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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
6月19日(月)〜6月23日(金)今週のテーマは、「東京・坂めぐり」
都内のさまざまな坂をご紹介します。

6月19日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「九段坂」をご紹介します。

東京の坂のなかで知名度ナンバーワンといえば、ここ九段坂でしょう。
江戸時代の名所案内図を見ますと、段々になっていまして、本当に九段の坂なんです。名前の由来ですが、坂沿いに武家屋敷があり、長屋が段々に、九段に建てられていたそうです。九段長屋…と呼ばれ、いつしか坂の名になったといわれています。それまでは、飯田(いいだ)坂と呼ばれていました。

大変な急坂でした。段々がなければ、坂の上から下まで転がり落ちる…という危険な場所だったそうです。余りに急な坂なので、大八車などは通れなかったようで、車は、平行している中(なか)坂や冬青木(もちのき)坂を通ったそうです。九段坂の上からの眺めはすばらしかったんです。江戸の町はおろか、江戸湾から房総半島まで一望できたそうです。時は移って明治時代を迎えます。明治3年、坂をのぼりきった右手一帯に、招魂社(しょうこんしゃ)のちの靖国神社が作られました。
さて、九段坂。あまりに不便なので、坂道を削って、傾斜を緩やかにする工事が行われました。でも、まだまだ急坂。トラブル続出。大八車や人力車が立ち往生してしまう。

 「おおい、誰か助けてくれ!」

そんな時のために、ここ九段坂にはお助け人(にん)がいました。

 「合点、承知!」

とばかりに車の後押しをして坂の上まで押し上げます。

 「ハイ、ご苦労さん」

車のあと押し料、1銭なり。九段坂ではお馴染みの風景だったそうです。明治40年、市電が開通。関東大震災のあとに行われた改修工事の結果、現在の状態になったんです。九段坂の最寄り駅は、東京メトロ東西線、半蔵門線、都営地下鉄新宿線の九段下駅です。



6月20日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、文京区 「本妙寺坂」をご紹介します。

文京区本郷は、都内でも有数の、坂の多い場所です。 明暦3年(1657年)、本郷丸山の本妙寺から燃え広がった火事は、江戸時代最大の大火となりました。江戸城本丸、天守閣、多くの大名屋敷や寺社、そして町人地まで、実に江戸の街の7割ほどが被害を受けました。多くの方が亡くなりました。明暦の大火、振袖火事の名で知られていますよね。

この大火の経験から、両国橋がつくられたり、江戸の各所に日除け地が作られるなど、対策が講じられました。でも、近年になって、本当の火元は、本妙寺ではない、という説が有力になっているんです。江戸市中の再開発を考えた、知恵伊豆こと松平伊豆守が企んだ。いやいや、隣の大名屋敷が火元だ。いやいや、由井正雪の乱の残党が犯人だ…。いろいろな説がありますが、火元とされた本妙寺が処罰を受けなかったのは間違いありません。果たして、真相はどうだったのでしょうね?
この大火の経験から、両国橋がつくられたり、江戸の各所に火除け地が作られるなど、対策が講じられました。でも、おなじみの「いろは48組」が作られるのは、およそ60年ほど後のこと。江戸時代を通じて、100回近くも、大きな火事が起きてしまいます。

本妙寺は、明治時代の末に、巣鴨に移転しましたが、現在も、坂道の名に寺の名を留めています。そうそう、明暦の大火の犠牲者を葬ったのが、両国の回向院だったことは、この「東京歴史探訪」でも、たびたびご案内しています。
本郷から小石川にかけては、有名・無名を問わず坂道の多い地区です。江戸から明治・大正にかけて活躍した人々の足跡を訪ねるには、絶好の場所、街歩きする人の姿が目立ちました。梅雨の晴れ間には、坂道歩きを楽しんでみてはいかがでしょう。文京区本郷にある本妙寺坂の最寄り駅は、東京メトロ・丸の内線の本郷三丁目です。



6月21日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、千代田区 「胸突坂(むなつきざか)」をご紹介します。

千代田区神田駿河台。江戸時代には、高級旗本の屋敷と、大名屋敷が建ち並んでいました。江戸城の守りを固めるために、神田山を切り崩して作られた駿河台、坂道の多い場所です。江戸時代に名づけられた坂も多いんですね。

胸突坂は、胸突き八丁、などと申します通り、なかなかの急坂でございます。同じ名前の坂は、都内に5ヵ所ほどあるんですが、どれも同じような険しい坂なんです。それにしても、聞いただけで息が切れそうな名前ですよね。ここ駿河台の胸突坂は、明大通りから登り、先日ご紹介いたしました山の上ホテルにぶつかる坂道です。右側は明治大学。ごく短い坂なんですが、名前どおりの実力をみせてくれます。この坂道を毎日上り下りするだけで、体が鍛えられるのではないか…などと考えてしまいうほどの急な坂なんです。
このあたりは全国に知られた学生街で、小学校から大学、専門学校までたくさんの学校が集まっています。

