかボケない。歩かないで家に閉じ籠っていると早くボケる。でも人間ボケると歩き出します。“徘徊”ともいいますが」などと皮肉なマクラで笑いを誘います。如何にも家元系ですが、噛んで含めるような口調全体が、やや老成して感じられる分、シニカルさが軽くなってサラリと笑えます。

そこから「男女七歳にして席を同じうせずと言いますが・・・」と、若い男女の出会いを艶冶に描く“足の速い女は手も早いゾ落語”『お花半七・宮戸川(上)』へ。
 場所は日本橋小網町。将棋に凝って帰宅が深夜になった半七が、閉まっている表の戸をトントン叩いているのがお馴染みの幕開き。談修さん、座布団の脇をトントン叩いていたのは、マイクに入る音が大きくなりすぎないように、という細かい配慮でしょうか。

しかし、親父さんは怒って半七を家に入れてくれません。一方、隣の船宿でも娘・お花が同じ目に遭っております。そこで半七・お花の幼な馴染が顔を合わせますが、半七が「仕方ないから霊岸島にいる早飲み込みのおじさんの所へ行きます」というと、お花「私も叔母さんがいるけれどちょっと遠いの。沖ノ鳥島」、半七「そんな所に人が住んでいるんですか?」って遣り取りには笑いました。大抵は「ちょっと遠いの。肥後の熊本」程度ですからね(ネタは違いますが、同じ手のボケでは仁鶴師匠の「満州でんねん」が私は好っき!)。霊岸島についてくるお花に、半七「今から漕ぎ出せば一月もあれば沖ノ鳥島に着きますよ」というのもおかしい。ただ、談修さん、若い女性を演じるのがテレるのか、ちょいとお花が堅うござんしたえ。

結局、お花は霊岸島についてきます。霊岸島では半七に起こされた叔父さんが「半七だな、若い癖に将棋ばかりやってやがって、将棋なんぞ何処が面白いんだ。“叔父さん、3四銀と上がりましたが、桂馬が上がった方が良かったでしょうか?”って、知らねェよ!」とボヤくのは、半七の生真面目な野暮ったさがよく出ておりますゾ。さらに、叔母さんを起こそうとして、寝姿の色気のなさに「張り合った、恋の勝者になって悔い」とか「バアさんの鼾のおかげで鼠が一匹もいない」と叔父さんがボヤクのも楽しい。
 結局、自分が起きてきた叔父さん。半七の後ろにお花の姿を見つけると本領を発揮。「半公分かった。二階を貸してやろう」って辺りは、なるほど「飲み込み久太」。無理矢理二人を二階へ上げようとしますが、お花を無視する半七に「薄情な奴だな。一人でズンズン上がっちまう奴があるか。娘さんの手を取って上げて差し上げな。“道行”って良い形があるじゃねェか」というセリフは、口上茶番の一つもしそうな叔父さんの人物像が伺えて結構でした。

二階で、一組しかない蒲団を前に、二人っきりになっちゃった半七とお花。半七は帯を蒲団の真ん中に敷いて、「これが38度線ですから、こっから入っちゃいけませんよ」と言いますが、50年前のジョークがいまだに国際社会では生きているのに、しばし嘆息。
外の雨が本降りになってきた様子に、お花が「雨の音ばかり聞いてると、私、さみしいわ。半ちゃん、何かお話して下さらない半ちゃんの好きなお話。」というと、「相手が櫓囲いをしたときは、こちらは四軒飛車で」と半七が又も将棋の話を始めるのは大爆笑であります。尤も、お花の「私、さみしいわ」ってセリフは、なかなか殊勝で古風で宜しいのが半分。ちょっと嘘臭いのが半分かな。いまどきの女の子だったら、自分から先立って帯を解きかねませんもんね。

それから雷が近所にズシーン落ちて、お花が「キャッ!」と半七に抱きついた結果、幼な馴染の二人が結ばれる。「途端に叔父さんが行灯の火をフッ消したので、真っ暗。あとは何も見えなかった」という運び。やや色気に乏しいのが惜しいとはいえ、アクのない、サラサラしたおかしさで楽しませて戴きました。

