第34回かもめ亭レポート

文化放送主催『浜松町かもめ亭』第34回公演が9月14日(月)、文化放送12階の「メディアプラスホール」で開かれました。
「二ツ目祭り」と題しました今回の番組は

『から抜け』       立川こはる
『権助魚』        三遊亭きつつき
『豊竹屋』        橘ノ圓満
『錦木検校』       柳家喬太郎
仲入り
『お血脈』        鈴々舎わか馬
『青菜』         春風亭一之輔
といった内容。喬太郎師匠をゲストに、三派から二ツ目の精鋭を揃えた、一寸他の落語会では出来ない番組でありマス。

<立川こはるさん>急ぐとて 駆け足もあり 御座固め

開口一番はもちろん、立川談春門下の前座さん・こはるさんが「髪が伸びて背の低い佐藤藍子みたいになっちゃった顔」で登場。「見馴れた立川流の楽屋はいつも静かなのですが、今日の楽屋は正に"お祭りさわぎ"というくらい賑やかで」と口を切り、某テレビで談春師匠が収録された『私が子供だったころ』に劇中劇の前座役で出演した話へ。
大勢のエキストラ観客に、担当ディレクターが「ここの場面、声は録りませんから、笑う様子は肩を震わして、視聴者に分かるようにしてください」と演出。その肩で笑う集団相手が不気味だった、というマクラ・・・
ですが、本日は5人の出演で持ち時間が少ない!早くも時間が無くなりかけたのか、こはるさん、慌てて"与太郎の知恵ほど怖いものはない落語"『から抜け』に入ったかと思うと、主役の与太郎には余り喋らせず、騙される兄貴分の言葉でテキパキと噺を進め、殆ど中身5分で高座を下りて行きました。何ともご苦労様でした<m(n_n)m>

<三遊亭きつつきさん>ネズミかと 思えば 化けし狐かな

続いては圓楽党から、三遊亭圓橘師匠門下の二ツ目さんで「漫画家・水木しげる氏の描く"眼鏡をかけた典型的日本人"を思わせるきつつきさん」が『浜松町かもめ亭』初登場。前座名が「橘つき」で、二ツ目になって「きつつき」と、麻生前首相でも読める(自称)平仮名になった珍しい方です。兎に角、見た目も口調も「落語に登場する粗忽者そのもの」という、落語家にピッタリのキャラクターの持ち主で、その可笑しさは以前から印象的ですが、つい最近、結婚をされてから落語に対する情熱が燃え盛っているとか。

それは本当らしく、「かもめ亭にきつつきが出る・・(客席ノーリアクション)・・お祭りなのに、何で静かなんですか?"この人は早く終わって欲しい"みたいな目は止めて欲しい!心配しないで下さい。私の方はサッと終わりますから」「(私のこと)覚えたくないの?この後、覚えなきゃならない人はいません!」と、始まった今夜の高座の可笑しかったのなんの。
「こう見えても一人のカミサンがいます。この方が強いの。私は攻撃をかわすだけで精一杯。ウチはDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)ではなく、DVD(ドメスティック・ヴァイオレンス・ディフェンス)です。そのカミサンも甘い物を食べているうちは静かなんで、仕事の帰りにケーキを"カミサンの稼ぎで買って"(凄っごく情けないセリフだけれど、余りに似合っていて大笑い!)食べさせました。
所が、あんまり静かなのでカミサンを見たら、ケーキに巻いてあるフィルムを舐めてた!ホラー映画ですよ!」という、かつてなく可笑しなマクラから"忠誠心とは裏切られるためにある落語"『権助魚』へ。

旦那が妾を囲っている!?と察知した大店の女房。下働きの権助に旦那の共をさせ、妾の居場所を突き止めようと計ります。この女房や『厩火事』のお崎さんなど、きつつきさんは女性を演じると、いつも素っ頓狂に可笑しい個性を発揮しますが、この女房も言葉の刺々しさが嫌味でなく馬鹿馬鹿しく聞こえるのがお値打ち(きつつき夫人が投影しているのかも)。
さらに輪を掛けて凄かったのが「ウォー、アメカ、エルガ、オフ、アウ、アレブ、ウェ、アレグ、何かようかい?」と意味不明な、赤道直下の原住民のような怪声を発して登場した権助。旦那曰く「あいつの通った後は臭いで分かる」という、落語史に残したいくらい珍妙な権助で、誰かに似てる?と思っていたら、三遊亭圓丈師匠が『パパラギ』や『ランゴランゴ』で演じるアフリカ系原住民に似てました(そう思うとも圓丈師匠も、水木しげる氏描く"眼鏡をかけた典型的日本人"に凄く似てマス)。
登場早々、女将さんに向かい、「オラに惚れるとヤケドするど」、「脇にこれが?脇腹に小指が生えた?」と奇妙な言葉を連発して煙に巻くと一時退場。

