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「平成の失敗から学ぶ経済学」野口悠紀雄さん

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平成はあと1か月ほど。このタイミングでお越しいただいたのは、
著書「平成はなぜ失敗したのか 『失われた30年』の分析」が話題の野口悠紀雄さんです。
この本は、「今、日本の世界における地位はどうしようもなく落ちている!それに対して警告するために書いた」そうです。
「これまでの失敗の検証なしには日本は前進できない!」ということで、
番組では平成を簡単に振り返り、問題点や今後何をしたらよいのか伺いました。
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『平成を振り返る』
【平成元年(1989年)】 ☆村上信五さん7歳の年☆
▼消費税がスタートした年。ベルリンの壁が崩壊し冷戦が終了。
・野口さんは49歳。「日本経済のバブルが壊れたら大変だ」と盛んに言っていた頃。
これは本質的な経済の回復ではないと言っていたが、バブルの崩壊が始まった。
・「バブル」という言葉を最初に使ったのは野口さん。
・バブル経済は80年代の後半に地価が上昇し、それと同時に株価が上がった。
東証平均株価は3万8915円の史上最高値となった。
・「日本こそこれからの経済をリードする。世界のトップになる。アメリカではない。」と当時は国内外が思い、
日本に投資したいと思った時代。
・映画「プリティ・ウーマン」を見ると、リチャード・ギアが演じるビジネスマンが
日本への投資に躍起になっている様子が見て取れる。当時の世相を反映している。
・しかし、それは「バブル」だったので一気に崩壊した。
【平成16年(2004年)】 ☆村上信五さん22歳の年。関ジャニ∞「浪速いろは節」でデビュー☆
▼為替介入が大規模化した年。アテネオリンピック開催。グーグルが株式公開。
・野口さんは65歳。アメリカのスタンフォード大学で客員教授を務めていた。
・アメリカで「日本経済が復活し始めた。」というニュースを知り、変なことが起こっているなと思っていた。
「これは偽りの回復だ」と思っていた。
・当時は、為替介入が大規模化して、円安が進んだため、日本の製造業が復活したと思われていたが、
実際、その後のリーマンショックでダメになった。
・日本の企業は、国内の大規模工場にこだわり過ぎた。アメリカのアップルのように国内の工場を無くして、
世界各地に工場を作り分散することで、世界の経済発展に寄与するべきだった。
・アップルは、当時国内からの批判はあったし痛みを伴ったが、今の成功した姿をみるとあれは英断だった。
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『日本はどうしたら良かったのか?』
・日本人がものの考え方を変える必要があった。
・1950年代、60年代、日本人は謙虚だった。世界の中でいろんなことを学ぶ必要がある。
これから追いつくぞという時代だった。
・しかし、80年代、輸出がうまく行くことで景気が良くなったと勘違いして慢心してしまった。
それがバブルを生み、それが90年代になって壊れた。
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『今後、日本はどうしたら良いのか?』
▼【日本の人口構造が変わる】ことへの対処
・日本は少子高齢化で①労働力が減る、②社会保障費が足らなくなるという2つの問題がある。
・対処法としては、①高齢者が働く、②女性が働く、③外国人が働くという3つ。
・中でも外国人の労働力に期待したいところだが、今の日本は短期的な労働しか認めていないので、
外国人が永住できるための法整備が必要だ。
・社会保障費に関しては、一人あたりの負担が増加するのは目に見えている。
消費税を増税するくらいでは賄えない。保険料を決める際の見直しが必要である。
・今年、見直しする年なので、今後の動きに注目。
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野口さんのお話で平成の失敗点がよく分かりました。
しかし、野口さんのお話でもあったように「間違っている!」という声が正しくても、
なかなか届かないものです。大きな流れには逆らえないと言いますか・・・。
どの流れが正しいのか、すぐには分からないかもしれませんが、私たちひとりひとりができることは、
「いろんな意見を取り入れて考える」ということでしょうか?そして動ける方は動く!
少し話がズレるかもしれませんが、村上さんの積極的にいろんな意見を聞いて考えている姿を、
(番組中という少ない時間ですが)拝見していると、それが大事なことが分かります。
by長麻未

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2019年03月31日(日)
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