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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
12月26日(月)〜12月30日(金)今週のテーマは、「東京歳末風景」
東京の年の瀬を感じさせる風景をご紹介します。


12月26日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、今年でしばしの見納めとなる「東京ミレナリオ」をご紹介します。

どこから外敵が襲ってくるか分からない、夜の暗闇。月明かり、星明かり、そして「火」を手に入れてからは焚き火や松明(たいまつ)と、有史以来、「光」は人間を勇気づけてきました。どんな恐ろしい怪獣もたった3分でやっつけてしまう、人類史上最大の味方・ウルトラマンが「光の国」からやってきたというのも、象徴的な話です。
そんな「光」を芸術作品にまで高めたのが、歳末の丸の内を彩る「東京ミレナリオ」です。今回で7年目を迎えるこの催しは東京駅丸の内口のシックな建物を出ると、目の前に光の洪水が広がります。そして、皇居に繋がるメインストリート、「行幸通り」をまっすぐに進んで左に曲がると、3ブロックに渡る道の両側にも、光、また光。全国津々浦々からやってきた観光客の皆さんも、ロマンチックなデートのため出かけてきたアベックたちも、丸の内に勤めているエグゼクティヴのオジサマたちも、誰もがその壮大な様子には息を呑まずにはいられません。

東京ミレナリオ実行委員会事務局の方にお話を伺いました。
ミレナリオの点灯時間は、大晦日まで毎日、夕方5時半頃から9時頃まで。そして年が明けた瞬間、2006年の1月1日、午前0時頃から3時頃までとなっています。残念ながら今年でしばしの見納めとなってしまう、この一大イベントは、ロマンチックな東京の風景を記憶に刻みつけておくためにも、今年はお出かけになった方がいいかもしれません。

かつての駅舎の復元工事が始まる重要文化財・東京駅は、今から91年前の1914年(大正3年)に誕生しました。長さは実に320m、日本一大きなレンガ作りの建物です。駅からまっすぐ皇居に向けて伸びる行幸通りの風景は、正に「日本の玄関口」と呼ぶにふさわしい見事な眺めですが、実はこのあたりは、明治維新後には荒れ果ててしまい、追いはぎが出没するほどの殺伐とした野原でした。

明治の半ばになって付近一帯が三菱財閥に払い下げられたため、「三菱が原」と呼ばれていた時期も長かったのです。しかし、皇居から東京駅につながる、いわば日本の心臓部が、このテイタラクではいかん!…ということになり、近代的な都市計画が行われることになり、今日のようなオフィス街が作り上げられてきたというわけです。ミレナリオの見事な風景を楽しみながら、東京国際フォーラム方面へ抜けていくと、JRのガードの向こう側には銀座のこれまた明るい光が現れます。オシャレなバーでホットワインを一杯…というのも、素敵な年末の東京の過ごし方ですね。



12月27日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、戦前には東京でも有数の盛り場だったという、東日本橋界隈、薬研堀不動尊の「歳の市」をご紹介します。

「薬研」という道具をご存じでしょうか。
漢方薬をゴリゴリとすりつぶす道具で、形は、机の上に置いて使うセロテープ・カッターに似ています。よく時代劇で、お医者さんが板の間で上半身を傾けながら、取っ手のついた電車の車輪のようなものを前後にゴリゴリやっているあの道具…といえば、ピンと来る方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
この由緒ある道具の名前がつけられたのが「薬研堀」です。名前の由来は、堀の断面の形や深さが、薬研に似ているから…とも、あるいはこのあたりに、かつてお医者さんがたくさん住んでいたから…とも言われています。場所は神田川が隅田川に流れ込む柳橋の近くで、戦前はこの一帯は、「両国」と呼ばれていました。

現在では、「両国」は総武線でいえば「両国」駅の側だけを指しますが、以前は「浅草橋」の側も、また「両国」でした。こちら側は「西両国」、現在の「両国」は「東両国」だったのです。
その昔、隅田川が武蔵国と下総国の国境だったころ、両方の「国」をつなぐ場所という意味で、川の両側が「両国」と呼ばれるようになったのだそうで、西両国、そして北側の艶っぽい街、柳橋を含めたこのあたりは、江戸から戦前にかけては都内有数の盛り場でした。しかし、空襲ですっかり焼き払われて、栄華は幻と消え、現在では地味な問屋街へとすっかり姿を変えています。そんな、かつての盛り場「両国」の姿が、ふと蘇ったように思えるのが、12月27日から3日間に渡って行なわれる薬研堀不動尊の「納めの歳の市」です。しめ飾りなど正月用品がところ狭しと並べられ、また併せて開催される地元問屋街の大バーゲンセールの「大出庫市(おおでこいち)」と併せ、大変な人出で賑わいます。

東京の年の瀬の風物詩、薬研堀不動の「納めの歳の市」、そして150軒もの問屋さんが衣料品や靴、ハンドバッグ、日用雑貨などを格安で出品する「大出庫市」は、都営地下鉄・東日本橋駅がいちばん最寄りの駅ですが、同じく都営地下鉄の馬喰横山、あるいはJRの馬喰町、浅草橋の駅からも歩いてすぐです。歳末風景を楽しんだ後は、お土産に名物の「七色唐辛子」がオススメ。「七味」ではなく「七色」というのが江戸風です。



12月28日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「深川」をご紹介します。

江東区、門前仲町の地下鉄の階段を上がるとすぐそこに見えるのが、下町名所の一つ、深川不動です。
毎月28日は「お不動様の縁日」で、善男善女で賑わいますが、中でも人出が多いのが、12月28日の「納めの不動」です。この一年、無病息災を祈ったお札を納め、厳かに「お焚き上げ法要」が営まれます。境内には多くの出店が立ち並んで、威勢のいい売り声もそこかしこに聞こえます。

