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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
9月18日(火)〜9月21日(金)
今週のテーマは「お雇い外国人列伝」。
今からおよそ百五十年前、長年の鎖国を解き、国際社会にデビューを飾った新生日本で、一刻も早く欧米に追いつき、そして追い越すため、教師役として招かれた多くの専門家がおりました。人呼んで、「お雇い外国人」。
きょうから四日間は、日本の近代化に大きな足跡を残した、外国人たちの物語を、ご紹介して参ります。

9月18日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「小泉八雲」をご紹介します。
お雇い外国人の中でも、もっとも知られている人…といえば、この小泉八雲、旧名ラフカディオ・ハーンではないでしょうか。日本の近代化のため、語学教師としてやってきたハーンですが、皮肉なことに、彼が愛したのは、明治新政府が置き去りにして行こうとする、前近代の日本でした。
ギリシャ映画「日曜はダメよ」の陽気な旋律が聞こえて参りましたが、ハーンが生まれたのは、このギリシャ。そこから幼い時に父の母国・アイルランドに渡り、さらに二十歳でアメリカに移民、新聞記者となって、四十歳のとき来日、語学教師として雇い入れられ、島根県の松江に赴任いたします。ハーンは、この歴史ある街の虜となり、さらに日本女性と結婚。熊本、神戸を転々とした後、東京帝国大学の講師となり、来日から六年目に日本に帰化。「小泉八雲」と名乗り、「知られざる日本の面影」など、多くの作品を執筆しました。
代表作の一つ「怪談」は、八雲が妻・節子から聞いた話や、各地で集めた民間伝承をもとに執筆されましたが、先ほどご紹介した「ムジナ」の舞台になっているのは、かつて文化放送のあった四谷から、赤坂見附へと下っていく、お濠端の「紀の国坂」。今では高速道路が上空を横切る、近代的な坂…と思いきや、片側は迎賓館のうっそうとした森が茂り、そしてもう片方のお濠の側は、高速道路の影になって、いっそう陰気な、寒々とした感じがいたします。あそこなら、のっぺらぼうが出ても、不思議じゃない。

9月19日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「コンドル」をご紹介します。
井上陽水さん歌うところの「東京」。この歌、大都会・東京のモダンな雰囲気を実によく現していて、あたくしも大変、好きなんでございますが、本日ご紹介するのは、そんなモダン東京の基礎を築いた方。建築家、ジョサイア・コンドルでございます。1852年、ロンドンに生まれたコンドルは、ロンドン大学などで建築を学んだ後、二十六歳のとき、一流建築家の登竜門といわれる「ソーン賞」を受賞、同じ年に日本政府と五年契約を結んで来日いたします。来日後は、東京大学工学部の前身、工部大学校で教鞭を取り、後に日本を代表する建築家となる辰野金吾らを育てる一方、自らも多くの建築を手がけました。その代表作といわれるのが、こちら!
そう、文明開化の象徴といわれた「鹿鳴館」です。1883年(明治17年)に完成した「鹿鳴館」は、日本が世界に通用する文明国であることをデモンストレーションするため、政府が作った社交場。イギリス植民地風、バルコニーつき二階建ての豪華な建物は、天井にはシャンデリアが吊るされ、床には赤絨毯。ここは本当に、ほんの二十年前まで、腰に刀をぶら下げて切り合いをしていた国なのか…と思えるほど、モダンな雰囲気に満ちていました。
コンドルは、日本の水が合ったと見え、大学や役所を辞めた後も、自ら建築事務所を開いて、ニコライ堂や旧古河庭園など、数多くの建物を残します。踊りのお師匠さんだった日本女性と結婚したことも、日本に残った理由の一つだったでしょう。その滞在は、1920年(大正九年)、東京で亡くなるまで、実に四十年以上もの長きに渡りました。
そんなコンドルの代表作の一つが今、蘇ろうとしています。コンドルは、三菱グループの顧問となり、荒れ野原だった現在の丸の内に「一丁ロンドン」といわれた、レンガ作りのモダンなビジネス街を作り上げました。その象徴ともいうべき「三菱一号館」は、1968年(昭和四十三年)に惜しまれつつ取り壊されましたが、跡地に建てられたビルをこれまたスクラップして、で、その後に、いにしえの一号館を復元するという、面白いプロジェクトが現在進行中です。2009年、完成の暁には美術館として使われるそうですが、しかし護国寺に眠るコンドル先生、何て複雑なコトをやっとるんじゃ…と、頭を抱えているかもしれませんね。

