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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
8月1日(月)〜8月5日(金)今週のテーマは「東京動物記」
コンクリートジャングル・東京で繰り広げられた、動物たちの面白い、そして時に悲しいエピソードをご紹介します。


8月1日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、花のお江戸にやって来たゾウのお話をご紹介します。

1728年(享保十三年)六月。ベトナムから八代将軍・徳川吉宗に
メス・オス二頭のゾウが献上され、長崎の港へとやってきました。
ところが、当時の日本にはゾウを乗せられるような
大きな船がありません。そこで、いろいろ頭を悩ませた結果、
2頭のゾウそはるばるお江戸まで歩いて移動させることに決定、
しばらく日本の風土に慣れさせるため長崎で飼育されました。
残念ながらメスのゾウは三か月後に亡くなってしまいましたが、
残ったオスのゾウ一頭、ベトナムからやってきた二人のゾウ使い、
日本人のゾウ使い見習い、それに通訳やら担当の役人やら、
総勢十四人の大所帯で、翌年三月、東へ向かって歩き出しました。
珍獣・ゾウを一目見ようと、道中はどこも黒山の人だかり。
京の都では時の中御門天皇、霊元法皇にも拝謁しましたが、
この時、官位がなくてはお目通りできないということで、
「従四位広南白象(じゅしいこうなんはくぞう)」という
立派な位を授けられています。
江戸に着いたのは、長崎を立って実に七十四日後の五月二十五日。
そして二日後、いよいよ将軍との対面が実現します。

吉宗公始め、物見高い人々の目の前で、
ゾウは前足を折り、うやうやしく頭を下げて丁寧にご挨拶。
吉宗公はすっかりゾウが気に入って、
浜御殿、現在の浜離宮に住まわせることにしました。
それから十三年の間、ゾウはしばしば江戸城に呼ばれ、
将軍自ら餌を与えたりするなど寵愛されましたが、
あまりの大食漢ぶりに、予算不足に悩む幕府がギヴアップ。
1741年(寛保元年)四月、民間に払い下げられ、
中野村、現在の中野坂上駅にほど近い場所に住んでいた農民、
源助さんに飼われることになりました。しかし、残念なことに、
翌年、栄養失調と寒さのため、息を引き取ってしまったのです。
骨と象牙は、近くのお寺、宝仙寺が長く保管していましたが、
1945年(昭和二十年)五月、空襲のため、
ほとんどが失われてしまいました。



8月2日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、房総半島を騒がせたトラのお話をご紹介します。

聞こえておりますさだまさしさんの「関白宣言」が大ヒットしていた
今から二十六年前、1979年(昭和五十四年)の
ちょうど今日、八月二日の深夜。
千葉県君津市の由緒あるお寺、神野寺(じんやじ)で
飼われていたトラ十二頭のうち三頭が檻を破って脱出。
うち一頭はすぐ戻ってきたものの、
体重八十キロ、体長およそ1・5メートルのメス・オスそれぞれ
一頭ずつが深い闇の中へ姿を消してしまったのです。

ちょうど夏休みとあって、お寺の研修所には
八十人もの小学生が泊まっていました。
また、観光牧場としておなじみ、すぐ近所のマザー牧場では
三十人のガールスカウトたちがキャンプ中。
子供たちは全員が足止めされ、恐怖のどん底に追い込まれました。
翌八月三日午前九時、千葉県警は射殺命令を出します。

もちろん近くの民家には外出禁止が言い渡されました。 県警、そして猟友会のメンバーが山狩りを行い、
翌日、まず発見されたメスのトラが射殺されました。

ところが、もう一頭、残されたオスの行方が杳としてつかめません。
足取りを消すこと、実に三週間。
地元の子供たちは、せっかくの夏が台なしになってしまいました。
そして夏休みも終わりに近づいた八月二十八日。
4キロほど離れた民家から「犬が食い殺された」との通報が入り、
警察がただちに出動。
付近の林を捜索してついに発見、射殺されました。

物騒なトラ騒動は、のべ七千五百人もの捜索隊を動員、
およそ一千万円の弁当代までかけて、ようやく終わりました。
千葉市の動物園で、開園以来、現在に至るまで
ライオンやトラなどの猛獣を一切飼育していないのは、
オープンしたのが騒ぎの記憶が生々しく残る時代だったので、
近くの住民感情に配慮したのが大きな理由なんだそうです。
いろいろな影響を与えた大事件だったんですね。

  

8月3日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、帝都東京を震撼させた黒豹をご紹介します。

1936年(昭和十一年)夏。
ベルリン・オリンピック 女子二百メートル平泳ぎ、
前畑秀子選手の金メダルに日本中が湧いた、その二週間前。
帝都・東京が恐怖に包まれました。

