
第29回かもめ亭レポート
文化放送主催の『浜松町かもめ亭』第29回公演が4月24日(金)、おりからの雨模様で足元のお悪い中、文化放送12階にある「メディアプラスホール」で開かれました。
今回の番組は「柳家の会」と銘打ち、五代目小さん師匠のお弟子さんの中でも、ベテランの御三方に集まって戴いての一門会です。その内容は・・・
『家見舞』 立川こはる
『女天下』 柳家小袁治
『猫の災難』 柳家小満ん
仲入り
『抜け雀』 柳家さん喬
という出演順。
<立川こはる>瓶一つ 何やらに似る水の味
まずは『浜松町かもめ亭』のアイドル(笑)、立川談春師匠門下の前座さん・こはるさんが登場。いきなり、「ひゃままつちょうかもめ亭」と、噛んじゃいましたけれど(笑)、「本日は“柳家の会”と銘打っておりまして、まぁ、立川も柳家の端っこの葉っぱくらいにはいられるのかなと思いますんで、宜しくお願い致します」と、カワユク口を切ると、「義理と褌は欠かした事がない」「借金を質に置いても、世話になった人のためにはひと肌脱ごう」ってェ江戸っ子の料簡を描いた小噺を一つ、二つと続けてから“水清くして魚住まずとは偽り。鯉がいるゾ落語”『家見舞』へ。『肥瓶』の題名を使う事も多いネタですが、今回のテーマ“柳家の会”に相応しく、五代目小さん師匠も割とよく演じていらっしゃいました。但し、前座さんが演じるのは稀デス。
兄ィが新たに家を持ったと聞いた能天気な2人組。お祝いに何かを贈ろうと「兄ィのとこにある品と重なっちゃ無駄になるから、まず兄ィの家へ何が要りようか訊きに行こう」と出掛けます。兄ィの家に着いた2人、部屋の中を見渡して「ここは八畳敷きですか?六畳?六畳が何にもなくて広い」と妙な感心をするのが能天気らしいとこ。贈り物をしようにも、総桐の箪笥、茶箪笥などは高くて手が出ません。しまいには「箒でもはたきでも」と段々品物も下落。挙句、台所に水瓶が無く、バケツに水を汲んであるのを発見。「水瓶なら何とかなる」と道具屋へ。備前焼で4円の手頃な水瓶をめっけたものの、いざ支払いとなると1人は懐にたった1銭だけ。もう1人はカラッケツという情けなさ。ここでは「ちょいとまけてくんないかな」と2人に言われた瀬戸物屋主人の「あ、そう。幾らにすんの?」という無愛想セリフが妙に良かったデス。この辺り、一般的な『肥瓶』よりかなり演出が丁寧。後で伺えば、立川龍志師匠に稽古して戴いたとのこと。
「1銭にまけて」と無茶を言って道具屋を追い出された2人。通りかかった別の道具屋の軒先に、変わった形の瓶が転がっている。訊ねると、「あの瓶?気に入ったの?ただでいいよ」と聞いて2人は大喜び。道具屋主人の「水瓶にはならないよ」という言葉に1人が「どうして?」と問い返す軽い呼吸も結構でした。この瓶、実は近所で家が取り壊された時、掘り出してきた「肥瓶」。「水瓶にはなんかすんじゃないよ!」と叫ぶ道具屋主人を尻目に、2人は肥瓶を差し担いにして走り出しますが、風を切ると異様な匂いが後棒の鼻をくすぐります! 後棒「ちょいと変わってくんねえかな!」→先棒「どしたの?」の調子も軽くて良かった!臭気止めのため、兄ィの家へ瓶を運び込むと、直ぐ後棒に水を張らせておいて、先棒「奴ね、水張るの大好きなんです」も可笑しい!
