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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
9月12日(月)〜9月16日(金)今週のテーマは「東京のクラシックな駅」
都内に残っているクラシックな、懐かしさを感じさせてくれる駅をご紹介します。


9月12日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、「両国駅」をご紹介します。

両国駅の開業は、1904年(明治37年)4月。日露戦争が始まった直後のことです。本所、現在の錦糸町駅と千葉県の佐倉を結ぶ総武鉄道会社の新しい駅、両国橋駅としてスタートしました。2年後の1906年(明治39年)には国有化され、1931年(昭和6年)に、駅名は両国と変わり、翌年には御茶の水までの延長工事が完成しました。
両国駅は、1972年(昭和47年)に総武線が東京駅まで延び、地下ホームから出発するようになるまで、新宿や上野と並ぶターミナル駅でした。内房や外房、そして水郷などへの特急や急行は、両国が発着駅だったのです。 今の建物が完成したのは、1929年(昭和4年)。風格のある堂々とした造りです。現在、ふだん使われているホームは1本だけで、隣に見える、やや低い位置にあるホームが、ターミナル駅だった頃に活躍した総武本線ホームです。今は、臨時列車の発着と、新聞輸送に使われています。

両国駅の1日の乗降客は約8万人です。1985年(昭和60年)には、駅の北側に新国技館が完成。また、1993年(平成5年)には、江戸東京博物館がオープンしました。相撲に縁の深い場所だけに、駅のコンコースには2枚の優勝額が掲げられています。近くで見ると大きく、そして、足元をよ〜く見ると、床石には、実物大の土俵が描かれています。両国駅らしい演出です。
総武本線の始発駅が東京駅に移ったあと、外観はそのままにして駅の改修が行われました。
中心になったのは、駅の高い天井を活用したビヤホールで、個性的で味わいのある地ビール、両国地ビールが楽しめる、 ビヤステーション両国です。全部で850の座席があります。 支配人に伺うと、地元にお住まいの方、近くにお勤めの方々のお馴染みさんが多いそうです。



9月13日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「原宿駅」をご紹介します。

都内に数ある駅のなかで、原宿駅は東京駅と並んで人気があります。駅の開業は、1906年(明治39年)。当時、このあたりは、多摩郡原宿村と呼ばれていました。現在の駅の建物は、1920年(大正9年)に完成しました。ハーフ・ティンバーというスタイルの、優雅な木造建築で、「とんがり屋根の駅」として親しまれてきました。
1997年(平成9年)には、関東100選の駅に指定されています。
駅の周辺は、時代と共に大きく変化してきました。戦前は明治神宮そして、陸軍の代々木練兵場の最寄り駅。戦後はアメリカ文化に直接触れることが出来た米軍宿舎・ワシントンハイツ。大きく変わったきっかけは、東京オリンピックでした。選手村が出来、大きな競技場が完成。やがて、表参道が大人の街になり、東京のシャンゼリゼと呼ばれるように なりました。一方、竹下通り、竹の子族、ホコ天など、いろいろなブームの発信地にもなりました。

この駅には臨時ホームがあります。使われるのは、年に4日だけ。大晦日と正月3が日、毎年日本一の人出になる明治神宮の初詣客が円滑に流れるために使われます。ちなみに、正月3が日の乗降客数は100万人近くになるそうです。
また、原宿駅には、日本でここだけにしかないホームがあります。宮廷ホームと呼ばれているもので、大正時代につくられ、昭和天皇の時代には、たびたび利用されていました。
ところで「原宿」という名称は、現在の地名にはないのです。1965年(昭和40年)の町名改正で原宿の地名は消えてしまいました。地名にはなくても、原宿ほど知られている場所はありません。小さな駅の2つの出入り口のうち、新宿駅よりにあるのが竹下口。以前は坂下口と呼ばれていたんですが、あのブームが起きてから竹下口と呼び名が変わりました。駅に置かれているスタンプの図柄は、木造の駅舎と明治神宮。ホームから見える緑の多さも有名で、「心なごむ駅」として人気があります。



9月14日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「上野駅」をご紹介します。

北の玄関として知られた上野駅。開業は、1883年(明治16年)。開業当時、営業は上野から熊谷(くまがや)までで、1編成のみの列車が1日に2往復していたそうです。開業から2年後の1885年(明治18年)、レンガ造り2階建ての駅舎が完成しました。 岩手県から上京した石川啄木が(ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人ごみの中に そを聴きにいく)と詠んだのは、この初代上野駅だったのです。
初代の上野駅は1923年(大正12年)の関東大震災で焼け落ち、1932年(昭和7年)に完成したのが、現在の上野駅です。広さは、初代の3倍ほどもある大建築です。堂々とした正面の眺めは、車寄せが出発客用と到着客用に分かれ、人の流れを考えた工夫がされていました。高い評価を受けた上野駅の設計は、戦前の日本各地の駅に取入れられ ました。駅の雄大な外観は、駅前の歩道橋の上からでもゆっくり眺めてください。