炭はぜて なおも嬉しき 酒宴かな


<立川生志>

仲入り前は、苦労人・立川生志師匠がプクプクと、見た目にホッとする身体をひっさげて真打昇進記念以来、二度目の出演。
「前回の時、“真打昇進だけを利用されて、二度と呼ばれないだろう”といえば、“また、呼ばざるをえないだろう”という計略が当たって、呼んで戴けました」と口を切り、「もう師走で、“師匠が走る”、アッ、オレのことだ!と、やっとそんな感じで」と真打昇進の感慨さを語ります。
さらに、正月の挨拶をされ、「会場とラジオ(1月2日の新春落語特番)をお聞きの方の両方に挨拶をするという気配り。毒のある、ブラックな立川流の中で、私は“ハト派”と呼ばれております。断っておきますが、ハトを食ってる方の“ハト派”ですが」と笑わせ、「江戸の名物のひとつに火事がありまして」と、冬の代表的落語、“夜廻り宴会オジサン癒され落語”『二番煎じ』へ。

『二番煎じ』は一時期、志ん朝師匠がよく演っていらっしゃいました。また、現在では寄席の主任でもよく聞く噺ですが、夜廻りのおかしさ、見つかると危険な宴会、猪鍋を食う仕科、見回りの武士の登場!と、受ける所が多いせいでしょうか。反面、誰でも受けるけれど、個性溢れる『二番煎じ』は意外と少ない。私の知る範囲では「火の用心、さっしゃりやしょう〜」の掛け声が抜群の市馬師匠と、全体に古風な雲助師匠くらいでしょうか。さて、今日の生志師は如何に?

まず、古典的な火事の小話を振って、「立川流の若手には、手垢のついた古典マクラなんてバカにしている人もいますが、私は違います。落語協会、落語芸術協会、圓楽党の皆さん、(私は)仲間です」と笑わせます。『二番煎じ』は談幸師匠譲りだそうですが、夜廻りに出た、月番さん率いる「一の組」の面々が、「寒い寒い」とボヤキながら、何処か暢気なのがまず楽しうございます。寒くて手を外に出さないから、拍子木の音がサッパリ聞こえない!と、月番さんに咎められても、「音がおかしい。矢張り、そう思いますか」と泰然としている謡の先生。「火の用心火の用心アア火の用心火の用心」と、掛け声もせわしない、落語国随一の謎の人物・宗助さん(職業不明)のまめな雰囲気。伊勢屋の旦那が小僧からの叩き上げで、叱言以外は声が小さい。で、それを証明しようと「何やってんだ!バカじゃないか!」と夜道を歩きながら大声を出してしまい、「バカなのは貴方の方です。町内の人を叱り飛ばしてどうすんです」と月番さんにケンツクを食う、なんてのも、それぞれの人柄が感じられて楽しい。

謡で夜廻りの掛け声を始めた長老格の謡の先生に、「謡はいけません。スヤスヤ寝てる子供が悪い夢を見ます」って、月番さんの言葉からは、静まり返っている夜道、穏やかに眠っている街の暮らしがフンワリと漂い、さりげない情が感じられます。
特に、伊勢屋の旦那が「番頭が風邪だからって、主の私が夜廻りに出るのは間尺に合わない。小僧の頃からヒビ、アカギレを切らせて番頭になり、やっと暖簾分けをして貰って主になったんじゃないですか」とボヤくセリフは、「真打まで20年掛かった生志師の実感かなァ」と、私は一瞬、ホロッとしてしまいました。
言えば、夜廻り全体の時間が少し短くて、噺がやや走る感じがするのと、達っつぁんの「火の用心、さっしゃりやしょう〜〜」の語尾が少し短いのは、今後の課題でしょうか。

