第30回かもめ亭レポート

文化放送の落語会「浜松町かもめ亭」が5月21日(木)、文化放送メディアプラスホールで開催されました。
当日の番組は以下の通りです。

一、立川こはる  「十徳」
一、桂三木男   「湯屋番」
一、三遊亭司   「辰巳の辻占」
一、三遊亭歌武蔵 「胴斬り」
    中入り
一、三遊亭歌之介 「子別れ」

まずはじめに高座にあがったのは「かもめ亭」のレギュラー前座、立川こはる。
知ったかぶりの付け焼き刃がはげてしまう失敗談は落語に数多くありますが、この「十徳」は茶人、俳人が身につける「十徳」の由来を知った(つもりの)八五郎がひけらかしに失敗するという一席。
長くやると「十徳の由来」と「日本橋の一石橋の由来」、二つのエピソードが入るのですが、今回のこはるは十徳の由来に焦点をしぼりサラリと高座を進めました。



<桂三木男さん>

続いての高座にあがったのは注目の二つ目、桂三木男さん。
名人、三代目・桂三木助の孫であり、四代目・桂三木助の甥っ子というDNAの持ち主です。
「落語家の二世は誰かの力を借りて大きくなろうとする人が多い。その点、私は実力で行きたいと思っています。そう考えて、今年から独演会をはじめることにしました。第一回のゲストが立川談志師匠。二回目が春風亭小朝師匠。・・・・すいません、思いっきり人の力に頼っています」というマクラにまず大笑い。

この夜のネタは四代目・三木助も得意ネタにしていた「湯屋番」。
筆者はテレビ番組制作で四代目の「湯屋番」をビデオ編集した経験があり、そのため編集室で繰り返しこのネタを聴いたためによく覚えている一席です。
三木男さんの型は四代目そっくり。後半、若旦那がお客との逢瀬を妄想し、その妄想の中でしくじりをするごとに「ズドーン」と肘鉄を食らわされるくだりなど、いささか通じにくいニュアンスではあるのですが、そういう遊びも含めての継承であると受け取れました。
キャリアから言って、まずは落語的な滑稽噺をレパートリーにされることが必要だと思いますが、妄想の中で驟雨に降り込められる描写など、ある種の情感があり、いずれ射程に入ってくるはずの人情噺にも期待大の三木男さんです。



<三遊亭司さん>

そのお次は「かもめ亭」にたびたびお付き合いをいただいている三遊亭司さん。
三木男さんの高座を受けてのマクラは四代目・三木助の思い出。
と申しますのは、この司さん、そもそもは三木助門下で噺家修業をスタート。
その後、いろいろあって現在は三遊亭歌司師匠の門下で活動をされています。
三木助門下の前座だった頃、「三木男はただの中学生だった」と思い出を語り、さらには三木男さんに噺の稽古を付け、彼が噺をあげにきたので(「あげる」というのは稽古の結果を師匠にチェックして貰うこと)それを聴いていると、四代目が目前にいるようで妙に緊張したという逸話を語ってくださいました。
「三木助のところで教わったのは道灌、たらちね、キャバクラだった」というマクラから廓遊びを描いた一席「辰巳の辻占」へ。

この噺、いつわりの心中を描いた物語は「品川心中」や「星野屋」に通じるのですが、江戸の東、辰巳の遊廓が舞台になっているという点でレアな噺です。
司さんの口演は、主人公が辻占(煎餅の中にくるまれた占い紙)を開きながら遊女との
行く末を思案する述懐にキャバクラ遊び仕込みの(!?)実感があり、また後半の道行きには辰巳の街を縦横に走る水路=水のイメージがあって上々の一席でした。心中場面で、下座の太鼓にちょっとしたトチリがあったのですが、それもギャグに転化しまとめてしまった腕は確かです。



