かもめ亭 2008年大晦日スペシャルレポート

文化放送主催・小学館協賛の『浜松町かもめ亭』大晦日スペシャル公演が12月31日(水)、午後2時から、文化放送12階にある「メディアプラスホール」で開かれました。
「大晦日スペシャル 林家正蔵・柳家喬太郎二人会」とタイトルされた今回の番組は
『道灌』           立川こはる
『うどん屋』         柳家喬太郎
『ぞろぞろ』         林家正蔵
仲入り
『寿司屋水滸伝』     柳家喬太郎
『芝浜』           林家正蔵
という出演順。


<柳家喬太郎>

ちなみに、今回の高座のうち、柳家喬太郎師匠の『寿司屋水滸伝』は、当日、夜7時から文化放送の『かもめ亭スペシャル』で放送されました。イヨッ、めでたい!

冬障子 中にて睦む二人かな 歌道は暗くも 仲は明るし
 

開口一番は、『かもめ亭』の主的存在(?)、談春師匠門下の前座・こはるさん。
ネタについて「かもめ亭では、いつも新しいネタを掛けたいんですけれど、大抵の持ちネタは既に演っちゃったもので・・・今日は何を演ろうかな?」と開演前、悩んでいたこはるさん。
結局、「好きな噺なんです」と選んだのは・・・隠居と八五郎の遣り取りに、東京落語の基本形が光る柳家系伝統のネタ『道灌』。元々、冬の隠居所を舞台にした噺ですから(正岡容さんの著書にあります)、大晦日にはピッタリのセンス!
 
仕事が半チクになったからと、横丁のデコボコ隠居の家を訪れたガラッ八こと八五郎。隠居の「粗茶だが一つおあがり」に食いついて、「粗末なお茶で“粗茶”ね。じゃあ悪いんだ」とか、「便秘気味かなァと思うと、隠居さんの顔を見て、帰りにハバカリへ行くとスッキリして」と、遠慮の無い口をきいてますが、以前と比べ、隠居との会話を楽しんでる雰囲気が八五郎から感じられるのは、こはるさんの成長でしょう。
そこから隠居の趣味である書画骨董、中でも貼り混ぜの小屏風に描かれた「根岸の里の大田道灌。賎の女に雨具を借るの図」へと話が展開します。「女が盆の上に黄色いものをドッサリ乗っけてますけど、ライスカレーの大盛りですか?」〜「大田道灌?大きな土管?鉄管?木管?金柑?」といった八五郎の混ぜっ返しのギャグのおかしさもさりながら、特に隠居「鷹野だな」→八五郎「新宿の先の?」→隠居「そりゃ、中野だ!」って遣り取りの息の良さはまことに結構でござりました。 
隠居から色々と薀蓄を聞いた八五郎。雨具を借りに来る友達を、賎の女同様、歌を詠んで追い返そうと、家に帰ります。家に入る際の戸の開け閉めの呼吸も、キレがあり、優れてリアルでした。それから雨を逃れて走る表の人たちを眺め、「柔道着を持って駆け出してく奴がいるよ、ざまァみやがれ、道灌め!」と八五郎が声を掛けると、相手が「こっちは講道館だ!」と返したのには大笑い。一瞬、北京オリンピックの金メダルリスト・石井慧選手が目に浮かびましたゾ。
全体にちょいと早口かな?とは思いましたが、オチまでトントンと、この一年の精進を表しながら、御座を固めてくれました。こはるさん、また、2009年もヨロシクね。

