
第28回かもめ亭レポート
文化放送主催の『浜松町かもめ亭』第28回公演が3月27日(金)、雨模様の中、文化放送12階にある「メディアプラスホール」で開かれました。
今回の番組は「東京・月亭一門会」と銘打たれ、東京では珍しい上方落語界のベテラン、月亭八方師匠とお弟子さんを招いての一門会です。その内容は・・・
『御挨拶』 月亭八方
『初天神』 春風亭正太郎
『おごろもち盗人』 月亭八天
仲入り
『阿弥陀池』 月亭方正(山崎邦正)
『大丸屋騒動』 月亭八方
という出演順。

<月亭八方師匠>思いがけない 日の出を見れば 八方に鳴く 蜀の犬
まずは御大・八方師匠自ら登場して、お客様に「御挨拶」をひと言。
「今日は『かもめ亭』に盛大お越し戴いて有難うございます。大阪から久しぶりでございましてね、お足元が悪いので心配致しましたが、空席が2、3しかございません(客席爆笑)。まずはご挨拶でございます。
仲入り後は月亭方正、つまり山崎邦正くんが落語を演るという、ゲストでございますな。普通、ゲストといいますと皆様方が驚くような人を云うんです。今でしたらイチローとか岩隈とか、藤原紀香とか陣内とか・・そういう人はこちらも気を使いますし、お客様も気を使う。まして簡単に電話一本では呼べません。今日のゲストは電話一本で“空いてるか?”“空いてます”“ほなら抑えといて”(笑)。まァ、彼も落語というものに興味を持ちまして“月亭を名乗らせて下さい”“よろしいやんか”というような事になった訳で」と、まずはゲストの月亭方正こと山崎邦正さんを紹介する師匠心を見せます。
そこから、
「色んな状況で東京へ寄して貰いましたけれど、私ら“世の中に起きた事を時間の来るまで喋ればええ”てなもんでございますが、政治の事なんか分からん。西松建設なんて会った事もないし、見た事もないような金額の話でございますしね。本来ですと、今日辺りは“陣内・紀香”について2時間くらい喋ると一番満足して戴けると思うんですが、私も知らんもんですから。私の女房が“あんなキレイな嫁さんがおって浮気するか!”言う。“キレイやなかったら浮気してもええのんかいなァ。なら、ウチはしてもええのんか”言うたら、鬼のような顔して“アホか!”と言われました。まァ、陣内にはひと皮向けて、これを肥やしに成長してもらいたい。実は・・」
この後、“陣内・紀香”に関する衝撃の告白がありましたが、表沙汰になると八方師匠父子が加古川(陣内さんの出身地)へ仕事に行けなくなるという事でナイショ(笑)
八方師匠といえば、熱狂的阪神タイガースファン。話の終盤は矢張りその方向へ・・
「あとはWBC。凄いですな。オバチャンが涙流してる。“普段野球見てんのかいな”。と思いますが。わたいら阪神ファンとしては、日本が勝って嬉しいんです、嬉しいんですけど、試合の最後、マウンドに藤川球児が出て来ィへんの見ると、喉に小骨が刺さったような感じがする。“なんで藤川が出てこないんや!?”と心配になります。そんな事言ってんのは大阪の阪神ファンだけですけどな。
大阪ドームでオーストラリアと日本チームの練習試合を見たんですが、最後にピッチャーが代わるんで“藤川やな”とみんなが待ってたら、“ピッチャー代わりまして馬原”という場内アナウンス。観客席、大ブーイングで“こりゃ金返せ!”“馬原出るな!”。それを見てた或る紳士が仰有いましたね。“大阪では国際試合が出来なァ“(笑)。
