番組について
ONAIR REPORT
BACK NUMBER
  ◆最新の歴史探訪
◆過去の歴史探訪
   
PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
1月4日(金)
のんびりとして正月をお過ごしのことでしょう。
今日は、江戸の町の正月風景を覗いてみることにいたしましょう。

1月4日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
大晦日に夜中まで働くのが普通だった商店は、元日は休むことが多かったんです。ところが、元日から開いている店もあったんです。それは・・・凧屋。
どっさり仕入れた凧を並べた店頭は、押すな押すなの大賑わい。子供連れの親が、大小の凧を買い、江戸の空は大小色とりどりの凧で埋まった・・・これが正月の風景でした。この日ばかりは、往来をふさいで凧揚げに熱中しても、誰も咎めることはない。武士も、見て見ぬ振りをしたようでございます。
子供の遊びのはずが、次第に親が凧揚げに夢中になってしまう・・・。今でもある光景が見られたことでしょう。
江戸の街に響く売り声・・・といえば、こんなものもありました。
江戸の人々にとって、年始回りは大切な年始の行事。年始回りの年玉として、欠かせないのが「扇」だったんです。年始客が多い商店などは、玄関の目に付く場所に、箱に入った扇を山のように積み上げて年始客を迎えたそうです。「ウチは、こんなに年始客が多いんだよ!」現代でも通用しそうな、宣伝効果を狙った演出だったんですね。
正月2日、ほかにも、いろいろな商売が見られました。
獅子舞い・万歳・鳥追い・猿回し・・・松が取れる7日まで、江戸の市内は新年らしい華やかな空気に包まれておりました。
いずれも縁起物の商売。万歳などは、毎年訪れる武家屋敷や大店が決まっておりました。目出度い言葉を連ねて、その家の繁栄を祈る。その場の空気を読んで、即興の遣り取りが優れていれば、帰りにはタップリとご祝儀を頂戴できる・・・まことに大切な稼ぎ時だったわけなんです。
江戸の昔、新年の挨拶は本人が出向いたり、あるいは、年賀の客を迎えるのが一般的でした。ところが、遠方のお得意さんや、知人などには、年賀の挨拶を飛脚に託して送っていたんですね。大都会とは言っても、江戸の街の区域は狭いものだったんですよね。
ところが、明治の世になりますと・・・。1871年(明治4)、郵便制度が取り入れられ、その2年後には、「郵便はがき」が登場しました。飛脚よりも安くて早い・・・今風に言うならば、ハイテクの最先端技術といってよいのでしょう。封書で年賀の挨拶をしていた人も、間もなく、年賀は「はがき」に切り替えるようになりました。明治20年代には、年賀は「はがき」が定着したんですが、大きな問題が起きました。
何しろ、取り扱いの郵便量が、普段の何十倍にも増えるのですから、たまりません。
考えられた対策が、年賀郵便を一般郵便とは別枠として扱うことにする・・・でした。いろいろと試みて、日露戦争が終わった翌年、明治39年には、「年賀郵便規則」が公布されて、現在まで続くシステムの原型が出来上がったんです。国花明治・大正・昭和と、ほぼ一本調子にこうなりますと、問題が起きます。



PAGETOP

サウンドオブマイスタートップページ くにまるワイド ごぜんさま〜 INAX JOQR 文化放送 1134kHz 音とイメージの世界 SOUND OF MASTER サウンド オブ マイスター