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PART1 くにまる東京歴史探訪
ONAIR REPORT

11月2日(月)〜11月6日(金)
ことし生誕百周年を迎え、再び脚光を浴びている昭和後期を代表する大ベストセラー作家、松本清張。
その代表作に登場する東京風景をご紹介してまいります。

11月2日(月)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
今日のお話は「『点と線』の東京駅」
「安田辰郎は、一月十三日の夜、赤坂の割烹料亭「小雪」に 一人の客を招待した。客の正体は、某省のある部長である。」 これが、松本清張、最初の長編推理小説にして 最大のヒット作、「点と線」の冒頭部分であります。「点と線」は、日本交通公社の発行する旅行雑誌「旅」に、 昭和三十二年(1957年)の二月号から、 連載がスタート。ちょうど私が生まれた頃のお話なんですね。
前の年、昭和三十一年の十一月に、東海道線の東京・神戸間、 すべての区間が電化されます。 そして起こったのが、大々的な「旅行ブーム」。 東京・大阪間を6時間50分で結ぶ特急「こだま」が走り始め、 「ビジネス特急」としてもてはやされます。 「点と線」は、こんな時代背景をもつ作品でした。 作品中で、重要な役割を演じるのが、「こだま」と同時期、 新たに登場した寝台特急「あさかぜ」です。 元祖・ブルートレインとしておなじみの「あさかぜ」は、 東京・博多の間を17時間25分で結び、人気を博しました。 夜の18時30分に東京駅を出た「あさかぜ」は、 翌日の11時55分に博多に着きます。 博多までの間は、まだ電化されていない区間もありますから、 途中で蒸気機関車に付け替えたり、また電気機関車に 戻ったり…と、細かな技を駆使しながら走る特急列車。 前の日の仕事が終わった後、「あさかぜ」に乗れば、 翌日の午後から、博多での会議に出席できるというわけで、 こちらもビジネスマンたちに大好評だったんですね。
「点と線」では、「あさかぜ」が、重要な役割を果たします。 九州・福岡の香椎海岸で、男女の死体が発見される。 一週間ほど前、この二人は、東京駅で、隣のホームにいた 女性の同僚に、「あさかぜ」に乗る場面を目撃されておりました。 ところが、その隣のホームから、「あさかぜ」が見えるのは、 17時57分から18時01分までの、たった四分間だけ。 この四分間を過ぎると、間に別の列車が止まり、 隣のホームから「あさかぜ」は見えなくなるのです。 あまりにも偶然すぎるこの出来事に、 疑問を抱いたところから、事件は解決に向かっていく…と、 これが有名な「点と線」の四分間のトリック。 昭和三十三年(1958年)に出版されると、 大ベストセラーになり、「社会派推理小説」という、 新たなジャンルが確立されるきっかけにもなったのです。

11月3日(火)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

今週は、「松本清張の東京」。
ことし生誕百周年を迎え、再び脚光を浴びている 昭和後期を代表する大ベストセラー作家、松本清張。 その代表作に登場する東京風景をご紹介しています。 今日のお話は「『砂の器』の蒲田」
「国電蒲田駅の近くの横丁だった。  間口の狭いトリスバーが一軒、窓に灯を映していた。  十一時過ぎの蒲田駅界隈は、普通の商店がほとんど戸を入れ、  スズラン灯のあかりだけが残っている…」  最近では中居正広さん主演でドラマ化され好評を博した、 松本清張の名作『砂の器』の書き出しです。
「砂の器」は、昭和三十五年(1960年)五月から、 読売新聞の夕刊でおよそ一年間の連載が始まっています。 翌年の七月に単行本が出ると、これまた、 あっという間に大ベストセラーとなりました。 昨日、ご紹介した「点と線」は、旅行ブームを背景に、 人気の寝台特急「あさかぜ」が登場しましたが、 「砂の器」では、冒頭に出てくるのが「トリスバー」。 最近、再び流行の兆しを見せておりますが、 昭和三十年代前半に、サラリーマンの憩いの場として、 圧倒的な人気を集めた流行スポットでございます。 松本清張は、こうした最新のトレンドを、 小説に効果的に取り入れるのがとても巧みだったんですね。 蒲田駅近くのトリスバーに現れた中年男と若い男の二人連れ。 この中年男が、現場にほど近い、蒲田駅の操車場で 死体となって発見されるのが、事件の始まりです。 小説の舞台となった時代からおよそ半世紀が過ぎて、 蒲田駅の近辺はガラリと様子が変わりましたが、 操車場はそのまま残されており、当時の姿を伝えています。
小説の連載が始まってから、実に十四年の時を経て、 昭和四十九年(1974年)、「砂の器」は映画になりました。 監督は野村芳太郎(よしたろう)、脚本に橋本忍(しのぶ)、 そして山田洋次。数々の賞に輝いたこの名作で、 主役の刑事コンビを演じているのは、丹波哲郎と、 森田健作・現千葉県知事のお二人なんですね。 懐かしい役者さんが山ほど登場するこの映画、 渥美清さんも笠智衆さんもちょっとずつ出てまいりますが、 原作に忠実に都内のロケを行っているのも、特徴の一つ。 青一色の塗装が懐かしい京浜東北線の電車が並ぶ 当時の国鉄・蒲田操車場の風景を始め、 蒲田駅周辺での聞き込み、警視庁の古い建物、 そして渋谷駅ガード脇の飲み屋街、などなど…。 昭和四十年代後半の懐かしい東京風景が、 たくさん登場してまいります。