野手でも、私ら横浜の内川は”隠れたMVPや“と思ってました。よう打ってましたで。それがヒーロー・インタヴューでも、看板が小さいというんか、野手では村田と青木にインタヴュー。内川は外されてた。当人、ショックだったんと違いますか?ただ、ショックの方がええんですよ。これから阪神、ペナントレースで横浜と試合せなならんから、内川にはショックをズーッと引きずってて欲しい。そんなセコイ考えでいるというのが大阪の阪神ファン(笑)。
とにかく今日は『かもめ亭』でございまして。何時に終わるか分かりません。お客さん次第です。笑いが少なかったら“はよ終わろ“、演りやすかったら、“もうちょっと行こか!”てなもんで、どうなるか分かりませんが、どうぞ最後までお付き合い戴きますよう、よろしくお願い申し上げます。有難うございます」
これこそが看板の重みで、八方師匠の言葉で、場内の温度がいきなりグッと上がるという、ちょっと体験出来ない「開口一番」。有難うございました。
<春風亭正太郎さん> 子は親に 似るとはいえど 情けなや
次は春風亭正朝師匠門下の前座さん・春風亭正太郎さんが『かもめ亭』初登場。私の知る範囲では、現在の東京の前座さんで噺の一番上手い人だと思います。 高座に座って挨拶をするやいなや、「東京月亭一門会にいきなり春風亭かよ、という感じでございますが、百戦錬磨の八方師匠のご挨拶の後に、東京の前座に何が出来るというんでしょうかね」と軽く笑わせてから、前座修行の話へ。
「師匠に入門して3年経つか経たないかですが、前座には何の生活の保障もありません。先日、確定申告をしましたが還付金でやたら却ってきちゃう有り様です。身分の保証もありません。師匠に“クビだ”と言われたら、それでおしまい。今日ここでお会い出来るのが最初で最後という事もありますんで、名前と顔だけでも覚えて戴きたいと思います。え〜、昔から“小児は白き糸の如し”なんて申しますが・・・」
前座とは思えない達者な入り方で、スッと子供は大人の真似をするというお馴染みのマクラから“親と子は嫌でも似ちゃう遺伝子の恐怖落語”『初天神』へ。
初天神へ出かける親父に、「連れてって」とせがむ息子の金坊。「あれ買ってくれ、これ買ってくれといって、買わないと目で訴えてくるんだよ」と親父は嫌がりますが、泥棒猫が秋刀魚を狙うような目つきの金坊は負けてませんゾ。
「今までのあたいと今日のあたいは違う。お父っつァんと一緒にいるだけで幸せを噛み締める事が出来る」と反論。「それでも駄目なら、糠味噌桶に小便しちゃうぞ」といわれては、親父も連れて行かない訳にはまいりませんね。
連れ立って歩き出してからも、親父が「我侭を言うと川に投げ込む」「薪屋のオジサンに山の奥に連れてって貰う」と何を言っても平気の平左。「これから日本建設に大いに役立とうという僕ら少年が、そんな幼稚な事で恐怖の念を抱くような意志薄弱じゃ仕方ないと思いませんか、お父さん」とイケシャアシャアと反論する辺り、ちょっとモグラっぽい正太郎さんの暢気な容貌とのアンバランスが楽しい!
