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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
5月15日(月)〜5月19日(金)今週のテーマは、「東京 ホテル物語」
東京の発展とともに歩んできたホテルをご紹介します。

5月15日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「帝国ホテル」をご紹介します。

今年、開業116年を迎えた帝国ホテルは、ヨーロッパの有名ホテルに負けない、長い歴史を誇っています。あの有名な鹿鳴館の隣に、「東京ホテル」として準備が進められ、開業の時に、帝国ホテルという名がつけられました。「インペリアルホテル」の名は、たちまち外国に知れ渡り、それをさらに有名にしたのが、建築家フランク・ロイド・ライトが建築した旧本館。都心の名建築として親しまれていましたが、老朽化のため、1967年に解体されました。

このホテルに泊まった有名人は多く、チャップリン、ベーブルースそして…マリリン・モンロー。ハネムーンで日本を訪れたのは、1954年(昭和29年)のことでした。「夜は、何をつけて寝ますか?」という質問に、「シャネルの5番よ」と答えたのは、日本での記者会見でのことでした。
そのモンローが帝国ホテル滞在中、朝食に注文していたのが、「メルバトースト」。薄く切ったパンを、水分が抜けるまで焼いたもので、他にも、カロリーを抑えて、野菜をたっぷり添えたメニューを頼んだそうです。ダイエットという考えがなかった当時のこと、「さすがにハリウッド女優は違う」と感心されました。対象的だったのが、喜劇の王様・チャップリンでした。和牛のステーキが大好物で、昼も夜も、備長炭で焼いたミディアムレアを食べていたそうです。

食といえば、このホテルで始まって、全国に広まったものがあります。それは、バイキング。
およそ50年ほど前のことで、好きな料理を好きなだけ食べられる新しいスタイルの店をホテル内にオープンすることになって、店名を社内募集したんです。その時、ある社員が考えたのが、インペリアル・バイキングという名前でした。当時ヒットしていた、カーク・ダグラス主演の映画「バイキング」がヒントになったそうです。
店は大繁盛、バイキングという形式と名前が全国に広まりました。この他にも、このホテルから始まったものは多く、「ディナーショー」「シャリアピン・ステーキ」「ホテル・ウエディング」…まだまだあります。116年の歴史を活かしながら、まだまだ新しい試みが続けられていくことでしょう。
帝国ホテルの最寄り駅は、東京メトロ日比谷駅です。



5月16日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「ホテルニューオータニ」をご紹介します。

千代田区紀尾井町。江戸時代には大きな大名屋敷が集まっていました。そのひとつ、彦根藩井伊家の中屋敷跡に
あるのが、ホテルニューオータニですが、井伊家の前は、あの虎退治で有名な加藤清正の下屋敷だったそうで、
400年もの歴史があるんです。

開業は、1964年(昭和39年)。東京オリンピックの観光客を収容するために、ホテルをオープンしてほしい、という
都知事の依頼を受けて作られたんだそうです。17階建て、1000室を超す規模で、開業当時、東洋最大と言われました。完成当時話題になったのが、最上階の回転展望ラウンジで、世界からおいでになったお客様に、有名な富士山を見ていただこう、という考えから実現しました。
1時間に1回転、東京の眺めを堪能できる、あの滑らかな回転には秘密があり、実は、戦艦大和の主砲を回転させる技術が応用されていたんだそうです。いまだに人気の高い展望ラウンジですが、現在でも、富士山が見え、新宿の
高層ビル群の少し左側に、天気の良い日には美しい姿を見せています。

このホテルの本館は、有名な映画「007」で、ボンド役のショーン・コネリーと、ボンドガール若林映子が悪役の化学会社から脱出するシーンに登場しました。
ホテルニューオータニと言えば、広い庭園も忘れることが出来ません。敷地の半分、およそ1万坪の回遊式日本庭園です。庭園の樹木の数は、およそ5万本。庭園の手入れが、本当に行き届いていますが、7人の専属スタッフが、
丹精こめて歴史のある庭園を維持しています。40以上もある石灯籠や、さりげなく置かれた大小の庭石も、楽しめます。これから来月にかけては、ツツジとサツキが見ごろとなり、一年で最も華やかな時期を迎えます。ぜひ、ご覧ください。
ホテルニューオータニの最寄り駅は、東京メトロの赤坂見附駅と四ッ谷駅、JRの四ッ谷駅です。



5月17日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「山の上ホテル」をご紹介します。

千代田区神田駿河台1丁目1番地に、作家や文化人に愛されている山の上ホテルがあります。建物が出来たのは、戦前、昭和12年で、欧米のマナーやエチケットを教える施設「佐藤新興生活館」として作られました。終戦後はアメリカ軍が接収、アメリカ軍は「ヒルトップ・ハウス」と呼んでいました。
ホテルの開業は、1954年(昭和29年)。ヒルトップ、丘の上ではなく「山の上」と名づけ、45部屋の小さなホテルとしてスタートしました。作家が利用するようになったのは、当時は、近くに出版社や印刷会社が今よりも多く、作家にとっても、編集者にとっても便利だったからだとか。しかし、何よりもホテルスタッフの初々しさが作家たちに気にいられたようです。

その作家の顔ぶれがスゴい! 川端康成、三島由紀夫、水上勉、吉行淳之介、その他多くの作家がこのホテルを利用しました。最近では、池波正太郎さんが大のお気に入りで、肝心の原稿を書くよりも、趣味の絵を描くのに利用することが多かったようで、今でも愛用の絵の具が保管されているんです。
部屋は居心地の良さが感じられ、何より驚いたのは、静かなこと。とても都心とは思えません。芥川賞や直木賞を受賞した後の1作目を、山の上ホテルで書くとベストセラーになる…そんなジンクスがあったそうです。