「深川不動」ができたのは、今から302年前の1703年(元禄16年)のことだそうですから、赤穂浪士討ち入りの翌年です。当時、江戸の街ではお不動様への信仰が盛んでした。豊かな経済力を持つようになった商人たちの間で、なんとかわざわざ成田山まで出かけなくても、お不動様に参拝することができないか…という気運が高まり、この年、成田山から御本尊が出張してご開帳されました。総勢300人の行列が成田から江戸まで1週間かけて御本尊を運び、それは大変な騒ぎだったようです。

そして深川に到着するや、物見高い江戸っ子たちで連日、押すな押すなの大にぎわい。2ヶ月に及ぶご開帳が終わると、御本尊は成田へと帰りましたが、江戸っ子たちのお不動様フィーバーは衰えることを知りません。 結局、この地に御本尊の分霊をお招きすることになり、「成田山御旅宿(おんたびやど)」として、江戸で手軽に成田山へのお参りができるシステムが作り上げられた…これが深川不動の始まりです。

成田山のお正月や節分といえば、芸能人がたくさん押し寄せることで有名ですが、深川不動もその流れを汲んでいますから、古くから歌舞伎俳優の方々などが数多く参拝に訪れています。幕末から明治にかけて大活躍した、五代目・尾上菊五郎もその一人です。いなせな江戸っ子の役を得意にして、九代目・市川団十郎と共に「団菊」と称され、明治の歌舞伎の、文字通り「立役者」となった方ですが、境内にはこの五代目の記念碑も建てられていて、濃厚な江戸情緒が感じられる空間になっています。
お不動様への参拝を終えたら、ぜひ食べてみたいのが新鮮なアサリをたっぷり炊き込んだ「深川飯」です。北風に冷えた体をほんわりと温めてくれます。



12月29日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、年末ジャンボ宝くじの抽選会場「帝国劇場」をご紹介します。

落語「富久」の一節です。

大酒のみで旦那をしくじったタイコモチの久蔵。
旦那の家が火事だというので駆けつけたところ、その留守中に今度は自分の長屋が焼けてしまった。そこにはなけなしの金で買った富札が置いてあったが、その札が一等賞に大当たり、さあどうする

…というおなじみのストーリーですが、現在の「富くじ」といえば「宝くじ」です。
最近では毎週どころか、毎日のように抽選が行われていますが、そんな宝くじ数ある中で、もっとも規模が大きく、売上もバツグンなのが「年末ジャンボ」です。2005年は宝くじ発売60周年、記念の年ということで、なんと1億円以上の当たりくじが去年より30%も増えて、296本もあるそうですから、例年にも増して人気が高いようです。そして大晦日、この年末ジャンボの抽選会場となるのが、千代田区丸の内、皇居のお濠に面した帝国劇場です。

今年11月、惜しくも世を去った本田美奈子.さんですが、トップアイドルだった彼女が一般参加者に混じってオーディションを受け合格し、初めてミュージカルの舞台を踏んだのも帝国劇場です。1992年(平成4年)5月、演目は「ミス・サイゴン」でした。
帝国劇場といえば、かつてはあの森繁久弥さん主演「屋根の上のバイオリン弾き」なども演じられた、日本のミュージカルのメッカですが、オープンしたのは1911年(明治44年)のことでした。日本で初めての洋式劇場で、当時はルネサンス洋式の見事な建物でした。開場当時のキャッチコピーは、「今日は三越、明日は帝劇」。モダン都市東京の、そのまた最先端を行くホットなスポットだったのです。

1955年(昭和30年)からおよそ10年間は、巨大スクリーンの映画「シネラマ」が上映されていましたが、1965年(昭和40年)に解体、2年後に現在の建物が建設されオープンし、日本を代表する大劇場の一つとなりました。1969年(昭和44年)から15年間は、日本レコード大賞の会場としてもおなじみでした。人気歌手が大挙しての日比谷からNHKホールへの移動は、これまた大晦日の懐かしい風物詩でした。



12月30日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「かんだやぶそば」をご紹介します。

大晦日といえば、年越し蕎麦ですが、日本中のお蕎麦屋さんにとっては、正に戦争のような一日です。どうせ食べるなら、おいしい蕎麦を…というのは人情です。ガイドブックに載っているような、いわゆる「名店」は、大晦日は軒並み、朝からてんてこ舞いの大忙しです。そんな中でも名店中の名店、神田・連雀町の「かんだやぶそば」さんにお話を伺いました。

もともと「薮そば」の起こりは、現在の文京区千駄木、団子坂にあった「蔦屋」というお店だそうです。
初代の伝次郎という方は、もともとおさむらいでしたが、よほど二本差しが性に合わなかったと見え、家には夫婦養子を取って町人となり、得意の蕎麦打ちを本業にしてしまったというわけです。現在の脱サラ蕎麦屋の祖先みたいなものですね。
それでなぜ「蔦屋」が「薮」になってしまったかというと、その伝次郎さんが最初に始めたお店が、敷地三百坪という鬱蒼たる竹藪の中にあったため、誰もが「薮」と呼ぶようになり、そのうちに通称が本名になってしまった…というわけなのだそうです。

大晦日に蕎麦を食べるようになった理由については諸説ありますが、勘定の「締め」が年に2回しかなかった江戸時代、大晦日は誰もが「掛け取り」に走り回っており、忙しくて忙しくて「もり蕎麦」ぐらいしか食べる時間を作ることができなかった。そのうち、それが「細く長く」という縁起と結びついて「年越し蕎麦」の風習が生まれた…そんな説もあります。お蕎麦屋さんの一番長い日が、あと少しで、始まります。



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