番組について
ONAIR REPORT
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今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆5月29日(月)
ビル・ウィザース 「リーン・オン・ミー」

邦題は「私を頼りに」。ビル・ウィザース飛行機のトイレのシートを作っていたという異色の経歴を持ち、32歳でデビューを果たすという遅咲きのシンガーでした。暇を見つけては、作曲をしてレコード会社にデモテープを送っていたのですが、1970年にブッカーTを紹介され、彼のプロデュースの元でファースト・アルバム『消えゆく太陽』をリリースし、このアルバムからシングルカットした「消えゆく太陽」が
グラミー賞のリズム&ブルース部門で最優秀賞を獲得します。
グラミー賞を獲得しながらも、相変わらず、飛行機のトイレのシートを作っていたビル・ウィザースが、
そこで働いていた同僚や友人たちの温かい人間関係を歌にしたのが、この曲で、この曲が1972年に見事に全米bPに輝きます。この曲では「苦しんだり悲しんだりしている時に僕を頼ってほしい」と歌っていますが、アメリカ同時多発テロの後、ニューヨークでは、この曲が歌われ励まし合っていた姿は
印象的でした。

◆5月30日(火)
村下孝蔵 「初恋」

村下孝蔵は、生家が映画館を経営していたことから、幼いころから映画や洋楽に親しんでいました。
高校を卒業後、広島でピアノの調律士をする傍ら、自主制作アルバムをレコーディングし、音楽活動を開始しました。そんな村下孝蔵は、1979年に第1回CBSソニーオーディションで最優秀アーティストに選ばれ、1980年に「月あかり」でデビューしました。
しかし、ニューミュージック全盛期の当時、叙情的なフォークソングは受け入れられず、なかなかヒットに恵まれなかったのですが、その後、地道なライブ活動が実を結び、1983年にリリースした「初恋」が50万枚を超すヒットを記録しました。この曲は、当時アイドルだった三田寛子やプロ野球選手の田尾安志などがカバーし話題になりました。惜しまれつつ、1999年にコンサートのリハーサル中に倒れ、
46歳という若さで帰らぬ人となりました。

◆5月31日(水)
ウィルソン・フィリップス 「HOLD ON」

1990年代に入って、女性3人組ウィルソン・フィリップスは、往年の音楽ファンに懐かしさと時の流れの速さを感じさせました。それは何故かというと、メンバーうち、チャイナ・フィリップスは、ママス&パパスのジョンとミッシェル・フィリップスの娘で、カーニーとウェンディ・ウィルソン姉妹は、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの娘だったからです。親は1960年代の人気グループで、既に時の音楽業界は、2世アーティストが活躍するようになっていました。
デビューシングル「ホールド・オン」は、1990年に見事、全米bPに輝き、華々しいキャリアをスタートさせた1曲になります。その後、「Release me」 「You're in love」などのヒット曲を飛ばしました。

◆6月1日(木)
大沢誉志幸 「そして、僕は途方にくれる」

沢田研二の「お前にチェック・イン」、中森明菜の「1/2の神話」のソングライターとして活動していた
大沢誉志幸は、1983年にソロ・シンガーとしてデビューします。実は、作曲家になる前に「クラウディ・スカイ」というバンドで、デビューしたのですが、成功を待たずして、わずか8ヶ月で解散という経歴を
持っていました。そこで、その経験を踏まえて、ファーストアルバムのリリースには、半年以上のミーティングを重ね、レコーディング・メンバーは、沢田研二のバックのエキゾテックスが務めるなど、
満を持してデビューします。
そして、1984年に3作目となるアルバム『コンフュージョン』をニューヨークで録音し、その中に収められた曲がこの曲で、大沢誉志幸の最大のヒット曲になり、CMソングとしても大ヒットを収めました。
彼自身が、ライブ会場で「人生最高傑作」と言わしめた名曲として今もなお語り継がれています。

◆6月2日(金)
ジョーン・ジェット&ブラック・ハーツ 「I LOVE ROCK'N ROLL」

ジョーン・ジェットは、1976年16才の時に女の子5人組のロック・バンド “ランナウェイズ” でデビューしました。彼女が、イギリスをツアーで回っているときに、テレビでアロウズというバンドが、「アイ・ラブ・ロックン・ロール」を演奏していたのを聴き、ジョーンは、アロウズのメンバーで、この曲の作者である
ジェイク・フッカーに電話をし、自分たちがカバーしてもいいかと尋ねました。
“ランナウェイズ” は1977年には来日公演も行い、日本でも人気が爆発しましたが、1978年に解散
してしまいます。その後ジョーンは、ブラック・ハーツを結成し、再びジェイク・フッカーに電話をして、
カバーの許可をもらいました。ジェイク・フッカーは、ジョーン・ジェット&ブラック・ハーツがカバーした
この曲を聞いて、絶対に1位になると確信したそうですが、その予言通り1982年7週連続1位を獲得
するヒット曲となりました。2001年には、この曲をブリトニー・スピアーズが再びカバーし、リバイバル・ヒットしました。



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