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diary

2017年3月13日 男はどっちだ

東日本大震災から6年が経った。
毎年話を聞きにお邪魔している宮城県・気仙沼市も
今回で7回目。
行くたびに街の景色が変わる。
今年驚いたのは、
津波対策で、1.3メートル以上嵩上げするため
気仙沼の定宿、大鍋屋の本館が姿を消していたこと。
震災後、皆の為にいち早く営業再開した施設で
木造旅館の入り口には
津波が襲った時刻に動きを止めた時計などが
忘れちゃだめだ!と無言で訴えていた。
新館は元気に営業しており
今回も充実した出張の起点となってくれた。
取り壊されるのはそれだけではなかった。
港と平行に走る道沿いに大鍋屋から
100メートルも離れていない場所
そこに銭湯がある。
亀の湯という。
津波から3か月後に訪れた際は1階部分がベニヤで覆われていた。
翌年は再建工事をしている風だった。
そして2013年3月に夕方と通ると「ゆ」の暖簾が出ていた。
いつかは利用してみようと考えていた。
大鍋屋に着き地元の新聞を広げると、
その亀の湯が4月いっぱいで店を閉じると出ている。
「〈銭湯閉店へ〉
港町の風情があふれ、「気仙沼の顔」と呼ばれる繁華街があった気仙沼市内湾地区。東日本大震災の津波で被災した創業約130年の銭湯「亀の湯」は毎夜、汗を流す復興工事の作業員でにぎわう。
 震災翌年の2012年7月に設備を直して本格再開した。水揚げを終えた漁船員らを癒やしてきたが、今年4月末でのれんを下ろす。かさ上げと道路拡幅で立ち退かなければならない。」
こりゃ大変だ!今を逃せば2度と入れない。
次の取材まで45分ある、行こう!
夕焼け体制に入り通ある4時。
急ぎタオルを持って大鍋屋新館から100メートル走った。
1分かからず亀の湯へ
ハアハアしているオヤジが私だ。
普通の一軒家に入り口が2つあり
夫々暖簾が下げられている。
私は男湯と女湯の入り口だと疑わなかった。
しかし、いざくぐろうとして、その足を止めた。
どっちが男湯だ?暖簾には「ゆ」としか書いてないのだ。
数秒考え、右の暖簾をくぐる。
外れた。
かといって、変質者に間違われることもなかった。
私が足を踏み入れたのは、コインランドリー。
何と紛らわしいこと。
そして左の物を手で払う。
「いらっしゃいませ~」
黒いセーターが上品な70代のご婦人が声を出す。
瞬時に私を余所者と判別。
「タオルはある?」
親切な声かけ。
「はい、宿のを持ってきました」
「あらあ、わざわざ、有難うございます~」
440円払って、2つある暖簾の右に進む
「お客さん!こっち!そちらは女湯」
ひゃ~また間違えた。
慌てておかみさんが指さしている方をくぐった。
脱衣所は狭い。
長さ5メートル、幅2メートル弱の空間だ。
鍵のついた箱が20ほどあるが
2割は鍵がその役割を果たしていない感じ。
仕事を終えた力の強い客がバンバン開け閉めしたからだろうか。
客は私と、浴室に1人だけ。
時間もないが、湯船で手足は伸ばせそうだ。
裸になって浴室に入るとこれまた個性的。
湯船が極端に細長い
幅2メートル長さ10メートル。
深さはそうない。
ライオンの陶器から湯が落ちる。
さらに、浴室には演歌が流れている。
港町には演歌だな・・
きよしくん(氷川きよし)の男の絶唱かからないかな・・
湯の温度は41度くらいか。
ゆっくり入れる。
体を洗い、湯船に。
額に汗が滲んだころ風呂を出た。
汗がまだ引かず、タオルで拭いながらおかみさんの話を聞いた。
「津波の被害は軽かったのですか?」
「1階はめちゃくちゃ!でもね、皆が待ってると思って
頑張って翌年の7月には店を開けたのよ。
湯船浅かったでしょ?昔はもっと深かったけどね。」
「何だか残念ですよね」
「そういってくれるのは嬉しいけど、もう年だしねえ。
4月いっぱいは、やってるから、また来てね!」
「お話し有難うございました」
「あら、お茶も出さずにごめんなさいね~風邪ひかないようにね。」
銭湯で「お茶も出さずに」という言葉を聞けるとは思わなかった。
一期一会、
気仙沼は人情の街だ。それはいつからなのだろうか。
人情交差点の灯がまた一つ消えていく。

男はどっちだ
男はどっちだ