番小屋に戻ってから、謡の先生が「家の前を通った時、ここで失礼をしようかと思った」というセリフも、寒さに弱い老人らしい、面倒臭さの実感があります。生志師は「言葉使い・くすぐり使い」が巧みです。謡の先生がコメディ・リリーフ役。月番さんと伊勢屋の旦那が、生志師版『二番煎じ』の重鎮でしょうか。
さて、「寒さしのぎにと、娘が持たせてくれました」と、ふくべの酒を五合出した謡の先生を一旦は叱った月番さんですが、土瓶に酒を移させ、火鉢にかけ(つまり燗をつけ)、「蓋を閉めると、ハイ、これでヨロシイ」と納まり、自分も一升酒を出すのには大笑い。続けて、「これくらいの楽しみがないとね。それでもって、あなた方を(一の組に)選んだような訳で」という、月番さんの見事なる軍師ぶりも、人生の味わい方を知っていて頼もしい。いかにも血色のよい、世話焼き風の月番さんのイメージがパッと目に浮かぶだけでなく、「よく“小さな幸せ”というが、幸せとは本来、小さなものである」という、作家・山口瞳のエッセイを思い出させてくれました。

宴会準備と定まって、月番さんが「肴くらい仕度しといた方が良かったですかね。気が利きませんで」と呟くと、謎人・宗助さんが懐から猪の肉を、背中から鍋を出すという辺りは定番です。しかし、月番さんが土瓶に入れた以外の酒を「誰かに見られないように隠しときな」と達っつぁんに言うのは、嫌らしくなく気持ちが分かります(隠すつもりの酒を、達っつぁんが後に飲んでしまうのにも上手く繋がるんだな)。
これから中高年オジサンたちの密やかな酒宴となりますが、月番さん→謡の先生→伊勢屋の旦那と、一つ湯のみを廻して酒を飲み始める件で、月番「ご長老ということで(謡の)先生からどうぞ」→先生「矢張り、こういうものは月番さんから」→月番「宜しいんですか?皆さん、異存はございませんか?月番ですから、そういうことなら戴くということで、お先に失礼を致します」という何気ないセリフの遣り取りが、「親しき仲にも礼儀あり」であると同時に、“気心の知れた大人同士で一杯やる楽しさ”をジンワリと感じさせてくれました。

続いて、謡の先生が「私が、“長老”ということで」と嬉しそうに湯のみを受けるのも、その“長老”の抑揚と、口調の納まり方が枝雀師匠風で楽しい。こういう点が丁寧な『二番煎じ』は余り聞いた記憶がござんせんな。「月番」「長老」という、何てことない言葉が実に活き活きと味わえるのは、生志師が落語ってものの分かっている証拠でありマス。
だから、「酒は止めてるんだ」といいながら、一気に湯飲みをあおって、みんなを驚かせたり、「猪は苦手なので葱を」と言っていたのに、葱と葱の間に猪肉を挟んで食べたのがバレ、「実は大好物!」と笑っちゃう伊勢屋の旦那の行動も、大人同士のおふざけごっこみたいで、さもしくならないのがヨロシイ。ダメな『二番煎じ』は、登場人物が卑しくなりがちですから。

ですから、猪肉を初めて食べて感激し、「ホッホホッホホッホ!」となっちゃう謡の先生の可愛さや、月番さんの「こういう月番なら毎月やっても」、謡の先生の「愉快だ。いい心地だ」、伊勢屋の旦那の「愉快だな、愉快だな。こういうことなら、明日から番頭は寄越しません」ってセリフが活きてきます。オジサンたち、家に籠もってばかりじゃ少し寂しかったのかな?というニュアンスも感じられますゾ。そういう心情の分かる酒宴だと、謡の先生の言う「この味がいいねと君が言ったから師走の一日、シシ鍋記念日」なんて、ややレトロギャグも許せちゃう(笑)。ついでに、酔った挙句に都々逸を始めたりする演出の多い『二番煎じ』なのに、今回は都々逸抜きで俳句と和歌、ってェのも、音曲が苦手らしい生志師ならではと、許して差し上げましょう(笑)。
 
