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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
3月5日(月)〜3月9日(金)
今週のテーマは、「職人の技 東京の伝統工芸」
受け継がれてきた匠の技を ご紹介してまいります。

3月5日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「屏風づくり」をご紹介します。

日本には奈良時代の初期に中国から伝わったといわれる屏風。
平安時代に独特の発展を遂げ、江戸時代には豪華賢覧な仕上げの屏風が人気を呼びました。しかし、・・・。
明治・大正・昭和と下るにつれて、生活様式は洋風になり、日常生活から屏風は消えていきました。
いまでは都内に2軒だけになってしまった屏風専門店。
片岡恭一(きょういち)さんの仕事場は、墨田区向島にあります。
これは屏風の四隅に小さな釘を打って金具をとめる、最終工程なんですが、ここまでに丹念に下張りなどをはったり、裏打ちしたりという10段階もの作業があります。しかも、その合間には、十分に乾燥させる必要があるので、仕上げを急ぐわけにはいきません。実は、屏風の製作には、さまざまな職人さんの技が結集されているんです。屏風の枠、生地というんだそうですが、枠を作る枠屋さん、塗りを担当する塗師、金物、絵や文字を描く職人・・・受け継がれた伝統を生かして、質の高い屏風を作ることが出来るんです。屏風製作の世界では、いまでも尺貫法が使われているんです。以前は標準的だった高さ6尺、およそ180センチのものは大きすぎて、現在では、高さ3尺、およそ90センチのものが中心になっているそうです。片岡さんのアイデアのひとつが、思い出のこもった帯や着物、風呂敷などを屏風に仕立てること。このアイデア、どんなことから思いついたのでしょうね。

鮮やかな色や、模様の美しさをいかしたインテリアとして注文が多いようです。標準的なもので、代金は、およそ4万円から5万円です。遠く北海道や大阪からも注文があるんです。インテリアといえば、日本に住んでいる外国人には、片岡さんの屏風が静かな人気を呼んでいる、と伺いました。もっとも、置き方が少々違っておりまして、屏風を吊り金具で壁にとりつけて、絵のような感覚で楽しむんだそうですよ。

さきほどは、小さい屏風に人気が集まっていると申しましたが、それとは反対の注文も増えているんだそうです。それはホテルや結婚式場からの注文。以前は「高さ6尺」と決まっていた金屏風だったんですが、戦後、花嫁さんの身長が伸びました。草履を履き、高い文金高島田のかつらを被ると、金屏風からはみ出してしまうんですね。そこで、現在では高さ7尺およそ210センチのものが標準になっているそうです。
現代生活の中に、伝統工芸をどう取り込んでいただくか、昭和30年生まれの片岡さん、墨田区内のさまざまな職人さんとの協力など、いろいろなアイデアを出して活動しているんです。

3月6日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「和太鼓づくり」をご紹介します。

私たち日本人の歴史に太鼓は古くから関わってきました。江戸時代になり、町人の力が強まるにつれ、祭りが盛んに行われるようになり、太鼓は欠かせない楽器になったんですね。
「有限会社 南部屋五郎右衛門(ごろううえもん)」は、創業が元禄二年、1689年。台東区元浅草にある、東京で一番古い太鼓屋さんです。神輿も扱っています。代々、南部屋五郎右衛門を名乗り、現社長の石渡(いしわたり)司郎さんは十三代目。65歳です。たびたびの大火や、震災・戦災によって昔の資料は残っていないのですが、全国各地で、文字や焼印から「南部屋」製とわかる太鼓がたくさん見つかっているんです。