露店が見え出すと、前言撤回で「なんか買って、なんか買って」を始める金坊。「“今までのあたいと今日のあたいは違う”と言ったじゃねえか」と親父に突っ込まれても、「今日のあたいも昨日のあたいも同じあたいだよ。飴玉一個!高いもの買ってくれ、家買ってって訳じゃないよ、飴玉!飴玉!飴玉!」と、早口で連呼するのは柳家権太楼師匠くらいから始まったギャグですが、正太郎さんもツウツウと舌の回転が快調。
折角買ってもらった飴玉を親父に頭を叩かれた拍子にお腹の中へ落としてしまった金坊。続いて団子に目をつけると、「団子が食べたい・・人殺し!」と親父を脅迫。「覚えてろ、ウチに帰ったら籍抜いちゃうから」と親父が怒る件に漂う、シニカルな可笑しさは正朝師匠譲りですね。「子供なんだから、垂れる蜜団子でなくアンコの団子だ」と言い張る親父に金坊が小さな声で「蜜もアンも値段変わんないじゃん」とボヤくのも実に可笑しうございました。そこから、親子して垂れる蜜を全部舐め取っては、団子屋に「そこの壷に何が入ってんの?蜜?ホントか?開けてみなよ」と訊いては、ポッチャンと蜜壷に団子を入れちゃうまで、所々にキックのある軽快さを発揮してれました。
<月亭八天師匠>
月冴えて 走る男の 息白く

<月亭八天師匠>
続いては、八方師門下の月亭八天師匠が『かもめ亭』初登場(今回の出演者の皆さんは全員初登場ですけど)。まずは「大きな位牌(メクリ)に戒名がぶら下がっておりますので、どうぞ名前と顔とセットで覚えて戴きまして、ご家族に“かもめ亭に月亭八天という男が出てはってん”と仰有って戴きますと、皆さん方のご発展、大発展間違いないという」と口を切られ、そこから泥棒の話へ。
「東京と大阪の気質の違いがハッキリ出るのは、泥棒のニュースをテレビで見た時やそうです。“銀行強盗が3億円盗んだ”というニュースがあると、東京の方は“何て事をするんだ。酷い奴だな”と仰有るそうですが、大阪やと“ウマイ事やりおったな、これ。ワシにもちょっとくれ!”てなもん。損をするのに生き甲斐を見出すのが東京人で、得をするのに生き甲斐を見出すのが大阪人なんですな。泥棒にも色んなタイプがありまして、畑の果物とか盗むと罪が重い。大抵、桃と栗が懲役3年、柿は8年という目安があるそうで」とは、仲々今時ではないマクラ(笑)。さらに説教強盗や“盗みに入った家に証として大便をして帰る泥棒の気持ちを代弁する”というマクラから、“汗をかく割に実入りの少ない仕事はやっぱりあかん落語”『おごろもち盗人』へ。
東京では『もぐら泥』の題名で柳家小三治師匠の十八番。上方では確か、笑福亭系のネタですが、八天師匠は亡くなった桂吉朝師匠から伝えられた噺やそうです。
夜更け近く、月末の勘定をしている小さな商家。勘定がどうしても足りないと悩む亭主に、お内儀さんが「あんたに言うの忘れてたけど、来月、弟の婚礼があるんで足袋を買わしてもろたんやわ。足袋に合わせて襟と腰紐とな、ついでやと思うて帯と着物と・・・相談しようと思ってたんやわ。草履も買うてええ?」と暢気に答えます。
この演出は八天師匠のオリジナルだそうですが、お内儀さんの明るさが、東西共に割と陰気な演出になりがちなこの噺の重さを救っているのは出色出色。
この店に目をつけたのが、敷居の下を掘り、腕を差し込んで掛け金や閂を外して忍び込む「おごろもち(“もぐら”の上方古称)」という古風な泥棒。
所が、掘る位置を間違えて掛け金に手が届かず、土間からニュニュッと出た肘から先を発見されてしまいます。「まァ嫌やの。あんなところから手が生えてるわ!」とお内儀さんが驚くのはこの噺のお決まりですが、何度聞いても楽しい。亭主の「そんな種、何処に売ってんねん。第一、誰が何のために栽培する」というセリフは八天師匠の工夫かな。私は初めて伺いました。