やがて、番小屋へ見廻りの侍が登場して、テンヤワンヤとなりますが、オジサンたちと対照的なね武張った武士にてらいのない良さ(また、この侍が旨そうに猪肉を食べるの)、「月番なんだから責め苦は全部私が背負えばいいの」という月番の意気地。共に結構結構。
殊に、「土瓶のようなものを隠したが」と問われて、「煎じ薬で」と酒を差し出すと、侍がグッと飲んで「良き煎じ薬だ」と二杯目を催促する。月番が「お代わりしたから大丈夫。味方、味方」というセリフで、オジサンたちのホッとした顔が見えるようでありました。
また、何かというと月番が「それは宗助さんが」というので、侍「鍋のようなものを隠したが」→月番「え〜、その鍋につきましては」→侍「宗助か!!」→宗助「覚えちゃったよ」には大笑い(笑)といった具合に、ホコホコと後味の良い『二番煎じ』で、堪能させて戴きました。『うどん屋』の聞きたくなる芸風だなァ。

ミラボー川を人生の流れたように 夢の大川を船が行く

仲入り後は、立川談春師匠が登場。まずは新春特番の噺から入りました(このマクラは特番ではカットされるかもしれませんが・・)。
「前回、生志の真打昇進披露をかもめ亭でやったとき、志の輔・談春・生志という顔ぶれで、落語の番組を作ってくれと頼んだのは私です。で、スタッフが頑張ってくれて、なんと1月2日、箱根駅伝中継の後に、落語の90分新春特番を作って貰えることになりました。ただし、懸命のオファーにも関わらず、志の輔アニサンは出ません(笑)。とはいえ、いざ放送となって、噺に入ったら、私は二枚目ぶりますよ」だって。それから、「落語の新春特番なんて、私たちの入門した頃は“談志・志ん朝二人会”でも難しかったのに、25年経つと、かもめ亭の“談春・生志”で番組を組むってんだから!しかも、立川流ですよ!私が落語協会の会員だったら、二度とかもめ亭には出ません。しかも地方のラジオが“オレたちも”と買ってくれて、全国10局ネット。中途半端でしょう〜〜」と笑わせます(“こういう時の談春師って誰かに似てる”と思って考えたら、先代歌奴師匠でした)。

さらに、「1月4日、(私を取材した)『情熱大陸』が出ます。(『情熱大陸』は)新年一発目は伝統芸能という決まりだそうですが、年内に解散があって、4日は特別番組になるというのが私の予想です」といった具合に、爆笑トークを続けておきながらですよ、「こういうマクラからスーッと噺に入った瞬間、トーンが変わるので笑う人がいますが、笑ってはいけません!」と釘を刺して、「欲深き人の心と振る雪は積もるにつれて」という、定番のマクラから“欲も深けりゃ川も深いぞ落語”『夢金』へ。ヤレヤレ(笑)

欲深い船頭の熊が船宿の二階で寝言にまで「百両欲しい〜〜〜!」と言ってる所へ、「船を仕立てにまいった。ここを開けろ」と船宿を訪ねてきたのが、やれた身なりの侍と、寸分の隙もない身なりのお嬢様。特に、侍の重い声音にパッと「二枚目」という雰囲気が漂うのは出色!
「色白、鼻筋が通り、いい男ぶり。目元も涼やか、役者にしてもいい、女っ惚れのする顔だが、右のコメカミから顎にかけて大きな刀疵。どう見ても、一癖も蓋癖もある」という描写は、『鰍澤』のお熊をちょいと思わせる、色悪二枚目でありマス。「雪は豊年の貢というが、こう降られては閉口だな」という一言がピシリと決まります。敢えていえば、落語というよりは、世話講釈、名人・神田伯龍張りですね。一方、侍の連れてきたお嬢様が「下膨れで品よく、ふくよかで色気もある美人。松坂縮緬に羽織で寸分の隙もない。何処をどう見ても、この2人(侍と娘)がそぐわない」というのも、ミステリーとして実に適切な描写で感心。

