番組について
ONAIR REPORT
BACK NUMBER
今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆6月5日(月)
エリック・クラプトン 「TEARS IN HEAVEN」

1965年、ヤードバーズのギタリストとして、そのキャリアをスタートさせたエリック・クラプトンは、クリーム、ブラインド・フェイス、デレク&ザ・ドミノスというバンドを経て、ソロ・アーティストと活動し、40年以上、ギター・ヒーローとして、その地位を確立させてきました。90年代に入ると、エリック・クラプトンは、大人の渋いバラード・シンガーとして、一般の人たちにも認知されるようになります。
そのきっかけになったのがこの曲なのですが、クラプトンは、1991年に恒例のロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートの後、ニューヨークの高層マンションの窓から、愛する4歳の息子、コナー君が転落して死亡するという事故が起きてしまいます。この息子の突然の死は図り知れないほどの衝撃を与え、クラプトンが再び、ドラッグやアルコールの世界に戻ってしまうのではないかと心配されたのですが、そのことから立ち直る過程で書かれたのがこの曲でした。
惜しくも全米のシングルチャートでは頂点には届かなかったものの、CDは、プラチナ・セールスを記録し、1992年のグラミー賞では、最優秀楽曲、最優秀レコードを含む3部門を受賞し、歴史に残るバラードとなりました。

◆6月6日(火)
ヴィレッジ・シンガーズ 「亜麻色の髪の乙女」

1966年、小松 久を中心に結成されたヴィレッジ・シンガーズは、小松作曲によるオリジナル「暗い砂浜」でデビュー。当初は4人組でしたが、第2弾「君を求めて」の発売後メンバーチェンジを行い、リードヴォーカルに清水 道夫を迎え、第3弾「バラ色の雲」をリリース。斬新なメロディーとヴィレッジのクリーンなイメージが功を奏し、またたくまに60万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
そして、彼等の最大のヒット曲となった、「亜麻色の髪の乙女」は、“グループ・サウンズのひとつの楽曲スタイル” を確立した代表曲、そして永遠の名曲と言われるようになりました。
しかし、1971年、グループ・サウンズの終焉とともに、グループは解散します。それでも、この曲は、
島谷ひとみにカバーされ、リバイバル・ヒットするなど、今なお歌い継がれています。

◆6月7日(水)
バグルズ 「ラジオ・スターの悲劇」

この曲は、1979年のバグルズ唯一のヒット曲でした。バグルズは、敏腕プロデューサーとしても知られているトレバー・ホーンとジェフ・ダウンズが結成したユニットで、この曲がヒットしている1980年には、メンバーが脱退したイエスのメンバーとして活躍し、バグルズの活動は停止していました。
タイトルが「ラジオ・スターの悲劇」であったことから、1981年、アメリカで開局したMTVが記念すべきオープニングにオンエアしたミュージックビデオとなったこともあり、80年代以降のミュージックビデオの出現で、息の長いヒット曲になりました。
その後、イエスを脱退した2人ですが、ジェフリーダウンズはエイジアで活躍し、トレバー・ホーンも売れっ子プロデューサーとして、お騒がせ2人組タトゥーをプロデュースするなど、今なお音楽シーンに大きな影響を与えています。

◆6月8日(木)
中村あゆみ 「翼の折れたエンジェル」

1984年に「ミッドナイト・キッズ」でデビューした中村あゆみの3枚目のシングルで、当時、インスタントラーメンのコマーシャルソングに起用されるなどして、最大のヒット曲となったのが、この曲です。作詞・作曲は、アルフィーの代表曲「メリーアン」で、高見沢俊彦と共同作詞を行なったことでも知られる高橋研。彼が、初めて制作の全責任を負い、プロデュースを行なったのが、中村あゆみで、彼女は、女性
ロッカー・ブームの頂点に立つまでに成功し、この曲は、現在も語り継がれる名曲になりました。
ちなみに、1991年には、この曲を主題歌とする同じタイトルの映画も公開されています。

◆6月9日(金)
ヴァン・ヘイレン 「ジャンプ」

この曲は、ヴァン・ヘイレンが1984年にリリースしたアルバム『1984』からのヒット曲。父親の影響で、オランダでは、クラシック音楽を学んでいた、ギターのエディ・バン・ヘイレンとドラムのアレックス・バン・ヘイレンの兄弟は、オランダからアメリカに移り住むとすっかり、ロックの病に冒されてしまいます。
そこへ、ボーカルのデイブ・リー・ロスとベーシストのマイケル・アンソニーが加わって、1978年、
伝説のバンド「ヴァン・ヘイレン」がデビューします。
この「ジャンプ」は、彼らが初めて全米bPを獲得し、ヴァン・ヘイレンという名前を世間一般に知らしめた曲ですが、この曲は、デビュー当時から彼らを可愛がっていたプロデューサー、テッド・テンプルマンの一言で、陽の目を浴びました。
この曲は、1984年に全米bPを獲得するだけでなく、世界中でbPに輝き、彼らの代表すべき1曲となります。



PAGE TOP

サウンド オブ マイスター トップページ 玉川美沙たまなび INAX JOQR 文化放送 1134kHz 音とイメージの世界 SOUND OF MASTER サウンド オブ マイスター