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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT

2月9日(月)〜2月13日(金)
今週は、「バブル今昔物語」。
1980年代後半から90年代初頭にかけ、日本列島を席巻したバブルの嵐、
ゆかりの場所などを紹介して参ります。

2月9日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日のきょうは、「あぶく経済序説」です。
バブルの嵐が吹き荒れたのは、昭和六十一年、1986年頃から、平成三年、1991年まで。そのピークは、今からおよそ二十年前のことです。でも、あの時代を経験している人間にとっては、まさに、オンリー・イエスタデイ、つい昨日のことのよう。もう、そんなに時が流れたのか…と感傷に耽ってしまいます。バブル騒ぎの原因を、簡単に振り返って見ましょう。貿易赤字に悩むアメリカを救うため、日本では急激な円高が進みます。こりゃ大変だ、…と、公定歩合がどんどん引き下げられる。そして、マーケットに大量の資金がダブつくようになり、株式や土地がどんどん値上がりしていった…と、これが、当時のバブル経済のメカニズムでございます。
何しろ、お金が余っていますから、作るものも大きくなる。ロクに需要の予測もせず、巨大な公共施設を作ったため、いま、その維持費に頭を抱えている自治体も多いといわれます。 実体がない「あぶく」即ち、バブルの由縁です。バブル時代の特徴の一つに、猛烈な人材の奪い合いが起きたことが挙げられます。優秀な学生を確保したい企業は、囲い込みを始めます。OBが学生を接待するという奇妙な風景が、そこら中で見られました。寿司にステーキは当たり前、さらにはフーゾク接待まであったと伝えられています。
中には、資料請求のハガキを出すだけで、先方から電話があり、指定された日に出かけると内定が出た…という例もあるとか。会社訪問が解禁になると、入社予定者は一流ホテルに缶詰にされたり、さらには海外旅行に連れ出されたり。「内定拘束」「拘束旅行」といった言葉が流行いたしました。エンタテインメントの世界が、どんどんゴージャスになっていったのも、バブル時代のことです。平成2年(1990年)には、不可能だといわれていたローリング・ストーンズの日本公演が実現。同じ年、これまた十年前に大麻不法所持で逮捕され、絶対無理だといわれたポール・マッカートニーも来日。会場となったのは、バブル絶頂期の2年前、昭和六十三年にオープンした東京ドームでした。

2月10日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「夢がはじけて」です。
バブル時代、さまざまな流行語が生まれましたが、 いちばん記憶に残っているのは「地上げ」ではないでしょうか。 何しろ、お金が余っていますから、ビルを建てたい。 それも、少しでも広いほうが儲かりますから、 ちょこちょこと細かく分割されてる近隣一帯の土地を、 まとめて買い取って立ち退かせると、効率がいい。 そこで登場するのが、「地上げ」です。 先祖伝来の土地で暮らしたいと願う地主や、契約をタテに動こうとしない借地人を、脅したりすかしたり、 あの手この手で追い出してしまおうとする商売は、「地上げ屋」と呼ばれました。
それでも、なんとかまとまった土地ができて、 新しい建物が建てられたところは、まだ、よかったのですが、 地上げの途中でバブルが弾けてしまい、櫛の歯が欠けるようになってしまった場所も、少なくありません。 現在でも、佃島の対岸に当たる中央区湊などで、こうした地上げの爪あとを、目撃することができます。また、聖書に出てくる巨大建造物「バベルの塔」。バブル期に建てられたいくつかの建物には、それをもじって「バブルの塔」という、あまり有難くないニックネームがつけられました。まさにバブルの真っ最中である、平成二年(1990年)に完成した、現在の都庁の建物も、その一つ。建物の評価はともかく、当時日本一であった243mという高さは、バブル時代でなくては、実現不可能だったのではないでしょうか。来年でオープンから二十周年を迎える都庁舎ですが、去年、日本経済新聞が報じたところによれば、巨大なことと、細部のデザインに凝っていることで、とにかくメンテナンスに大変なお金がかかるそうです。これもまた、バブルの残した負の遺産の一つかもしれません。
バブル期の代表的な建造物を、もう一つご紹介しましょう。 千葉県船橋市にあった、屋内スキー場「ザウス」。 オープンしたのはバブルが崩壊した後の平成5年、 1993年でしたが、ゲレンデ全長約480メートル、地上約100メートルという世界最大のスケール。これを東京湾岸にこしらえてしまおうという発想は、やはり、この時期ならではのものだったでしょう。平成十四年にクローズされ、翌年に解体。1万8千トンの鉄骨が積み上げられた様子を、当時の新聞は「バブルの残骸」と報道しています。