指先に付着していた異様な匂いを銭湯で落とし、三度、兄ィの家に戻った2人を待っていたのは酒に冷奴の振る舞い。先棒が「冷たくて美味いもんですねェ」と冷奴をムシャムシャ食べると、隣の後棒が変な顔をしています。「豆腐を冷やしてある水は何処の水!?」。すると兄ィ曰く、「おめえたちの汲んでくれた瓶の水だ」。こう訊いてはとても食べちゃいらんない。「あっしら、奴、断ちました」と誤魔化すと、続けてホウレン草のお浸し、覚弥の香の物と、水に潜らす物ばかり勧められてアタフタ。「焼き海苔で飯でも食って行け」と兄ィに言われたのを幸い、「酒はいけません、酒は体に毒です」と言い出したのには笑いましたゾ。「焼き海苔は泳ぎませんからね」も珍妙ですが、そう言って先棒が焼き海苔に温かいおまんまで一杯平らげ、お代わりをすると、またも後棒が妙な顔。「おまんま、湯気立ってるだろ。何処の水で炊いた?」に、兄ィ平然と「おめえたちの汲んでくれた瓶の水だ!」。かくして、「鮒には及ばねェ、今まで肥(鯉)が入っていた」とオチのつくまで、スイスイと御座を固めてくれました。
<柳家小袁治師匠> 日ノ本は岩戸神楽の昔より 嬶天下で夜の更ける国

<柳家小袁治師匠>
続いては、袁世凱の「袁」という難しい字を描く、神田生まれの江戸っ子・柳家小袁治師匠が昨年の「柳家の会」に続いての『浜松町かもめ亭』登場。
まずは伊勢参りで2度続けて偶然出会った観光バスのガイドさんから、「“伊勢神宮って、天照大神が主だから、女連れでお参りにくると、神様が焼餅を焼いて破談になるの”と聞きましたが、何年後でしたか、陣内智則さんと藤原紀香さんが婚約した時、“何処でプロポーズしたんですか?”とテレビのレポーターに訊かれて、“伊勢神宮です”と陣内さんが答えてたので“??”と思ったら案の定・・」という話を展開。さらに楽屋で「“うちの神さん”と言ってたら、亡くなった林家彦六師匠に“馬鹿野郎、ウヌが女房ォを神さんてェトンチキがあるけェ。嬶ァとか愚妻と言わなきゃダメでィ”と叱られて、それに従っていたら、これも亡くなった志ん朝師匠が“愚妻ってのも考えもんだぞ。後で神さんに、何べん言えば気が済むのよ!って怒られちゃった”」と諭された美談(笑)を経まして“我侭は女の罪、それを許さないのは男の罪落語”『女天下』へ。
明治時代の粋人・益田太郎冠者が作った新作です。小袁治師匠は寄席の高座でも時々喋っていらっしゃいますが、その以前は先代蝶花楼馬楽師匠がごく稀に演じていたくらい。かなり珍しい噺ですゾ。
魚屋の金太は親方の家の居候上がり。親方の娘を嫁さんに貰った、いわば「マスオさん」。この女房が金太を虐げる事甚だしい“鬼嫁”で、自分は一日中、ウチにいても煙草を吸うくらいしかせず、退屈の虫を決め込んでるくせに、仕事から帰って稼ぎを出した金太を「一日にたった3円20銭かい。“貯金が出来る”って、いったい誰のおかげで貯金が出来るんだい!お父ッつァんが仕事を仕込んでくれたからじゃないか!元はウチの居候の癖に!あたしを養うのがそんなに嫌なのかい!」と罵った上、煙管で金太の額をぶち割る、ドメスティック・バイオレンス女房。
困った金太は近所に住む金縁眼鏡の銀行員(明治風俗ですねェ)・山田さんから女房に意見をして貰おうと鬼嫁の煙管を逃れて外へ出ますが・・・この山田さんも苦学生上がりで、学資を出して貰った恩人の娘を娶り、銀行への就職も恩人に世話して貰った「マスオさん2号」。柳橋の料亭での宴会から帰った途端、「誰のお陰で男の付き合いが出来ると思っているんです!苦学生上がりの分際で、私の事を馬鹿にして!」と夫人に強烈なヒステリーを起こされ、畳に頭を摩りつけると「大恐縮」と誤ってる気毒な人。また、この女房に全く頭の上がらない金太と山田さんの情けなさが、小袁治師匠だと妙にリアルでしてね、ソクソクと可笑しいのでありマスよ(笑)。
山田家の悲惨さを見た金太に「お察し申し上げます」と涙声で慰められた山田さん、金太を誘い、「同病、相憐れむ」と近所の老学者・根津道灌先生に女房共を諌めて貰おうと向かいます。2人からの涙の訴えを聞いた根津先生、「山田君!金太!君たちはそれでも日本人ですか!実に情けない。古来、我が日本は男尊女卑の世の中、男に権利はあっても女共に些かも権利はない筈だァ!男女同権などと、女共の鼻息が荒いようであるが笑止千万。僕なれば、そのような不埒な女は一刀両断!」と怪気炎を上げます。この根津先生の大仰なカリカチュアもマンガチックでバカバカしくて楽しい!