覚めての上のご分別 とはいいながら 冷めては辛きうどんなりけり

続いては、『かもめ亭』の準レギュラーともいうべき柳家喬太郎師匠がポッテリと登場。
「正蔵師匠との二人会で、恐縮至極と云ったところでございますが・・・二席ずつお楽しみ戴こうという、ま、楽しめるもんなら(笑)」〜「大晦日、(客席に)お越し戴いてるということは、用事を済ませていらっしゃったか、または用事を諦めたか、色んな方がいらっしゃるんでしょう」〜「夜には別の落語会へ出かける・・・そういう暮らしはどうかと思います(笑)」〜「(今日)私は演りたくなかったんです」と、喬太郎師らしいジャブを連発して客席を揺さぶる揺さぶる。
かと思えば、正月から発刊される小学館の落語CD誌サラリと紹介して、「志ん朝師匠、小さん師匠、圓生師匠・・名人のCDがお手頃で手に入る。“一落語ファン”としては、こんなに嬉しいことはございませんが、芸人としては迷惑ですねェ・・・永遠に比べられるんでございますよ。それはそれ、こはこれ、(今日は)このCDに出てない噺を演りましょうね」で終わると思ったら、まだまだ!!
 「ここでは口が裂けても、“文芸春秋万歳!”なんて云えませんよ。講談社万歳もね。(小学館は)そんなことくらいで腹を立てるような会社ではありませんが、あんまり云いすぎると、週刊ポストで“噺家八百長疑惑”なんて書かれちゃうことがあるかもしれません。心してお喋りをする訳でございます」

ここから話は急展開。「レギュラー出演している落語会のスタッフさんで、“喬太郎さん、もっともっと有名になってよ”と仰る方がいらっしゃいますが、街を歩いてて振り返られる、ってのも草臥れるんじゃいかと思いますよ。そういう意味では、正蔵師匠は露出が多いですから、普通に街を歩いていても、振り返られたり、後ろ指さされたりとか(客席爆笑。但し、言ってから、正蔵師匠のいる楽屋へ向かって喬太郎師は最敬礼)」〜「ごくごく稀には、“喬太郎さん?”なんて声を掛けられることがあるんですよ。その瞬間、(自分の方が)“ウフッ、落語マニア?”って(客席爆笑)、同じ匂いがするんですよ」。
そこから小田急線新宿駅にある「箱根そば」でかき揚げそばを食べていたところを、お客さんに見られて恥ずかしかった、って話から、年の瀬らしく、そば屋の話題へ。
「昨日、かみさんと子供が近所のそば屋に出かけたんですが、“天麩羅そば、今日は出来ないのよ”なんて云われたそうです。今のそば屋さんって、昨日から大晦日のために天麩羅を揚げてるんでしょうか?」と、大晦日らしい食べ物話です。さらに、“昔、街を流したそば屋や鍋焼きうどん屋は、路地の奥で若い衆が集まって、コッソリやってる博打場なんぞから小声で呼ばれると、たいそう数が売れて儲かったそうで・・”と定番マクラを振って、“或るうどん屋の小さな失望体験語落語”『うどん屋』へ入りました。
喬太郎師の大師匠・五代目小さん師匠の十八番であり、喬太郎師の師匠・さん喬師匠も「五代目の噺の中で一番大切にしたい噺」と云われる、いわば柳家直系のネタです。
 
夜の街を流す鍋焼きうどん屋が、口開けで捕まったのが酔っ払い。うどん屋の七輪の火で温まりながら、隣の娘・ミィ坊が婚礼を挙げた喜びを、くり返しくり返し語ります。酔っ払いの扱いには慣れているうどん屋は小商人の心得十分。酔漢「世の中広く知ってるっていやァ、お前、仕立て屋の太兵衛、知ってるだろ?ホラ、前、隣に住んでた」→うどん屋「あなたを存じ上げませんのでね、(太兵衛さんも)存じ上げようがないんでございます」と、冷静に応対します。
そのうち、酔っ払いやうどん屋のいうことが喬太郎師らしく脱線を始めましたゾ!
酔漢「うどん屋だけ“麺食らう”なんてのはどうだ」は序の口で、酔漢「うちの嬶ァ、昔から何を食っても飲んでも当たった例がない。中国の凍ったギョーザとかさ。今年はあんなことがありすぎて初めの頃、何があったか、忘れちまった」・・・うどん屋「中国の凍ったギョーザに赤福でも雪印の牛乳でも」→酔漢「お前、明らかに(今夜の)放送に使えねェようにしてんな。ちょっと今、何か乗り移ったな。俺、ビリー・ミリガンってぇんだ本名」という脱線ギャグの連発には大笑い。
ですが、酔っ払いが呂律の回らない口で言う、「俺でさえ、こんなに嬉しいんだ。親の太兵衛の身になったらどんなに嬉しいか・・・」というセリフはジンときましたし、うどん屋が酔漢のくり返す話を受けて、「(花嫁から)“おじさん、さて、このたびは”と、言われたときには、たいそう嬉しうございましたよねェ」と言った言葉も、決してお追従ではなく、うどん屋の“親身”への共感があって素晴らしい!笑いの影に情けあり、でありました。

