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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
4月23日(月)〜4月27日(金)
今週のテーマは、「都心のミュージアム」
東京は博物館や美術館が多い街ですが、意外に知られていない施設も多いんです。
ユニークなコレクションやためになる展示を見ることが出来るスポットをご紹介してまいります。

4月23日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、ユニークな地図のコレクションが見られる「マップミュージアム」をご紹介します。

わが国の地図づくりの先駆者といえば、伊能忠敬が知られていますね。現在販売されている地図は、戦前に、当時の参謀本部・陸地測量部が製作したものが原型。その後、国土地理院に引き継がれ、たびたび修正を加えられ、現在も使われています。
日本に3社しかない地図発売元のひとつである、内外地図株式会社が、本社ビルの一画に、50年以上にわたって収集してきた資料を「マップミュージアム」として公開したのは、4年前のことでした。
 なぜ、ミュージアムを作ったのか? ミュージアムの運営に協力されている地図文化研究会の大貫理事に伺いました。  ひと口に地図といいまして申しましても、実にたくさんの種類がございます。地図全体の中でのベストセラーは、はい、道路地図帳。続いては、登山・ハイキング用地図で、穂高、白馬、槍ヶ岳といった山の地形図が常に上位を占めています。
 ちなみに、2万5千分の1の地図には、10キロ四方の地域が描かれています。地図の距離を2万5千倍したものが実際の距離、地図の上の1センチは、実際の距離は250メートルでございます。
 日本全国を、2万5千分の1の地図では、4343枚、5万分の1では1291枚で収めることが出来るんですね。お値段、1枚270円でございます。地上で測量を行って地図を作っていた時代が続いていましたが、戦後に航空写真の技術が登場、そして、現在では衛星画像の利用も進んでいます。その一方では、江戸時代や明治時代の地図の復刻版も人気を集めておりまして、新しいアイデアを盛り込んだ地図の発売にしのぎを削っている・・・ようでございます。
 ミュージアムの隣は内外地図の販売コーナーになっているんですが、午後になると大学生や高校生で賑わいます。ちょうど新学期の時期でもございますが、地理を勉強する学生さんのどんな要望にも応じられるようになっているんです。ミュージアムでは、月替わりの企画展示を行っています。
4月のテーマは「地球儀の世界」、昔と違って、地球儀もいろいろな種類があるんですね。
5月は、「昔の街並みタイムスリップ〜古地図の世界」。
 このミュージアムでは、専門のスタッフが質問に答えてくれます。地理に興味を持つ切っ掛けになるかも知れません。ぜひ、お訪ねください。
 マップミュージアムは、千代田区神田小川町。明治大学の斜め向かいにございます。
 最寄り駅は、JRと東京メトロ丸の内線の御茶ノ水駅などです。
 月曜から金曜の朝8時半から夜6時半までオープンしております。入場無料です。

4月24日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、千代田区一番町にございます「日本カメラ博物館」をご紹介します。

1万点以上のコレクションの中から、現在は日本製カメラを中心に、およそ500台を展示しています。順番に展示品を見てゆくと、日本のカメラ産業の発達が良くわかるんです。
 カメラが日本に持ち込まれたのは、江戸時代も末、およそ160年ほど前のことでした。写真術が公表されてから10年足らずの時期だったんです。人の姿を写すことが出来る! 当時の人々はさぞ驚いたことでしょう。しかし、驚いた人ばかりではございませんでした。
「あの不思議な機械を、作ってみたいものだ」
そう考えた日本人がたくさんおりまして、やがて、写真工業が誕生していくんです。日本初の量産カメラとされているものも展示されています。まだ、カメラとは申しません。「チェリー手提暗函(てさげあんばこ)」として発売されました。
 さて、戦前の日本では、カメラは高価なものでした。
 1935年(昭和10)の、国産高級カメラのお値段、275円。当時の公務員の初任給が75円でしたから、およそ給料4ヶ月! 実に高価でした。戦後になりますと、占領時代にアメリカ兵向けにカメラが売れに売れて、やがて輸出が増えていきます。
 ところが、粗悪な製品を輸出してイメージダウンになる業者もいたんです。そこで、業界の協力を得て、輸出カメラの検査を行うことになりました。粗悪品はなくなり、高い品質の「メイド・イン・ジャパン」のカメラは、1962年(昭和37)には、生産台数で当時の西ドイツを抜いて世界一になりました。
 検査を行うかたわら、貴重な歴史的なカメラの収集も行い、そのコレクションを基に、17年前に「日本カメラ博物館」がオープンしたんです。
 年代別に展示されていますから、それぞれの年代の人にとって懐かしいカメラが見つかることでしょう。ほかに、年に4回ほど特別展を開催し、現在は、メーカーごとの展示を行っています。貴重な展示品も多いんです。
 世界に数台しか残っていない、世界最初のカメラ「ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ」は、日本ではここでしか見られません。珍品カメラもございます。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンを盗み撮りするシーンに登場したライター型カメラも展示されています。あのカメラ、日本製だったんですね。
 最後に、特別に録音させていただいたクラシック・カメラのシャッター音をお聴きください。1947年にアメリカで作られた、「スピード・グラフィック」です。シャッターのゼンマイを巻く音から始まります。
 日本カメラ博物館の入館料は一般300円、中学生以下は無料です。
 開館時間は10時から17時までとなっておりまして、毎週月曜日は休館日です。
 最寄り駅は、東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅。駅から徒歩3分ほどでございます。