勘定に困っていた商家の亭主は泥棒を捕まえ、警察から賞金を貰おうと、ソーッと近寄り細引きで腕を縛り上げてしまいます。賞金が出れば「草履の分も出る?」と亭主に訊くお内儀さんがまた可愛い(笑)。
一方、しくじったと分かった泥棒は必死の言い訳開始です。「警察に突き出すなんて理不尽な事を。わたい、初めてだんねん。86(歳)になる病気のオカンがありまんねん。薬代欲しさ、貧の盗みの出来心でおます」と情に訴えたり、「そうだ、子分が36人おまんねん!」と低音で凄んだりしますが、亭主に「86のオカン1人養えんのに36人の子分がいてんのんか!」と逆ねじを食らって「そうです」と気弱く笑ったり、「わたい、友達も誰もおれへん、孤独な人生送ってまんねんさかい、大将頼んまっさ、許しとくんなはれ」と弱音を吐いたかと思うと、一転して「お内儀はん、最前言うてはった草履、わたいが買ってあげまっさかい」と、弁茶羅を言ったりする頼りない表情は、ぬらりひょん系容貌の八天師にはピッタリ。
結局、商家の夫婦は泥棒を縛ったまま寝付いてしまいます。深夜の路上に這いつくばって残されたのは泥棒ひとり。そこに犬が来て、小便を掛けられるという災難に遭った後、現れたのは5円の金に困っている通りすがりの男。
泥棒は「背中に蟇口が入っていて、細引きを切るため、中にある小刀を取ってくれ」と男に頼みます。男「蟇口の中には小刀だけが入ってまんの?」→泥棒「金も少々入ってたと思う」→男「いくらくらい?」→泥棒「1円札が5枚、5円くらいあったと思うわ」(落語に出てくる泥棒は何故か割と金持ちが多いんですな)。この金額が泥棒先生の命取り。男は財布を取出すと「あった5円!」と呟き,泥棒が身動き出来ないと分かるや一目散。泥棒「泥棒ォ〜〜〜〜〜」の声が次第に闇の中で小さ〜く、情けな〜くなって行くのがオチですが、その情感、八天師ならではの「おかし哀しの世界」となっておりましたゾ。
<月亭方正(山崎邦正)さん>
物言えば 唇も寒かろ 糠に釘や

<月亭方正(山崎方正)さん>
仲入り後は、月亭方正さんこと山崎邦正さんが落語家として登場。
いきなり大きな声で「面白いですか?ベテランの落語家さんになりますと、出て来て、お客さんのカラーを見て、ネタ変えたりするんですが、ボクは変えません。というか、(ネタが)一本しかないんです(本当は2つあるそうです)。
緊張してるのかどうなのか、どうですか?ボク、(自分では)分かんない。今、“出番です”と言われて高座に出る時、手拭と歯ブラシを持って出ようとしまして・・・こんなんどうでしょうか?(笑)フッと考えたんですが。」とジャブをかまします。
「月亭方正、名前戴いて。凄い事ですよ。そんな凄くないですか?(笑)大阪で『月亭会』が毎月あって、去年の5月にボクも初めて出して貰いました。その打ち上げの二次会で、酔った勢いで言うてしまいましてん。“師匠、スンマセン。月亭、下さい”。周りの空気が変わりましたら、師匠が“ええよ”。ほんと優しい師匠で、皆さんも道端で八方師匠に会うたら“月亭くれ”言うたらくれますよ。マジで。タダやし」と、月亭一門に加わった経緯から楽しく語りだします。
「今日は『阿弥陀池』という古典を演らせてもらうんですが、東京では『新聞記事』という題なんですね。出てくる人が抜け作、今の言葉で言うと“天然”。ボクもどちらかというと“天然”なんですけれど、奥さんが輪をかけて“天然”です。“好きな四字熟語は?”と訊くと“国語辞典”と答える。それくらい“徳の高い方”で・・そのお方と娘2人と沖縄へ行ったんです」と、『阿弥陀池』へは向かわず、沖縄天然道中噺へ。