散々酔って水だけ飲み、喋りまくった酔漢が、結局、何も食べずに去った後、うどん屋が少し怖い顔つきになって荷物を担ぎ、歩き出します。これはちと珍しい。小商人の辛さがズンと感じられました。これは五代目小さん師にはなかった印象です。直後の「鍋焼きうど〜〜ん」という売り声(立て前というべきかも)も、冷たく吹きすさぶ風を縫うように、うら寂しく街に響きました。それから、街のお内儀さんに「子供が寝てんの。静かにして頂戴」とけんつくを食う件も、強烈な寒さと辛さを感じさせます。この辺り、さん喬師譲りのリアリズムだなァ。
 最後、小声で呼んでくれた男に「こいつは、大きなお店の奉公人みんなが、ご主人に内緒で食べようという試しだな」と、小声で遣り取りして一生懸命にうどんをこしらえる辺り、うどん屋の「美味しく作ろ」のひと言が切ないのには参りました。黒門町の文楽師匠が『うなぎの幇間』で語った「あの客、大事にしよう」が連想される名ひと言セリフです。
そこから気弱そうな店者の客がうどんを啜る様子、口中にからんだうどんを箸でせせる様子と、ズームアップのように表して、客「うどんやさ〜ん」→うどん屋「(お変わりの注文かと嬉しそうに)ヘイッ!」→客「(喉を押さえて)お前さんも、風邪をひいたのかい?」まで、どこか小味に切ない、喬太郎師匠らしい仕上がりで、師走の寒さを味あわせて戴きました。

草鞋引け 引く手の心 卑下ならず 思えばそこに 神おわします

仲入り前は、林家正蔵師匠が登場。冒頭、「いつも大晦日は休むんですが、キョンキョン(喬太郎師の愛称)と二人会だというのでお受けしました。キョンキョンと一緒に過ごせる幸せを感じますね。キョンキョンとだと“一緒にいたい”と思います。川柳師匠と一緒じゃ、絶対思いません」と話していると、袖から喬太郎師が出現!!
喬太郎師「済みません。最近、(さん喬)師匠もボクのこと“キョンキョン”って呼ぶんですけど、お願いですから勘弁して下さい」という抗議に、正蔵師匠、平謝り(笑)。
しかし、その越せも話題は喬太郎師で、「(喬太郎師とは)年齢も近いんで、本当に刺激になる噺家さんです。キョンキョンが大好きなもので『母恋クラゲ』を習ったんですが、まだ(高座には)掛けてないもので、家で(クラゲがフワフワと水中を漂う仕科を)稽古をしていたら、その様子を覗いた娘に“パパ、大丈夫?”といわれてしまいました」とのこと。

それから、「近所の上野公園にいるホームレスのオジサンたちと、とっても仲が良いんです。皆さん、優しいですよ。人の痛みが分かるんでしょうね。通りすがりに、“姉ちゃん、大変だなァ!”なんて声を掛けられます(客席爆笑)」という最近の話から、小学校5年生の時、近所にいた「覆面○○○」と呼ばれるホームレスのオジサンについて、近所の少年の間で「あのオジサンを見かけると幸せが来る」とか「どうも東大卒らしい」という噂が立った話へ。
「東大卒」を確かめようと、オジサンの好物の黒糖カリントウの下に、数学や社会の難しい問題を置いておいたら、見事に解かれていた。そこで最後に作文を依頼したら、原稿用紙に「自分でやれ」と書いてあったとは、「本当かよ!」と突っ込みたくなるゥ!
しかし、正蔵師が中学生になった頃、そのオジサンが『覆面○○○と呼ばれて』という、本を出版。その宣伝文句に何と「東大出の覆面○○○と明るくも貧しい子供たちと書いてあった!!「貧しかったのはお前だろう!」と、怒りのオチが付いて場内大爆笑!
こういう、正蔵師の「下町少年マクラ」、実は私、大好きです。

