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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT
6月30日(月)〜7月4日(金)
今週は、「東海北陸道 歴史と文化の旅」。
こんどの土曜日、7月5日に全線開通する高速道路、東海北陸道の沿線をご紹介して参ります。


6月30日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日の今日は「郡上八幡(ぐじょうはちまん)」インター周辺のご案内です。
たま〜に関東地方を離れて、自動車で地方に出かけますと、そのたびに「あ、こんなところにも出来たんだ」と、高速道路網が充実していくのに驚かされます。7月5日、東海北陸道が全線開通いたします。去年、「くにまる黄門」の旅でお邪魔した懐かしい飛騨地方から、世界遺産・白川郷までがハイウエイで結ばれることになり、これで東海地方から北陸、富山・金沢方面へのアクセスが格段に便利になる…というわけでございます。東京方面からですと、中央道をひた走りまして、東海環状道を経て、美濃関ジャンクションから東海北陸道へ。およそ30キロほど走ったところが、本日訪れます、「郡上八幡」のインターチェンジです。
「美しい日本の歴史的風土百選」にも選ばれた、趣のある城下町、郡上八幡。この街を有名にしているのが、七月上旬から九月中旬にかけ、えんえん三十二夜に渡って踊り続けられる盆踊り、「郡上おどり」です。江戸時代の始めごろ、郡上八幡藩の藩主だった、遠藤慶隆(よしたか)。この方が、なかなか出来た人物だったんだそうで、同じ郡上八幡に暮らす武士や農民、商工業者たちが一つにまとまることを目指して、盆踊りを奨励した。これが、今日まで伝わる盛大な「郡上おどり」の起源、と、言われております。また、郡上八幡は城下町として栄えていましたから、旅芸人が数多く訪れ、各地の最新芸能情報なども、どんどん入ってきていた。
そんな、さまざまな芸能の要素を貪欲に取り入れることで、踊りのバリエーションはどんどん豊かになっていきました。現在踊られているのは、全部で十種類。スローな踊りから始まり、激しい動きのあるもの、骨休め的なもの、リズムの早いものを経て、仕上げの軽い踊りへ…と、メリハリが効いて楽しめるのが、「郡上おどり」の特徴なんだそうです。ことしの「郡上おどり」は東海北陸道開通の翌週の土曜、七月十二日に幕を開けて、ほぼ週末ごとに九月六日まで開催。クライマックスは、八月十三日から十六日まで、お盆の四日間にかけ行われる「徹夜踊り」です。夏の短い夜が明けようとするその直前のころ、歌と踊りは最高潮に達します。すると、地元の皆様も観光客もひとつになって、なんともいえない「高揚感」に包まれるんだそうです。一度、出かけてみたいものですね!

7月1日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は「飛騨清見」インター、そして飛騨高山をご案内します。
懐かしい子供向けテレビ映画「仮面の忍者赤影」。主人公の忍者、赤影は「飛騨地方」の出身でした。きのうお邪魔した「郡上八幡」から、東海北陸道を北へ。47キロほど走ったところが「飛騨清見」インターです。このインターチェンジがあるのが、高山市・清見町(ちょう)。3年前、2005年(平成十七年)の二月一日に高山市と合併するまでは、「清見村」でした。ちなみにこの時、高山市は、合計九つの町村と合併し、日本一広い「市」になりました。面積はおよそ二千二百平方キロメートル、香川県や大阪府よりも大きいのが自慢です。ここ清美町の特産品といえば、なんといっても「飛騨牛」。清見町の町内にいる牛は、全部でおよそ三千頭、これは町内の人口よりも多いんだそうです。
さて、飛騨清見から、高山市の中心部へは、クルマでおよそ二十分。去年、「くにまる黄門」の旅でもご紹介しましたが、美しい町並みと清らかな川の風景が、なんとも魅力的な場所でございます。高山名物といえば、なんといっても新鮮な土地の野菜や漬物、味噌などが手に入る「朝市」。高山の朝市は、百五十年ほどの歴史を持ち、あさ六時から、お昼ごろまで、定休日なしで、毎日開かれています。会場は、陣屋前広場と、宮川周辺の二ヶ所ですが、この宮川朝市から一歩、裏に入って参りますと、広がっているのが「古い町並み」。
そして、私のような酒飲みにとって、うれしいのが、高山の街中には造り酒屋が8軒もあって、利き酒が楽しめるお店がたくさんあること。のんびり歩きながら、一杯、二杯と杯を重ねて参りますと、もう、朝も早よから、夢心地。ホントにおいしかったです、はい。毎年一月から三月にかけては、「酒蔵めぐり」のツアーも行われ、8軒の造り酒屋さんが交互に、それぞれの酒蔵をオープン。私のような、酒好きの観光客に大人気なんだそうです。お酒が飲めない皆さんには、おいしい高山ラーメンがお勧め。醤油をベースにした、懐かしい味のスープと、縮れた麺がよく合って、何杯でも食べられそうなシンプルなおいしさが特徴です。あ〜、また食べに行きたい!

