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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT

12月29日(月)〜12月30日(火)
きょうと明日の二日間は、「東京歳末風景」。暮の風物詩をご紹介して参ります。

12月29日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
 初日のきょうは、「アメ横物語」です。
大晦日まで、たくさんの買い物客でごった返す上野、アメ横。 その歴史は、終戦直後までさかのぼります。 戦前、この一帯は、小さな住宅が立て込んだ密集地でした。 ところが、太平洋戦争の末期になって、 近くにあった国鉄の変電所を類焼から守るため…という名目で、 付近の民家は強制疎開させられたのです。 家屋は取り壊され、一帯は空き地となりました。 そして、戦争は終わります。 ターミナル駅、上野の目の前にあるこの空き地は、 マーケットとして理想的な立地条件を備えていました。 終戦の翌日から人が集まり、 物の売り買いが始まっていたと言われています、 戦争で疲れきった人々が、何よりも求めていたのは甘いもの。 何よりも「アメ」が一番売れたことから、 このあたりは「アメヤ横丁」と呼ばれるようになりました。 住民を強制疎開させた後、地主になっていた東京都から、 空き地をまとめて借り受けたのは、引揚者の集まりである、 「下谷引揚者更正会」という団体。
もちろん、甘いもの、アメの類は禁制品でしたが、 引揚者や復員兵の生活のためなら…と、警察も、ある程度、 見てみぬフリをしてくれたことも、 「アメ横」が栄える大きな原因となりました。 甘いもののほかに人気が集まっていたのは、 進駐軍の残飯をぶち込んでごった煮にした「残飯シチュー」。 また、軍隊で使っていた鉄兜を、鍋に作り変える加工業者にも 人だかりがしていました。 当時、このあたりを縄張りにしていた不良少年、 通称「アメ横のヤス」。 マーケットでは、巧みな話術で通行人の足を止め、 石鹸を売りまくっていたそうですが、これが、若き日の、 あの「渥美清」さんだったんですね。
昭和二十五年、朝鮮戦争が勃発。 日本には大量のアメリカ兵が駐留するようになり、 そこから横流しされた豊富な物資が、アメ横マーケットの 店頭を賑わせるようになります。 チョコレート、タバコ、衣料品、ライター、万年筆。 アメリカからの舶来品が手に入る場所、ということで、 「アメ屋横丁」は、いつしか「アメリカ横丁」に。 それでも、愛称は「アメ横」のままでした。 その頃からのアメ横のウリの一つが「化粧品」。 ここアメ横には、銀座でも手に入らないような、 珍しい高級化粧品が手に入るとあって、終戦直後から、 お金持ちの奥様、お嬢様たちがお忍びで足を運ぶ。 そんなスポットでもあったのです。

12月30日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日は、「東京歳末風景」。
東京でいちばん遅い歳の市、 府中・大国魂神社の「みそか市」をご紹介します。

大国魂神社といえば、新撰組と大変、縁の深い場所。 万延元年(1860年)9月30日には、 天然理心流 三代目の近藤周助とその養子、勇の親子らが、 武運上達を願って、額を奉納しています。 また翌年、文久元年(1861年)8月27日には、 神社の東側の広場…現在の東京競馬場付近で、 近藤勇の天然理心流 四代目襲名披露の試合が行われました。 この場には、土方歳三や沖田総司も参加していたそうです。 総勢七十名の参加者たちは、試合の終了後、 府中の遊郭を総挙げにして、徹夜でドンチャン騒ぎに 興じた、と伝えられております。 さて、大国魂神社のみそか市。 浅草の羽子板市、薬研堀不動尊歳の市…と続いてきた、 都内の「歳の市」のラストを飾るものとして、 江戸時代から、大変な人出で賑わったと伝えられています。
かつては、府中市役所から神社にかけての街道沿いにも、 ビッシリと露店が立ち並んだそうです。 しかし、昭和三十年代ごろから、次第に車の往来が激しくなり、 市も神社の境内に限られるようになりました。売られる品物は、お飾りやコンブ、スルメなどの正月用品、 神棚や瀬戸物のお稲荷さんなど、 ふだんは見かけることの少ない品物もたくさん並びます。 以前はカゴやザルなどの出店が多く、 「カゴ市」の異名をとったこともあるそうで、 近郷近在の農家の皆さんがより集まって、 正月用品を買い揃えていきました。 十九世紀の始め頃、狂歌の作者として有名な、 太田蜀山人が、当時の府中、歳の市の模様を記録しています。
「男も女も、みなカゴを背負って市にやって来て、 野菜など大量に買い入れて帰っていく。 カゴを背負っているものだから、すれ違うのも大変なほど、 市はごった返している。 酒はいいものが手に入ったが、肴がダメだ。 肉はキジとヤマドリばかりで、鶏卵もない。 仕方ないので、ソバとウドを肴に飲んだ」。 それだけ肴があれば十分なような気もいたしますが…。当時の模様を描いたスケッチも残されておりまして、 中で目を引くのが「おでん・燗酒」の看板を掲げた店。 大きな鍋の中に、串刺しにされたおでんが煮え、 おいしそうに熱燗を飲む女性の姿が見えます。 今よりも寒かったに違いない、江戸時代の府中。 冷えた体に、お酒はずいぶん、 おいしく感じられたのではないでしょうか。 江戸の名残が感じられる大国魂神社のみそか市は、 きょうと、明日の、二日間、開催されます。


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