対照的に「蒲団はあったけェって、ちっとも温かくねェ。氷みてえな蒲団、自分の温もりでやっと温めてんだ」と寝床でボヤく熊は、この噺を得意にした圓生師匠・先代金馬師匠・柳橋先生に比べ、雰囲気が如何にも若いのが特色。悪ぶり・欲張りである割に、砕けた愛嬌のある辺りは、談春師らしいというよりも、談志家元の系譜を強く感じました。
「雪の寒さに疝気が痛む」と、仕事を嫌がっていた熊も、「骨折り酒手は存分に」という侍の言葉には食いつきます。熊「無理すりゃあ、行けねェことないですけどね」→主人「じゃ行けェ!」って遣り取りとか、熊の「疝気には祝儀ですな」ってセリフは、正に談志家元の呼吸で嬉しい。
半面、呟く調子が小さすぎて、ラジオで聞くには適切でも、客席で聞くのはやや辛うござんしたえ。あと、熊の欲深さを語った主人の「どうぞ、お諦めを願います」の「願います」が地の喋りに近くなって、感情が失せ、物語っぽく聞こえたのも、千慮の一失かな。

かくして、侍と娘を乗せ、熊の漕ぐ屋根船が、深川をさして山谷掘りを出ます。船が大川に掛かる辺り、印象的なのは志ん朝師匠の『夢金』で、息をきらせて漕ぐ熊の姿に、雪降りの川をすべるように進む舟が見え、さながら清順監督の『ツゴイネルワイゼン』を観るように華美だったのは、今も目に残っております。
対するに談春師はここを先途と
「真っ暗な中を、一艘の屋根舟が音もなく、滑るように突っ切って行く。
両の土手には桜の枯れ木が立ち並んでいる。そこに雪が降り積もって、まるで花が咲いているかのように、普段とは違うと思うくらいに眩い輝きで照らされながら・・
聞こえてくるのは、船頭が一所懸命に櫓を漕ぐ音だけでございます。
漆黒の闇の夜空から、己めがけてバラバラバラバラ落ちてくる、まるで白い虫のような雪。

その勢い、美しさに船頭が思わず、こう(仕科が入る)、空を見上げる。己の身体ごと、夜空に吸い込まれて行くような、その雪の勢い、美しさ、さらには寒さ。
そいつゥ、正気に戻すのは、俗に“ならい”と言われた西北の風。筑波颪が大川の川面を、ピピピピピィッ!ピピピピピィッ!ピピピピピィッ!と音を立てて切り裂いて行くその風の強さ、雪の勢い、寒いの寒くないの」
と描写を重ねます。
このあたりは落語と言うよりはほとんど世話講釈のイキ。談志師匠も「小猿七之助」を代表にこうした地の語りの得意な師匠ですが、それをそっくり受け継いだまさに「格好のいい」芸。
熊の独り言と仕草だけで雪の隅田川を描いた志ん朝師匠とは対照的な行き方です。

一方、熊が漕ぎながら、酒手が出ないのに焦れて、「侍に気の利いたのはまずいねェんだよ」なんてボヤくのも、侍の二枚目ぶりとの対比で面白い。
「雪ィ見るんでしたら、縁(こべり)の障子をちょっと開けてね、覗いてみてください。ピタッとそこを閉めとかなきゃいけませんよ。風が入ってくると寒いから。いえいえ、どういたしまして。ええ?“親切だな”?親切です。ワハハハハ、(一人ごちて)早く(祝儀を)出せよ!」
という饒舌さは、これも家元譲り。先ほどの情景描写とは違い、非常に落語的に熊のキャラクターを浮かび上がらせます。船頭の習性がつい口を出るってだけてなく、欲は深くとも、腕の良い船頭なんだな、という印象を与えてくれました。
かたや、娘が目をさまして侍に言う件を熊が夢想するのですが、ここの
「あなた、船頭にお酒手は差し上げましたこと?そんなことはいけませんよ。こんな雪の降る寒い中、一所懸命漕いで下さってるんですから、早く上げて下さい。そんなの少ないから、お財布ごと」というセリフ廻しから感じられる娘が、ちっともいい女ではなく、むしろ、薄気味が悪いくらいなのには大笑い。圓生師みたいに、シナシナ嫌らしく言うのをテレてるのかな?