このホテルは、客室は74と小さいのですが、飲食の店が11もあるので、朝の和定食から、深夜のバーのカクテルまで、どの店でも満足のゆく味と、ほど良いサービスが受けられます。創業者・吉田俊男さんの精神は、サービスでも味覚の面でも健在のようです。
だいぶ昔のことですが、作家・三島由紀夫が、このホテルを、「素人っぽいところが、実にいい」と褒めていましたが、創業者からの伝統は、今も受け継がれていて、マニュアルではなく、初心を忘れず、「温かく、でしゃばらないホスピタリティ」を目指しているのが、山の上ホテルなんです。
山の上ホテルの最寄り駅は、JRと東京メトロ丸の内線の御茶ノ水駅と、東京メトロ千代田線の新御茶ノ水駅です。



5月18日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「キャピトル東急ホテル」をご紹介します。

首相官邸と日枝神社にはさまれた一画にこのホテルが開業したのは、東京オリンピックの前の年、1963年(昭和38年)のことでした。世界有数のホテルチェーン、「ヒルトン」が日本に上陸!…と騒がれ、外国のホテル運営とはどんなものか、興味津々賑わいました。驚いたのは、食事の量の多いこと、ケーキの大きかったこと。海外旅行など夢だった時代、今からは想像も出来ないことですね。宿泊客の90%以上が外国人で、まるで外国にいるような雰囲気だった、と当時を知るスタッフは懐かしそうに話してくれました。

さて、開業から3年後、大事件が起こりました。
1966年6月29日から7月3日まで、武道館で5回の公演を行うビートルズの宿舎になったんです。彼らが滞在した
4日間は、ホテルの周りは警備の警官がギッシリ。ホテルを遠巻きにしてファンの姿が絶えませんでした。4人が泊まったのは、最上階の1005号室で、広さおよそ200平方メートルの部屋です。今年はビートルズ来日から40年。ホテルでも、いろいろな記念イベントが計画されていて、彼らが泊まった部屋を格安で利用できるプランもあるそうです。

開業から20年が過ぎた1984年、契約切れによって、ホテルの名前は現在の「キャピトル東急ホテル」に変わりました。ここでは、都心のホテルとしては珍しく、朝、鳥の鳴き声が聞こえる本当に良い環境にあるんです。また、食事の評価が高いのは開業以来変わることがなく、1階のコーヒーハウス「オリガミ」は、開業以来のファンもいるほど、
根強い人気を保っています。
残念なことに、キャピトル東京ホテルは、高層ビルに生まれ変わることになり、営業は11月末までで、その後は工事の準備に入ります。完成は2010年の予定で、29階建てのビルになり、ホテルの営業が再開されます。

東京ヒルトンの時代から現在まで、このホテルは大きな役割を果たしてきました。中でも、「ヒルトンホテル学校」と
呼ばれるほどに、日本のホテル業界の第一線で活躍する人材を育てた功績は大きく、整備されたマニュアルに基づいたホテル運営が日本で始めて行われたのが、東京ヒルトンホテルだったのです。
キャピトル東急ホテルの最寄り駅は、東京メトロ千代田線・国会議事堂前です。



5月19日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「ホテルオークラ東京」をご紹介します。

港区虎ノ門の高台に、ホテルオークラが開業したのは、1962年(昭和37年)のことで、ゆったりと作られたロビーの静かなこと、完成当時と変わりません。フロントをロビーと切り離して作ったために、落ち着きのある空間が生まれ、
ロビーで読書をする姿をよく見かけます。図書館のような静けさなのです。
ホテルのある場所は江戸時代は大名屋敷で、明治以後、創業者の大蔵家の屋敷になりました。庭にイチョウの木が多かったことから、「イチョウ屋敷」と呼ばれていたそうです。ホテルオークラのマーク「イチョウ」は,そんな歴史を伝えていたんです。

このホテルのファンは多いんですが、お二人だけご紹介しましょう。
作家・司馬遼太郎さんは、東京での定宿にしていました。あの「街道をゆく」にも、丘の上のホテル…として登場します。お仲間と楽しく過ごすのは、本館のバー「オーキッド・バー」で、座る席も決まっていたそうです。そしてもう一人、あのジョン・レノンが好きだったのが、別館1階のバー「バー・ハイランダー」でした。

ホテルオークラの館内では、実に多くの日本古来の文様が見られます。イチョウをはじめ、梅、菱、桐、網代(あじろ)、亀甲などが、さりげなく取り入れられているんです。その代表が、本館ロビーで見られる切子玉形(きりこだまがた)で、古代の飾り玉、切子をデザインした照明器具は、「オークラ・ランタン」として世界的に知られています。

待ち合わせのお客様を呼び出すのに使われるベル、ページングと呼ぶそうですが、ホテルオークラでは風鈴を使うんですが、静かなロビーに澄んだ音が心地よく響きます。
毎月25日の夕方6時から開かれるロビーコンサートでは、静かなロビーに音楽が流れます。20年ほど前、開業25周年を記念して始められたイベントで、1年間で終わる予定だったものが、好評だったため20年近く続けられているんです。取り上げられる音楽も幅広く、今月25日の234回目のコンサートでは、アルゼンチンタンゴの演奏が楽しめ、スパークリングワインのサービスも付いています。ホテルオークラ東京は、来年開業45年目を迎えます。
最寄り駅は、東京メトロ日比谷線の神谷町駅です。



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