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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT

4月27日(月)〜5月1日(金)
今週は、「三社祭がやってくる!」。 浅草の初夏の風物詩、三社祭。 今年は五月十五日から十七日にかけて行われる、 このビッグイベントにまつわるエピソードをご紹介します。 きょうのお話は「三社さまの由来」。

4月27日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日のきょうは、「三社さまの由来」です。
両国国技館で大相撲夏場所が始まると、三社祭は、もう目の前。 神田祭と共に、東京に初夏の到来を告げる粋なお祭です。 ところが、この「三社祭」、 江戸時代までは「三月」の催し物だったんです。 三社祭の歴史を探ってみましょう。 推古天皇の三十六年(西暦628年)。 隅田川に舟を出した二人の漁師が網を打っていたところ、 観音様の像が上がってきました。 これはいったいなんだろう、と、 二人が地元の長者のところにその像をもっていく。 持ち込まれた像を一目見た長者どん、 「これは有難い観音様に相違ない」。 で、長者が像を祀るために建てたのが、「浅草寺」、 このお話はご存知の方も多いことでしょう。 後に、二人の漁師と、長者を合わせた三人を、 神様として祀ったのが「浅草神社」。 神様が三人いらっしゃるので、「三社さま」と、 呼ばれるようになった、というわけです。
江戸時代までは、仏教と神道の境目が緩やかだったため、 浅草寺と浅草神社は、ほぼ一体の存在だったんですね。 で、二人の漁師が観音様を発見したのが三月十八日。 後に十四世紀ごろから、この日にちなんで、 三月十八日にお祭が行われるようになったんです。 今年で言えば、旧暦の三月十八日は四月十三日。 当時は、桜が散ると、三社祭…といった感覚だったのでしょう。お聞きいただいているのは「びんざさら舞」の音です。 平安時代に始まる五穀豊穣を願う「田楽」の一種で、 三社祭の古い古い姿を今に伝える貴重な舞。 現在は祭りの一日目、金曜日に街中を練り歩いた後、 神社で奉納の舞が行われます。 このあたりも、その昔は、のどかな田園地帯だった…ということがよくわかります。
ちなみに、びんざさらとは、 「シャラシャラシャラ…」と先ほど音が聞こえてきた楽器。 長さ15センチ、厚さ6ミリの檜の板を百八枚重ねたもので、左右を両手で持ち、アコーディオンのように開いたり閉じたりすると、板と板が擦れて音が出る仕組みです。派手な衣装に身を包んだ氏子の皆さんが、このびんざさらを鳴らしながら、優雅に舞うわけですが、江戸時代の川柳に、こんな句があります。「びんざさら 気のないような 舞をする」気の短い江戸っ子にとっては、平安時代風の踊り、まどろっこしかったんでしょうねえ。

4月28日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「江戸の三社祭」です。
三社祭といえば、何といっても「神輿」。 土曜日には氏子四十四ヶ町のおよそ百基の神輿渡御、 そして日曜日には本社神輿の宮出し、宮入りが行われます。 私も、以前、かついだことがあります。江戸っ子好みの荒っぽい神輿が、現在も観光客の人気を呼んでいるわけですが、実は、江戸時代の三社祭は、現在とはいささか、様子が違っておりました。お祭のメインになっていたのは、各町内の絢爛豪華な「山車」。ワッショイ、ワッショイ…と神輿をかつぐよりも、きらびやかな行列を眺めるのがメインイベントだったようです。神輿はどうしていたか…と申しますと、その頃使われていたのは、「本社(ほんしゃ)神輿」の三基だけ。これを浅草御門、現在の浅草橋あたりまで担いで、そこから船に乗せて漕ぎ上がり、再び浅草へ向かいます。
これを「船渡御(ふなとぎょ)と呼ぶんですが、ここで神輿を待ち構えているのが、大森からやってきた漁師たちの船。かつて、浅草あたりは隅田川の河口に近く、漁師もたくさん住んでおりました。昨日もお話しましたが、浅草寺のご本尊である観音様を見つけたのも、このあたりの漁師の皆さんだったんですね。江戸時代に入ると、浅草周辺での漁が禁じられてしまったために、漁師たちは大森へ移ります。とはいえ、由緒ある浅草の漁師の子孫たちですから、祭では重要な役割を果たしていた、というわけです。
お聞きいただいておりますのは、 歌舞伎の舞踊に使われる清元、その名も「三社祭」という曲。 初演は天保三年(1832年)と申しますから、 既に百八十年近い歴史を持っていることになります。 その頃から三社祭は、江戸のビッグイベントだったんですね。 舞踊劇に登場するのは、二人の漁師。 つまり、浅草寺のなりたちからヒントを得た設定です。 二人は体を揺さぶりながら登場しますが、 これは、三社祭の山車に取り付けられていた、 人形のこっけいな動きを再現しているんだそうです。当時のお祭は、昨日もご紹介しましたが、旧暦三月十八日。 岡本綺堂の名作「半七捕物帖」のうち、「弁天娘」にも、 「安政と年号のあらたまった年の三月十八日であった。半七はこれから午飯を食って、浅草の三社祭りを見物に出かけようかと思っているところへ、三十五六の男がたずねて来た。」とあります。 江戸の昔から、庶民に人気の高いお祭だったんですね。