沖縄で初めて見た「紅芋クッキー」「紅芋サブレ」「紅芋キャンディー」に「凄い!美味しいィ!」とテンション上げ倒して感激していた奥さん。
「帰りに空港のレストランでメニューを見ると、“凄い!パパ、紅茶(べにちゃ)ってあるよ!”(笑)・・・・可愛いでしょ。昔からそんな“天然様”というのはいてたんでしょうけれど」と、仲々巧みな運びで“西の辻の米屋の悲劇的喜劇”『阿弥陀池』へ。
「コンニチワァ!」の最初のひと言から、ちゃんとアホが「アホ声」なのには感心しました。新聞を読んでいた知人のウチを訪ねたアホ、「アッ、いま新聞の下に饅頭隠した。饅頭。饅頭。どうしてそんな事しますのん。饅頭、隠しますのん!」と、けたたましく騒ぎ立てます。その様子に中っ腹の知人、「新聞さえ読んどったら世の中の事がな〜んでも分かるようなっとんねん(新聞に信頼のあった頃の噺ですなァ)。お前みたいなもん、新聞も何も読まへん奴は世の中のこと、なん〜にも知らんのや」。
そういわれるとアホも中っ腹で、「確かに新聞読んでませんけど、大阪中の事、なんでも知ってますねん」と威張ります。知人は益々ムカついて「大阪中の事、何でも知ってるか? 尼寺の和光寺(俗称・阿弥陀池)にこないだ泥棒が入り、尼さんにピストルを突きつけた。すると尼さん、突然、着物の胸元をはだけると乳の下を指し、“誤らしずして、ここを撃て。我が夫・山本大尉は過ぎし日露の戦いで乳の下、心臓を一発の弾丸に撃ち抜かれて名誉の戦死を遂げられた。どうせ死ぬなら、同じ所を撃たれて死にたい。誤らずして、ここを撃て!”」。大阪の演出だと大抵の場合、ここで「泥棒の奴、喜んで乳ねぶった(舐めた)」というギャグが入るのですが、今回は仲々上品でございます。
閑話休題。
「この泥棒が実は山本大尉の部下で、しかも大尉は戦場での命の恩人。“命の恩人の奥様に銃口を向けるとは”と慙愧の念に駆られた泥棒がコメカミに銃を当て自殺しようとするのを尼さんが止めた。“お前も根っからの悪人には見えぬ。誰かに唆されて来たんやろ?”と問うと“阿弥陀が行け(阿弥陀ガ池)と申しました”。どうやァ!こんな話。騙されたやろ。だから、新聞を読めちゅうんや。新聞読んどったら、“そんな事件はなかったです”でしまいやないか」。この辺りの方正さん、知人の締めて聞かせる口調も、かなり堂に入ったものであります。ちょっと芝居の演技っぽいのも特色。
「近所の事なら、何でも知ってる」と、またアホが威張るので今度は、「昨夜、西の辻の米屋に泥棒が入った。手が利いて腕に覚えのある米屋のおやっさんは泥棒を打ち倒して縛ろうとしたが、下から匕首で心臓を刺されて死んでもうた。しかも惨い事におやっさんの首を泥棒はゴリゴリと切り落として糠の桶に放り込んだ。逃げたまま、いまだに捕まらん。こんな話、聞いたか」→アホ「聞かん」→知人「聞かん筈、“糠に首”や」
かくして、2度も騙されたアホ、すっかり頭に来ると、米屋の話で誰かを騙そうと町を歩き回るのですが、「おやっさんが死んだァ!死んだんですかァ!」と大声で嘆く辺りから、リアルなアホなのが何とも奇妙に可笑しい。俳優さんやお笑いの方が落語を演じる時にありがちな、セリフの妙に気取った調子が方正さんは全然しないのですね。強いて言うと、小劇場の役者さんが落語を演じた時と、雰囲気がやや似てます。
知り合いの家に飛び込んで、大きな声で米屋の話を始めたアホ。
「おやっさん強いんや。手が切れて、腕ボロボロ」とか「十三に住んでて柔らかい(柔道を学んでて柔の心得がある)」と間違えまくり(ここの動きがまたオモロイ)、さらに「おやっさん、体をかわした」の「体」を忘れ、西宮や今宮にある奴→恵比寿さん→恵比寿さんの持ってるもの→釣竿→釣竿の先についてるもの→糸→糸の先についてるもの→針→針の先についてるもの→餌→餌に食いついてる赤い魚→鯛(体)で「たいをかわした」となる件を必死に頑張って粘る馬鹿馬鹿しさも実に可笑しかったなァ(因みにこの上方落語史上に名高いギャグは初代桂春團治師匠の創作だそうです)。