再び熊に視線を戻して・・・侍に呼ばれて屋根内に入るや、「(祝儀を)戴けると思ってたんですけどね、どうも、張り合いのねェ仕事はハカが行かねェもんで」と語るセリフ。さらに侍から「二両やるから、娘を斬り殺して懐の百両を奪う手伝いをしろ」と言われ、「たった二両じゃ嫌だ。」「欲の深い奴だ」「欲が深くちゃいけねェのか!」と怖さを忘れて居直る辺り、ポンポンとセリフをぶつける熊が実に活き活きとして、二枚目になってくる様子に、圓生師・金馬師・柳橋師とは違う、若さのエネルギーを感じます。
対して、舟を熊にいたぶられた辺りから、侍の調子が硬直してくる変化も、後の対場の逆転に繋がって面白い。熊に「船ェ、ひっくり返してやろうか!」とすごまれて、「そんなことをされてたまるか!」というセリフから、侍が急に間抜けになるのも落語らしくておかしうございました。

尤も、娘殺害計画に関する遣り取りで、侍が「“百両欲しい”という、お前の声を聞き、“これだけ欲の深い男ならば見所があるだろうと、お前に当たりをつけて船宿に上がったんだ」というセリフは面白いのですけれど、「夢の中」にしては少し細密過ぎる気もしますな。同様に、娘を殺害するため、中洲に近づいたところで侍が艫から飛び移ると、膝までズブズブっと沈む。そこの
「泥深い中に嵌って動けないのを十分に確かめると、棹一本持って、タタタタッと舟の縁を飛ぶように、一番とっつぁきまで。と、こいつ(棹)、一つ張って」という描写も、カッコイイんですけれど、やや説明過剰。落語ではなく、世話講釈になる気はします。
それよりも、お嬢さんを家に届け、出された礼金を「あ、(娘さんが助かった)お祝い、お祝いなの、(手に取って)重いねェ、たいしたもんだな。いくら入ってんだろ」と、ビリビリ破く辺りの愛嬌こそ、熊の面目躍如であると共に談春師の面目躍如でもあると感じましたね。

我一語、彼一語、行く師走かな。 語ることあり、聞くことあり

本日の最後は、ご景物とでも申しましょうか、談春師、生志師匠による、兄弟弟子新春対談ですが・・・これは1月2日放送の「初笑い!浜松町かもめ亭」でのお楽しみとして、あくまでも印象に残ったお二人の言葉だけ、断片的にお伝えしましょう。前後の話は皆さんが想像して下さいませ(笑)。

■談春語録断片
「惜しかったなぁ志らくも、死んじゃって(客席大爆笑)」
「楽屋で、ズッと裸でいたのよ」
「こういうとき、足掻くとロクなことありませんよ」
「芸人に向かないくらい、ウソをつくのが下手だね」
「そんな金、オレが持ってられるか!!」
「今日中に書くか、私を傷つけるかして下さい、だって」

■生志語録断片
「何か、食いたいですよね」
「立川談志は、もう立川談志じゃない気がする」
「よっぽど、死ななきゃならない訳があっても」
「矢張り、バクチ打ちの言うことは違いますね」
「言ってるのは談春だけです」
エトセトラ、エトセトラ
 
そして最後は、今年一年のかもめ亭を締めくくるという意味で、談春師の音頭により、客席の皆さんと三本締め。めでたくお開きとなりました。

という訳で、第24回『浜松町かもめ亭・・・霊岸島の闇に野暮同士なりゃこその恋路を手堅く描いた『お花半七』に始まり、寒風吹きすさぶ闇の街路に、そこだけが明るい火の番小屋での大人の楽しみがジンワリと滲む『二番煎じ』。大川の闇を欲望を乗せた舟が滑るように行く様を、世話講釈的な繊細な描写で語った『夢金』と、立川流の多彩な実力をジックリとお楽しみ戴けた次第・・・・・という訳で、次回、大晦日のかもめ亭スペシャルも、御多数ご来場あらん事を。

高座講釈:石井徹也

今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。




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