そこへ帰って来た旦那が妾の家に出かけようとすると、女房が「権助をお供に」と勧めます。権助嫌いの旦那が「他の奉公人は?」と訊くと「照ドンはイボジですからお供は無理」と、女房が他の奉公人を全〜部イボジだと偽り、無理矢理、権助をお供にしちゃうのも爆笑展開。旦那が店を出しなに、見送る奉公人たちを振り返り、「あれ、みんなイボジが、本当に?」とボヤく複線になっているのも素晴らしい!

女房に"見張り賃"として一円を貰った権助。しかし、お供に出た途端、旦那に二円貰ってコロッと寝返ります。「おめェ様に阿女っこが出来ると、オラ、儲かるだな。あと三人も出来ると働かなくても飯が食える」と言い放つ辺り、権助の存在感抜群!
旦那に言われ、「妾通いを隠すアリバイとして、隅田川で網打ちをした証拠に」と、魚屋で魚を買う権助。スケソウダラ・ニシン・タコ・カマボコと、隅田川にいる筈も無い魚ばかり買うのは昔ながらの演出ですが、タコを称して、「頭から脚が生えとる。頭が痛くなると腹も痛くなるだな」と呟いたのは珍無類。
挙句、女房の待つ店に戻った権助、「疑れるかな、オラの証拠を見ても」と言い放ったり、「スケソウダラやニシンが江戸近辺にいるか!」と女房に叱られるや、「何々、お江戸見物に出で来て、道に迷って隅田川に迷い込んだか」と、魚に話かけ始める(お前はドリトル先生か!)など、抱腹絶倒の可笑しさを連発!この『権助魚』は典型的悋気噺で、寄席でもベテランから若手まで良く演じています。とはいえ、落語を聞き始めて35年になる私が、きつつきさんより可笑しい『権助魚』は聞いた事がない!と断言出来るという、凄まじい高座でした。こりゃ、勉強会にも行かねばなるまい。

<橘ノ圓満さん>あの貫禄は誰も知る ならぬ貫禄 するが貫禄

続いても、落語芸術協会から「ギャグマンガに時々出てくる" 目鼻が×になってるマンジュウガニ顔の人"にそっくりな橘ノ圓師匠門下の二ツ目・橘ノ圓満さん」が『浜松町かもめ亭』初登場。
実は私、30年くらい前から圓満さんを存じ上げております。当時、上野鈴本演芸場で開催されていた桂米朝師匠や桂枝雀師匠の会の開場を待つ並びで圓満さんとは知り合いましたが、その頃、彼はまだ十代。上野広小路にある落語家さんお馴染みの割烹店の孫旦那でした。既に天狗連で活躍されていましたが、以後も長く天狗連の重鎮として活躍。そして、落語家さんへの夢もだしがたく、38歳で圓師匠に入門したという、落語版権『火事息子』(親御さん気の毒に)みたいな人でありマス。兎に角、25年ほども天狗連を経験されてますから、前座時代から貫禄抜群。ポッテリ体型とマンジュウガニみたいな顔立ちで、二ツ目乍ら既に「大看板」の風格が漂う怪人なのです。

「圓満は私で三代目ですが、初代は三遊亭圓満と申しまして、当時、数の多かった寄席に出られないくらい下手だったようで、後に廃業を致しました。次の二代目は橘家圓満を名乗りましたが、矢張り寄席に出られないくらい下手だったようで、結局、ドサ回りに出て東北で行方不明になっております。その後、初代圓満が寄席に復帰。今度は嘉亭圓満を名乗りましたが、相変わらず寄席に出られぬまま、ドサ回りに出て四国で行方不明になったそうです。三代目の私も、今日が本年仕事納めの高座でございまして(オイオイ)、今朝、ドサ回りの仕事が入りました。皆さんとお会いするのもこれが最後かも」と、真に悠々と人を食った話から入りました。
さらに、「私、非常に穏やかな人間ですが、今朝、二十年ぶりに怒りました。ミスユニバースの日本代表をテレビで視たんですが、革製のミニの振袖にピンクの下着とストッキング、ガーターベルト着用というのが許せません。何で着物を着るのに下着をつけるのか!これが許せない!」と、スケベ中年風ボケ方にも年季が入っております。
それからスラッと話題を変え、「昔は色々と音曲の稽古をした方が多かったようで」と定番マクラを振ると、"音曲の司も、そう大した事おまへんなァ落語"『豊竹屋』へ。