所が、そこへ奥様がお帰りになると根津先生は態度豹変。「昔は男尊女卑などと申したが、これは真に無礼であるな。女は慈しまねば」と言い出します。そこに現れた奥様、実は根津先生の怪気炎を隠れて聞いてたとかで、「山田さん、大恩ある方のお嬢さまを泣かすような事をしてはいけません。金太!おまえ、去年馬鹿だと思ったら、今年も馬鹿なんだから。帰ってきたら、奥さんの前に三つ指を付いて挨拶しないと罰が当たるよ・・」、最後に根津道灌先生を「あなた、近頃、お仕置きをしないものですから大分逆上せているようですね!ハゲ頭にお灸を据えましょうか!」と叱りつけますから、根津先生はひたすら平身低頭。奥様は「私はこれからお風呂に入りますから、貴方は早く襷がけで三助をしにいらっしゃい!」と言い捨てて去ってしまいます。この後、銀座通りのガス灯が電気になったという話があり、「嬶ァ天下(電化)の世の中だ」と、小袁治師匠独特のオチが付く事になります。この噺、小袁治師から何度か伺っておりますが、本日がこれまでで一番の馬鹿受けでありました。
<柳家小満ん師匠>
春うらら 酒の香りに惑うてか 猫も昼寝の長屋かな

<柳家小満ん師匠>
仲入り前は『青海波』の出囃子に乗って、東京落語界屈指の洒脱な芸風で知られる柳家小満ん師匠が『浜松町かもめ亭』に久々の登場。
「すっかり初夏の気分でございまして。“考えて飲み始めたる一合の、二合の酒の夏の夕暮れ”。蜀山人の作った“飲酒条例”ってのがあるそうで、曰く、“肴あれば飲むべし”。初鰹、走りの空豆なんてェと飲みたくなる。“節句・祝儀には飲むべし”。“珍客あれば飲むべし”。“月雪花の興には飲むべし”。もう一つ、“二日酔いには飲むべし”。結局、のべつ飲んでいる訳で」と、軽〜くマクラを振ると“酒飲みの夢はかくありたいもの落語”『猫の災難』へ。
これまた五代目小さん師の超十八番。他の追随を許さぬ高座が目に浮かびます・・・ただ、小満ん師は最近、酒を止められたと伺ったのですけれど????