11月4日(水)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

今週は、「松本清張の東京」。
ことし生誕百周年を迎え、再び脚光を浴びている 昭和後期を代表する大ベストセラー作家、松本清張。 その代表作に登場する東京風景をご紹介してまいります。 今日のお話は「『波の塔』の深大寺」
東京周辺の蕎麦の名所…といえばいろいろありますが、 調布市の深大寺門前も、その一つ。 この付近は、米作りに向かない土地で、 古くから蕎麦が栽培されており、 年貢も蕎麦で納められていたそうです。 元禄年間のこと。深大寺が、総本山である上野・寛永寺に、 地元で取れた蕎麦を届けました。 すると、お寺のナンバーワンである門主様が、 「これは、うまい」と、大変、気に入られた。 大名諸侯にも「深大寺の蕎麦は、絶品ですぞ」と、 お勧めになり、それ以降「深大寺蕎麦」の名前が、 すっかり有名になった…というエピソードがございます。
深大寺近辺が、物語の中で重要な役割を果たすのが、 昭和三十四年(1959年)から翌年にかけて、 「女性自身」に連載された「波の塔」です。 青年検事と、美貌の人妻の不倫をテーマとした、 この美しく悲しいラヴロマンスのおかげで、 連載中、雑誌の部数も飛躍的に伸びたんだそうです。 小説の中に、深大寺のもう一つの名物である郷土玩具、 「ワラ馬」が登場いたします。これは万葉集に登場する、 「赤駒を 山野(やまの)に放し 取りかにて  多摩の横山 歩(かし)ゆかやらむ」という歌に ちなんだもの。ヒロインである美貌の人妻が、 「記念にするわ。あなたと、ここにきたのを…」と、 買い求めたことから、このワラ馬も人気アイテムとなりました。
今でこそ、この付近は開発が進み、住宅が建てこんでおります。 しかし、「波の塔」が執筆された当時は、 まだまだ武蔵野の面影を色濃く残しておりました。 青年検事と人妻は、深大寺から東京天文台のあたりを あてどもなくさまよいますが、 その中に、こんな文章が出てまいります。 「この道では、めったに人と行き会わなかった。  農夫が荷車を引いて通るぐらいのものだった。  道の果てが傾いた陽で眩しかった」 およそ半世紀前の調布、三鷹… まだまだ、こんな風景が残っていたんですね。 小説が評判になった当時、ロマンチックな雰囲気を求めて、 深大寺付近は、アベックで大賑わいになったんだそうです。