取材にお邪魔した日にも、青森県から上京されたお客様が来店されていました。明治時代の中ごろ、今から100年も前に太鼓を買った方でした。焼印にある「南部屋」という店がいまでもあるかどうか、確認にいらしたんだそうです。太鼓の皮の寿命は、およそ10年から50年です。
しかし、きちんと作られた胴、太鼓の本体ですね、胴の手入れをキチンとしさえすれば、100年・200年ともつものなんだそうです。
太鼓作りは体力勝負ですよ、と石渡さんは笑いますが、大きく10段階に分けられる作業、どの部分も、ベテランの職人さんと一緒に取り組んでいるんです。太鼓作りは、材料になる欅(けやき)の木を、3年間、屋内で自然乾燥させることから始まります。
3年間。これを1年や2年で止めて作業に取り掛かると、使っているうちに太鼓の木の水分が抜け、皮がたるんでしまうそうです。
最終段階近くに皮を張る作業があります。この段階が一番緊張するそうなんですが、さて、なぜなんでしょうか? 伺ってみました。
鋲を2段に打っていく作業まで進むと作業も終りが近づきます。これで仕上げのニスを塗れば、新しい和太鼓が出来上がるんです。
ご存知の通り、太鼓のブームが続いております。
全国には3000以上の太鼓愛好グループと言われ、若い人の間にも太鼓の魅力が認められているようです。
「南部屋」では息子の浩司(こうじ)さんも父親の仕事を修業中。5月は、都内各地で大きなお祭りが行われます。社員が手分けして、太鼓や神輿の晴れ舞台を手伝うために大忙しになるそうです。
5月が過ぎたら、1年が終わったような気になるんですよ・・・石渡さん、いや、十三代・南部屋五郎右衛門さんは、そう話してくれました。

3月7日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「べっ甲加工」をご紹介します。

墨田区横網(よこあみ)。
蔵前橋の近くに創業60年余りの伝統がある「磯貝ベッ甲専門店」があります。
大正3年生まれの磯貝庫太(くらた)さん、昭和16年生まれの一(はじめ)さん、昭和47年生まれの英之(ひでゆき)さん、職人三代の家系です。
高級装飾品として知られるべっ甲の歴史は古く、奈良にある正倉院の収蔵品にも、べっ甲が使われたものがあります。
また、時代は下りますが、江戸幕府を開いた徳川家康が愛用していたメガネのツルはべっ甲製だったんです。260年にわたり政治と経済の中心地として栄えた江戸では、べっ甲が人気を集め、その伝統が受け継がれて、現在も、東京都伝統工芸品に指定されています。べっ甲の素材は、ウミガメの一種・玳瑁(たいまい)の甲羅です。ワシントン条約で保護され、現在では輸入禁止になっていて、べっ甲職人は規制される以前に輸入された材料を使って加工をしているんです。このべっ甲加工、細かく分けると30ほどの工程に分かれます。
べっ甲の工芸品としての価値を高める技術となったのは、江戸は元禄の頃に考え出された「はりあわせ」の技法でした。小さな素材の微妙に異なる模様を組み合わせ、水と熱と圧力によってまるで一つの素材であるかのように作りあげてしまうんです。
初代でもある祖父、墨田区無形文化財に認定されている父の教えを受けた英之さんは、修業8年目。お二人からは、技術だけではなく、職人としての心構えを教え込まれたそうです。どんな内容だったのか? 伺ってみました。
新しい品を作り出すだけでなく、修理まで出来て一人前・・・こんなこともたびたび聞かされたそうですよ。
修業の初めの頃は、靴ベラばかり作っていたそうですが、今では新しい感覚の作品も次々と生み出しています。
その中から、柴犬のブローチとサングラスをお借りしてまいりました。
職人になって良かった・・・取材の中で、そう答えていただいたのが印象的でした。自分ひとりで、全工程を担当出来るから、だそうです。
伝統工芸の技術を守りながら新しい工夫も取り入れていく磯貝さんの工房。
最寄り駅は、JR・総武線と都営大江戸線の両国駅です。