長屋の熊さん、今日は久しぶりに仕事が休み。起きたてに銭湯へ行ってサッパリした所で「一杯飲みてェ」と唸っていますが銭が無い。すると、そこへ隣のお内儀さんが鯛の頭と尻尾を持って現れます。隣の猫が病気で見舞いに鯛を貰い、残った頭と尻尾を捨てる所と聞いて熊さん、鯛の頭と尻尾を貰い受けます。笊を掛けてみると頭と尻尾がはみ出すほど、偉大なる大きさの鯛(この噺で昔から不思議なのは、猫の見舞いに鯛を贈られる長屋って、どういう長屋なんだ?って事)。
そこへやってきたのが運の悪い友達。「オレも休みだから、2人っきりで一杯やらねェか」と誘いに来たのですが、この友達が笊を被せられた鯛を見て勘違い。「あの鯛で一杯ェやろうじゃねェか。三枚に卸して、片身、刺身にして、片身は塩焼きとか色々やって楽しんでみようじゃねえか!その代わり、酒はオレが買うからよ。五合もありゃいいだろう」と、粗忽にも、酒を買いに表へ出てしまいます。
残った熊さん、鯛の頭を前にボンヤリ。何たって頭と尻尾だけですもん。この大いなる嘘を誤魔化そうと、「猫にゃ気の毒だけど、隣の猫に三枚に卸した鯛を盗まれた!」って言い訳を考えつきます。そこへ五合の酒を買ってきた運の悪い友達に「隣の猫が鯛を咥えて逃げようとするから、俺は思わず“モシモシ”」&「猫なんて図々しいもので、残った片身を爪に引っ掛けてヒョイと脇の下に挟んで・・」と、トンチンカンな言い訳をする件がいわば最初の聞かせ所。小さん師は絶妙の間で熊さんのボケを表しましたが、小満ん師はフワフワと軽〜く熊さんのボケぶりを描きます。
友達が「どうしても鯛を肴にしねェってェと気が納まらねェ」と、今度は鯛を買いに出てしまった後、残されたのは五合の酒と熊さん1人。「あいつ、どんな酒ェ買ってきたんだろう」と、まず大きな湯飲みで一杯。「飲みてェ飲みてェと思ってたところだから堪らねェ。良すぎる酒は後を引いちゃうんだ」と呟きながら、如何にも“美味しい口”で飲み干します。「もう半てれっつくらい良いだろ。彼奴は一合上戸なんだから」と湯飲みに注ぎますが、ついなみなみと入れてしまい、「半分のつもりが一杯になっちゃった」とニッコリするのが妙趣でありマス。
「冷に限るんだ良い酒は。いいんだよ肴なんぞ。あいつはムシャムシャ食いながら飲もうってんだから、賎しいんだよ」と、2杯目も空っぽにすると、さらに「あいつが直ぐ飲めるように、燗をつけといてやろう」と燗徳利に酒を移し始めますが、余所見した途端、酒を零してしまい、畳に口を付けて吸い上げると、その後、燗徳利の口から溢れた酒も全部吸い上げて、「全く良い酒だな」と独り言ちる可笑しさが実に嬉しい!挙句、「もうこれっぱかりしか残ってないのかい。あそこの酒屋は量りが悪いなァ」とボヤく姿も春うららですなァ。
とはいえ、さすがの熊さんも、「こりゃなんか誤魔化さなきゃいけないな」と知恵を絞り始めますが、酔った頭で考え出せるのは「やっぱり隣の猫のせいにしよう」という程度の考え。そう決めると酔いも加わって度胸が据わり、最後に残った一合も「これっぱかり残しといても仕方ない」と飲み干すと「いい休みだったなァ、今日はなァ」と、運の悪い友達の事なんぞ、すっかり忘れていい気分。ホントに良い休みだ!