<三遊亭歌武蔵師匠>

中入りの出番は「かもめ亭」初登場の三遊亭歌武蔵師匠。
武蔵川部屋の相撲取りから噺家に転身、現在は定期的に独演会を開催するなど落語界の”幕内噺家”として大活躍をされています。
マクラでは最近の教育について「私が子供の頃は肥後守(ひごのかみ)という小刀を学校の授業で
使う機会があり、ちょっとした怪我もしたが、それで刃物の怖さ、扱い方の大事さを学んだ。近ごろの教育は子供から危ないものを遠ざけるだけで、あれでは何も教えたことにならない」と言及。
そこから、高校時代に肥後守で学校の机に彫刻をほどこしたイタズラの思い出を語り、イタズラの最中に
先生が来たのでどう誤魔化したか・・・というオチでは大爆笑を誘いました。

刃物話のマクラに続いて演じたのは古典落語「胴斬り」。歌武蔵十八番のうちの一席です。
侍の試し斬りにあった男が上半身と下半身、真っ二つに別れてしまい、それから・・・という顛末を描いたこの噺、東京では小咄程度に扱われることが多いのですが上方では立派な一席物になっています。
歌武蔵師匠は上方落語の桂南光師匠から稽古を受け、東京落語に移植。
こうした経緯もあるため、東京では歌武蔵師匠のほぼ専売になっている噺です。

歌武蔵師匠の口演は、胴斬りにあった男の狼狽ぶり、友達のマタさんのおっかなびっくりの”友情”がよく出ているのは無論のこと、用水桶にぽんと乗ってしまった上半身が満天の星空をねがめてのつぶやきにも詩情がありました。(このくだりは桂枝雀でも印象的)
ところどころ地のトーンに返っての冷静なつっこみも面白く、客席は笑いの渦につつまれました。



<三遊亭歌之介師匠>

中入りをはさんで今夜のトリを飾ったのは三遊亭歌之介師匠。
寄席の爆笑派として知られ、過去に「かもめ亭」でも「お父さんのハンディ」「B型人間」と笑いの多い新作落語を口演してくださいましたが、今夜の出し物は人情噺「子別れ」。
「かくばかり偽り多き世の中にこの可愛さは真なりけり」の歌からマクラを振らずに「親方いるかい」とすぐさま噺に入りました。
今回、演じてくださったのは長い噺である「子別れ」の結末部分に相当する「子は鎹」のくだりで、一度は夫婦別れをした大工の熊とその女房、子供の亀ちゃんの再会、復縁を描いた物語です。

自作の人情噺「寿の春」などでも笑いとひとつになった人間の哀歓を見事に表現する歌之介師匠。
今回の「子別れ」でも、亀ちゃんがひとりで地面に字を書いて遊んでいる姿を親方が遠目に発見するシーンやはじめのかみさんを思い出し、親方が「あいつは針が持てたなぁ」という述懐、亀ちゃんが「お父っあんはあきめくらだってお母っちゃんが言っていたよ」と何も考えずに言うところなどに巧まざるユーモアと人間の暮らしが表現されました。

近ごろの「子別れ」は演者が噺の世界と現代の生活の分離を心配するためか、子供をこまっしゃくれにしすぎる演出が多いのですが、歌之介師匠の亀ちゃんはストレートな言動で聞き手のこころを揺さぶります。
以前、取材で歌之助師匠に伺ったことなのですが、歌之介師匠は小学生の頃、家庭の事情でお父様がおらず、
またお母様とも離れた暮らしをされていたそうです。(この生い立ちは自作の「母のアンカ」にもまとめられています)
そのため、両親と一緒の暮らしを渇望する気持ちが強く、そこで蓄積された「家族」というものへの思いがちょっとほかにはない「子別れ」として結実しているのではないでしょうか。筆者はそう推理しています。

今回の終演時刻は21時15分。
お客様にはつぶぞろいの落語をたっぷりとお楽しみいただけたのではないかと思っています。
次回の「浜松町かもめ亭」にもどうぞご期待下さい。


高座講釈 松本尚久(放送作家)

今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。




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