「その覆面○○○のオジサンが塒にしていたのが“お初稲荷”という近所の神社で」と、話が転がって、ご利益と仕返しは程々に落語“『ぞろぞろ』へと入りました。
 神無月に出雲へ出かけ、巫女さんとウジャジャけて居残りをしているうちに、肝心の江戸の
社がすっかり寂れてしまったお初稲荷様。『ぞろぞろ』の神様に楽しい人格を与え、構成しなおしたのは立川談志家元ですが、正蔵師はさらにお稲荷様を酒好き・女好きだけれど、“先代圓遊師匠みたいな夷顔のお稲荷様”として描いております。「地元を大切にしなくちゃいけない。東国原宮崎県知事の気持ちが良く分かるねェ」なんて、かなり暢気な神様なんでアリマス。
  この荒れ果てた神社にお参りして、おまけに神様が喉から手が出るほど呑みたがっていた御神酒を供えてくれたのが、神社前の寂れた荒物屋の娘。この娘のまめまめしさもなかなか宜しい。早速、一杯やったお稲荷様、娘の「半年前から草鞋が一足残っております。どうぞ、その草鞋が売れますように」という娘の願いに、神様「ご利益を授けましょう」と伝えます。 

娘が店に戻って暫くすると、雨が降りだします。この時、荒物屋の親父の視線だけで、まず雨が降ってきたニュアンスをちゃんと描き出したのは巧みでございました。
雨でぬかるむ道を歩くために草鞋を買おうと、客が久しぶりに店にやってきます。この時の、「半年前からお待ちしておりました」という親父のセリフがバカに可笑しい。とはいえ、半年売れ残っていた、たった一足の草鞋が売れただけでは、愚痴っぽい親父は「ご利益」を信じようとしません。しかし、次から次へと草鞋を求める客がやってくる。すると、もう無い筈の草鞋が天井裏から「ゾロゾロッ」と下がってくる! この超常現象に、最初は「ホウ、ホウ、ホウ、ホウ」と、『ドリトル先生』シリーズに出てくる小さなフクロウみたいな声を上げて不思議がっていた愚痴親父も、ついには「ウワァ〜〜」と、瀧川鯉昇師匠みたいに驚いて、お稲荷様のご利益に感謝するようになります。この、真っ暗な天井裏から草鞋がゾロゾロッと下がってくる様子。正蔵師だと、何だか、古い民話の味わいがします。
これも『ぞろぞろ』を得意にしていた先代正蔵師匠の頃から、この件を聞くと私はいつも、伊勢神宮や出雲大社にある、檜皮葺きの高床式の神殿のほの暗い空間を思い出すのです。
この不思議なご利益を最初に考えた落語家さんは大したもんというか、信仰が我々とは桁違いに身近だったんでしょう。

さて、この荒物屋の奇蹟を目にしたのが前にある床屋の親方。神様曰く、「ヒゲ面で貧乏くさそうな、柳家喜多八みたいな顔」って人(笑:正蔵師と喜多八師匠は親友であります)。
直ぐさま、張り込んで二升の酒を社に供えた親方は、「どうぞ、荒物屋同様の語利益を」と祈りだします。先ほどの酒でホロ酔いの神様、面倒臭いけれど酒二升の誘惑には勝てず、「分かったよ」と手をしめます。
で、床屋の主人が店へ戻って来ると、客で黒山の人だかり、最初の客は「ヒゲを当たってくれ」って男。客のヒゲに親方が剃刀を当て、スッと当たると、「後から新しいヒゲがゾロゾロッ」。
正蔵師の温顔と不気味な手触り、いや髭触りのアンピパレンツが嬉しい一席でありました。

客よりも 寿司握る人の数あるは 知る人ぞ知る どうだミシュラン?

