母が洋裁工場に勤めていたたため、
子どもの頃の洋服や小物は全部手作り。
とてもうれしかったけれど、
ある時「貧乏」と言われてから
それがとても嫌になってしまった。
それでも母はほとんどの物をちゃんと取って置いてくれた。
後に、母が自分を妊娠中に着ていた赤いマタニティードレスを、
自分も身につけることができた。
将来、娘も着られるように、大切に取って置きたい...という
聖教新聞掲載の投稿をご紹介しました。
「うちのお袋もそうでしたが、よくいろいろ作ってくれましたよね。
セーターとかズボンとか、破れたらつくろって。
クラスのみんなが同じようなものを着ていましたね。
うちの夫婦もファンが作ってくださったクッションとか置物とか、
ちゃんと置いてありますよ!」

【渡辺 徹 家族の時間】 テーマ:母へ、そして母から 2016年9月23日 17:00