「たいをかわす」のおかげて、「帰れ!」と冷たく突き放されたアホ。続けて「こんな話、聞いたか?」とオチをつけようとすると、「今、お前に聞いた」と軽くいなされて退散する羽目に。仕方なく「こういうのは(自分がよく)知ってる奴やないとあかん」と次の相手を探しますが知り合いが見当たらず、どんどん遠くへ行ってしまい、「ワシ、友達少ないなァ」とボヤくのも大笑い。
やっと知り合いを見つけたものの、西の辻に米屋は無いは、「米屋は裏にあるけれどおやっさんは中気で3年寝たきりだから泥棒と戦うのは無理(“3年寝たきりなのに子供が2歳”ってのも上方落語らしいギャグ)」と言われてアホが「エッ?」とボヤく。この呟きがまたちゃんと落語のボケになっておりますのが結構結構。
米屋に威勢の良い若い衆はいるというので、その若い衆が殺されたと話をしたら、今度は知り合いが大慌て! 何と、若い衆は知り合いの嫁ハンの弟!と聞かされ、「スイマセン、スイマセン。嘘なんです。今日、こんな事言うて町内回ってますねん」の情けなさそうな調子がまた山崎邦正さんらしい(笑)。「お前の知恵ちゃうな、誰が行けっちゅうた」「阿弥陀が行けと言うた」のサゲまで大熱演で堪能させて戴きました。
<月亭八方師匠>
河原に淡き影一つ あれ見やしゃんせ 人斬りの 遠く消えゆく京の夏
本日の主任は御大・八方師匠が再び登場。
「あと一席で皆様、自由になれます。何をさして貰おうかなと思っていたんですが、上方落語に『大丸屋騒動』というのがございまして、これを一席聞いて戴きたいと思いますが、実は夏の噺で、みんなが高座から楽屋に戻ってくるなり、ライトが暑い暑い、言うてましたんで・・・」と、“白昼の通り魔さえも雅どすえ落語”『大丸屋騒動』へ。
まずは話の前段を軽く説明。京都伏見の大商人・大丸屋惣右衛門の次男坊・惣三郎が貸した金の抵当に、江戸時代“妖刀”と呼ばれた魔性の刀・村正を手に入れます。この惣三郎が祇園の芸妓・お時と深い馴染みとなり、「嫁にしたい」と通い詰めての放蕩三昧。「芸妓を大家の嫁に出来るか」と親も親戚も大反対。そこで兄・惣兵衛が仲に入り、お時を妓籍から退かせると、祇園近くの富永町に家を構え、女中のお松をつけて花嫁修行をさせます。「折を見て親も納得させるから。ただ、世間の目があるさかい、暫く2人は会わんように辛抱せい」と惣三郎・お時にも承知させると、惣三郎にも見張り役の番頭・喜助をつけ、「出養生」の名目で三条の別宅暮らしをさせます。
そして半年、そろそろ惣三郎の「お時恋しや」の思いが募った頃から、本格的に噺の幕が開きます。
この『大丸屋騒動』は、明治後期から大正にかけて京都で活躍した初代桂枝太郎の十八番。余りにも優れた名人芸だったため誰も継承出来ず、一度は滅んだ幻の名作。上方では昭和も40年代になって、先代森乃福郎師匠、先日亡くなった露乃五郎兵衛師匠、亡くなった五代目桂文枝師匠が演じられましたが、福郎師・文枝師はほぼ試演程度。東京では先代小文治師匠が何度か演じられたほか、どういう経路か、先代金原亭馬生師匠に伝わり、『村正』の演題で演じられていました。私は先代福郎師・五郎兵衛はテープで伺ったきりで、生で聞いた事があるのは先代馬生師だけです。
人情噺に近いネタで、先代福郎師、五郎兵衛師、五代目桂文枝師、皆さんそれに従った演出でしたが、八方師は「芸妓を大家の嫁に出来るか」と親も親戚も反対、という件で、