「湯上りの観音様」と仇名された四代目小さん師匠に似てる小満ん師だけに、この場面も「観音様が酔うとこんな感じかしらん?」とでも申したいウットリ感あり。「呑むと世の中がパーッと明るくなるよ。素っ裸になりたくなった(SMAPの草g剛の泥酔事件の直ぐ後ゆえ客席大爆笑)」ってセリフそのまま、春風駘蕩たる味わいが何ともステキで、こういう長屋に住みたくなりますね。
さらに「歌は聞き真似、踊りは見真似、浮気っぽいのは親譲り」と、独特の歌などを囁いた後、「浮かれてる場合じゃない」と向こう鉢巻をして出刃包丁を持ち、一応は猫を追う形になります。ここで「早く帰って来ねェかなァ。オレの(魚屋)宗五郎みてェな形を見せてやりてェ。待つ者の身になれよ」とボヤクのも、真に粋で洒脱で大結構。そのまま、「トーントン、唐辛子の粉、ヒリリと辛いは山椒の粉、匂いの良いのは紫蘇の葉」と粋に歌ってるうち、グーグーと寝ついてしまいます。
やっと帰ってきた運の悪い友達に起こされると、「猫が“顔肉が美味いてェ事を伺って参りました”と、入ってきたので追いかけたら、酒瓶を蹴飛ばされ、酒が全部零れた」と言い訳をしながら欠伸をしちゃったり、「おめェ、酔ってるじゃねェか」と友達に突っ込まれると「畳に零れた酒を吸ったの。酒は飲むより吸う方が酔うな」とトボけながら隣の猫に罪をなすり付け、オチに向かいます。終始、酒飲みの厭らしさなど微塵も感じさせず、長閑な長屋風景が目に浮かぶ、真に後口の良い高座でございました。
<柳家さん喬師匠>
名人の筆に止まりし雀の子 見れば愛しや目に涙

<柳家さん喬師匠>
本日の主任は、「三日月の頃より待ちし今宵かな」と、待ちに待った柳家さん喬師匠が『浜松町かもめ亭』初登場。
「何となく、夏が近づいて来たなァという陽気が感じられるようになりまして、こないだ郊外へ行きますと、鯉幟の棹が立っていて、矢車が風に舞ってカラカラと音を立てていました。東京で探してみましたが、鯉幟が何処にもありません。東京には夢も希望もない(客席爆笑)。でもベランダに可愛らしい鯉幟が飾ってありました。それを見て、“きっとあの家には夢や希望があるなァ”と思いながらブラブラと街を歩く、そんな陽気で・・“だから何なんだ”」と、さん喬師十八番の季節感溢れる、それでいて最後にちょっと突き放す、独特のマクラで客席をご自分のペースに巻き込みます。
「交通公社へ行きますと、もう夏とか、どうかすると秋に近いパンフレットで、何となく気忙しいなァと思いますですね。旅といえば、手前の師匠、小さん師匠と2人きりで旅をした事があります。直弟子だけで30人近くおりますから、弟子が師匠を独り占めに出来る事はそうある事ではありません。でも、ウチの師匠は何処にいても変わらない。有難味が無いというか、“この土地で一番のホテルです”と言われても“そうすか”。最高のもてなしを受けて、“このお料理、美味しうございましょう”と言われても、“目白の駅前のトンカツの方が美味ェな”ってな具合で飾り気がない。また、旅先の駅前での待ち時間、“きっちゃてんでコーヒー飲んで、時間繋ぎをしよう”と駅前の喫茶店に入ったのに、注文して出てきたコーヒーをズーッと(ひと息で)啜ると、“出るぞ!”って(笑)、そんなセッカチな所もございました」、先代小さん師の思い出をそう温顔で語られるのは、如何にも「柳家の会」らしく、嬉しいお土産でございましたね。
「この頃は旅も乗り物に追っかけられてますね。乗り物は便利になりましたですねェ。私も1日の間に札幌→羽田→那覇と移動した事があります。その点、昔のように、歩いて旅をしますと足元を見るようです。あるお坊さんが“歩いている人は道に迷わない。車に乗る人は必ず道に迷う”。信号を見るより、道端の可愛らしい花に目の行く方が大切なのかなァと思ったりも致します。今日はどうかしてます、あたし」と、あちたりこちたりしながら、“一文無しで旅するは自信の現れなのかな?落語”『抜け雀』へ。五代目古今亭志ん生師匠の十八番で、子息である先代金原亭馬生師匠、古今亭志ん朝師匠も得意にされていたのは皆さんご存知の通り。さん喬師も寄席の仲入りの出番などでは、一時期よく演じられていました。但し、それは中身を15分にまとめてある寄席ヴァージョン。本日は30分の落語会ヴァージョン。演出が全く違います。さん喬師は『幾代餅』『ねずみ』など、15分〜20分のショート・ヴァージョンと、落語会や寄席の主任用の30分ヴァージョンで、全く演出の異なるネタを幾つかお持ちですけれど、『抜け雀』もそのひとつのようです。