元々は上方噺ですが、言わずと知れた六代目三遊亭圓生師匠の十八番。その後は林家正雀師匠が演られ、近年は義太夫好きの古今亭志ん輔師匠が寄席で良く演っていらっしゃいますが、まあ、「珍しい噺」の部類に入りますです。
ストーリーは簡単。義太夫マニアで口から出る言葉が全て義太夫になっちゃう珍人・豊竹屋節右衛門さんの家を、口三味線で何でも受けちゃう第二の珍人・花林胴八が訪れ、二人で滅茶苦茶義太夫と滅茶苦茶口三味線の掛け合いをするだけ。しかし、これを圓生師が演られると真に結構で可笑しかった。特に、子供時代に義太夫語りだった圓生師は、胴八が口三味線の糸を抑える左手が、ちゃんと三味線のツボになっていると、本業の義太夫三味線の方を感心させた程の国宝的逸品でした。

圓満さんは圓生師門下の三遊亭圓龍師匠に稽古を受け、三年程前から演じているそうで、なるほど、それで時々、義太夫の調子が圓生師匠になるのも御愛嬌。それでいて、「実は義太夫は習った事がない」!にも関わらず、銭湯の湯船で「アツアツアツ」と湯を熱がる節右衛門さんの調子はちゃんと義太夫風になっており、「ツツン」という胴八の口三味線の受けでお客さんに受ける!?(ウソみたい)など、何とも胴に入った芸である事には大感心大感心。また、貫禄ある見た目から、節右衛門に大店の御主人的貫禄があるのは、他の演者に無い特徴ですし、圓生師以来、節右衛門は関西弁で演じるのが常とはいえ、圓満さんの関西弁の柔らかさ、義太夫向きの呂の声質は一寸真似が出来ません。とても二ツ目さんとは思えぬ、位の高い芸でありました<m(n_n)m>。


<柳家喬太郎師匠>夏痩せと 見えしは何と 芝居痩せ?

仲入リ前は、8月の舞台『斎藤幸子』出演を終えられ、「少しホッソリして端正な雰囲気。若い頃のみのもんた氏に似てるかも?という柳家喬太郎師匠」が登場。それも、殆どマクラなしで、"友情は階級を越えられるか?落語"『錦木検校』へ入りました。
一般的には『三味線栗毛』の題名て知られる準人情噺ですが、喬太郎師匠は「三味線栗毛」の由来になる遣り取りを冒頭に小噺で演じてしまう辺り、故・橘家文蔵師匠に似た演出のようです。

江戸時代、徳川四天王の名門大名・酒井雅楽頭の三男・角三郎は父親に疎まれ、大塚の下屋敷の長屋で家臣同様の扱い。いわば「部屋住み」状態。
しかし、角三郎は「腹が大きい」・・言いながら、我が腹を摩った喬太郎師(笑)・・「そういう意味ではない」とギャグをかましながら、街中へ出て本屋で索本をし、居酒屋で昼食を済ます角三郎の砕けた人柄を描きます。
買い求めた本を相手に、昼夜を問わぬ書見を続ける角三郎が肩凝り・目の疲れを訴えたため、お傍に仕える吉兵衛が呼び込んだのが按摩の錦木。
角三郎「一寸汚な作りの錦であるな」⇒錦木「貧しくとも心に錦を着ろと親父がつけた名前で」⇒角三郎「そのように父の思いも知らず、済まなんだ」と、短い遣り取りの間に角三郎の人間味と謙虚さを浮かび上がらせます。『井戸の茶碗』の高木作左衛門やこの角三郎など、喬太郎師は若く、清心な人柄の侍を描くのに長けておられますね。また、錦木を演劇的人物として描き出されている所にも特徴がありマス。

