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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
11月7日(月)〜11月11日(金)今週のテーマは「あの街この街・公園めぐり」
よく知られている公園、意外な歴史のある公園をご紹介します。


11月7日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、東京にある「千代田区の日比谷公園」をご紹介します。

わが国には、ごく最近まで公園というものはありませんでした。
あったのは、庭園。大名屋敷や大きなお寺の庭には名高い庭園が数多くありましたが、一般の人が出入りできる場所ではありませんでした。
西洋風庭園も取り入れて、公園第一号となったのが日比谷公園でした。江戸時代には大名屋敷があり、明治時代に入ってからは陸軍の練兵場として使われていたんです。明治も半ばを過ぎた頃、都市の中に「憩いの場」を作ろうという機運が高まり、本格的な公園が作られたんですね。開園は1903年(明治36年)6月1日、日露戦争が目前に迫っていた時期です。広さおよそ16万平方メートル。それまでになかった西洋庭園持作られ、一般に開放されました。大変な人気となり、たちまち東京名所の仲間入りをしたんです。

ところが、日露戦争を終わらせるポーツマス講和条約の内容に不満をもった人々が日比谷公園で集会を開き、やがて暴徒化して大混乱となりました。名高い、日比谷事件、1905年(明治38年)9月のことでした。その後、設備が整備され利用客も増えていきました。戦後はモーターショーの会場になるなど、都心部にある利点を活かしたイベントも数多く開かれ親しまれています。晩年を目の前にある帝国ホテルで過ごしたオペラ歌手・藤原義江は、「ニューヨークのセントラルパークに似ている」とお気に入りで、公園を散歩するのが日課だったといいます。

日比谷公園で、昼休み時に長く続けられているコンサートがあります。
それは、都民コンサート。警視庁音楽隊による「水曜コンサート」、東京消防庁音楽隊による「金曜コンサート」があり、小音楽堂を会場に、それぞれ1年に20回ほど実施されています。だれでも自由に聞くことができます。
始まったのは、どちらも1949年(昭和24年)。実に56年間も続いているんです。残念ながら、毎年4月から10月までで、今年の演奏会は終了しました。ちなみに、先週行われた水曜コンサートは920回目、金曜コンサートは734回目、大変な記録です。



11月8日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、千代田区紀尾井町にある「清水谷公園」をご紹介します。

紀尾井坂。江戸時代、この近くに、紀伊、尾張そして井伊の3家の大名屋敷があったため、そう名づけられました。
1878年(明治11年)5月14日、紀尾井坂をくだったあたりで大事件が起こりました。
暗殺されたのは、明治政府の実力者・大久保利通。西郷隆盛、木戸孝允(たかよし)と並んで、「維新の三傑」と呼ばれた人物でした。新しい国家の建設を進めていた大久保の死は、大きな衝撃でした。

6年後の1884年(明治17年)、かつての同僚や部下が、現場近くに「哀悼碑」を建てました。その後あたりの土地を整備して、1890年(明治23年)3月、清水谷公園が開園しました。清水谷の起こりは、このあたりの入り組んだ地形の中で清水が湧き出ていたため…と言われています。

はるか後年、この公園が有名になった時期があります。
それは、1970年代。学生運動華やかなりし頃、デモ隊の集合地・出発地としてお馴染みでした。あの頃を、ほろ苦く思い出す方もいらっしゃることでしょう。
現在、公園前の通りは、「紀尾井町通り」と呼ばれています。ホテルニューオータニと赤坂プリンスホテルにはさまれ、高級レストランや高級ブランドの店が並んでいます。公園の広さは、およそ1万平方メートル。決して広くはないんですが、回遊式の歩道も作られ、癒し効果絶大の場所です。ここは知る人ぞ知る、桜の名所でもあるんです。
清水谷公園の最寄り駅は、東京メトロ銀座線と丸の内線の、赤坂見附駅です。



11月9日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、世田谷区と目黒区にまたがる「駒沢オリンピック公園」をご紹介します。

1953年(昭和28年)、それまであったゴルフ場の場所にプロ野球の球場が作られました。 それが駒沢球場です。はじめは東急フライヤーズ、途中で東映フライヤーズと名を変えましたが、熱心なファンが声援を送る親しみやすい球場でした。しかし、東京オリンピックの開催決定によって、ここ駒沢に会場を作ることになり、取り壊されました。

1962年(昭和37年)に始まった工事は、開会直前に完成しました。ここでは、レスリングやホッケー、サッカーなどの競技が行われました。中でも、日本中から注目されたのが、女子バレーボール決勝戦でした。テレビ中継の最高視聴率、なんと85%だったそうです。さて、あれから40年あまりが経って、うっそうとした…という表現がピッタリの見事な森になっています。
広いスペースに女子バレーボール決勝の舞台となった屋内球技場をはじめ、陸上競技場・野球場・体育館などが建っているのは変わりませんが、樹木の生長には驚かされます。