2月11日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
コーナーはお休みしました。

2月12日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「東京ラブストーリー」です。
コーナーはお休みしました。
何も実体がないのに、土地や株がどんどん値上がりし、 街の中にお金が溢れかえっていたバブル時代。 若者たちも、それなりに豊かな生活を送るようになります。 ブランド物の大ブームが起きたのも、この時代のこと。ルイ・ヴィトン、カルティエ…といった、いわゆる高級ブランドの名前を、誰もが知り、 そして身に着けるようになっていたのです。 当時、プレゼントの定番として、もてはやされたのが…。 そう、ティファニーですね。。 このころ、ティファニーは、クリスマスのとき、 売り切れでプレゼントが買えなかった人のために、 「売り切れ証明書」を発行したという噂も流れました。 なんでティファニー買ってくれなかったの! という女の子に、 どうしようもなかったんだよ、ほら…と見せて、 納得してもらおうとしたんですね。二十年前のお話です。
さて、この頃の若者風俗を描き、大人気となったのが、 いわゆる「トレンディ・ドラマ」です。 代表作のひとつが、織田裕二さん、 そして、鈴木保奈美さんが主演した「東京ラブストーリー」。 柴門ふみさんの原作漫画が連載されたのが、 バブル絶頂期の昭和六十三年(1988年)から、 そしてドラマが放映されたのは、三年後の1991年でした。 四国から上京してきた純情な青年、永尾完治=カンチが、 同僚の帰国子女、赤名リカに振り回されるうち恋に落ちていく。 平均視聴率は22・9%、最終回には実に32・3%を記録した。このドラマ。この頃から、ドラマのロケ地巡りも盛んになりまして、JR目黒と恵比寿の間にかかる小さな橋、「白金桟道橋」には、たくさんのファンが訪れたんだそうです。

2月13日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日のお話は、「ウィークエンドはディスコで」です。
バブル時代、ウィークエンドのお楽しみといえば、ディスコ。 1986年にリリースされ、世界的大ヒットとなった、 マイケル・フォーチュナティ「ギヴ・ミー・アップ」。 当時、全盛を極めていたユーロビートに乗って、 ワンレン・ボディコンのお姉さんたちが、 ダンスフロアで踊りまくっておりました。 ディスコといえば、まず、思い出すのが、 今はなき六本木交差点近くの、スクエアビル。 地下二階、地上十階建てのこの雑居ビルは、 一時、ほとんどのフロアがディスコで占められておりました。 キサナドゥ、ネペンタ、ギゼ、マジック…などなど。 壁面に取り付けられた2台のグラスエレベーターが特徴で、 バブル全盛期には、エレベーター待ちの長蛇の列ができました。 おととし公開された映画「バブルへGO!」にも、 このスクエアビルが登場しております。
そして、ディスコといえば、忘れられないのが、こちら!そう、麻布十番にあった「マハラジャ」です。 お店の名付け親は、かのデヴィ夫人といわれています。 オープンは、バブル直前の昭和五十九年(1984年)でした。麻布十番に、地下鉄南北線、大江戸線が相次いで開通してからは、 とても便利になり、観光客も集まるこのエリアですが、 バブル当時は、まさに「陸の孤島」。 クルマでなくては、とても出かけられないところが、 今で言う「セレブ」な皆さんの人気を集めました。
ドレスコード(服装チェック)が厳しいのも、マハラジャ名物。 入り口に陣取った黒服の皆さんが、入場しようとする 人々の服装を一瞥して、NGが出ると入れてもらえません。 たとえ自分ではバッチリ決めているつもりでも、 お兄さんのメガネにかなわないと、入場不可です。 で、ようやく厳しいチェックを潜り抜けて中に入ると、 待っているのはインドの宮殿をイメージした、金ピカのゴージャスなインテリア、 そして大理石でできたダンスフロア。 正にバブル期を象徴する空間が、そこにありました。 クローズしたのは平成九年(1997年)でした。



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