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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT

6月8日(月)〜6月12日(金)
今週は、「修学旅行の東京」。 地方からやってきた修学旅行の学生たちの目に、
東京はどんな形で映っているのでしょう。 修学旅行の歴史をひもときつつ、
ふだん暮らしている私たちには見えにくい、 「もう一つの東京」を探って参ります。

6月8日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
初日のきょうは、「修学旅行むかしむかし」です。
懐かしい舟木一夫さんのヒット曲「修学旅行」が 聞こえて参りました。地下鉄で通勤しておりますと、 学生服やセーラー服に身を包んだ一団が ドドドド…と乗り込んでくる風景に、よく出会います。 ガイドブックを手に、路線図を必死に眺めるその姿、 ああ、修学旅行だな…と、一目でわかります。 修学旅行の歴史を辿ってみますと、その始まりは明治時代。 第一号と言われているのは、筑波大学の前身である、 東京師範学校が、明治十九年(1886年)に行った、 「長途遠足(ちょうとえんそく)」と呼ばれるものです。
軍隊を強くすることが国の方針だった時代のこと…、 この東京師範学校の「長途遠足」は、軍隊式の演習と、 現在でいう「郊外学習」を兼ね備えた性格をもっていました。 御茶ノ水、現在の東京医科歯科大学のところにあった学校から、 すべて徒歩、十二日間をかけて千葉・銚子方面を回ります。 服装は軍服、鉄砲を持って歩いたというからこれは本式です。 あちこちで軍事演習を行う一方で、気象観測をしたり、 生物の標本採集や写生、学校の見学なども行いました。 現在の修学旅行は、どちらかといえば楽しいものですが、 こういう軍隊式の旅行…私にはちょっと、ツラそうです。高度成長時代以前、修学旅行は子供たちにとって、 数少ない「旅行」の機会でありました。 昭和三十年代には、一般の乗客に迷惑をかけないように、 また途中駅で停車する必要もないので、 「修学旅行専用列車」が運行されていました。
後には、修学旅行用の専用の車両も作られます。 この列車、海側に三列、山側に二列のボックス席で、 現在の新幹線スタイルを先取りしておりました。 また土産物など荷物が多いことを考えて、 各座席の上に荷物スペースがたっぷり確保されています。 さらに、車両の端の座席は、急病人用の 簡易ベッドにできる…など、至れりつくせりの設計でした。 関東地区の学生用が「ひので」、関西地区が「きぼう」、 そして中京地区が「こまどり」と名づけられた、 修学旅行専用列車。ああ、乗った乗った、懐かしい…という方もいらっしゃるでしょう。 修学旅行専用列車は、高度成長期を通じて、 およそ600万人の学生を乗せて走りましたが、 1970年代には新幹線にその座を譲り、 引退していきました。

6月9日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「竹下通りへ一直線!」です。
東京で修学旅行の定番スポットといえば、 まず国会議事堂、そして東京タワー、浅草、上野。 これは、団体行動での行き先ですね。 自由行動で行く場所、となると、一番人気はやはり 原宿、竹下通り界隈ということになるでしょう。 半分以上の学生さんたちが、自由行動日には、 原宿・渋谷界隈を訪れているそうです。 旅館やホテルで朝食を食べたあと、 都内でおよそ半日、班単位で自由行動をとり、 午後3時か4時ごろまでに次の集合場所に行く… こういうパターンが多いようですね。 で、最初に駆けつけるのが原宿というわけなんですが、 8時半とか9時といった時間に竹下通りに到着しても、 お目当ての店はほとんど、オープンしていません。
仕方なく、ファストフードで時間を潰す… そんな修学旅行の学生さんたちも、多いようです。 修学旅行生にとって欠かせない儀式が「プリクラ撮影」。 ふだんは女性だけのグループやカップルしか入れず、 「男性グループお断り」のプリクラ専門店も、 修学旅行の団体に限ってはオーケー。 イガグリ頭の学生服グループでのプリクラ… 何年か経った後で見れば、それはそれで、 とってもイイ思い出になるんでしょうね。 これまた懐かしい田原俊彦さん、トシちゃんの「原宿キッス」。 昭和五十七年(1982年)の大ヒット曲です。
竹下通りが、現在のような観光スポットに発展していったのが、 この歌が流行っていたころ。 昭和五十二年にスタートした歩行者天国の影響で、 原宿、表参道から代々木公園あたりにかけて、 ストリート・パフォーマーたちが、続々登場します。 一番有名なのが、「竹の子族」。 「ブティック竹の子」で買い入れた独特の派手な衣装、「ハーレム・スーツ」に身を包み、ラジカセから流れるディスコ・サウンドに乗せて踊りまくった一団は、社会現象になり、沖田浩之、清水宏次朗、一世風靡…といったスターも次々に誕生しました。 現在も「ブティック竹の子」は、竹下通りの真ん中で健在。 コスプレ風の衣装が売れ筋のようで、 開店から三十年以上を経た今も、 修学旅行生の人気スポットとなっています。

