浜美枝のいつかあなたと

毎週日曜日
 9時30分~10時00分
Mr Naomasa Terashima Today Picture Diary

寺島尚正 今日の絵日記

2017年11月27日 人生とは

涙には様々な意味がある。
小学2年まで、私は泣き虫だった。
膝を擦りむいては泣き
友達の飼っている犬が抱き着いて来て
驚いて涙をこぼした。
小3のある夏の日
体の弱かった父が珍しくキャッチボールをしてくれるという。
これまで何度も手術をした父の走った姿は見たことがない。
運動の対極にいる人だと諦めていた。
朝から煩い蝉の合唱がスタンドを埋める歓声に聞こえる。
軟球が青空をバックに私と父を行き来した。
5分くらいやっただろうか
父が投げた一球が私の頭上1メートルを通過しようとした。
「いけない、ボールがなくなっちゃう」
ジャンプしながらグローブを限界まで上げ、
さらにボールの行方を見ようと体を捻った。
ボールは予想ほど高くなかった。
そして虚弱とはいうものの大人が投げたボールは私の右手を擦った。
ジャイアンツの帽子を飛ばせながら着地。
私は、驚きと、摩擦で赤くなった手を見て
目の奥が熱くなってきた。
そこに父の声。
「おい、ナオ!そのくらいで泣いていたら大人になれないぞ」
「父さんが投げたボールが高かったのに・・」
そう思いながら涙腺の門を開けないよう頑張った。
夕方銭湯に2人で行く道で父に聞いてみた。
「ねえ、大人って泣いたらいけないの?」
「そうだな、男は、よっぽどの事がない限り泣くものじゃない」
「よっぽどの事って、何?」
「大人になっても、堪え切れないときがある」
「痛いとき?」
「痛い・・大きくなればわかるさ」
 
1か月後、日曜の昼頃の事
設置されて間もない我が家の黒電話が鳴った。
母親が化粧声で出る。
父への電話だった。
職場部下からのようだ。
電話に低音で素っ気なく出た父。
「はい、私だ。どうした?うん・・うん・・うん」
当時、電話は皆の中心にあって、家族が聞き耳を立てていた。
父の発する「うん」が高く湿り気を帯びてきた。
「そうか・・うん、(鼻をすする音)ダメだったか・・大変だったな・・」
「ゆっくり休め。お前の体も気を付けるのだぞ」
父の電話が切れた。
父は便所に行きしばらく出てこなかった。
タバコの煙がそこに父がいることを教えていた。
黒電話の「9」の文字に雨粒。
父が泣いた。大人が涙を見せた。
とんでもないことが起きたのだと恐れおののいた。
父の涙の訳は何なのだ?恐る恐る母に聞いてみた。
「お父さんの部下のお子さんが病気でね
今朝亡くなったんだって」
当時、私の未熟な感性では意外だった。
自分の子供ならその悲しみはわかる。
いくら可愛がっている部下とはいえ、その子供が天国にいっても
嗚咽を漏らすほどなのか。
あれから半世紀が過ぎ、私も子を2人持つ大人となった。
「大人になっても、堪え切れないときがある」
父の言葉、そして流した涙の感覚が今はよくわかる。
大相撲九州場所千秋楽
39歳1か月、幕内・安美錦が敢闘賞を受賞した。
昨年夏場所の左アキレス腱断裂の大けがを乗り越えての勝ち越し
普段は飄々とインタビューに答える安美錦
この日、感動の宝石は制御不能だった。
「疲れました。勝ち越しに王手をかけて4連敗し、幕内で通用するのか
不安もいっぱいあった。家族も一緒に戦っている。
連敗すると弱気になる部分がたくさんあったけど、
家族はいつもと変わらず接してくれた。
家族が支えてくれたので、それに応えたいという気持ちだけで
土俵に上がっている。勝ち負けがある世界なので、
辛いことだらけだけど、勝ててよかった」
どんなにつらい時でも、男は何時如何なる時も、
人前で涙を流してはいけないもの。
大の男が泣くといいうのは、よほどの事があった時、
むせび泣く状態なのだ。まさに男泣きだった。
安美錦の話を聞きながら、私も熱いものを抑えられなかった。

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