戦後の高度成長の時代には、集団就職の到着風景が毎年のように紹介された場所でもあります。1985年(昭和60年)には、東北新幹線が上野発と、地下ホームが作られました。風格のある建物を利用して、複合施設アトレが完成したのは、2000年(平成12年)。飲食店やおしゃれな店が出来、人の流れが変りました。

ところで、上野駅の意外な楽しみ方をご存知ですか?
それは、アート。コンコース正面の壁面には、有名な洋画家・猪熊弦一郎(いのくま・げんいちろう)の大壁画があります。
タイトルは「自由」。1951年(昭和26年)に完成した力作です。同じコンコースの券売機の上には、平山郁夫(ひらやま・いくお)のステンドグラス。「ふるさとの日本の華」というタイトルで、沿線各地の祭りや自然を描いています。さらに、反対側には彫刻界の巨匠・朝倉文夫(あさくら・ふみお)の作品「翼の像」があり、待ち合わせの目印ともなっています。
広い空間の中で、アートを楽しんでみてはいかがでしょう。



9月15日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「新橋駅」をご紹介します。

新橋ステーション。
現在の新橋駅ではなく、わが国初の鉄道が走った、あの旧新橋停車場(しんばしていしゃじょう)です。開通したのは、1872年(明治5年)9月12日で、横浜までの約29キロを53分で走りました。驚くべき速さ…と当時の記録にあります。9月12日は太陽暦では10月14日で、現在では、10月14日は鉄道記念日になっています。

さて、新橋ステーション。
ここは、江戸時代には仙台藩や会津藩などの屋敷がありました。駅舎はブリジェンスというアメリカ人が設計したもので、木で骨格をつくり、石をはった構造でした。
新橋駅は、やがて主役の座をおりることになります。1914年(大正3年)、東京駅が完成したのです。汐留駅と呼び名が変り、貨物専用の駅になり、かわって、それまでの烏森駅が新橋駅になりました。そして、1923年(大正12年)関東大震災のため、歴史ある新橋ステーションは全焼してしまいました。

汐留地区の再開発事業が決まり、埋蔵文化財の発掘調査が行われ、明治時代の駅舎やプラットフォームなどの跡が確認できたんです。鉄道発祥の地を保存しよう…という動きが高まりました。
現在、高層ビルが建ち並ぶ一画に、旧新橋停車場が再現されています。外観も、完成当時そのままです。130年も前の開業当時の写真と、発掘調査で確認された正確な位置をもとに作り上げられたのです。
建物の中には、発掘された品や、貴重な資料が展示されています。注意深く保存された駅舎の基礎の一部は、ガラス越しに見ることが出来ます。
石造りの新橋ステーションを眺めながら、「汽笛一声〜」の当時をしのんでください。



9月16日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「東京駅」をご紹介します。

日露戦争が終わった後、日本の首都東京にふさわしい駅を作ろう、という動きが高まりました。
日本一の駅、中央停車場(ていしゃじょう)として建設計画が進められました。設計は、明治時代を代表する建築家・辰野金吾(たつの・きんご)。工事が始まったのは、1908年(明治41年)3月、そして1914年(大正3年)12月に完成し、東京駅と名づけられました。
建物の全長は335メートル、巨大な2つの丸屋根を持ち、3階建ての重厚な赤レンガの建築です。完成当時、駅の周りには大きな建物はなく、写真や絵葉書などでその大きさを知ることができます。

1923年(大正12年)の関東大震災では大きな被害はありませんでしたが、太平洋戦争の空襲で大きな被害を受けました1945年(昭和20年)5月25日、爆撃で、ドームと建物の3階部分が焼けてしまいました。
現在の建物は、戦争終了後に、1年半ほどの短い期間で応急修理されたものです。資材のない時代によく作ったものだと感心します。
実は、現在、大きなプロジェクトが進行中です。
東京駅を、完成当時のままの姿に復元する計画が練られているんです。来年2006年に着工、2010年度中に完成の予定だそうです。

さて、現在の東京駅は、1日に発着する列車と電車の数はどのくらいだと思いますか?
正解はおよそ3900本、もちろん日本一です。乗降客数は1日45万人。この数字は乗り換え客は除いてあります。新宿駅などには及びませんが、長距離客の数では断然日本一なのです。当然、駅弁の売り上げも日本一。1日およそ2万個も売れているそうです。目下一番人気の駅弁は、東京駅限定販売の「東京弁当」で、1つ1600円の東京弁当は、午後には売り切れてしまうことが多いんだそうです。

「赤レンガ駅舎」として知られ、東京のランドマークになっている東京駅。
2003年(平成15年)には重要文化財に指定されました。近くで見ても、遠くから眺めても、飽きることのない建物です。



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