「ウチの娘が嫁に行く時、選んだ相手が東京の人。“何をさらすねん。アカン!そんなの巨人ファンに違いない。代々、阪神タイガースを支援する我が寺脇家(八方師の本姓)の先祖に対して申し訳がない”と反対すると、娘が“色々、聴いたけれど野球知らん。野球という灸は何処にすえるのや、とか言ってる”というから、“そりゃ騙されてる。環境は恐ろしい。東京で生まれたら巨人ファン、大阪で生まれたら阪神ファン、岐阜で生まれたら西濃運輸”」といったギャグを入れ、あくまでも“妖刀変化がもたらした怪異落語”として演じようとされている雰囲気でした。事実、「面白い」という意味では、これまで伺った『大丸屋騒動』の中で、一番面白かったですもん。
夏のある午後。惣三郎は縁側越しに見える東山辺りを「箱枕をした、お時の寝姿に似ているなァ」とボーッと眺めながら柳影で一杯。ここで番頭の喜助が、法輪寺・大日山・南禅寺・粟田口・知恩院・真屑ケ原・二軒茶屋・八坂神社・清水観音と、遠く見える京の名所を次々と挙げます。一方、ハメモノで入る「京の四季」に連れ、惣三郎が一人、お時の舞う姿を真似るように座ったまま舞を舞う、という趣向立ては、京の夏の雰囲気を醸し出す結構なものでした。特に、惣三郎の座り踊りは八方師匠のオリジナル演出だそうです。また、この『大丸屋騒動』のため、今回は下座の三味線に落語協会の松尾あささん、鳴り物には笑福亭松福さんが加わっています。
お時への思いを益々募らせた惣三郎。掌を合わせて「行きたいな」という仕科はちょっと『恋飛脚大和往来』の忠兵衛で、上方の味わいどす。一方、喜助は惣三郎から目が離せぬため、手水(トイレです)を何日も我慢しているという可笑し味あり。
喜助が厠へ入った隙を狙い、お時の所へ抜け出そうとした惣三郎を止めようと、「若旦那、何処へ行きはりますねん!」と喜助が出て来て、「これからっちゅう時に、グッと中に押し込んで」と言う辺りの可笑しさは、上方落語らしい下ネタ(笑)ですが、後半の惨劇との対比として悪い演出ではありませんね。
惣三郎は結局、鴨川に向いた側に設えた床(京独特の涼み台)から河原へ飛び降り、そのまま川沿い伝いに三条橋付近で雪駄を履くと東へ向かい、縄手から富永町へ。ここに入る「盛り塩が膝を崩して夜が更ける」の一句も上手い描写です(ここで夜を現す銅鑼が鳴り、“コンコンチキチ”と祭囃子も入るのはゾクゾクするほどステキ!)。
その際、「待て!」と喜助が出てきたら、「これで斬るで」と脅かすつもりで床の間に飾ってあった妖刀村正を腰に差したのが、惣三郎の運定めとなります。
富永町、お時の暮らす家へ着いた惣三郎を、まず女中のお松が「お時は留守」と言って追い返そうとします。惣三郎「留守って、お時の下駄があるやないか」→お松「お時姐さん、最近外へ出る時はムズーッと裸足で」→惣三郎「アベベやないねん」→お松「何ですアベベって?」→惣三郎「思いつきで言うただけや」という遣り取りには大笑い。
惣三郎が大声を上げるので、ツッと奥から出てきたお時も、伏見の惣兵衛に義理立てして三条へ返そうとします。このお時のちょっと硬い表情は、『線香の立切れ』の小糸の初心さとはまた違う、名妓らしい意気地を感じさせられましたね。
また、ここの惣三郎とお時の遣り取りも上方らしい味がありますねん。惣三郎「ちょっと一本だけつけて」→お時「女2人所帯。お酒おまへん」→惣三郎「腹減った。ぶぶ漬け一杯」→お時「今の時期、炊いても足が速いさかい、ご飯おまへん(夏ならではのセリフですな)」→惣三郎「ぶぶでも貰おか」→お時「ぶぶ断ちしてます」→惣三郎「水一杯」→お時「井戸の水涸れました」。特に「ぶぶ断ち」が素晴らしい。