6月10日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「B級グルメの王者」です。
修学旅行の学生さんが、東京で食べたいものは何でしょう? ハンバーガーなどのファストフードは、 いまや日本全国津々浦々で見かけるようになりましたし、 クレープも、一時ほどの勢いはないようです。 蕎麦や天ぷら、寿司…これも修学旅行向きではない。 で、いま、かなり人気を集めているのが、こちら…そう、月島のもんじゃ焼きなんです。 自由行動の行き先としてはもちろん、 団体行動の食事スポットとしても、先生の評判が高く、 一度経験した学校が、次の年以降も引き続き、 リピーターとして訪れることが多いんだとか。 「月島もんじゃ振興会協同組合」のホームページを見ると、 「20人くらいからクラス単位、5クラス位まで受付可」 「もんじゃを中心とした内容で、1ドリンク ウーロン茶つき 小中学生 1365円より 高校生以上 1575円より」 「添乗員さん、写真屋さん等も同料金」などなど、 こと細かく案内が掲載されています。
いかに、この地域が、修学旅行生に親しまれているかが、 よくわかりますね。ジュウジュウと焼けていく鉄板を、 友達同士でワイワイ言いながら眺めている…、 そんな何気ない時間が、とても貴重な思い出になるんでしょう。今ではすっかりポピュラーな食べ物になった、 月島の「もんじゃ焼き」ですが、 人気が出たのは、比較的最近のことです。 昭和六十三年(1988年)、光GENJI 「パラダイス銀河」がレコード大賞をとったこの年、 地下鉄有楽町線の新富町〜新木場間が開通。
それまでは都バスしか足のなかった月島に電車が通り、 観光客がやってくるようになったのです。 もともと「もんじゃ」は駄菓子屋のメニューでしたが、 月島ではオトナの食べ物として独自の発展を遂げ、 十軒ほどの専門店があり、知る人ぞ知る存在どなっていた。 そこへ地下鉄が開通して、人が押し寄せるようになる。 するとマスコミも競って取り上げるようになり、 地方まで情報が伝わって、修学旅行の人気スポットとなった… というわけです。 小麦粉を水で溶き、ソースで味付けるシンプルな料理。 値段もお手ごろで、確かに修学旅行向きですね。