11月5日(木)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

今週は、「松本清張の東京」。
ことし生誕百周年を迎え、再び脚光を浴びている 昭和後期を代表する大ベストセラー作家、松本清張。 その代表作に登場する風景をご紹介しています。 今日のお話は「『時間の習俗』の相模湖」
本日、ご紹介いたします「時間の習俗」は、 昭和三十六年(1961年)から翌年にかけて、 出世作「点と線」同様、旅行雑誌「旅」に連載されました。 松本清張作品では、同じキャラクターが登場することは めったにないのですが、同じ媒体ということを意識してか、 「時間の習俗」では「点と線」で活躍した、 三原警部補と鳥飼刑事の名コンビが、再び登場し、 読者を喜ばせてくれるのです。 官庁を舞台にした汚職事件などを好んで取り上げることで、 松本清張作品は「社会派推理小説」と呼ばれます。
しかし、「時間の習俗」は、そうした動機の面は あまり描かれず、純粋なアリバイ崩しがメインの小説。 清張作品の中でも、一二を争う巧妙なトリックが 用いられていることで、ミステリ・ファンの間で、 特に評価の高い作品であります。 最初の殺人が起きるのが、相模湖。 東京から中央線に乗って西に向かって、高尾を過ぎ、 小仏トンネルを抜けると、左側に見えてくる美しい湖です。 この相模湖は、昭和十三年から二十二年にかけて、 八十六戸の民家を移転させて作られた、 日本で初めての多目的ダム湖。 戦時中のことですから、工事には、中国や朝鮮半島から、 強制的に連れてこられた数多くの労働者が携わりました。 労働条件も劣悪だったことで、八十三人もの犠牲者が出ており、 現在も、毎年夏には追悼の集会が行われております。
小説の中では、こんな風に紹介されています。 「東京から近いために、行楽客の中には、  湖畔の宿で一泊して帰るものもある。また、近頃のことで、 アベックのために、それ向きの設備も出来た」 清張先生、なかなか上品な表現をしていらっしゃいますが、 現在でも、この相模湖周辺、アベックのための、 「それ向きの設備」がたくさん、立ち並んでおりますね。 二月六日、寒い寒い真冬の夕方、そんな宿の一軒に、 アベックがやって参ります。 しばらく部屋で過ごし、食事をとった後、 「湖を見てくる」と散歩に出たまま、二人は戻ってこない。 心配になった宿の人間が警察に届け、捜索したところ、 男の死体が発見され、女は忽然と姿を消した。 有力な容疑者が浮かび上がるものの、同じ時刻、 北九州・門司で写真を撮影していたという 鉄壁のアリバイがあった…というこのお話。 いま読んでも、なかなかスリリングで、 非常に面白いトリックが楽しめます。 秋の夜長に、お勧めの一冊でございます。

11月6日(金)放送分 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

今週は、「松本清張の東京」。
ことし生誕百周年を迎え、再び脚光を浴びている 昭和後期を代表する大ベストセラー作家、松本清張。 その作品に関わりの深い東京風景をご紹介しています。 今日のお話は「『松本清張』の浜田山」
渋谷から吉祥寺へ向かう、京王井の頭線に乗って、 十番目の駅が「浜田山」。閑静な住宅街として知られています。 浜田山から、次の高井戸へ向かって、しばらく行くと、 線路沿いの左側に見えてくる、大きな屋敷…。 ここで、松本清張は、後半生の三十年ほどを過ごし、 「昭和史発掘」を始めとする、数々の名作を著しました。 文芸春秋社の編集者として、長年、松本清張を担当した 森史朗(しろう)さんは、著書「松本清張への召集令状」の 中で、こんな風に書いています。
「井の頭線 浜田山駅を降りると、改札口を出て、  北側の線路沿いの道を五分ほど歩く。」 「踏切の向こう側にある家屋の、矩形の庭に面しているのが  清張邸で、線路に向かっている建物の一階が応接間、  二階が仕事場と書庫と言う間取りになっている」 「待つことしばし。二階からドタドタと階段を降りる  足音がして、和服姿の大作家がやおら姿をあらわす」 写真でおなじみの、着物姿の清張先生の姿が、目に浮かびます。
明治四十二年(1909年)、九州・小倉に生まれた松本清張。 もしご存命であれば、まもなく百歳。あの太宰治と、 同い年でございます。高等小学校を卒業後、職を転々とし、 最終的には印刷用の版下を作る職人となって、 朝日新聞社の九州本社で働き始めます。 仕事の傍ら、文学の修業に励み、昭和二十八年(1953年)、 「ある『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞し、この年、上京。 太宰治が、自ら命を経ってから五年後、 清張先生、四十四歳のときでした。 そして、さらに五年後、四十九歳の年に出版された 「点と線」が大ベストセラーとなり、流行作家の道を 歩き始めることになったのです。
上京後、家族を呼び寄せてからの住まいは、練馬の関町、 そして石神井と移り、浜田山に邸宅を構えたのは、 昭和三十六年(1961年)、清張先生五十二歳の年。 現在、この仕事場の建物は、生まれ故郷の北九州、小倉にある 「松本清張記念館」に、移されており、 清張先生が亡くなった、その日のままの状態で、 展示されています。 机の上に目立つのは、愛用の万年筆、そして大きな灰皿と、 コーヒーカップ。ヘビースモーカーであり、また、 コーヒーをこよなく愛した、作家の日常が伝わって参ります。

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