7月2日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は「白川郷」合掌造りのご案内です。
東海北陸道で、今週末に開通する区間は、飛騨清見インターから白川郷インターの間、25キロです。このうち、半分近くの10・7キロは、日本で二番目に長いトンネル「飛騨トンネル」です。固い岩盤や大量の湧き水に悩まされ、工事がなかなか進まなかったこのトンネルですが、六百人体制で二十四時間の工事を続けて、開通までにかかった時間が、実に九年半!今週末以降、ここを通る予定のある皆さん、ぜひ、一瞬でもけっこうですから、工事の大変さに思いを馳せていただければと思います。飛騨トンネルを抜ければ、すぐ白川郷インター。この白川郷インター、そして次の五箇山インター周辺に広がるのが、世界遺産の「合掌造り集落」でございます。
急勾配の萱葺き屋根が印象的な、この「合掌造り」ですが、どれくらいの勾配かといえば、なんと六十度!おそらくその場に立てば、ほぼ垂直に感じられるはずです。作られたのは、江戸時代の終わりごろから明治にかけてとのことですが、中には築三百年以上の物件もあるそうです。これだけの建造物を作り上げた、当時の人々の技術力には驚かされてしまいますよね。白川郷でもっとも大きい合掌造り住宅は、1820年代に建てられたといわれる「旧遠山家住宅」で、間口20m、奥行き12m、高さ14・5m!堂々たる木造5階建ての建物です。なぜ、これだけ大規模な建物が建てられたのか。これは、当時、この地方に耕作できる土地が少なくかったから。土地がなければ、分家することも難しく、いきおい、大家族制にならざるを得なかった、
ということなんだそうです。また、田畑が少ないとなると、生活の手段をいろいろ考えなければなりません。そこで浮かび上がるのが、当時の主要な産業である「養蚕」。合掌造りは、この養蚕にも向いておりました。囲炉裏で温められた空気は上へと向かうので、屋根裏の部分でカイコを飼うのに、うってつけだったのです。また一つ屋根の下で暮らす、たくさんの人々は、養蚕の労働力としても、欠かせない戦力でありました。三十年から四十年に一度は、屋根の萱を葺き替えなければならない合掌造り。維持していくのは、萱そのものが少なくなった現在では、途方もなく大変な作業です。