4月25日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、都民の安全を守る警視庁の歴史と活動ぶりを紹介する「警察博物館」をご紹介します。

警視庁が創設されたの、1874年(明治7年)。創設から130年以上の歴史があるんです。中央区・京橋。銀座の中央通りから京橋に入ってすぐ右側に警察博物館があります。1階正面右側に、白バイ、ホンダ750CCがドンと置かれています。ここでは記念写真を撮る方が多いいんです。撮影用に、警察官制服と、白バイ隊員の制服が用意されております。着替え用のスペースも用意されていて、これ、なかなか人気のあるサービスなんです。制服のサイズは、100センチ・120センチ・140センチの3種類です。一番人気のあるのは、白バイ隊員の制服だそうですよ。
1階には、このほかに、白バイの前身であります赤バイ、1918(大正7)に導入された赤バイ、長年にわたって皇族や国内外のVIPの警護につかわれた黒バイなどが展示されています。
さて、初代の警視総監、誰だかお分かりですか?明治の元勲・大久保利通の懐刀だった、川路利良です。司馬遼太郎の小説「翔ぶがごとく」にも登場する人物ですが、この川路が日本の警察制度の基礎を作ったんです。
博物館の2階には、警視庁の歴史を伝える年表のほか、西南の役をはじめ、明治初期の内戦の様子を伝える錦絵や、本物の武器なども展示されています。
 見学の親子連れに人気があるのは、4階。
 警察活動についてのクイズや、モンタージュ・ゲームや、テレビや映画でお馴染みの鑑識課の機材も展示されているんです。ここでは警視庁音楽隊のコーナーが充実しています。ファンファーレ・トランペットが置かれています。 1964年(昭和39)10月10日、日本国中が注目する中、今でも記憶に残っている東京オリンピック・ファンファーレ演奏に使われたトランペットです。
 警察博物館の3階は、特別な場所です。5月6日まで、「人の礎〜 故宮本警部を偲ぶ」と題した特別展が開かれています。明治7年の警視庁創設以来の殉職者総数は、実に○○○人で、この中には西南の役、関東大震災、太平洋戦争での殉職者も含まれています。以前にこの「東京歴史探訪」でも取り上げましたが、戦争前は消防の組織も警視庁に属していましたから、その方々も含まれているんです。現在、警視庁管内には101の警察署があり、42000人の警察官が社会の平和を守る仕事に就いています。多くの警察官が活動してきた歴史と、現在の活動を知るには、絶好の施設なのではないでしょうか。
 入場は無料、休館は月曜日で、10時から18時まで開館されています。
 最寄り駅は、東京メトロ銀座駅と京橋駅です。

4月26日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、中央区日本橋浜町にある「ボタンの博物館」をご紹介します。