この錦木、かなりのお喋りで揉み療治の合間、角三郎がまだ知らなかった「落とし噺」を御耳汚しに聞かせます。錦木曰く「噺家という人間の屑のようなものが・・」は兎も角、錦木「空き地に囲いが出来たよ。・・・へ〜」⇒角三郎「面白いのお!」と語気激しく言っておいて、「"いい客"ですねェ・・みんながみんなこうだったら楽ですよ」と呟いたり、勝新太郎氏の座頭市の真似をして、「錦木、なぜ我慢が出来ぬ?」、「何しろ、笑いのない噺でございます」と答える件は、喬太郎師らしく可笑し楽しい(笑)。
心の内まで解されたような角三郎、錦木とすっかり打ち解け、何度も療治を受けた頃、錦木曰く「角三郎様の骨組は"侍なら大名になる"と学者が申した万人に一人、万々人に一人の骨格。角三郎様は酒井雅楽頭様のお身内で?」と告げます。この時、角三郎が調子を下げて呟く「儂は身内・・・身内ではない。家中の者だ。つまり家臣だ」、「儂の骨組は大名の骨組か」、鬱屈を示した二つのセリフは聞き物でございましたよ。

「もし、大名になれたら、そちを検校にしてやろう」との角三郎の約束を嬉しく聴いた数日後、錦木は風邪が元でドッと長患い。元々、貧しい身の上に病が重なり、余りの不甲斐なさに首を括ろうとか思った程と、見舞いに来た長屋の衆に告げますが、この辺りの盲人の孤独感は胸に迫るものがありました。
その際、長屋の源兵衛が慰め半分に「諦めちゃいけないよ」と語った話が・・酒井雅楽頭が隠居。跡目を継ぐべき長男は病弱。ならば姫に婿を取って養子相続と殿様は考えたものの、「次男・角三郎がいるのに養子とは!」と親戚からクレームがつき、下屋敷で部屋住みだった角三郎が酒井雅楽頭に任官。「酒井のバカ息子・昼行灯」扱いされていたのが、任官するや下々にも通じた御名君と評判喧しい、という話。この「物語」を芝居の七五調風に語って観客をシンと聞き入らせておき、錦木の「源兵衛さん!」の大声でドッと受けさせる辺りの構成は巧いもんデス。
「今日からオレは検校だ。馴れ馴れしいぞ町人!」と叫ぶと、錦木は取るものもとりあえず大手の酒井家上屋敷前へ。ここで門番に「アポは?」と訊かれるギャグも挟みますが、病上がりの薄汚い錦木に「酒井雅楽頭に合わせてくれ」と言われても門番には通らず、錦木は病んだ体を六尺棒で滅多打ちにされます。

それでも「ならば吉兵衛様に」と告げたのが、幸いにも殿様御意見番に出世していた吉兵衛に伝わり、錦木は殿様に目通りが許されます。畏れ入って平伏する錦木の前に現れた酒井雅楽頭、「大名とは申せ人間は替わらん。儂じゃ。大塚の角三郎じゃ」と告げる件、そして「錦木、大名ンなったよ。お前は名人だなァ」とガラリ砕ける調子の変わる面白さと情愛は喬太郎師ならでは!
角三郎「あの頃の儂は口では偉そうな事を申しておったが、矢張り心の何処かで父を疎んじておった。何処かで父を憎んでおった。お前の申した通りの骨組でも、あの頃の儂では大名になれなかったのう。体ばかりではない、心の凝りまで解してくれた。お前が半分、大名にしてくれたのだ」⇒錦木「御目出度うございます。それさえ申さば錦木、これにて御無礼を申し上げます」⇒角三郎「約束を致しておる。覚えておるか」と告げますが、錦木は「(約束は)忘れました。御勿体無い」と答えるのみ。人情噺的展開として、この情の遣り取りはシットリと涙を誘いました。

結局、角三郎はその場から錦木を検校に取り立てると告げますが、その言葉を耳にしながら、錦木は門番に滅多打ちされたのが響いたのか、既に事切れております。錦木の遺骸に向かい、「馬鹿!貴様、儂を恩知らずにするつもりか。これから益々お前に聞いて
貰いたい事もあるというに・・・」と泣きくれる角三郎の姿から、酒井雅楽頭自ら錦木の墓碑を記すサゲまで、「締めに締めた」人情噺的高座、緊聴致しました。