仲入り後は、再び柳家喬太郎師が登場。まずはサラリーマン時代の話で、「数年前から、色んな職種でカリスマがいます。私もたった一年半でしたが書店員をしていました。当時はこの職種でもってカリスマなんて人が出るとは思わなかった。で、カリスマ書店員さんというのは、物凄くアクロバティックなディスプレイをする人がいるんですね。オブジェのように積み揚げたりなんかして。そういうのを見ると、下の方から本を取りたくなりますねェ。あと私、本屋さんへ行くと悪い癖で棚を直しちゃうんです。“松本清張はこっちだろう”“角川はこっち”“(慌てて)小学館は向こうに”って、それより自分の落語直せってんですが・・・」
それから、学生時代と落語家になる直前の二度、銀座にあった「椀や」でアルバイトをして、「椀や土曜寄席」で落語協会の先輩たちの高座をたっぷり聞いた経験談から、板前さんの話へ展開したかと思うと、突如、「ホントニヤメチャウノ?ダメ、ソレ、ヤメナイデ!」と、奇天烈な声で辞めて行く職人を引き止める寿司屋の主人のセリフに入れば、これはもう、喬太郎師初期新作の代表作でもある“一芸名人ってのも程度問題だぜ落語”『寿司屋水滸伝』の始まり始まり。

洋食屋で修行してドミグラスソースは作れるけれど、実家の寿司屋を継いだため、自分の得意技を何も発揮出来ない主。羽織の紐をグルグル回したり、舌をヘビのようにぺろぺろ出しながら、幼児語風に喋るという、本当に変な人ですが、この早口で不安一杯の、春風亭百栄師匠みたいなキャラクターが、何処か喬太郎師本人と重なって見えるのは妙。
「こういう変な人、どっかであったことがあるよなァ、共感は出来ないけど」という、如何にもマイナスベクトル↓のリアリッティーがいつ聞いても可笑しい。
 お客相手に、チャーハン台の中トロを握って出した揚げ句、客から「こんなもの(刺身)、素人の俺が切っても、もっとうまく切れる」と生意気な口をきかれ、ヘドモドしている主の前へ、「トロ切りのマサ」「イカ切りのテツ」「ウニ盛りのヤス」と、毎日、ひと癖もふた癖もありそうな、超偏狭一芸名人寿司職人が次々と現れるだけ、という、金太郎飴か、はたまた『芝居の喧嘩』の終盤みたいな展開です。そのバカバカしさ・不条理さが如何にも現代演劇的で、喬太郎師の「小劇場演劇的皮膚感覚」が漂います。「トロ切りのマサ」が筧利夫(若い頃の風間杜夫かな)、「イカ切りのテツ」が古田新太、「ウニ盛りのヤス」が阿部サダヲとか、スッと頭に浮かびますもん。
 最後は何故か、「お馴染み、『義経千本桜』鮨屋の段・・・モゴモゴ」と曖昧に終わっちゃいましたけど、40人以上の、多少傍迷惑な超偏狭一芸名人寿司職人が一堂に揃う様子は、『義経千本桜』よりも、『め組の喧嘩』の勢揃いの方が相応しいようにも思います・・・ある意味、日本がどうなるか分からない年の瀬に相応しい小劇場系演劇的不条理性や、喬太郎師の原点的なマニアックさを“ヒヒヒヒ”と味わえた一席でございました。
 ※(筆者勝手注:)嵐山光三郎氏の小説に登場する「桜の花びらのように、皿の上を散って行く鯛の活き作りを作る超名人板前」の話を喬太郎師が落語化したら、面白そう。