相州小田原の貧しい宿屋に、月代伸ばし放題、風采の汚らしい侍が泊まってから1週間目。朝昼晩と日に3升の酒を飲むだけで、後はひたすら部屋にゴロゴロ。流石に宿のお内儀さんが怪しんで、少しボヤッとした亭主を取り敢えず酒代5両の催促に向かわせます。侍は矢鱈と明るく、「主か、こっちィ入れ!酒は持ってきたか?」と元気溌剌。亭主が酒代を催促すると「大きい方が良いか、小さい方が良いか」と言い放ちます。ここで亭主が「そら見ろ!」とばかりに、階下の内儀さんをチラと見る演出は初めて拝見しましたけど、仲々面白いでかねェ。ところが侍、「大中小とない。ハッハッハッハッ。無いよ」と一文無しを公言して平気の平左。亭主が「一文無しィ!」と怒り出しても、「一文無しと言ったら泊めたか?」と至って暢気なもの。また、亭主が「あの野郎、何でオレが大きい声に弱いってを知ってんだ」とボヤいたのは大笑いでした。
そのうち、侍は狩野派の絵師と自らの正体を明かし、「宿代の代りに絵を描く。紙を持ってこい。そう見くびったもんではない。紙を持って来い」と言いながら、これまた一文無しの経師屋が作り残していったまっさらな衝立に目を止めます。
主に墨を磨らせておいて、「ワシが絵を描く。お前が墨を磨る。それが道理だ」と、全く屈託なく、意気軒昂なる姿勢がピシッと締まっていて、如何にも侍っぽいのは、剣道を学ばれたさん喬師ならではでしょうか。
愈々、衝立に絵を描きますが、ここで筆巻きから筆を丁寧に取り出す演出も初めて拝見。如何にも絵師らしい雰囲気があって感心致しました(これは後に老武士=侍の父親の絵師もします)。また、絵を描き終えた絵師が、自分の方を向いていた衝立の上を持ってスッと反転させ、宿の亭主に絵を見せる動きも、満足の行く作品を描いた爽快感が溢れていてステキな演出でありましたね。5羽の雀を「1羽1両、5羽で5両だ」と言い残した絵師は「また必ず戻ってきて金は払う。それまで類焼は致し方ないが、売却は一切あいならんぞ。ゴメン!」と言い捨てるようにして旅に出ます。それを見送った亭主が「有難うございます・・・一文無しに礼言っちゃったよ」と嘆くのも、可笑しさだけでなく亭主のホンワカした人柄が出ている出色のくすぐりでした。
宿の亭主(この夫婦、何故か昔から名前が有りません)は、一文無しを泊めたと分かって、お内儀さんに叱られ意気消沈。お内儀さんも不貞寝をしてしまいます。翌朝、亭主が一文無しのいた部屋の雨戸を明けると朝日がサーッと差し込み、途端に5羽の雀が部屋から飛び出すと向かいの屋根で餌を啄ばみ始めます。ここで手の平を横に動かし、5羽の雀の飛翔を視覚的に表現する面白い演出も私は初めて拝見しました。雀が5羽いることを怪訝に思った亭主が、横目で真っ白になった衝立を無言で見て驚く!?この自然な流れにも「巧いなァ」と思わず感心デス。
何と、衝立の雀が抜け出していた!しかし、これを亭主が報告してもお内儀さんはからっきし信用してくれません。仕方なく亭主は宿場仲間の腕を掻い込むように連れてきて、この奇跡を見せます。途端にこの噂が東海道中に広がり、貧しい宿屋は一躍大繁盛。小田原の御城主・大久保加賀守様が衝立をご覧になり、「千両」の値を付けますが、宿の亭主は「必ず戻ってくる。それまで類焼は致し方ないが、売却はならんぞ」という絵師の言葉を守ります。従来通りの演出ではありますが、実は終盤の感情の大きな複線になっている辺りが、さん喬師らしい配慮でしょうか!