9月20日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「エドワード・モース」をご紹介します。
「あれは何だ?」
1877年(明治十年)6月19日のこと。横浜で日本に上陸し、汽車で東京へ向かう途中の生物学者、エドワード・モースは、大森付近で車窓から外を長めながら、思わず呟きました。終わったばかりの鉄道工事の現場跡に、大量の貝殻が露出しているのを見つけたのです。「貝殻だ…あれは貝塚に違いない」モースは当時、三十九歳。アメリカ、メイン州に生まれ、ハーヴァードに学んだ彼は、アメリカ博物学会を創設した気鋭の生物学者でした。日本にやってきたのも、政府に招かれたわけではなく、日本特産の貝のフィールドワークを行うため。自分の専門分野であるだけに、動く汽車の中からも、貝殻の山を目ざとく見つけることができたのでしょう。早速、発掘調査が行われ、縄文時代の遺跡であることがわかったのです。モースは、いったん東京に出たあと、江ノ島に向かい、生物の採集に取りかかっていましたが、これだけの知性を日本が放っておくわけがありません。 東京大学では、早速、彼に講義を依頼。モースもこれを快く受け入れ、「お雇い外国人」としての日々が始まったのです。モースは、東大で、ダーウィンの進化論を日本で初めて教えるなど、大きな功績を残しています。
また日本の焼き物…陶磁器や、民具などにも深い感心を示し、こうした品々のコレクションも積極的に行いました。ボストン美術館には、当時彼が集めた、日本の陶磁器の見事なコレクションが残されています。モースはもともと名門の生まれですから、ただでさえ生活に困ることはありませんでしたが、それに加えて、「お雇い外国人」の給料は破格。 当時、太政大臣の三条実美が月給八百円、右大臣の岩倉具視は六百円という時代でしたが、外国人の一番の高給取り、フルベッキとロエスレルも六百円。モースも350円という月給を手にしていましたから、陶磁器であろうと民具であろうと、好きなだけ買い集める事が可能だったのでしょう。
そして、東京ではパンにバター、牛乳といった完全な西洋風の生活を送ることができました。ただ、地方に出てしまうと、いくらお金があっても、洋風の食べ物を手に入れるのは無理。モースは江ノ島で、こんなことを書き残しています。「ここ2週間、私は米と薩摩芋と茄子と魚だけで生きている。バタを塗った厚切りのパン、牛乳に漬けたパンのたった一皿でもあれば!」

9月21日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、「フェノロサ」をご紹介します。
お雇い外国人列伝、最後にご紹介しますのは、日本美術の再発見に大きな役割を果たした、アーネスト・フェノロサです。彼はアメリカ・東海岸、マサチューセッツの生まれ。ハーヴァードやボストン美術館で美術や哲学を学び、将来を嘱望されていた秀才でした。実は、フェノロサが来日するきっかけを作ったのは、きのうご紹介した、大森貝塚を発見した生物学者、モース。
モースは、一時帰国する際、東京大学から、適当な物理学者と哲学者を探してくるよう頼まれていました。彼自身、理科系の人間ですから、物理学者にはすぐアタリがついたものの、畑違いの哲学は難しい。誰かいないか…と知り合いを聞いて回ったところ、フェノロサという素晴らしい青年がいると紹介され、当初は、さほど気乗りがしなかったらしいこの若者を説得し、東京へ派遣することに成功したのです。フェノロサが東京行きを決めたのは、高い給料が一番の魅力でした。実際、ある資料によれば、こうした給料だけを目当てに、「商店員、ビール醸造技師、薬剤師、農民、船員、サーカスのピエロ」といった人々が紛れ込むことがあり、質の悪い外国人に手を焼くことも多かったようです。
現代のプロ野球の助っ人や英会話学校の教師などにも、ありそうな話ですよね。彼は貧しいスペイン移民の子でしたが、当時の恋人は、東海岸の上流階級の令嬢リジー。階級が違いすぎる上、さらに、父親が突然自殺するというアクシデントもあり、いささか捨て鉢になっていたところ、助っ人、ではなく、お雇い外国人の先輩であるモースから、「日本に行けば儲かるぞ。どんなにいい暮らしをしても、給料の半分は残るし、アメリカに戻れば講演でまた稼げる」と熱心に勧められ、就職を決意したのです。そしてフェノロサは「こんなに稼げるようになったから」とリジーにプロポーズ、彼女もそれを快く受け入れて、二人は希望の地、日本へと旅だったのです…
残念ながら、やはり育ちが違いすぎたせいか、リジーの派手好きがもとで、後に二人は離婚してしまいますが、フェノロサはすっかり日本に夢中になりました。日本の伝統美術の素晴らしさを日本人に再発見させ、後に東京美術学校、現在の東京芸術大学の創立に際し、大きな役割を果たしています。

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