<鈴々舎わか馬さん>スイスイと 皮肉に渡れ 三途川

仲入り後は、「亡くなった上方の桂文紅師匠に良く似ている鈴々舎わか馬さん」がこれまた「浜松町かもめ亭」初登場!文紅師匠のペンネーム「青井竿竹」をそのまんま継承したような、一寸文人的雰囲気で、しかも人を食った味わいのある二ツ目さんです。
大体、出囃子が「スーダラ節」というのが並大抵のセンスじゃない!
前座さんに入られた頃から存じ上げておりますが、素直な口調で「聞かせる芸」の出来る芸質には注目していました。近年は多数の勉強会を開催されており、新作の『月見穴』など、いわゆるギャグの全く無い噺でも、ちゃんとお客を引きつける力を見せています。

今回は仲入り前に喬太郎師匠が「締めに締めた」後だけに、「さあ、どうする?」と楽屋も注視の高座でしたが、登場するや「流れというのは大変で、直前に壮大な人間ドラマという後はどうしよう?」とお悩みの様子のフリをしておきながら、「政治・宗教・プロ野球の話は高座でしてはいけないと申しますが、政権交代によって今まで持っていた莫大な利権を手放す・・ような人は客席にいないでしょうし、客席に宣教師もいないでしょう。ただ、客席の5%くらいは横浜ベイスターズのファンで、心に傷を負っているかもしれません」と人を食った言葉で笑わせ、「という訳で今日は宗教の噺を」と"地獄極楽なんて所詮自民党と民主党みたいなもんじゃい落語"『お血脈』へ。亡くなった桂文治師匠、先代金原亭馬生師匠、二人の全くタイプの違った高座が印象深い地噺です。

「インドに常磐大王という人がいて、"常磐"と書くくらいですから茨城訛があったようです。この人とマヤ夫人の間に生まれたのが御釈迦様。生まれた途端、七歩歩いたそうですが、これには"七歩で六道を乗り越えた"という深遠な意味があると言われています。尤も、実は七歩目で臍の緒が絡んで歩けなかっただけという・・・その時、"天上天下唯我独尊"と言ったので、"こんな生意気な小僧には甘茶を掛けてやれ"と甘茶をブッ掛けたら、カッポレを踊ったという古い洒落はさておいて・・」と、割と平坦な調子なのに、あくまでも人を食い、仏教説話と歴史考証とギャグを巧みに交えて話を進める具合は生半ではありませぬゾ。

この御釈迦様が仏教大学布教学科成人コースを出ても不況で職がないのに困り果て、友達の阿弥陀くんと「デュオでやろうぜ!」とギターを抱えて街角で歌ってたら、音楽プロデューサーの目に留まり、一躍メジャーデヴュー!一寸八分の仏体となって海外公演のため日本へ渡る、という運びは、これまでの『お血脈』にはなかった展開。特に「音楽で世界へ」って辺りが、今の時代だと実感ありますねェ。
日本に着いた所、時の大連・物部守屋に「日本は神の国、仏教は必要ない」と言われちゃいますが、これを森嘉郎元首相の「神の国発言」にくっつけるセンスも面白い!
守屋の姦計により、難波池に沈められた一寸八分の御釈迦様が「スーパーカブ」から降り立った本多善光に助けられ(いつの時代だよ)、信州信濃の善光寺に安置されて「御血脈」の御印を発行。この御印を額に戴くと罪業消滅して、如何なる悪人も極楽へ行ってしまうため、地獄が衰微する、という展開は伝統的ですが、「神の国発言」「スーパーカブ」「一寸八分しかないなら背負わずに携帯のストラップにするとか」といった、細かいギャグが他の演者さんには無いアクセントとなっております。

「御血脈」の御印のご利益により、地獄は構造不況に陥り、与党は選挙で大惨敗・・とはタイムリーギャグ!そこで閻魔大王(口調が麻生前首相の物真似なのは大笑い)が地獄両院議員総会を開き、「みぞうゆうの不況」を脱するため云々とあって、「つまり、私が悪いんじゃない」と居直る辺りも笑止笑止。「善光寺で御血脈の御印を使い、そんなバラ撒き政策をやっているのか! 誰かに御血脈の印を盗ませろ!」と閻魔大王の命令が発せられるや、「地獄かわら版盗人名鑑 協会別・香番順掲載(爆笑)」から「盗人芸術協会副会長(それじゃ小遊三師匠だよ)」の石川五右衛門を選び出して呼びにやると、五右衛門が「釜で煮るのは五右衛門じゃないか♪」と「ドンドン節」を歌っているってのも実に馬っ鹿馬っ鹿しくて結構結構。

