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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
2月5日(月)〜2月9日(金)
今週のテーマは、「東京 名菓紀行」
誰もが知っている、あるいは知る人ぞ知る、味の名店をご紹介します。

2月5日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、銀座・並木通り「空也(くうや)」をご紹介します。

銀座の並木通りといえば、世界の有名ブランドの店が立ち並んでいることで知られていますが、その一角に、和風の外観のお店があります。ここが空也です。安くて美味しい和菓子を、出来る範囲で作り、その日のうちに売り切るというやりかたを守ってきたんです。工場はお店の上にあり、銀座6丁目、銀座の真ん中で、最中をはじめとした和菓子が作られているんです。保存料・添加物は使用せず、小豆と砂糖を丹念に煮込んで作られた「つぶし餡」と、香ばしい皮が絶妙の味を作り出しています。

ご存知の方も多いことと思いますが、この最中はなかなか手に入らないんです。お店には毎日のように「本日の最中売り切れました」の張り紙が見られます。確実に手に入れるには、予約をお薦めします。作った分をその日のうちに売り切る、支店は作らない、発送・配達なし、カード使用不可という頑固とも思える「空也スタイル」が生まれるまでに、さて、どんな歴史があったのか?ご紹介いたしましょう。

空也は、1884年(明治17年)、上野池之端で開業しました。120年以上も前のことになります。すぐ近くにある帝国大学、現在の東京大学の教員や、小説家・文化人などが空也の味を好きになったんですね。その代表が、夏目漱石。名作「わが輩は猫である」に、当時から人気のあった空也餅をたびたび登場させるなど、大のご贔屓でありました。口コミで人気が高まった空也は人気を集めたんですが、戦災で焼失してしまい、戦後の1949年に上野から現在の銀座6丁目に移転して営業を再開しました。

小ぶりなヒョウタン形をしており、上品な味と、香ばしい皮の香りが、何とも言えぬ味わいでございます。喜んでいただける「手土産」としてお馴染みですが、近くの劇場の出演者への届け物として、また、踊りや邦楽の会のおみやげにも、この「空也もなか」は絶大な人気があるんです。
空也もなかは、1個95円。10個入りから各種ございます。お店の方からご注意をいただきました。最中の大敵は「乾燥」なんだそうです。入念につくられた最中ですから、一年を通じて1週間程度は日持ちするんですが、くれぐれも乾燥しないようにお気をつけください…ということでした。銀座・空也の営業時間、平日は10時から5時まで、土曜日は4時までとなっております。日曜・祝日は休業です。



2月6日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、400年の伝統ある和菓子店「萬年堂本店」をご紹介します。

萬年堂本店の歴史は、390年前に遡ります。元和(げんな)3年(1617年)、京都で創業、宮中や所司代、京都の寺や神社を得意先として地盤を固めていました。明治5年、新しく首都となった東京に移転、皇居に近い八重洲に店を構えました。その後、震災や戦災を経て銀座に移りました。萬年堂の主力商品のひとつが、100年ほど前に考えられた「御目出糖(おめでとう)」。これは、小豆餡と何種類かの米の粉を原料にした菓子でございます。およそ300年前から販売している「高麗餅(こうらいもち)」をベースに、外観をお赤飯に見立て、おめでたごとに使っていただこうと考えたものなんです。この狙いは見事に的中。現在でも、さまざまなお祝い事、結婚式の引き出物、内祝い、お年賀などに広く利用されているんですね。他にも、上生菓子や半生菓子、羊羹など、種類も多くお使い物として大変人気がございます。

萬年堂の本店は、銀座8丁目・三原通りに面した場所にあります。思わず通り過ぎてしまうほど小さな店構えなんですね。長い間支店を出さなかった萬年堂ですが、平成13年に支店と工場を浅草橋に作りました。浅草橋という土地には、老舗の人形店や問屋が多く、お客様にも便利ということから支店を作った…ということなんです。390年の歴史を受け継いでいる13代目のご当主・樋口喜之(ひぐち・よしゆき)さんにお話を伺いました。

1968年生まれ、38歳の社長。歴史と伝統を生かしながら、新しい商品の開発にも取り組んでいるようでございます。小豆・砂糖・小麦粉なども、有名な生産地だからというだけで使うことはしないそうです。持ち味を活かして、美味しいお菓子が作れるのならば、産地にこだわることはないんだそうです。面白いことを伺いました。ご紹介したお菓子「お目出糖」ですが、5年ほど前に意外なことが分かったんです。それは、この歴史のある和菓子がコーヒーにも合う…ということ。あるお得意様から教えていただいたんだそうです。伝統の和菓子とコーヒー、意外な組み合わせですが、これがなかなかのものだそうでございます。ぜひ、お試しください。



2月7日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、日本初の本格的フランス料理店「マキシム・ド・パリ」をご紹介します。

総工費2億5千万円、現在の貨幣価値なら15億円か20億円にもなるのでしょう。大卒の初任給が2万5千円の時代に、豪華な内装、本場の味覚と優雅なひと時を味わえるレストランとして、大きな話題になったんです。このレストランは、現在のフレンチ・ブームの先駆けになったんですが、実は他にも大きな影響を与えているんです。それは、デザートの種類の多さ。デザートの中でも、ぜいたくな造りの「ミルフィーユ」が人気を集めました。当然、「レストランのデザートの味を家庭でも味わいたい…」といった声があがり、それに応えてケーキの販売を開始したんだそうです。