この公園は、静かですが活気があります。夕方近く、隣の駒澤大学の学生や、近くの高校生のスポーツウエア姿が目立ち、犬を連れて散歩を楽しむ人、ベンチで楽しい語らいをするグループも見られます。
また公園には、1周およそ2キロのジョギングコースとサイクリングコースもあり、年齢もさまざまの、たくさんの人が運動を楽しんでいます。顔見知りの人が多いようで、和やかな雰囲気が漂っています。レンタルサイクルも用意されており、料金は1時間200円です。紅葉を楽しみながら、ゆっくり走ってみせせんか?
東京オリンピックの置き土産、駒沢オリンピック公園。ぜひ、訪ねてみてください。
最寄り駅は、東急田園都市線・駒沢大学駅です。



11月10日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、江東区にある「木場公園」をご紹介します。

火事と喧嘩這江戸の華…と言われた江戸。江戸の歴史は「火事と復興の繰り返し」と言っていいでしょう。
復興のために、大きな材木置き場と材木加工業はなくてはならないものだったんですね。江戸市中にあった材木置き場は、やがて隅田川を越えた場所に移転、これが木場の始まりです。
木場の最盛期には、600社以上の木材関連会社がありましたが、手狭になったことと、地区の再開発計画が決まったために移転することになりました。1972年(昭和47年)から、14号埋立地、現在の新木場への移転を始め、15年後にすべて終了しました。
跡地の広さ、およそ24ヘクタール。公園整備工事はいくつかの段階に分けて進められ、1992年(平成4年)に大部分が開園し、美術館などが完成した2000年(平成12年)に全面開園となりました。正式の呼び名は、「都立木場公園」です。

水と緑の森林公園というテーマにふさわしく、実に木が多いんですね。1992年の開園の際に植えられたのが、およそ15万本、それからの13年間でずいぶん生長しているようです。公園は、仙台堀川と葛西橋通りを境に、北・南・中の三つの地区に分かれ、全長250メートルの巨大な橋「木場公園大橋」で結ばれています。実に広くて、しかも静かなんです。東京の下町に不足していた緑の多い公園だけに、利用者も多く、管理側の行き届いたメンテナンスが好評と伺いました。イベント広場、多目的広場、ふれあい広場など、さまざまに利用できるスペースが多いんですね。毎年10月には、地元江東区の「区民まつり」が行われ、昨年は2日間で40万人の来場者があったそうです。

さて、この公園、実はもうひとつの顔があります。
それは、大きな災害が発生した時、公園は防災拠点になるんです。さきほどの多目的広場はヘリポートに早変わり、テニスコートは非常用の物資置き場として使われるんです。公園の外側部分には、火に強い木を選んで植えてあるそうです。
公園の北のはずれにある東京都現代美術館は、現代美術の流れが理解できるよう、展示に工夫がされています。緑で心をなごませ、アートも楽しめる。その上、万一の場合の備えを果たしている、実によく考えられた公園です。
都立木場公園の最寄り駅は、東京メトロ東西線の木場駅と、都営新宿線の菊川駅です。



11月11日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、横浜港に面した「山下公園」をご紹介します。

徳川幕府の開国したことによって大きく発展した横浜。外国人居留地の人々にとって、すぐ目の前の海に面した通りは格好の散歩道でした。当時は、「海岸通り」と呼ばれていました。明治・大正と時代は変わっても、このあたりは外国のような街並みが続く別世界だったんです。

ところが、大きな災害が横浜を襲います。1923年(大正12年)9月1日、関東大震災。横浜は壊滅状態、港や外国風の街並みも大被害を受けました。復興にあたって、まず問題になったのがガレキの山。そこで、ガレキを利用して、目の前の海を埋め立てることにしたんです。1930年(昭和5年)、わが国初の臨海公園・山下公園が誕生しました。広さはおよそ74000平方メートル。
現在の山下公園は、目の前に客船・氷川丸が係留され、右奥にはベイ・ブリッジ、左には大桟橋そして、MM21の高層ビル。まさに現代の絶景です。

さて、横浜港といえば、童謡「赤い靴」。この歌は横浜港を舞台として作られているんです。童謡「赤い靴」が作られたのは、1921年(大正10年)。関東大震災の直前のことでした。作詞は野口雨情(のぐち・うじょう)。悲しいお話をテーマに、後世に残る名曲を作り上げました。
そして、童謡「かもめの水兵さん」も横浜港から生まれたんです。作詞は竹内俊子(たけうち・としこ)さん。1933年(昭和8年)、秋のある日のことでした。港に見送りにきた竹内さん、港を飛びまわっているカモメの姿が印象に残ったんですね。さっそく詩になり、いまでも親しまれている童謡になった…というわけです。
山下公園には、「赤い靴はいてた女の子の像」と「カモメの水兵さんの歌碑」が建てられています。

この公園では大道芸を楽しむことが出来ます。
公園を管理している横浜市に申請して許可されたストリートパフォーマーが登場しているんです。見物の人垣が出来、時折り、拍手や笑いが起こります。港をながめながら、のんびりした時間を持つのもいいもんですね。
山下公園の最寄り駅は、みなとみらい線・元町中華街駅です。



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