大百日蔓に金襴の大仰な姿で閻魔庁へやってきた五右衛門に向かい、閻魔大王が「君のそのキャラクターは選挙前に会いたかった」とボヤくのも珍無類。そこから、五右衛門が善光寺宝物殿に忍び込み、血脈の御印を奪い取ったものの、「ありがてえ、かっちけねェ」と額に戴いたものだから、自分が極楽に行っちゃった、というオチまで、予定持ち時間ピッタリの20分。お見事!と声を掛けたくなる、センス溢れる高座でした。

<春風亭一之輔さん>総統と 呼びたくなるの 私だけ?

本日の主任は、「チョビ髭を付けたらアドルフ・ヒトラーそっくりの春風亭一之輔さん(私がそう言ったら、かもめ亭の松本プロデューサーはじめ、多数のスタッフから馬鹿受け&大賛同を得ました)」が「浜松町かもめ亭」久々の登場。
大体、一之輔さんはボヤいたり、怒ってる場面の表情が一番可笑しく、またヒトラーに似ちゃうのですが(素顔は落ち着いた二枚目なのにね、と一応フォロー)、本日も口を開くや、「今日は二ツ目オールスターだそうですが、横に並べると何と見た目に華の無い面々か」とボヤきだし、「きつつきさんなんか、部屋の片隅に落ちてる顔ですよ。圓満さんよりはウチのお爺ちゃんの死に顔の方がいいくらいだし、喬太郎師匠も白髪のオジイチヤン。しかも、このスタジオは天井が全部金網で壁はグレー。何だか凄惨なリンチ現場で、敢えて落語会を開いているようなもので」と可笑しくブツくさ。続いて、「着物も落語芸術協会と圓楽党の二人はちゃんと一重を着ているのに、僕ら落語協会の三人はいまだに夏物で、それも絽。どこが"本道"なんだか」と、ボヤキ漫才の元祖・都家文雄師匠風にボヤくことボヤくこと(笑。都家文雄師匠にも似てるかな)
「スタジオは照明があるから、コンビニのアメリカンドッグが入っているヒーターの中で落語を演ってるようなもんです。きつつきさんなんか(体が)溶けてて、"きつつき汁"の跡が高座に残ってますよ。私も汗っかきで、冬場、袷を着て『夢金』を演ったら、雪の降る大川で船を漕ぐ場面なのに大汗をかいちゃった。後でアンケートに"『夢金』は演っていい体質の人といけない体質の人があると思います。一之輔さんは『青菜』で十分"と書かれちゃった!だから今日は『青菜』を演ります!」と"ヒトラー怒りのマクラ"から"暑い最中に人の真似をして失敗すると余計に暑くなるから止めましょう落語"『青菜』へ。現時点で一之輔さんの十八番といって良いと思いますし、一之輔さん以上に可笑しい『青菜』は一寸思い浮かびません。亡くなった桂枝雀師匠の『青菜』も可笑しかったけど、それよりもパワーアップしてるゾ〜!

御屋敷の庭で仕事をしていた植木屋。御屋敷の旦那から柳影(焼酎+味醂)と鯉の洗いをご馳走になります。この場面、今の柳家小三治師匠は如何にも美味しそうに鯉の洗いを植木屋が貪るのが楽しいのですが、一之輔さんの植木屋は「何か味噌の方が美味いですよ」と、洗いにつける「酢味噌」ばかりを箸でペロペロ舐めるのが凄く可笑しい。洗いの下に強いてある氷を食べる時も、「いやらしいけど、捲ってもいいですか、ゴメンね、洗いちゃん」ってのが、ヒトラー風顔つきと不釣合いというか、シュールレアリズム感覚でチクチクと可笑しい。御屋敷の奥様を「小野小町みたいな奥様ですね。やっぱり御懲役がおありになる、いや、御教育がおありになるから・・・懲役じゃ箪笥作らなきゃならない」というギャグも、一之輔さんだと「・・・」の間が無闇と可笑しい。しかも、「小野小町」が後半で炸裂するギャグの複線になっているのでありマス。