香り高いカスタードクリームと、たっぷりのイチゴをサクッとしたパイ生地で包み、生クリームと大粒のイチゴで仕上げられたケーキ。それまでのケーキとは違う、豪華な仕上がりと濃厚な味は、とりわけ女性に支持されました。このミルフィーユは、「ナポレオン・パイ」という愛称がございます。ケーキの形が、あのナポレオンの帽子に似ていたからとも、ケーキの最高級品だから、ともいわれております。その名の通り、贅沢なケーキの頂点にあって長い間、高い人気を保っています。現在、2つのサイズがございまして、大型のものが3,990円、小型のものが2,465円で販売されております。

このケーキ、カットする時の音も人気の秘密の一部なんだそうです。味だけでなく、サクサクのパイ皮の音も楽しめるわけなんです。このミルフィーユは、 数寄屋橋角のソニービル地下にある直営のケーキショップのほか、都内のいくつかのデパートでも販売されています。ベテランの菓子職人(パテシェ)が丹念に作ったケーキは、登場から40年以上経った現在も「マキシムのミルフィーユが好き」というファンが多いんです。ソニービル地下3階にあるサロンでは、お茶とミルフィーユのセットが用意されていて、銀座の味を楽しむ女性の人気を集めております。



2月8日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、銀座の老舗「松崎煎餅」をご紹介します。

松崎煎餅が開業したのは、1804年(文化元年)といいますから、200年以上の歴史がございます。銀座に移ったのが、幕末の慶応元年(1865年)。数ある銀座の老舗の中でも、ひときわ長い歴史を持っているんです。ご存知のように、煎餅とひと口に申しましても、いろいろな種類がありますよね。もともとは小麦粉を原料とした「瓦せんべい」の製造・販売をしていたんですが、米原料とした、せんべい・あられも扱うようになりました。その後も、さまざまな工夫が加えられて、現在ではたくさんの種類がございます。

銀座4丁目、並木通りに面した松崎煎餅の店頭には、思わず迷ってしまうほどの種類があります。なかでも人気なのが、三味胴(しゃみどう)という商品。形が三味線の胴に似ていることから命名されたんですが、これにはこんなエピソードが…。明治の初め、それまでは小麦粉と砂糖で作られていた瓦せんべいに、当時のご主人、三代目がタマゴを使い高級にしたんです。そして、さらに四代目が工夫を加え、現在の「三味胴」として発売しました。この商品は、現在でも松崎煎餅の定番になっております。煎餅の表面に、砂糖の蜜で花鳥風月が描かれていて、お土産として喜ばれているんです。とてもお洒落な食べ物でございます。

さらに、手焼き煎餅の種類も多いですね。ざらめ・ノリ・七味・ゴマなど、一袋315円からあり、銀座で食事やショッピングを楽しんだ人たちの「銀座みやげ」としてお馴染みなんです。店の2階には茶席があり、静かな店内では、抹茶や煎茶とここだけでしか食べられない和菓子のセットや、あんみつなどが楽しめます。分かりやすい場所なので、洒落た待ち合わせ場所になっています。また、劇場や映画帰りのお客様、銀ブラ途中で一休み…というお客様の利用が多いようです。

松崎煎餅の売店は、東銀座の歌舞伎座の1階にもあるんです。多くの歌舞伎俳優に好まれてきた松崎煎餅ならでは。芝居好きの方ならご存知の筈ですね。銀座生まれ、銀座育ちの現社長、松崎宗仁さんも驚くほど、銀座は変わっているんですが、松崎煎餅の味は変わることがなく、格好の銀座みやげとして知られています。



2月9日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、上野の名店「うさぎや」をご紹介します。

お店で、「10個ください!」そんなお客様の声があれば、それは「どら焼き10個!」のいう意味なんです。それほどまでに「うさぎや」といえば、どら焼きが有名なんですね。和菓子店「うさぎや」の始まりは、1913年(大正2年)。創業から現在まで、変わることなく上野松坂屋の筋向いで営業をしております。創業者・谷口喜作(きさく)は、開業当初、次のような口上を菓子折りに入れていたそうです。
うさぎやは、素人の菓子屋なり。素人なるが故に、材料は最上のものを選び、味を専一に、価格は廉価に…と続きます。

良い材料を使って、良い菓子を味わっていただく、この謙虚な商売の姿勢は現代に受け継がれております。さて、店名の由来ですが、創業者が卯年、うさぎ年生まれだったからだそうなんです。お店がある場所は、以前は西黒門町という町名でございました。黒門町といえば、「黒門町の師匠」と呼ばれた、あの八代目桂文楽が住んでいました。文楽師匠は、うさぎやの味がお気に入り、中でも半生菓子が大好物だったそうです。そのご縁で、今もご常連には落語家さんも多く、真打昇進のお祝いには「うさぎや」の和菓子が使われことも多いと伺いました。他にも、作家・池波正太郎さんが大ファンで、池波さんの随筆の中に、しばしば「うさぎや」の名前が登場していたのはよく知られております。

最中や生菓子、羊羹などを扱っておりますが、なかでも人気があるのが「どらやき」でございます。店の地下で作られていて、暖かいうちに包装されているんです。四代目社長の谷口拓也(たくや)さんに伺いました。

創業者の考えがしっかりと伝えられているのでございます。ほうぼうのデパートから出店のお誘いがあるそうですが、すべてお断りしているんだそうです。理由は、出来立てを味わっていただけないからでございます。「うさぎや」の定休日は水曜日、なお、「どらやき」に限っては4時以降に来店される場合にはぜひ、ご予約を願います…と社長からことづかっております。



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