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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
4月3日(月)〜4月6日(木)今週のテーマは、「武蔵の国・うたの旅」
万葉の昔から、かつての武蔵の国、現在の東京を舞台に歌われた、さまざまな歌と、その歌にまつわる
歴史、エピソードをご紹介します。
4月7日(金)は、スペシャルウィーク特別企画「邦丸黄門漫遊記 箱根・伊豆・熱海極楽トライアングル 夢の旅」をご紹介します。


4月3日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は、万葉集の中から、このあたりを歌ったもっとも古い歌をご紹介します。

さだまさしさんの大ヒット曲、「防人の詩」にもある「防人」は、「防ぐ人」と書いて、「さきもり」。「防人」とは、今から
1300年ほど昔、おもに関東や東北から強制的に集めた農民たちを九州に送り込み、兵士として、沿岸の警備、防衛に当たらせた制度のことです。

なぜ地元の九州や中国地方からではなく、わざわざ遠い東の国から兵士を集めたのか?
その理由は明らかになっていませんが、かつて朝廷に敵対していた、関東や東北の力を弱らせるためではなかったかという説があります。任期は3年でしたが、兵士としての装備や往復の交通費は自前で、さらに留守中の税が軽くなることもなく、農民にとってはとても負担が重く、苦しい強制労働だったようです。
夫を防人に送り出した妻の詠んだ歌が、「万葉集」に載っています。

 「赤駒(あかごま)を山野(やまの)に放し、捕りかにて多摩の横山 徒歩(かし)ゆかやらむ」

夫はこれから九州までの遠い旅路を行かなければならない。せめて目の前の「多摩の横山」を馬で越させてやりたかったが取り逃がしてしまった。歩いていくしかないのだろうか…切ない妻の心情が歌われています。

多摩の横山とは、多摩川の左岸から対岸を見て、目の前に広がる多摩丘陵のことで、狛江や調布、府中あたりから、多摩川の向こう岸を眺めると、山が連なって、よみうりランドの観覧車が見えたりしますが、あのあたりが「多摩の横山」というわけです。
「多摩」の地名が出てくる歌は、万葉集にもう一つ収められています。

 「多摩川に さらす手作り さらさらに 何ぞこの児の ここだ愛(かな)しき」

「手作り」というのは、手織りの布のことで、「かなしい」というのは「いとしい」という意味です。手織りの布を、多摩川でさらしている女性を見ている男性が、あの子、本当にかわいいなあ…と惚れ惚れと見ている歌です。当時、このあたりには朝鮮半島の高麗(こま)から来た人々が住み着き、布作りの技術を伝えました。「こまえ」の地名はそこに由来すると言われています。



4月4日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、かつて浅草の北にあった広大な草っ原「浅茅が原」の伝説をご紹介します。

和歌にしばしば詠み込まれる地名を「歌枕」といいます。「歌枕」は、奈良や京都の周辺だけではなく、日本各地に散らばっていて、古代から名所として親しまれて来た場所が多いようです。もちろん現在の東京、武蔵の国にも歌枕は多く、「浅茅が原(あさじがはら)」もその一つで、浅草の北、現在の台東区・橋場あたりは人気もなく、とても寂しい場所だったようです。

 「人目さへ枯れてさびしき夕まぐれ、浅茅ヶ原の霜を分けつつ」

文明18年(1486年)、東国を旅した道興(どうこう)という偉いお坊さんが、浅茅が原を通ったときに詠んだ歌ですが、このあたりには実に恐ろしい伝説が伝わっています。

その昔、このあたりに「一つ家(や)」と呼ばれた、寂しい一軒家がありました。住んでいたのは、老婆とその娘。老婆は、娘を遊女に仕立て、旅人が通りかかると声をかけ、娘に客を取らせました。そして、夜更け、客が心地よい眠りに落ちたころ…老婆は石で旅人の頭を叩き割って殺害し、金品を奪い、それで生計を立てていたのです。

ところがある日、それは美しい若者が客となりました。その若者に一目惚れした娘は、いつもとは反対側で眠り、若者の身代わりとなって母に殺されてしまいました。自分の罪に恐れおののいた老婆は、そのまま近くの池に走り、身を投げたのです。

娘が惚れて身代わりとなった若者は、浅草寺の観音様の化身だというお話もありますが、それにしても、あの賑やかな浅草が、600年前はそんなにも寂しい場所だったとは驚かされてしまいます。老婆が身を投げた池は「姥が池」と名付けられ、1891年(明治24年)に埋め立てられました。現在その跡地は花川戸公園になっています。



4月5日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、武蔵の歌枕としてもっとも名高い、「清流・隅田川」をご紹介します。

「花」でおなじみの隅田川は、はるか昔から武蔵の国の風光明媚な歌枕として、遠く都までその名を知られておりました。平安の昔から、多くの歌人がこの清流を眺め、素晴らしい歌の数々を残していますが、その代表的な一人に9世紀半ばに活躍した、在原業平(ありわらのなりひら)がいます。

生涯に交わった女性の数が3千人を越えるとも言われる、日本文学史上に燦然と輝く名うてのプレイボーイです。この業平が主人公として活躍するのが「伊勢物語」です。
身分の高い女性や、神に仕える女性との道ならぬ恋など、さまざまな恋愛エピソードと歌を交えて作られた「歌物語」ですが、この中に「東下り」というパートがあり、そこに隅田川が登場します。
その部分をご紹介しますと…