ボタンの博物館、先日ご紹介した豪華な花の牡丹ではなく、スーツやワイシャツに欠かせないボタンなんです。実は、大手ボタンメーカー、アイリスの相談役、大隅浩さんが、営業の参考にと買い集めたものを、博物館にして一般公開することにしたんです。
 世界初のボタン博物館がオープンしたのは、1988年のことでした。その後、ドイツと中国にも同じような施設が出来ましたが、規模が違います。コレクションの数、およそ4000点、そのうちの1700点が展示されていて、時々展示替えが行われるんです。 博物館を作った理由、伺ってみました。学芸員の金子泰三さんです。
ボタンの歴史は古く、古代ギリシャの時代には既に盛んに使われていました。はじめのうちは、実用性からではなく、「ステータス・シンボル」だったようです。実用から外れたボタンは、長く人気を集めておりまして、精密な工芸品として世界各国で競って作られました。
 それにしても、ボタンの材料の種類の多いこと、苦労の跡が伺えます。石、革、繊維、植物、金属、貝、角、ガラス、さらには宝石などなど、目的に応じて、さまざまなボタンが作られたんです。そのピークになったのが・・・。
フランス革命前後の時代でした。貴婦人はドレスの上に贅沢な刺繍のボタンをつけて着飾り、グ〜ンと数が増えた軍人たちは、数十個のボタンをつけたきらびやかな軍服を着て、存在を誇示したんです。
このように、ボタンで飾り立てる時期と、実用本位が重んじられる時期には周期がある、と伺いました。およそ100年の周期でして、次は、英国のビクトリア朝の頃が、飾り立てる時期だったんです。
 現在は・・・と申しますと、徹底した実用性の時代が終わって、ようやく上向き始めた段階なんだそうです。
 さて、わが国にボタンが伝わったのは江戸時代の中頃とされておりまして、ポルトガル語の「ボタオ」がなまって、「ボタン」になったようです。現在、わが国にはボタンの日というものが決められております。 1870年(明治3)11月22日、当時の太政官政府が、誕生したばかりの海軍の将校の軍服に、イギリス式の金ボタンをつけたものを制定したことによるといわれます。
 世界的にも珍しいボタン博物館、開館は月曜から金曜までです。
 開館時間は、10時から12時までと1時から5時までとなっています。
 入場料は300円でございます。なお、見学は予約制となっております。ゆっくり見ていただくために、ぜひ、と学芸員の金子さんがおっしゃっていました。
 最寄り駅は、都営地下鉄新宿線の浜町。駅から5分ほど、隅田川に沿ったビルの4階です。

4月27日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、中央区京橋にございます筆記具の博物館「パイロット・ペン・ステーション」をご紹介します。

1918年(大正7)、並木良輔、和田正雄の二人が、万年筆の国産を目指して会社を作りました。
実は、この二人、当時の東京高等商船学校、現在の東京海洋大学の同窓生だったんです。そこで、新しい事業を引っ張ってゆこうという思いをこめて、ブランド名を「パイロット」と名付けました。パイロット・・・には、水先案内人という意味があるんですね。 また、現在でも、パイロットコーポレーションの会社のマーク、社章には浮き輪が描かれています。
 国産万年筆を完成させた後、彼らが目指したのは万年筆に日本の伝統工芸を取り入れることでした・後に人間国宝になる蒔絵師・松田権六が採用され、蒔絵の技術指導に当たり、蒔絵万年筆は、欧米で高い評価を得ました。
 当時の万年筆の軸、手で持つ部分ですね、ここはエボナイトで出来ておりまして長く使っているうちに色が変わってしまったんです。でも、蒔絵万年筆は、丈夫で、使えば使うほど味わいが出てきます。大きな条約や、調印で署名に使われ、単なる筆記具ではなく、工芸品としての味わいもあるパイロット万年筆は、海外にもたくさんの愛好家が出来たんです。
 この蒔絵万年筆、現在でも作られております。すべて手作りで、お値段は少々高いんですが、まさしく一生もの、定年退職の記念品、還暦や叙勲のお祝いに、変わらぬ人気があるんです。
 今日は、蒔絵万年筆をお借りしてまいりました。
このミュージアムには、45本ほどの歴史的な蒔絵万年筆が展示されているほか、パイロットの高い技術が生んだ筆記具も見ることが出来ます。
 筆記具は長い歴史があるんですね。最初の筆記具が登場したのは、4000年前のことだそうですから、驚きます。 筆記具の歴史が、大きなボードと現物の展示で分かり易く説明されています。同業他社の動きにも触れていて、全体の流れがよくわかります。
 「万年筆は、なぜ書けるのか」「ボールペンのしくみは、どうなっているの?」
 など、素朴な疑問も、分かりやすい説明がされているんですね。

 パイロット・ペン・ステーションの営業時間、月曜日から金曜日が9時半から夕方5時まで、土曜日は11時から夕方5時まで。入場は無料です。なお、日曜・祝日は休館です。
  1階には、ゆったりと作られたカフェもございます。
  最寄り駅は、東京メトロ銀座線の京橋駅。駅から徒歩1分、目の前でございます。

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