万太郎曰く 「熱燗に うそもまことも なしといふ」 とは、この師走かな

林家正蔵
<林家正蔵>

本日の主任は正蔵師。「随分と、ご夫婦について考えることの多い今年一年でございましたが(客席苦笑)・・スポーツ紙はなるべく見ないようにしております」と冒頭で笑わせてから、最近になって思い出した父・三平師匠とお母さんの夫婦喧嘩のエピソードを語ると、「夫婦して、色々な危機を乗り越えるというのも大変なことで。お古い言葉に “夢でもいいから持ちたいものは、金のなる木とよい女房”とありますが」と振ると直ぐ、「勝っつぁん、起きとくれ」という女房のセリフへ。“落語家さんの考える究極の幸福論落語”『芝浜』です。
実は、「大晦日の会なんだから」と、私・石井からリクエストしたネタでございました。

 優れた腕の魚屋ながら、酒のズボラでお得意先を次々としくじり、というより、江戸っ子の見栄で顔出しがしにくくなり、さらに酒に溺れていた魚勝。「取られたお得意先を取り返すだけの腕がないのかい!」と、女房の言葉に煽られるように、渋々起きだすと河岸へ向かいます。
正蔵師の『芝浜』は鈴々舎馬桜師匠譲りで、つまりは40代頃の談志家元が原型。しかし、再演以降、自分なりの人物観を出し入れして試行錯誤中です。特に今回、序盤は魚勝の「行きたくねェなァ」という気分をかなり強調する演出でした。
※一つ、昔からの疑問で、どの落語家さんも仰いませんが、魚勝の家は何処にあるんでしょう?切通しの鐘の音が聞こえる長屋だから、神明から金杉辺りかなァ。

天秤棒に盤台をぶらさげ、芝の河岸へ向かった魚勝。「俺だけじゃねえか、起きてんのはよお!なんで魚屋になんぞ、なっちまったんだろうなァ」と愚痴っていましたが、そのうち、「美味くて意気の良い魚をお得意さまに“美味かった”と言って貰うと、“有難うございます”と頭ァ下げながらも、“どうだ!”と思うね。魚の嫌いな人に、俺の魚を食わしてやりてェくれえだ」と、次第に心持が変わって行きます、そして、芝の浜へ着いて磯の香に触れると、「いいい香りだ。おらァ、この匂いを毎日嗅げるから魚屋になったんだもんなァ」と、魚屋のプライドを取り戻します。
ところが、女房が一刻間違えて起こしていたため、河岸はまだ閉まったまま。仕方なく、浜で一服していると陽が昇ってくる。そのお天道様を見て、「綺麗な色だなァ、オイ、魚だと鯛(テエ)だ!」ってのは魚屋らしい感覚でゾクゾクしました。ひょいと水辺を見やると水の中でユラユラ揺れる細長いものがある。「魚か?アナゴか?」ってのも魚屋らしい観察ですけれど、浜辺に近いから「ヤガラ」辺りの方が適当では?
それと、水平線に漁から帰った帆掛け舟を出しましたが、これは安藤鶴夫氏の工夫を三代目三木助師匠が取り入れた演出とはいえ、正蔵版『芝浜』には少々蛇足かな。

で、正体不明の紐を引き上げて見ると、先にあつたのが革の財布で、中を探ると42両!
(元々は革の財布に50両ですが、これはもしや、『忠臣蔵五段目』の科白が元かも?)
飛ぶようにうちへ帰った魚勝が、大金を拾った話を女房にする時、顔がつい笑っちゃう様子は、魚勝の良い意味での気質の単純さが感じられます。金を勘定する声も、最初は鰯を勘定するときのまま、大きな声で数えだし、直ぐに気づいて小声になる丁寧な運び。
 それから、「これでもう商いには行かねェ。ズーッと呑んで遊んで暮らすんだ」と云うと、昨夜の飲み残しの酒を煽り、魚勝は寝てしまいます。この後、一度起きて湯に行き、友達を連れて帰る古今亭志ん生師匠型の演出は当然なく、直ぐに翌朝の場面へ。