 「武蔵の国と、下総の国との中に、いと大きなる川あり。隅田川という。その川のほとりに、群れいて思いやれば、
 限りなく遠くも来にけるかな、と、わびあえるに、渡し守『はや船に乗れ。日も暮れぬ』と言うに、乗りて渡らんとする」

とんでもなく遠くまで来ちゃったな、大好きなあの人は、今頃、都でどうしているかな…としみじみしていると、「とっとと乗ってくれ、日が暮れちまわあ」と、渡し守に急かされた…というわけです。そしてこの渡し船に乗っていると、業平は、京都では見たこともない、珍しい鳥が川を泳ぎ、魚を取って食べてる場面を見かけます。

 「あの鳥は、何と申すかのう?」
 「これ?これはさあ、都鳥ってんだよ」

そう船頭に教えられ、詠んだ歌がこちらです。

 「名にしおわば いざ言問わん 都鳥 わが思う人は ありや なしやと」

都鳥よ、その名の通り都のことがよくわかっているなら、お前に聞いてみよう。我が愛する彼女は変わりなく暮らしているのかどうかを…。
大雑把にいえば、そんな意味の歌ということになりますが、カンのいい方はもうおわかりでしょう、隅田川の業平橋や言問橋の名前は、この「伊勢物語」から来ているのです。ちなみに、都鳥というのは、あの「ユリカモメ」のことです。



4月6日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、落語でもお馴染み、太田道潅ゆかりの山吹の里、「面影橋界隈」をご紹介します。

早稲田から都電・荒川線に乗ると、最初の停留所が「面影橋」です。ここから明治通りを右に急カーブするあたりは、都内でも有数の桜の名所で、この時期、運転手さんは神田川の鉄橋を渡る時、スピードを緩めるイキなはからいを見せてくれます。今はそんな風に「桜」で有名になっていますが、かつてこのあたりは「山吹の里」と言われていました。そのいわれとなったエピソードをご紹介します。

道潅といいますと、江戸城を建設したことで知られる、室町時代後期の武将・太田道潅のことです。またこの人物は、歌人としても名高いのですが、その太田道潅が、歌の道を志したエピソードを元にしたのが、落語「道灌」です。

時は15世紀の半ばごろのある日、鷹狩りに出かけた道潅は、途中で豪雨に遭い、通りがかりの民家で
「ミノを貸してくれないか」と頼みました。すると、そこにいた娘が庭に咲く山吹の枝を手折り、道潅に手渡し、そのままスーッと家の中に戻っていきます。いったい何のことだかわからず、ミノも借りられず、道潅はズブ濡れになって城に戻りました。

「ミノぐらい貸してくれてもいいじゃないか」と怒りつつ、その日の出来事を家来に話したところ、「お恐れながら…」と、和歌の知識のある家来が説明しました。

 『後拾遺(ごしゆうい)和歌集』に収められた、兼明(かねあきら)親王の歌に、こういうものがございます。
 「七重 八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞかなしき」

山吹には、花は咲いても実がならない種類があり、その「実」と、「ミノ」をかけた謎かけであったというわけで、己の無知を恥じた道潅は、それ以来、熱心に歌の道に取り組むようになり、後には室町を代表する歌人の一人として数えられるまでになった…というお話です。

ただし、この「山吹の里」は、実際には埼玉・越生だという説、あるいは横浜、はたまた荒川・町屋という人もあり、さらには全て作り話という説もあることを付け加えておきます。さて、もうひとつ、太田道潅の有名な歌をご紹介します。

 「わが庵(いお)は 松原続き 海近く 富士の高嶺を 軒端にぞ見る」



4月7日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
「邦丸黄門漫遊記 箱根・伊豆・熱海極楽トライアングル 夢の旅」をご紹介します。

ワゴン車「ごぜんさま」号の旅も数えて早や5回目。
今回の目的地は東京からそんなに遠くないのにも関わらず、食べ物も温泉も極上の箱根・伊豆・熱海エリア、名づけて極楽トライアングルです。初日の今日、お邪魔します南伊豆町は、太平洋にぽっこりと突き出した伊豆半島の、
突端にあたる部分。その最南端が、名高い石廊崎で、ここでは太平洋から昇る朝日、太平洋に沈む夕日、その両方を堪能できる伊豆唯一の場所。

海はここから東側が相模湾、西側が遠州灘、石廊崎の絶壁にはその両側からの荒々しい波が打ち寄せます。この石廊崎から相模湾サイドを20キロほど東北側、名高い海水浴場・弓が浜に面した、南伊豆町の漁業協同組合、その直売所にお邪魔しました。お話を伺ったのは、漁協の渡辺さんです。

この弓ヶ浜という場所は、ご存じの方も多いかと思いますが、本当に景色が美しく、風も暖かく、温泉も近くにあって、新鮮な魚介類を楽しめる、まさに極楽トライアングルの頂点。漁協の直売所には漁師さん、海女さんがその日の朝取ってきた獲物がズラリと並び、その場で焼いて食べることもできます。皆様もぜひ一度、お訪ねください。
損はさせませんよ!



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