3月8日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「檜細工師」をご紹介します。

台東区寿(ことぶき)。
東京メトロの田原町駅の近くに、三浦宏さんの自宅兼仕事場があります。大正15年生まれ、80歳の三浦さんの仕事は、実に範囲が広いんです。船大工だった祖父、大工として実績を残した父親に続く三代目です。
昔は、豆腐屋さんの舟(懐かしい大きな入れ物ですね)や、銭湯の湯船も木で作っていて、腕の良い大工さんは、引っ張り凧だったそうです。水漏れしない・・・という技術が三代にわたって引き継がれているんです。一般の大工の仕事に加え、彫刻や板金、建具、自分で使う道具も作ってしまうので、鍛冶屋さんの心得もあったんですね。
戦前から戦後、昭和30年代までは、浅草の街はさまざまな職種の職人さんが住んでいました。
そこで生まれ育った三浦さん、子供の頃から、職人の仕事の流れが自然と頭に入っていたそうです。仕事のやり方についても、直接は教えてくれないんですね。やってみて、ダメだとヒントを出してくれる。それでもダメだと、次のヒントをくれる。その繰り返しで仕事を覚えていった、と話してくれました。昔の職人は、粋でやさしい人が多かった・・・そうなんです。各界の人たちに愛されているのが、三浦さんが作るミニチュアの世界。土蔵や家、舟などを実物のままに再現した精巧な作りは、各地の美術館などで見ることが出来ます。どんな気持ちで精巧な世界を作っているのか、お話いただきました。
幅広い三浦さんの作品、果たしてどのようなものなのか?スタジオに、特別に借用してまいりました「ぐい飲み」と「酒器」があります。樽の形をしております「ぐい飲み」、樽づくりの技術で作られておりますから、決して漏れることがありませんし、吉野杉の良い香りがいたします。日本酒と吉野杉の相性、これ、一番合うそうなんですね。これで飲むと、お酒が一段と美味しくいただきそうな気がいたします。
昔の職人さんは、仲間内で自信作を披露したそうですが、三浦さんの作品にはそんな昔かたぎの職人の「遊び心」が感じられます。仕事の幅が広い分、お持ちになっている道具の数、とても多いんです。ノコギリ、カンナはそれぞれ200丁ほど、筆や刷毛も、作るものによって使い分けているので、多数あります。仕事場の壁面は、さまざまな道具で埋まっているんです。

3月9日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「刃物職人」をご紹介します。

墨田区本所吾妻橋。
刃物の老舗、正本総本店があります。
創業は、1866年、幕末の慶応2年、料理人ならば知らぬ者はない名品の店です。正本の刃物が優れているのは、刀鍛冶と精巧な鉄砲づくりの伝統を受け継いで長く使えるから、といわれています。
以前は、本所吾妻橋で刃物づくりをしていたのですが、音の問題などもあって、現在では都心部ではなく、郊外で作業の大部分を行っています。でも、一番重要な作業は、本社のある吾妻橋で行います。その作業というのが・・・。 仕上げの「研ぎ」なんです。良い材料を使って作られた包丁に鋭い切れ味を与えるのは、仕上げの段階です。たたく(出刃包丁)・さく(裂き包丁)・薄く切る(刺身包丁)・刻む(薄刃)目的の異なる包丁には、それぞれ違った研ぎ方があるんだそうです。では、どんな違いがあるのか?
昭和22年生まれ、この道一筋38年、正本総本店の研ぎ職人・高橋修介(しゅうすけ)さんに伺ってみました。
プロの料理人が自分が使っている包丁の手入れを欠かさないのは、よく知られていますが、家庭での手入れはどのようにしたら良いのか? 教えていただきました。 プロのように毎日のように研ぐのは大変ですが、2ヶ月に1回ほど、砥石で研ぐと、いつも変わらぬ切れ味の包丁を使えるそうなんです。そうそう、研ぎに欠かせない砥石ですが、作業によって何種類もの砥石を使い分けているんですね。さきほどの音も、微妙に違っておりました。
正本総本店の5代目社長・平野守助さんに、面白いお話を伺いました。
最近は、包丁のない家庭が多いんだそうですね。
娘さんが結婚した後、新家庭を訪ねたお父さんが、驚いて、本格的な包丁を買って新家庭に贈るケースも多いそうです。種類はいろいろありますが、1万5千円から2万円ほどの包丁が多いんです。
材料を吟味して、丁寧に仕上げられているだけに、少々高いような気がしますが、きちんと手入れをして使えば、まさに一生もの。嬉しいことに、正本総本店では、包丁の砥ぎ直しも引き受けてくれるんですね。
こちらの料金は、840円から、となっております。刃物本来の切れ味が戻って くること間違いなしでございます。 

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