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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
7月30日(月)〜8月3日(金)
今週のテーマは「鬼平ごちそう帳」。
作家、池波正太郎さんの大ベストセラー・シリーズ、「鬼平犯科帳」。
今なお多くのファンを魅了してやまないこの物語の中でも、とりわけ魅力的なのが「食べ物」の登場する場面です。
今週は、そんな「鬼平」名物の食べ物から、夏の味を中心に、ご紹介して参ります。

7月30日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「鰻」をご紹介します。

火付け盗賊改め方長官、長谷川平蔵、通称「鬼平」。凶悪犯に対しては正に「鬼」となるものの、普段は人情味に溢れ、何よりも妻を愛する家庭人である、そんな平蔵の活躍を描く「鬼平犯科帳」シリーズ。作者の池波さんが亡くなってもう十七年になりますが、文庫本は現在も版を重ね、また中村吉右衛門さん主演のテレビドラマや舞台も、相変わらずの人気です。今年は、雑誌連載が始まってから、四十周年ということもあり、またまた、人気が高くなっているようです。
さて、鬼平に限らず、池波作品で魅力的なのが、「食べ物」や「飲み物」に関する描写の数々です。池波正太郎さんご自身が、名うてのグルメだったこともあり、出てくる品々、どれもが、本当にオイシソウ。実際に鬼平を始めとする、池波作品に関連する料理本が、両手で数えても足りないほど出版されています。今週は、そんな中から、夏の味あれこれが登場します。 今日、七月三十日、食べ物の話をするなら、やはりここから始めない訳には参りません。そう、本日「土用の丑の日」、「鰻」でございます。聞こえているのは、志ん生師匠の「後生鰻」ですが、この「後生鰻」のほか「素人鰻」「鰻の幇間」など、鰻をモチーフにした落語はいくつもあります。それだけ、江戸っ子にとって親しみ深い食べ物だったんですね。もっとも、現在のような東京風の蒲焼きが出来上がったのは、鬼平が活躍した十八世紀の終わり頃のことのようです。このあたりの事情、「鬼平」にも何度も登場しますが、それまでの鰻は、丸焼きにしたところに、山椒味噌やたまり(味噌の上澄みですね)をつけて食べる屋台料理。グルメの嗜好品というよりは、力仕事をする人々が、手っ取り早く精をつけるための存在だったようです。そんな事情が変わってきたのが、鬼平の時代。この少し前から、現在の千葉県で醤油作りが盛んになって、一般家庭でもごく普通に醤油が使われるようになります。それにつれて、料理法もいろいろ工夫されていき、鰻を背中から開き串を打ち、いったん蒸してから、タレにつけて焼き上げる…現在の蒲焼きが完成しました。この洗練された味わいは、鬼平を始めとする、名だたる江戸のグルメ連中をも虜にし、座敷を備えた店が徐々に生まれてきた、というわけです。

7月31日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「茄子のぬか漬け」をご紹介します。

本日のお品書きは「茄子のぬか漬け」。これも、日本の夏を代表する味の一つですね。目の前に、実に見事な茄子のお漬物が並んでいます。ひとくち、いただきます。
鬼平流に言うならば、
「や、これは、よい」
…と、言ったところでございましょうか。鬼平犯科帳の一編「助太刀」の中に、鬼平が、「煮売り酒屋」…つまり、現在の居酒屋に入り、酒と、運ばれて来た茄子の漬物を食べる場面がありますが、ここで、茄子に添えられているのが「辛子」です。私も、辛子をつけて、もう一切れ。
一富士、二鷹、三なすび…と、縁起のいい初夢にもリストアップされるほど、江戸の人々に愛された夏の味、茄子。初物と言いますと、「初鰹」が有名ですが、この茄子、当時の「なすび」の初物も、鰹に負けず劣らず、江戸っ子たちが珍重したものでした。皆様も耳にされたことがおありでしょう、「初物を食べると寿命が七十五日伸びる」。先日、築地に届いたサンマの初物が、一本千円以上した…というお話を、築地の伊藤理事長がしてくださいましたが、日本人の初物好きは、今も昔も変わらないようです。とにかく、いの一番に市場に並べれば、とんでもなくイイ商売が出来るわけですから、これは産地でも、一刻も早く収穫しようと、努力を始めます。今から三百年ほど前、鬼平の時代より少し前になりますが、その頃から、「三保の松原」で知られる、駿河の「三保」あたりで、茄子の促成栽培が始まりました。茄子はもともとインド原産、暖かい土地の野菜ですから、寒さを嫌います。ビニールハウスもなかった当時、どうやって温めようか、駿河のお百姓さんは必死に考えた。何しろ、大金がかかっております。真剣です。そこで思いついたのが、障子に油紙を張り、これで茄子を囲んで育てるというやり方でした。で、こうやって、物凄い手間暇かけて作られた初なすび、もうとにかく高い、とんでもなく高い、金持ちが何とか手に入れようと競争するからますます値が上がる。で、幕府は、たびたび、初なすびの値段を制限するお触れを出したそうですが、一向に効き目がなかったんだそうです。宝井其角の句をご紹介しましょう。
「売る人も まだ味知らぬ 初なすび」