その後、「家に上げられないのは男が出来たからやろ」と因縁つけた惣三郎が、「男がおんのやったら帰ってやるがな!」と、つい言ってしまう若さ。お時が「出来ました。どうぞお帰りあそばせ」と返す遣り取りも、上方世話物らしい味わい・コクがあります。
結句、惣三郎は「お前を斬るで」と言ってから、「好きな方に斬られたら本望です」というお時を、「切ったるわい」と、鞘ごと打って驚かそうとしますか、そこが妖刀村正。鞘が割れて、本身がお時の肩先からズバッ。「これが歌舞伎ですと、グッと回転して、丸で荒川静香並のイナバウアーのように仰け反って(客席爆笑)、重たい鬘で海老反りになる所でございます。斬る方は中村勘三郎、斬られる方は坂東玉三郎、思わず大向こうから“大和屋!”と声が掛かりますが、その代わり、1万5000円は取られます。落語はそうは行きません。体の堅いオッサンが“グワーッ”言いますからな。その代わり、ウン千円。どうぞご辛抱戴きたいと思います」とは、これも、後半が惨殺に次ぐ惨殺になる噺の展開を軽くする入れ事で大変に結構。
お時を斬ってしまった事に気づいて驚く惣三郎。顔を出したお松も一太刀で。さらに、惣三郎は三条から慌てて駆けつけた喜助も「寄ったらあかん」と言いながら、斬り捨てると、そのまま街中へ。殺すというより妖刀が勝手に動いて人を斬る。さながら「平三は殺さぬ。手ばかり動く」です。通りを行き交う人々をなで斬りにしながら、刀に操られるように真屑ケ原から二軒茶屋へ。
二軒茶屋では芸妓が総踊りの稽古の真っ最中。その中に血刀を下げた惣三郎がフラフラと入り込み、踊る芸妓を次々と斬り倒します。山村流の奥義を極めた舞の名手だった初代・枝郎師は、芸妓の舞・妖刀の斬る動き・不意に倒れる芸妓・惣三郎の無常なる立ち姿と、この件で回り灯籠のように変わる妙技を発揮したそうですが、八方師の場合は村正に操られる惣三郎の哀れ、妖刀の怪異を中心に描いている雰囲気でしたね。
遂に所司代・奉行所の双方から捕り手が出たものの、妖刀相手では遠巻きにするばかり(ここにもちょっと息抜きのギャグあり)。そこへ通りかかったのが伏見の兄・惣兵衛。黒山の人だかりの向こうに見える惣三郎に、思わず人垣を掻き分けた惣兵衛が「寄ったら斬る」という惣三郎の言葉通り、滅多斬りにされながら、後ろから羽交い絞めに弟を押さえつけ、惣三郎はやっと召し取られます。
役人「その方は斬っても突いても血が出んとは何者じゃ」→惣兵衛「私は斬っても斬れん、不死身(伏見)の兄でございます」のサゲまで、妖刀の怪異は付きまとっている雰囲気なのが、ある意味、ゾワッとする面白さでございましたよ。
という訳で、第28回『浜松町かもめ亭〜東京・月亭一門会』。似たもの親子のおかしな参詣『初天神』に始まり、冬の街路に吐く息の白さを感じさせる泥棒の失敗談『おごろもち盗人』。アホが大阪の街で汗をかきながら人を騙そうとして失敗する『阿弥陀池』。夏の京の趣を背景に、若旦那の恋路の失敗が惨劇を生む『大丸屋騒動』と、上方落語らしい、街々の色彩を感じさせる世界でお楽しみ戴けた次第・・・・・という訳で、次回、4月のかもめ亭も、御多数ご来場あらん事を。
高座講釈:石井徹也(放送作家)
※八天師匠の演じられました『おごろもち盗人』の演目継承につきまして、公演後、八天師匠ご自身から「桂吉朝師匠に教わりました」と伺っていながら、訂正前の文章で「八天師匠も笑福亭松喬師匠から伝えられた噺やそうです」と、完全に勘違いの文章を書いてしまいました。結果として、八天師匠をはじめ、多くの方々にご迷惑をお掛け致しました。ここに心底よりお詫びすると共に、訂正を申し上げます。石井徹也
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