7月3日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は「小矢部砺波ジャンクション」界隈のご案内です。
東海北陸道を北へ向かう、今週の旅。世界遺産の白川郷、そして五箇山を後にして、いよいよ日本海が近づいて参りました。東海北陸道の終点は、北陸自動車道に突き当たる、「小矢部砺波(おやべ・となみ)ジャンクション」。ちょうど能登半島の付け根のあたりで、東へ向かえば富山、新潟方面。そして西へ向かえば、金沢、福井方面ということになります。このあたりの名物といえば、こちら!童謡「チューリップ」が聞こえて参りましたが富山県はチューリップの生産量が日本一、世界に名だたるチューリップ王国なのです。その中心が、この砺波平野界隈。栽培が始まったのは、大正七年(1918年)のことでした。
夏は稲作が盛んな平野部ですが、冬になると雪が積もって、働く場所も限られてくる。なんとか、この気候の中でも、稲の裏作で栽培でき、商品価値も高い作物はないだろうか?…と、当時、水野豊造(みずの・ぶんぞう)さんという篤農家が、知恵を絞っていたのです。いろいろな可能性を探っていた中の一つが「チューリップ」。今ではありふれた存在になったこの花も、大正年間はまだまだ珍しい植物だったんですね。試しに切花として出荷したところ、大変な好評を博しました。また、球根も同様に、高値で取引されたので、「これはイケる!」と、本格的に栽培に取り組むようになったのです。富山の気候や日照時間、豊富な水などがチューリップ栽培に適していたこともあり、昭和の始めごろまでに、この新しい作物は、県下一円に広まっていきました。日本中の花壇で、美しい富山生まれのチューリップが咲き乱れるようになったのです。
先ほどお送りした童謡「チューリップ」が作詞されたのは、そんな時期、昭和5年(1930年)のことでした。富山で初めてチューリップが栽培されてから今年で九十年。今では、春の訪れと共に、砺波平野のそこかしこで、見事な「チューリップの絨毯」を目にすることができるようになりました。北陸自動車道、砺波インターからクルマでおよそ5分、市の中心部にある「チューリップ公園」では、毎年ゴールデンウイークに「チューリップフェア」が開かれ、多くの観光客が集まります。また、公園の中の「チューリップ四季彩館」では、冷凍技術によって栽培された球根を使うことで、一年を通してチューリップの花を楽しむことができます。

7月4日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日は、加賀百万石の城下町「金沢」のご案内です。
東海北陸道の終点、小矢部砺波ジャンクションから東に向かえば、きのうご紹介した富山方面。そして、逆に西に向かえば、20分ほどで金沢です。加賀百万石の城下町、歴史に彩られた金沢は、街ぜんたいが観光地といっても過言ではありませんが、中でも有名なのは、やはり「兼六園」でしょう。水戸偕楽園、岡山後楽園と並ぶ、日本三大名園のひとつ。十七世紀の半ばごろから、およそ二百年の時間をかけて、代々の藩主により、見事な庭が形作られていきました。名付け親は奥州白河藩主の、松平定信公です。そもそも「兼六園」という名前の由来はどういうものか?これは、中国、宋の時代の書物に出てくる考え方で、すぐれた景観には六つの種類がある。「広々として雄大なこと」「奥深いこと」「人の手が加わっていること」「古い趣のあること」「滝や池などが豊かなこと」「見晴らしのよいこと」このそれぞれの要素は対立することがあり、すべてが共存することは難しいとされます。
しかし、この庭園は見事に作られていて、六種類、すべてを兼ね備えている。そこで松平定信が「兼六園」と名づけた、というわけです。サブちゃんのおなじみご当地ソング「加賀の女」。金沢を代表する繁華街「香林坊」が登場いたしますが、香林坊の飲食店でも人気を集めているのが、郷土料理「治部煮」です。名前の由来は、加賀藩兵糧奉行だった岡部治部右衛門という方が考案したという説。また、煮込むときに「じぶじぶ」という音がすることから…という説など、いろいろ言われておりますが、真相は不明、それにしても「治部煮」というこの名前、食欲がそそられる旨いネーミングではないでしょうか。
鴨肉をスライスして小麦粉、または片栗粉をまぶし、特産の「すだれ麩」やキノコ、青菜などと甘辛く煮込んだ料理。粉をまぶすことで肉の旨みを封じ込めることができる。また、その粉の部分に、今度はダシの味がしみこみますから、肉を必要以上に煮込まなくても大丈夫…という、考え抜かれた調理法が特徴です。これが、加賀特産の輪島塗の専用のお椀、「治部煮」椀に入って運ばれてくるわけですから、観光客の人気を呼ぶのもわかりますよね。江戸時代には、武士たちが猟でとらえた鴨やキジ、さらには白鳥の肉で作られたこともありました。アツアツの治部煮をサカナに、石川県の地酒、菊姫か天狗舞あたりをちびちびと楽しむ…。うーん、東海北陸自動車道を使って、金沢まで出かけてみたくなりました。全線開通は、明日です。

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