6月11日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は、「なつかしい東京」です。
最近の修学旅行の自由時間では、原宿やお台場など、 いわば最先端の盛り場に出かける学生さんが多いようです。 とはいうものの、昔ながらの「上野」や「浅草」も、 根強い人気を誇っています。 とりわけ、浅草は「お土産」にぴったりな品物を 扱う店が多いことから、平日の昼間は、 修学旅行生の天下、といった感じがいたします。手っ取り早く江戸情緒を味わいたい向きには、 浅草演芸ホールで寄席を楽しむこともできますし、 遊園地がよければ「花やしき」もある。 休日に比べれば、人通りもたいしたことはない。 実に、浅草は、修学旅行向きの観光スポットなんですね。
さて、東京名物…といえば、思い浮かぶのが、「雷おこし」。 今は、保存技術が進んでいますから、生菓子でも 地方に持ち帰るのは不可能ではありません。 しかし、高度成長以前のお土産は、基本的に日持ちするもの。 昭和三十四年といいますから、今からちょうど半世紀前。 修学旅行生が買ったお土産のランクを見ると、 1位が「こけし」2位が「浅草海苔」そして、3位が、 「雷おこし」。以下、絵葉書、わさび漬け、しおり、 そして「東京タワーの模型」…というのが、いかにも、 時代を表しておりますね。 さて、その雷おこし。 皆さん、どうやって作るのか、ご存知でしょうか。 これ、修学旅行生は、知っている人が割と多いんです。
というのは、浅草の「雷5656茶屋」で、 「手作りおこし体験」という、修学旅行にぴったりの プログラムが用意されているから。 では、おこしの製造過程、ご説明しましょう。 原料は米。これを蒸してローラーで薄く延ばし、 乾燥させてから砕きます。その砕いたものを煎って膨らませ、 パフを作る。で、このパフに、蜜やピーナツなどを絡ませ、 伸ばしてカットしたのが、東京名物・雷おこし。 けっこうフクザツな製造過程を踏んでおります。 できたての「おこし」や煎餅、人形焼など頬張りながら、 Tシャツや扇子、木刀などを物色しておりますうちに、 宿舎に帰る集合時間が迫って参ります。 修学旅行の宿。最近はホテル利用も増えていますが、 昔ながらの本郷の旅館街に泊まる学校も、まだまだ多い。 このあたりの旅館は、もともと東大生相手の下宿だったのが、 アパート暮らしの学生が増えたため、 商売替えをしたところが多いそうです。 百年以上昔、樋口一葉が行き来した路地を、 今は修学旅行生たちが楽しげに行きかいます。

6月12日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
最終日の今日のお話は、「浦安に集まれ!」です。
二泊三日の修学旅行で東京にやってきた学校の、 典型的なスケジュールをのぞいてみましょう。 初日は団体行動で、国会議事堂など見学。 劇団四季の公演を見に行く学校も増えています。そして二日目が、班に分かれての自由行動。 ここで、原宿に行ったり、築地市場やお台場に行ったり、 テレビ局をのぞいてみたり、江戸切子の制作体験をしたり、 もんじゃ焼きを食べたり、ジブリ美術館を見たり、 思い思いの東京を満喫することになります。 そして夕方近くに集合する場所が、こちら!そう、東京ディズニーリゾートですね。 2009年版「教育旅行白書」によれば、 見学先ランキングで、中学校の部では、奈良公園、清水寺に 続く3位。高校の部でも、首里城、ひめゆりの塔に次いで3位。 東京周辺では押しも押されもしないナンバーワンでございます。
また、「旅行先都道府県ランキング」では、千葉が6位。 これも、ディズニーリゾートがあればこそ、の、 高ランキングと申せましょう。 修学旅行のニーズをとりこむため、リゾート側でも さまざまなプログラムを用意しています。 学習指導要領で「体験学習」を重視しているのに合わせ、 園内に入る前に「おもてなし」についての講義を行い、 その後、実地に体験して確かめてもらうといったもの。 子どもたちはディズニーリゾートで楽しめる上、 体験学習もできるという一石二鳥のメリットで、 先生たちの人気も上々のようです。
東京ディズニーランドがオープンしたのは、 いま聞こえております、YMO「君に、胸キュン」が ヒットチャート1位に輝いていた、 昭和六十三年(1988年)4月15日のこと。 かつて、このあたりはボラ、マイワシ、クロダイ、マコガレイなどが取れる豊かな漁場でした。 またアサリやハマグリなど貝類も多くとれ、佃煮が名物。 海苔の養殖も盛んに行われていましたが、 高度成長期に入り海は埋め立てられ、漁業権は放棄されました。 そこに作られた夢の国が、東京ディズニーリゾートなのです。 かつての修学旅行土産の定番だった海苔や貝類の漁場の跡に、 いまの修学旅行、人気ナンバーワンスポットがある。 時代の移り変わりを、ひしひしと感じます。

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