4月29日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
コーナーはお休みしました。

4月30日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「明治の三社祭」です。
江戸時代まで、旧暦三月十八日に行われていた三社祭。 正に「春のうららの隅田川」を背景に、 賑々しく行事が行われていたということになります。 ところが、明治に入って、様子はガラリと変わります。 新しい国家の方針として、 仏教と神道を厳密に分けることが決まったのです。 平安から鎌倉時代にかけて、日本古来の神さまたちと、 大陸から渡ってきた仏様を結びつけるため、 「仏様が、日本の人々を救うために、 神様の形をとって現れている」という考え方が生まれました。 こうした、本当は仏様である神様のことを、 「権現」と呼ぶようになり、浅草神社も、 長い間「三社権現」と言われていたのです。
しかし、明治政府は、神道をもとに国を運営することを決め、 全国の神社から、仏教的な要素を一掃しようとしました。 三社祭のような、お寺と神社が一緒になって盛り上がるお祭は、 政府にとっては、あまり好ましいものではなかったんですね。 祭は、いったん中止を余儀なくされ、 明治五年、新暦の五月十七日、十八日に日を移して 行われることになりました。 江戸時代までは、神輿は、浅草寺に一晩泊まって、 その後、浅草御門、現在の浅草橋付近まで 各町内を練り歩きながら担がれます。そしてそこから船に乗り、浅草寺の観音様が上陸したといわれる 駒形橋の近くから陸に上げられ、再び神社を目指しました。 昨日もお話した「船渡御」と呼ばれるものです。 しかし、明治政府にしてみれば、神様の乗り物である 「神輿」を、お寺へ一晩泊まらせるなど、 絶対に認めるわけにはいきません。 江戸の名残を留める「船渡御」は、ここに姿を消し、 三社祭は、現在のような、神輿が中心になるお祭へと、 少しずつ姿を変えていくことになったのです。
江戸時代から伝わる三基の「本社神輿(ほんしゃみこし)」は、 三代将軍家光公により、寛永十四年(1637年)に 寄進されたという、実に由緒正しいもの。 明治の初め頃、これにもう一基が加わります。 この神輿、もともとは町会用として作られましたが、 余りに重くて担ぎ手がいなくなり、神社に奉納されました。 とはいえ、昔からある三つの神輿に比べると軽く、 わざと乱暴に担ぐ人も多かったそうで、 「暴れ神輿」と呼ばれ、恐れられていました。 昭和二年(1927年)、家光公が寄進した三基が文化財に指定されたため、 実際に担ぐためのレプリカをそれぞれ作成。 合計七つの「本社神輿」が存在することになりましたが、 残念なことに東京大空襲で焼夷弾に直撃され、すべて焼け落ちてしまったのです。

5月1日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日のお話は、「きれいどころが集まって」です。
昭和二十年三月十日、焼夷弾の直撃を受け、浅草寺が炎上。 七基あった本社神輿は、すべて焼け落ちてしまいます。 しかし、不思議なことに、浅草神社の拝殿は、 奇跡的に焼け残りました。これもすべて、三社様のお陰…と、皆、涙を流して喜んだんだそうです。 そして八月十五日、敗戦。戦後の生活が苦しい中、一刻も早く祭りを再開しようと、地元の皆さんが奔走します。 そして三年後の昭和二十三年(1948年)、三社祭はめでたく復活。 そして昭和二十五年から二十七年にかけて、 合計三つの「本社神輿」も再建されて、ワッショイ、ワッショイ!再び、賑やかな掛け声が浅草の町に響き渡ることになりました。
戦後の三社祭を盛り上げるのに大きな役割を果たしたのが、 きれいどころ、浅草芸者衆の皆様です。 本社神輿はおろか、各町内の神輿もほとんどなかった 昭和二十年代。今イチ元気の出ない三社祭を、 なんとか盛り上げよう…と、お姉さんたちが頭を捻った。 そこで誕生したのが「くみ踊り」と呼ばれるもの。 芸者衆がいくつかのグループに分かれて、 毎年衣装をあつらえ、振付も新たに考えて、 趣向を凝らした踊りを披露します。 一年に一度、三社祭の時期しか見られない、 大変ゼイタクなショウが、この「くみ踊り」なんですね。 祭りの最終日、日曜日には、神楽殿で艶やかに奉納の踊りも行われます。 浅草ならではの、お祭の華やかな趣向でございます。
神様の乗り物である「神輿」は、本来とても神聖なモノ。 上から見下ろすのもご法度ですし、 増してや、飛び乗るなどとんでもないこと。 ルールを守らない人が多いため、 去年、本社神輿の「宮出し」「宮入り」が中止されたのは、 皆様、ご記憶かと思います。 まあ、重さ1トンの神輿を百二十人もの人で担ぐわけですから、 エキサイトするのも仕方のない側面はありますが、 神様が乗られていることを忘れないようにしたいもの。今年は、宮出し・宮入り、再び行われる予定ですが、 浅草寺の本堂が改修に入っているため、 いつもの年と勝手が違い、いろいろ大変なことも多いようです。 見物に出かけられる皆さんも、節度を守って、 楽しい三社祭の実現にご協力いただきたいと思います。 祭は五月の十五、十六、十七の三日間です。


 

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