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ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT

◆3月23日(月)
ザ・スミス  「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」

イギリス、マンチェスター出身のボーカルのモリッシーとギターのジョニー・マーの2人に、ベースのアンディ・ルーク、ドラムのマイク・ジョイスが加わり、1982年、ザ・スミスが結成されます。翌83年、シングル「ハンド・イン・グローブ」でデビュー。続くセカンドシングル「ジス・チャーミング・マン」でシングル・チャート1位を獲得。日常の怒りや悩みを詩的に歌うモリッシーの歌詞と、60年代ポップに根付いたキャッチーなメロディを表情豊かに奏でるジョニー・マーのギター・サウンドで瞬く間に人気を博します。
この曲「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」は、1985年に発表した6枚目のシングル。最近では、ロシアのお騒がせユニット、タトゥーがカバーして話題になっていますが、この曲を収めたセカンドアルバム『ミート・イズ・マーダー』は、アルバムチャートでも1位を獲得しました。続く3枚目のアルバム『クィーン・イズ・デッド』では、公然とイギリス王室批判を行い、イギリス全土にセンセーションを巻き起こしますが、1987年、ジョニー・マーが音楽性の違いからザ・スミスからの脱退を表明。わずか4枚のアルバムを発表しただけで解散してしまいます。解散後、モリッシーは、ソロ・アーティストとして活躍し、ジョニー・マーは、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーとエレクトロニックを結成したり、リンゴ・スターの息子、ザック・スターキーとヒーラーズを結成するなど、バンド活動を続けています。

◆3月24日(火)
フィンガー5  「学園天国」

沖縄出身の玉元兄弟、長男の一夫、次男の光男、三男の正男、四男の晃、次女の妙子の5人で結成したフィンガー5。もともと小学生だった一夫、光男、正男が結成したオール・ブラザーズというバンドが沖縄のローカルテレビが行ったコンテストで、優勝したことがきっかけとなり、東京に進出。1970年、シングル「私の恋人さん」でデビューしますが、全く売れませんでした。1972年の沖縄本土返還もあり、沖縄に帰ろうとしていた時に、当時、キャロルを世に出したばかりのレコーディング・ディレクターの目に留まり、晃と妙子を加えて、「フィンガー5」を結成。翌、1973年シングル「個人授業」で再デビューします。すると、発売1週間でヒットチャートのトップの座に上り詰め、145万枚のセールスを記録。続く「恋のダイヤル6700(シックスセブンオーオー)」も1位を獲得し、和製ジャクソン5として、テレビ、映画に出演し、小中学生のアイドルとしてブレイクします。
この曲「学園天国」は、1974年に発表した3枚目のシングルで、それまでの2作と合わせて学校における恋愛がテーマとなっている「学園ロック」とよばれ、3作ともミリオンセールスを記録しました。この曲は、小泉今日子、香取慎吾が扮した慎吾ママ等、多くのアーティストにカバーされています。その後、多忙を極めたことから彼らの消耗度合いも凄まじく、大きなサングラスがトレードマークだった晃の変声期を境に人気が低下、1980年、自然消滅のような形で活動を休止し、解散してしまいました。

◆3月25日(水)
ジュベッタ・スティール  「コーリング・ユー」

アメリカ、ミネアポリス出身のジェベッタ・スティールは、ゴスペル・ミュージックのファミリー・グループ、J.D.スティール・シンガーズの一員で、1985年、ミネソタ音楽賞の最優秀ゴスペル・シンガーに選ばれているという実力の持ち主です。ジェベッタ・スティールは、ブロードウェイにも出演しており、ミュージカル「ゴスペル・アット・コロナス」に出演した時に、その音楽監督をしていたボブ・テルソンと出会い、そのことがきっかけで、ボブ・テルソンが音楽を担当した映画「バグダッド・カフェ」の主題歌である、この曲「コーリング・ユー」を歌い、大ヒット。そして、アカデミー賞にもノミネートされて、全世界にその名が知られるようになりました。
この曲は、ジャズ・シンガーのホリー・コールをはじめ、数多くのアーティストにカバーされています。その後、ジェベッタは、改名したスティールズの活動と並行して、同じミネアポリス出身のプリンスのツアーに参加したり、ノルウェーの3人組ア・ハのアルバムに参加するなど、幅広い活動をしています。

◆3月26日(木)
渡辺美里  「10イヤーズ」
高校在学中に「セブンティーン・コンテスト」に応募し、歌唱賞を受賞したことがきっかけとなって、歌手デビューした渡辺美里。1985年、映画『フットルース』の挿入歌だった「アイム・フリー」という曲を日本語でカバーし、ドラマ「スーパーポリス」の主題歌となり、歌手としてのキャリアをスタートさせます。そして、翌年86年に4枚目のシングル「マイ・レボリューション」を発表し、これが、ドラマ「セーラー服通り」の主題歌となり、オリコンシングルチャートで1位を獲得し、大ヒットを記録、一気にスターダムを駆け上がりました。その後も、身近な感覚で訴えるメッセージ性の高い歌詞が同世代の共感を得て、ヒット曲を連発して、デビューから20年連続西武ドームでのライブを成功させるなど、女性ロックボーカリストとしてカリスマ的支持を得ます。
この曲「10イヤーズ」は、1988年に発表したシングル「君の弱さ」のカップリングでしたが、UCC缶コーヒーキャンペーンソングになり、彼女を代表する人気の楽曲になりました。去年発売したデビュー25周年に向けて、日本屈指のミュージシャンたちが参加したセルフカバーアルバム『ディア・マイ・ソングス』の中にも収録されています。

◆3月27日(金)
トト  「アフリカ」

著名なジャズ・ミュージシャンを父に持つディビッド・ペイチと、ジェフ・ポーカロが中心になってアメリカ・ロサンゼルスで結成されたトト。その2人に、ボズ・スキャッグスのアルバム『シルク・ディグリース』に参加した腕利きのスタジオ・ミュージシャン、スティーブ・ルカサー、スティーブ・ポーカロ、デビッド・キンケイドに、ボーカルのボビー・キンボールが加わって、6人組となり、1978年、アルバム『宇宙(うちゅう)の騎士(きし)』(」)でデビューします。卓越したテクニックと完成度の高い内容で、話題となり、第1弾シングルである「ホールド・ザ・ライン」がトップ5ヒットを記録します。そして、1982年に発表した4枚のアルバム『聖なる剣(つるぎ)』が、アルバムチャートで頂点を極め、300万枚を超すセールスを記録します。まず、このアルバムからの第1弾シングル「ロザーナ」が2位を記録し、3曲目のシングルカットとなったこの曲「アフリカ」がシングルチャートで、初のナンバー1を獲得。彼らを代表する1曲となります。
そして、その年のグラミー賞では、アルバム・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤーなど主要6部門を独占受賞しました。5枚目のアルバム『アイソレーション』を制作中にボーカルのボビー・キンボールが脱退するなど、その後は、メンバーチェンジが激しくなり、1992年、中心メンバーだったドラムのジェフ・ポーカロが亡くなると、解散の危機を迎えてしまいます。しかし、再びボビー・キンボールがバンドに復帰し、人気も回復しますが、昨年、デビューのきっかけとなったボズ・スキャッグスとの共演ツアーを最後に解散を発表しました。





 

 

 



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