 「先生、すみません。遅れました」

 「邦丸! また遅刻か!」

慌てて坂を駆け上る学生の姿、今も見られます。

この坂には、別な呼び名もあります。吉郎坂(きちろうざか)。明治大学総長をつとめた佐々木吉郎教授にちなんでつけられたんです。佐々木坂、とせずに、吉郎坂、としたのは洒落ていますよね。佐々木教授、どうやら学生に大変親しまれていたようなんです。学生たちから、「吉っちゃん」「吉っちゃん」と呼ばれていた、と伺いました。
胸突坂、別名、吉郎坂の最寄り駅は、JRと東京メトロ丸の内線の御茶ノ水駅、千代田線の新御茶ノ水駅です。



6月22日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、品川区 「ゼームス坂」をご紹介します。

東京におよそ3000あるといわれる坂道の中で、外国人の名前がつけられているのは大変に珍しいんです。まず、そのいわれからご紹介しましょう。

英国人ジョン・ジェームスは、幕末に日本を訪れ、日本海軍の創設に貢献した人物です。あの坂本竜馬とも親交があったそうなんです。いわゆる明治時代のお雇い外国人の一人だったのですが、現在の坂の途中の高台に住んでいました。当時はこの坂は、浅間(せんげん)坂と呼ばれていました。あまりの急坂で、地元の人が難儀しているのを見かね、ジェームスは、私財を投じて、緩やかな坂に作り変えたんです。外国人の善行に感謝した人々の要望によって、この坂はジェームス、いや当時の読み方にならって、ゼームス坂と名づけられたんですね。
ジェームスは1908年に亡くなりましたが、坂の名は残されました。やがて太平洋戦争が始まりました。英語の呼び名が禁止された時代です、元の浅間坂に戻す動きがあったのですが、地元の反対で取りやめになったんです。いい話しです。

ゼームス坂下で青果商を続けている三代目、杉浦重吉(しげよし)さんにお話を伺いました。重吉さんのお父さん、明治30年生まれだそうですが、ジェームスさんからお小遣いをもらったことがある、と話していらしたそうです。クリスマスのパーティなどにも近所の人を招く、気さくな人柄で親しまれていた、と話してくださいました。

現在は見えませんが、すぐ下を通る道路は昔の東海道。線路の向こうは海で、朝の味噌汁の実は、海岸で子供たちが採ってきたアサリ、というのが明治時代の定番だったそうです。残念ながら、現在のゼームス坂からは海を見ることは出来ません。関東大震災のあと、まだまだ急だった坂道は補修され、現在の状態になりました。日本を愛し、坂の名になっているジョン・ジェームスさんの墓は、山梨県の身延(みのぶ)山にあります。
ゼームス坂を下りて旧東海道を歩けば、5分ほどで品川宿に着きます。江戸時代から明治・大正時代の史跡が多い街歩き、お勧めします。ゼームス坂の最寄り駅は、JRと東急大井町線の大井町駅です。



6月23日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、港区 「霊南(れいなん)坂」をご紹介します。

港区赤坂にあるアメリカ大使館。隣のホテルオークラとの間にある坂が、霊南坂です。大使館とホテル、江戸時代には、どちらも大名屋敷だったんですね。高輪にある東禅寺(とうぜんじ)を開いた霊南和尚が、庵を作って住んでいたことから坂の名がつけられたそうです。

この坂からの江戸市内の眺め、見事だったそうです。いわば、隠れた観光スポットとして知られていました。江戸時代に作られた地図「江戸切絵図」と現在の地図を見比べてみますと、驚いたことに、坂の上には江戸時代のお寺がそのまま残っているんですね。大名屋敷がホテルや大使館に変わっただけで、昔の地図を頼りにして街歩きをすることが出来るんです。景色はだいぶ変わってしまったようですが、今でも落ち着きのある風景を楽しめます。霊南坂は、なかなか堂々とした坂道で、静かな屋敷町だった戦前から人気があったんですね。人気といえば、この坂の近くにある教会が多くのファンで賑わったことがあります。

1980年11月19日。霊南坂教会で、三浦友知と山口百恵の結婚式が行われました。押し寄せた報道陣300人。ファンの数、なんと3000人。爽やかなスタートを切ったカップルに、日本中が祝福を送ったんですね。百恵・友和が結婚した教会…として知られ、同じ教会で式をあげたい、という女性が増えました。教会はその後、地区の再開発のために解体され、1985年、少し離れた場所に建築されましたが、相変わらず高い人気を保っています。

アークヒルズが出来、アメリカ大使館の周りにも高層ビルが増えました。でも、霊南坂界隈は昔と変わらぬ雰囲気を保っています。ここから六本木にかけては、大使館や洒落た邸宅が多く、絶好の「街歩きコース」ではないでしょうか。時節柄、少々警備が厳しいのが気になりますが、都心部とは思えない静かな一画を味わってみては、いかがでしょうか? 霊南坂の最寄り駅は、東京メトロ銀座線・虎ノ門駅、日比谷線・神谷町駅です。



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