七月二十四日の深夜、上野動物園で飼われていた黒豹が、
頑丈なオリを破って脱走、上野の山へと消えたのです。

黒豹は、当時のシャム、現在のタイから日本に到着したばかり。
回りの環境になじめず、いつも檻の片隅にうずくまっていました。
この夜はとても暑かったため、
「せめて夜だけでも運動場に」と、外に出しておいたところ、
さすがネコ科の動物。檻の天井の隙間から、スルリ…と、
外に抜け出してしまったのです。
黒豹の姿が見えないことに気づいた動物園は、上を下への大騒動。
まだテレビなどない時代ですから、情報の伝わり方も遅く、
とりわけ上野に近い下町は大パニックに。 町会では「家の戸を固く閉ざして外へ出ないように」との
お触れが回り、子供たちは家に閉じこもって恐怖に打ち震えます。
翌七月二十五日、もちろん動物園は臨時休業となりました。
職員らおよそ百名が、銃や棍棒を手に持って公園一帯を捜索。
近隣の警察署、さらに警視庁からも大量の警察官が動員され、
足跡追跡のため2頭のシェパードが派遣されました。

黒豹が発見されたのは、その日の午後二時三十五分。
脱走した檻から、ほんの四百メートルほど離れた
マンホールに潜んでいたのです。
力自慢のボイラー係が、板を楯にして、
マンホールの上に据えつけた檻へと追い込み、あっけなく御用。
およそ十四時間の捕物劇が、こうして無事に終わりました。
物見高いは人の常、
翌日の上野動物園は黒豹目当ての見物人で押すな押すな、
これまた大変なパニック。
さらに翌月、8月の末には、なんと「黒豹脱走曲」という
映画まで封切られています。
日本人のやることは、昔も今も、たいして変わらないようですね。



8月4日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、東京の夏の風物詩、カルガモ一家をご紹介します。

東京・大手町、三井物産の人工池で生まれた
カルガモのヒナたちが、
道路一本隔てた皇居のお濠へと、ヨチヨチ歩いてお引っ越し。
ニュースなどでしばしば放映されていますから、
ご存じの方もたくさんいらっしゃるでしょう。
この人工池に、カルガモがやってきて、子育てを始めたのが、
今から22年前の1983年(昭和58年)のこと。
翌年、道路を渡る一家のかわいらしい写真が
新聞に掲載されて大きな反響を呼ぶと、
翌年からは新聞・テレビ各社が一斉に「カルガモ番」記者を派遣。
うっかり引っ越し現場を取材しそこなったりすると、
進退伺いを出さなければならないほど…というのはオーバーですが、
マスコミを挙げての大フィーバーとなったのは事実。
写真集が出版され、「カルガモさんのお通りだ」という
ドキュメンタリー映画が制作されるなど、
一家の引っ越しは都民の夏の一大関心事となったのです。
さて、そのカルガモ、いったいどんな声で鳴くのでしょう?

…カルガモ一家の大家さんである三井物産では、
「カルガモレディー」という専属の女性広報を置いて、
毎年、ヒナたちの成長を暖かく見守っています。


8月5日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、文化放送の地元、新宿区のタヌキをご紹介します。

JR山手線 外回りの電車が高田馬場から目白へと向かう途中。
新目白通りを越えると、左側の高台のそこかしこに、
濃い緑の風景が見えてきます。
この落合地区は戦前からの高級住宅地で、
豪邸の庭に広がる林や、また由緒ある公園などが広がり、
豊かな自然環境が形作られているんです。
江戸時代には「御留山(おとめやま)」と呼ばれていました。
かわいいお姉さんがたくさんいる山、というわけではなく、
将軍家の狩猟場として、市民の立ち入りが禁じられていた、
「留められていた」ことからつけられた名前。
最近、この落合地区一帯にタヌキが出没し、話題になっています。
え? 東京でタヌキ?…と、
ビックリされる方もいらっしゃるかもしれませんが、
実は東京にも野生のタヌキが生息しています。
江戸の昔には、それこそ麻布にタヌキの穴と書く「狸穴」なんて
地名が残るほど、タヌキも狐も日常的に出没していたわけですが、

専門家の推測によれば、現在でも二十三区内で少なくとも2千頭の
タヌキが暮らしているのではないか、とのこと。

このあたりは山手線の線路をはさんで学習院大学、
おとめ山公園、そして大きなお屋敷の森などが広がり、
多くのタヌキたちがつつましく暮らしております。
ところが最近、豊かな自然をもつお屋敷の一つが売られ、
マンション建設計画のあることがわかりました。
このままではタヌキ一家の暮らしが危ない! と、
公園として買い取ることを目標に、市民運動が起きています。
「下落合みどりトラスト基金」の経理担当でもあり、
アマチュアオーケストラ高田馬場管弦楽団のコンダクターでもある
森山 崇さんに、屋敷跡に暮らすタヌキについて、お話を伺いました。

東京でしぶとく暮らす、野生のタヌキたち。
私、体型が若干似ているせいか、かなり親近感を持っております。
これからも元気に、生き延びていってほしいものだと、
心より思っております。

 
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