数日後、老武士が供を1人連れて宿を訪れます。「老武士が供を連れている」設定も私は初めて。明らかに、その方が老武士の雰囲気が目に浮かびますねェ。この、枯淡を感じさせる老武士が、他の雀見物の客が全て立ち去った後の部屋に1人残るのも行き届いた演出です。今回のさん喬師の『抜け雀』は兎に角「目から鱗」の連続でした。
「この絵には抜かりがある。言わば生きている雀だ。その生きている雀に休む所が描いてない。枝ひとつ、止まり木ひとつ無くては、いずれ疲れて落ちて死ぬぞ。ワシが止まり木を描いてやろう」と静かに語る老武士。誰もいない部屋で亭主だけを相手に語るのが特に良いですねェ。普通の演出だと回りに多くの泊まり客がいますが、「絵師の抜かり」を人前で語らぬ所に、老武士の人となりが出ますもん。また、「疲れて落ちて死ぬぞ」の淡い調子と、「あの者なら、このくらいの絵は描くであろう。ハッハッハッ」と笑う声の静かさ。この二つの良さは今も私の耳朶に残っております。
若い侍と同様、老武士は筆巻きから筆を取り出し、見事、衝立に籠を描きます。さん喬師の仕科の綺麗さには昔から定評がありますが、籠の中に描かれた止まり木に向かいの屋根から戻った雀がピタッと止まる動きを、上半身でキッチリ見せた演出も出色です。かくして、再度、ご覧になられた大久保加賀守様から「二千両」の声が掛かりますが、宿の亭主はあくまでも絵師の言葉を守り続けるのですよ。
数日後、現れたのが、見違えるように立派な姿になった最初の絵師。さん喬師の作品だと『妾馬』で羽織袴姿になった八五郎に明るい雰囲気が似てます。絵師「ワシだワシだ」→宿の亭主「鷲田さんですか?」ってギャグには吹っ飛びましたけれど、その後が凄〜いなんてもんじゃなかった!!
「御城主様が雀に千両の値をお付けになりました」と亭主が言い、絵師が「売ったか?」と訊く遣り取りの後、宿の亭主がこう言ったんですもの。「だって貴方、“戻って来る”って、そう仰有ったじゃありませんか(微笑)」。このセリフを聞いた瞬間、私、我知らず涙が出ました。絵師もしばし無言でしたが、この亭主の人柄に私は心底惚れましたね。また、腹で泣いた笑顔を見せながら、「あの絵、お前にやるよ」と、サラッと言う絵師がまた素晴らしい!『抜け雀』を聞いて涙の出る事があるなんて、いまだかつて思いもしませんでした。
私は先代馬生師匠の『抜け雀』が大好きでしたし、以前、「何で一文無しを泊めたの!」とお内儀さんに叱られた古今亭志ん輔師匠の亭主が胸をポンと一つ叩きながら「心!」と答えた言葉にも感動をしましたけれど、泣かされはしなかったなァ。
この後、「老武士が“この絵には抜かりがある”といって、籠を描いてくれました」と亭主に聞いた若い絵師は、直ぐさま衝立と対面します。この場面の万感を込めた絵師の表情、「これを描いたのはワシの父だ」から、父に逆らう事が自分を現す事だと思っていた、という述懐も実に佳かった。「ワシは親不孝だ。ワシはな、大事な親をとうとう駕籠かきにした」のオチまで、笑いの量では志ん生師型よりやや少なめとはいえ、何とも聞き心地のステキな『抜け雀』で、十二分以上に堪能をさせて戴きました。
という訳で、第29回『浜松町かもめ亭〜柳家の会』。1銭の肥瓶がちょっと汚れの騒動を生み出す『家見舞』に始まり、3円20銭の働きが亭主族の悲惨な境遇を描き出した『女天下』。ただで貰った鯛の頭が春風駘蕩たる酔い心地を醸し出す『猫の災難』。5両の代わりに描いた雀が奇跡と感動を創り出した『抜け雀』と、五代目柳家小さん師の残した芸風の芳醇多彩な味わいで、お客様には存分にお楽しみを戴けた次第・・・・・という訳で、次回、5月のかもめ亭も、御多数ご来場あらん事を。
高座講釈:石井徹也(放送作家)
今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。
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