翌朝、またも女房に「勝っつぁん、ちょいとお前さん、起きとくれ! 商い、行っとくれ!」と起こされた魚勝は、金を拾った嬉しさそのままにニコニコ顔。これ、気持ち分かります。朝、「さァ、今日は何をして楽しもう?」と笑顔で起きられたら、こんなに仕合せなことはありませんもん。
 ここで女房から、芝の浜で金を拾ったのは夢で、その後、友達を連れてきて散々飲んだり食ったりしたのは本当だ、と言い聞かされた魚勝が、ボヤッとして、ちょっと甚兵衛さん風なのは正蔵師の持ち味ですが、そこにチラッと現・中村勘三郎丈の雰囲気が混じってるかな。
女房に「情けないねェ。情けないよ。どうせ見るなら、稼いだ夢、見とくれよ、ねェ、勝っつぁん!」と叱られ、「夢・・夢・・夢・・夢だ。ガキの時分から、よくハッキリした夢、見てたんだよなァ。割に合わない夢ェ見たなァ」という辺り、何だか『火焔太鼓』の夫婦みたいな雰囲気もあります。 
また、「割に合わない夢ェ見たなァ」のセリフで、無理に受けさせないのは、独特のキャラクターを持ちながら、ドラマ性を重視する正蔵師らしいところであります。
 そこから、飲み食いした金をどうしよう、夜逃げしようか?と焦る魚勝に、「お前さん、時分のこと、誰だと思ってんの!?腕の良い魚屋・魚勝だろ!」と女房が云い(但し、物言いがキツくないから、女丈夫や恐妻にならないのは結構)、魚勝が「テレること云うねェ、こん畜生!」と返す呼吸も台詞も、立派に江戸前生世話でありましたゾ。フックラした見た目のせいで、仲々世の中に分かって貰えまへんけど、九代目林家正蔵って師匠は江戸前の落語家でっせ。

 魚勝は女房に酒を断つと誓って、河岸に送り出されます。「精出せば、凍る間もなき水車」と言葉ァ繋いで、3年経つと、棒手振りだった魚勝も小さいながら魚屋の店を出し(表に出したとは言いませんでした)、3人の若い衆を使う親方に。そして、「油断せぬ、心の花が暮に咲き。3年経った大晦日」と、ちょいとキザに地の文で決めて、銭湯から魚勝が店へ帰ってくる場面へ。正に生世話物の展開です。
入れ替わりに若い衆を銭湯にやって夫婦2人きり。女房が出してくれた茶を飲んで、勝「塩っぺえな?」→女房「お福茶(ふくちゃ)」という遣り取りも私は好きですねェ。大抵は「福茶(ふくぢゃ)」と音を濁らせますが、「お福茶」と濁らないところに、「徳川の川は濁らず」と「濁音」を嫌った江戸育ちの語感があり、「尾」を付けるところに女らしさがフンワリと香ります。尤も、お飾りに風の当たる音とかは、この場の形容としては、多牌気味かな。
勝「明日は晴れるだろうなァ。呑める奴ァ、たまんねぇだろうな」→女房「呑みたい?」→勝「気違い水なんざ要らねェや」から、勝「おい、羊羹でも切ってきてくれ」って遣り取りがあって、女房は台所へ。
ここで座敷に一人残った魚勝の独白になります(独白ってほど演劇的ではないけれど)
「おらァ、魚屋になって良かったと思うぜ。楽しんでる。銭のために働いてるんじゃねェ。嬉しくて仕方ねぇんだ。おらァ、つくづく思ったよ。人ってのはなんだなァ、真っ当に働かなくちゃいけねェって、心底そう思ったい」
すると女房が台所から「なんだい?」→勝「なんでもねえよ。」→女房「今なんか云ったろ。何つったの?」→勝「テレるじゃねェかよ。・・・人ってのは、心底真っ当に働かなきゃいけねェって(小声になってポツリと)そう思っったんだよ」
私が正蔵師の『芝浜』で一番好きなのはここの遣り取りです。特に、女房の「今なんか云ったろ。何つったの?」は、抱きしめたいほど愛しい、独自の科白だと思っております。