その奥様が「青菜が無い」のを隠し言葉で「鞍馬から牛若丸が出でまして、その菜を食ろう判官」と洒落、旦那が「義経にしておきな」と受けたのを矢鱈と感心した植木屋。「こりゃあいい、うちでも演ってみよう」と考えます。
所が、この植木屋のカミサンが「オタマジャクシの血を吸うタガメに似ている」という絶妙の設定!晩飯のお菜の鰯の塩焼きを見た植木屋が、「この鰯はお前が獲って来たんだろ」と言いながら両腕を交差させ、タガメがオタマジャクシや魚を捕まえる仕科を「ガシャーン、ガシャーン」と演る可笑しさに至っては、もう腹が痛ェ! ここからの植木屋とカミサンの壮絶な遣り取りは天下無双というしかありませぬ。他の落語家さんと言葉は同じでもテンションや語気の鋭さ、穿ちの凄まじさが違うのよ。
植木屋「お前は鯉の洗いなんか食った事ないだろ!」⇒カミサン「このうちィ、嫁に来る前は良く食ってたけどね!」⇒植木屋「ゴメン」。植木屋「御屋敷の奥様は障子を手で開けるんだぞ。障子ってのは足で開けるもんだと思ってた!」。植木屋「"鞍馬から牛若丸がいでまして、その菜を食ろう判官"って言ってみろ!」⇒カミサン「言ってやるよ、屋敷ィ住め!屋敷になんか住まなくても、たまには裏の便所の電球の玉でも買って来い、バカッ!」⇒植木屋「泣くよ」。兎に角、「ゴメン」とか「泣くよ」をヒトラー顔で言われると、たまんないすっよ。

この後、友達相手に御屋敷の真似をしようと植木屋が、「小野小町みたいじゃないといけねェ」と、カミサンの丸髷を解いてサンバラ髪にする(落武者か生首状態)という発想も「なんて凄いギャグ!」としか言い様がないもん。
この、奇怪な夫婦の相手をさせられて一寸気の毒な友達と植木屋の遣り取りも凄まじ〜い!のひと言。余りに板の間が汚いのに呆れた友達が「タガメに言っとけ、バカ!」と罵った時は会場が割れんばかりの大爆笑になりました。更に、「柳影」(じゃなくて只の燗酒だけど)を飲む「ガラスのコップ」を見せられた友達曰く「これ、コップじゃない。"シャケの空き缶"っていうんだ!」⇒植木屋「コップだと思いなさい!」⇒友達「目が血走ってて怖い、思う思う」も感涙に咽ぶ可笑しさ。植木屋「鯉の洗いをあおがり」⇒友達「鯉の洗い?鰯の塩焼きじゃねェか。これお前のカミサンが獲ってきたんだろ。歯型がついてる!」といった具合で、タガメのカミサンとシャケ缶のコップが目の前に浮かんでは消え、浮かんでは消え、笑いすぎて、小腸・大腸・直腸・膀胱までが痛くなりました。ここ当分、爆笑『青菜』のチャンピオンベルトは一之輔さんの腰回りから外せませんね。

という訳で、第34回『浜松町かもめ亭』。「髪が伸びて背の低い佐藤藍子に似てた立川こはるさん」の猛ダッシュ『から抜け』に始まり、「水木しげるの漫画に登場する""眼鏡をかけた典型的日本人"を思わせる三遊亭きつつきさん」の個性が凄まじい勢いで炸裂した『権助魚』、「"目鼻が×になってるマンジュウガニ顔の人"にそっくりな橘ノ圓満さん」が長年鍛えた腕前をジックリと披露した『豊竹屋』、「若き・みのもんたを彷彿とさせる柳家喬太郎師匠」が開場の涙を絞った『錦木検校』、「桂文紅師匠みたいな痩身の鈴々舎わか馬さん」がシニカルに笑い飛ばした『御血脈』、「チョビ髭を付けたらヒトラーの春風亭一之輔さん」がタガメのような女房を活き活きと描いた『青菜』と、「代わる代わる色々な顔をお見せしまして、さぞ、お力お落としもございましょうが」(先代雷門助六師匠の決まり文句)という、デモーニッシュな展開で、実力派二ツ目さんたちの魅力をお客様にタップリとお楽しみを戴けた次第・・・・・という訳で、次回、10月のかもめ亭も、御多数ご来場あらん事を。


高座講釈:石井徹也(放送作家)

今回の高座は、近日、落語音源ダウンロードサイト『落語の蔵』で配信予定です。どうぞご期待下さい。




Copyrightc2006,Nippon Cultural Broadcasting Inc. All right reserved.   

JOQRトップへ