8月1日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「鰹」をご紹介します。

本日のお品書きは、今が正に旬、「鰹のお刺身」でございます。今年の五月、新橋演舞場で上演された、歌舞伎版・鬼平犯科帳「大川の隠居」でも、中村吉右衛門さん演じる鬼平・長谷川平蔵が、元泥棒で、いまは船頭となっている友五郎と酒を酌み交わす場面で、鰹の刺身が登場して、二人が実際にこれを食べたので、客席が大いに湧きました。ところが、歌舞伎のこうした場面では、たいてい、羊羹が使われるものなんだそうで、この時も羊羹だった可能性が高いんだそうです。
(ちなみにこの場面、原作では「ハゼ」なのですが、舞台では、五月という季節柄からか、鰹に変わっておりました)
さて、目の前に、こちらはたっぷりと肉厚の、本物の鰹刺身がありますが、これ、江戸風になっておりまして、  現在、我々の食卓に上る鰹のお刺身とは、ちと、違う。鰹の刺身といえば、薬味は生姜…と思いますが、江戸時代には、練り辛子で食べていたんだそうです。
きのう、茄子のぬか漬けの時もそうでしたが、今日の鰹のお刺身も、これまた添えるのは「練り辛子」。江戸時代の人々は、現在の我々以上に、「辛子文化」にどっぷりと浸っていたようです。もともと鰹は、傷みやすい魚。ましてや冷蔵庫などなかった江戸時代に、いくら取れ立ての物とはいえ、海で取れたモノを江戸に運び、庶民の食卓に上るまでには、かなり時間がかかる。傷みかけの鰹を食べて、食中毒になることも多かったんですね。そこで、少しでも、安全性を高めようと、辛子を塗った。ちなみに、土佐で「鰹のたたき」が生まれたのも、やはり食中毒が多く、「刺身で食べることまかりならん」とお触れが出た。でもどうしてもみんな刺身で食べたい!そこで表面を炙って「焼き鰹でございます」と偽ったのが、起源ではないか…と、言われております。
辛子は、その名も「辛子菜」という植物の種を、油を絞った後、細かく砕いて乾燥させたものです。辛子菜はアブラナ科なので、見た目はほとんど菜の花。で、この種の粉末にぬるま湯を加えて練ると、酵素の働きで、ツーンと辛くなる。ただ、これ、長持ちしないんですね。辛い昔ながらの辛子が食べたかったら、ひと手間かけ、粉辛子を練って、召し上がってみてはいかがでしょう。溶いてから辛みがたっぷり出るまでおよそ5分、ただこの辛みはすぐ飛んでしまうので、容器を伏せて、じっくりお待ちください。