勝の言葉を聞いて女房の表情が変わると、何かを持ってきて座敷に戻り、座りなおします。
女房「話しを聞いてほしいの。途中で腹が立っても、しまいまであたしの話をきいてくれると約束してくれるかい?」→勝「大晦日に腹の立つ話ってのは、気持ちが悪いじゃねェかよ」と遣り取りがあって、まだちょっと怯えている女房が革の財布を前に出します。
魚勝が財布を逆さに振る二分金で42両。「3年前に芝の浜で42両の金を拾ったのは夢じゃなかった」と女房から聞かされると、魚勝「だろう、なァ!おれ、あんなハッキリした夢見たことねェ・・・するとなにか、テメェ、俺にウソォつきやがったのか!」。
 この「だろう!」から怒りだすまで間のあるところが、如何にも落語ですね。
女房の言い訳になって、「嬉しかったよ。貧乏のどん底だったから。でも、お前さんが寝ちまって、一人で金を前にしてたら急に怖くなって、大家さんに相談したら、“酔って寝ているを幸い、夢にしちまえ”と言われて、“そんな子供騙しじゃ通じる訳ないじゃありませんか!”って云うと、大家が“あいつなら大丈夫だ”って。お前さん、優しいから信じてくれて・・・」。そういう人なんですね、正蔵師の魚勝は。腕の立つ甚兵衛さんみたいなもん!女房の「雪の降る日、“今日は休んだら”といっても、お前さん、“俺の魚を待ってるお客さんがいるじゃねェか。行ってくるぜ”と出かけて行く」、というセリフに通じる愚直さが魚勝にあるんですね。
 それから、一年程して「落とし主不明」で、42両が奉行所から下がってきたとき、女房が「お金、戻ってきて怖かったァ。また、お前さんが呑んだくれにもどっちまうんじゃないかと・・」と言うのも実感があります。そして女房は「人ってのはなんだなァ、真っ当に働かなくちゃいけねェって、心底そう思ったい。」と魚勝の先程の言葉をくり返しながら、「それを聞いて嬉しかった」と拝み手になり、嬉し泣きをして、手をついて謝ります。そこまでズーッと女房の言葉を聞いていた魚勝が「どうぞ、お手をお上げなすって」というのは定法で受けるところですけれど、ここまでの夫婦の遣り取りを考えると、やや、修正の余地があるかもしれません。
 
それから、「お前さんの機嫌を直して貰おうと思って、今、熱いの、一本つけるから」と女房が酒を用意してくれます。魚勝が「俺は飲みてェって言ったんじゃねェ。お前が呑めってえから呑むんだぞ。アッ、もう一寸、大きな奴(湯飲み)」と云う子供っぽさも正蔵師らしいところ。
 そして終幕。いざ、口元まで持って行った湯のみを畳へ戻した後、ポカンとした表情をして魚勝が、「よそ、また夢になるといけね」と、軽く云ってオチとなるまで、甚兵衛さん風の夫婦観や、正蔵師の幸福観が良く現れておりました。

という訳で、『浜松町かもめ亭大晦日スペシャル』・・・縁側の障子に雪の積もろうかという冬の隠居所を舞台にした『道灌』に始まり、木枯らし吹く夜の街を人の情が過ぎ去るような『うどん屋』。冬曇りの稲荷社から雨の街角へと、ご利益の降り積もる『ぞろぞろ』。師走の街角に異種格闘技のように乱入した『寿司屋水滸伝』。そして、ひっそりと静まり返る長屋の大晦日、誰といるのが一番の幸せなのか?と、ふと問いかける『芝浜』と、大晦日スペシャルならではの演目・高座でお楽しみ戴けた次第・・・・・という訳で、次回、一月のかもめ亭も、御多数ご来場あらん事を。

高座講釈:石井徹也

今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。




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