8月2日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「胡麻煎餅」をご紹介します。

江戸情緒たっぷり、線香花火の音が聞こえて参りました。電車の音も車の音も、国道十六号を疾走する暴走族の音も何も聞こえない、静かな江戸の夜。バチバチ…とかすかな線香花火の音に耳を傾けながら、冷やで一杯…さぞかし旨かったことでありましょう。そんなとき、火付け盗賊改め方長官・長谷川平蔵のお膳には、いったいどんな食べ物が載っていたのか?これが、意外に、「お菓子」だったかもしれません。もちろん、実際の長谷川平蔵が甘い物好きだったかどうかはわかりませんので、これは池波正太郎先生がお作りになった、小説の「鬼平」のお話。
鬼平は、現代の酒のみである我々と同様、お刺身や鍋、漬物といった食べ物が大好きですが、それと同じくらい、甘いモノも大好き。夏場ですと、砂糖をたっぷりかけた白玉を三杯もお代わりしてお腹をこわした…なんてエピソードも登場するほどです。で、そんな平蔵が好む菓子の中でも、作中にしばしば登場するのが「煎餅」です。我々も夜中に「何かないのか」と台所をゴソゴソと漁り、隅っこから草加煎餅の一枚残った袋を発見して、パリパリと食べながら一杯やる…なんてことがありますが、鬼平が好きなのは、甘いタイプのお煎餅なんです。せんだって、「鰻」のところでもお話しましたが、平蔵が生きたのは、醤油が普及しだした頃です。醤油がなければ、あの草加煎餅も生まれようがありません。ですから、このころの江戸では、「煎餅」といえば、小麦粉を練って甘みをつけ、場合によっては卵なども入れて、焼き上げた物を指しました。味噌煎餅、落花生煎餅、瓦煎餅、こういったタイプのお煎餅を思い浮かべていただければ、よろしいかと思います。
煎餅が中国から日本に伝わったのは奈良時代で、平安時代に書かれた文献には、「煎餅は小麦粉を油で練って焼き上げた物」とありますが、江戸時代にはほとんど油は使われなくなっていたようです。
さて、そんな煎餅、鬼平はどんな風に楽しんでいたか。たとえば、「一寸の虫」という作品には、よき理解者である大名、丹後峰山藩の藩主、京極備前守の屋敷に呼ばれた平蔵が、備前守に「加茂の月」という煎餅を勧められ、例によって、「なるほど、これは、よい」と気に入り、それ以来、このお煎餅で一杯やるようになった、というエピソードが登場します。

8月3日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「鯵」をご紹介します。

鬼平ごちそう帳、今回、最後にご紹介するのは「鯵」。   鰹と並んで、夏を代表する魚ですね。   ただ塩焼きにするだけでも十分旨いものですが、   本日は、ここにちょいと、ひと工夫。   さっと焼いた鯵を、醤油・味醂・酒のつゆに入れ、   さっと煮立たせて、さます。   鬼平犯科帳の一編、「むかしなじみ」の中で、   密偵・おまさが、夫・五郎蔵の好物である、   この鯵の煮びたしと、紫蘇の葉を刻み込んだ瓜揉みを添えて、   茶碗に入れた冷酒を持ってくる場面がありますが、   いかにも夏の味、という感じのある料理です。   それでは、いただきます。   (試食、感想などあって…) N 先日、鰹は傷みやすいので、殺菌効果のある辛子を添えて 食べた…というお話をいたしましたが、 ところが、鯵は、江戸の人々は新鮮な物が食べられた。 実は、この頃の魚市場、魚河岸には、朝だけでなく、 遅めの午後に開く「夕市」(夕べの市ですね)、 というものがございまして、その日に揚がった魚をせって、 そしてすぐ売り歩く魚屋さんがいたんだそうです。 なんてったって、そのころ、夏ともなりますと、 高輪、芝のあたりで鯵が入れ食い。 言ってみれば、いまこの文化放送のある、 建物の下あたりで、ぴょーん、ぴょーん…と、 面白いように鯵が釣れた…というわけです。 で、それをすぐ市で競り落とし、お得意様に持っていく。 するとお屋敷の奥様が、「旦那様、今日はいい鯵が入りました」 「おおそうか、では塩焼きに…」なんて具合で、 ささやかな幸せが、江戸の町に広がっていきました。 実際、その頃、旨い魚…といえば「鯵」。 かの政治家にして学者でもある江戸中期の人、新井白石… 鬼平さんよりもだいたい百年前に活躍された方ですが、 この新井白石も「鯵とは味也、その味の美をいふなりといへり」 こんな素敵な言葉を残しています。   また、「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」という本には、   鯵について、「春の末より秋の末に至りて、これを多く採る。 鮓(すし)に作り、煮る、炙(あぶ)る、膾(なます) ともに味甘美なり」と記述してございます。 鯵の味を形容するのに「甘美」とは!  江戸のセンスを感じますね。 M(三味線)〜BG N どこからともなく聞こえてくる三味線の音。   鯵の煮びたしをつまみながら、冷や酒をグイとあおる。   これで近くに、膝枕させてくれる美女なんかいた日には…   そんな生活、送ってみたいものですなあ。

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