番組について
ONAIR REPORT
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今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆7月17日(月)
ドリフターズ 「渚のボードウォーク」

ドリフターズといっても、加藤茶や志村けんの日本のドリフターズではなく、1960年代初頭に活躍したソウルコーラスグル−プのパイオニア、ドリフターズ。1950年代までは、黒人コーラスグループといえば、 “ドゥーワップ” といわれる形式が一般的でしたが、1953年にデビューしたドリフターズは、 “ソウルコーラス” というスタイルを作り上げ、ベン・E・キングやクライド・マクファターという優秀なシンガーを輩出しました。
この「渚のボードウォーク」は、イギリスのポップ・グループ、ハーマンズ・ハーミッツの「恋はハートで」を提供したケニー・ヤングの代表的な作品です。ベン・E・キングが脱退してから、ヒット曲に恵まれなかったドリフターズでしたが、ケニーが書いたこの曲で、1964年にヒットチャートに顔を出しました。
この曲は、俳優のブルース・ウィリスやローリング・ストーンズ、ベット・ミドラーなどにもカバーされ、
今なお、歌い継がれる名曲になっています。

◆7月18日(火)
ツイスト 「燃えろいい女」

世良公則を中心に結成され、1977年に第14回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)でグランプリを獲得し、1978年に「あんたのバラード」でメジャーデビューしたツイスト。セクシーな世良のボーカルスタイルは高い女性人気を得て、この年のザベストテンで年間第1位に輝き、一気にスターダムにのし上がりました。その後も立て続けにヒットを飛ばし人気を不動の物とします。
デビュー当時は、「世良公則&ツイスト」というバンド名でしたが、この「燃えろいい女」からツイストに
改名してから最初のシングル曲で、資生堂の夏のキャンペーンソングとしても有名な曲となりました。歌謡曲、ニューミュージックの全盛期において、ボーカリストに世良公則という強力なフロントマンを
立てるというバンドスタイルを、日本でも成功させ、1980年代以降のミュージックシーンに大きな足跡を残すこととなりました。
そんなツイストも1981年に惜しまれつつ解散してしまいましたが、その後進のバンドに与えた影響は計り知れないものがあります。

◆7月19日(水)
ブロンディー 「コールミー」

もともとパンクバンドとして1975年にデビューしたブロンディ。4枚目のアルバム『恋の平行線』で、
彼らのファンであったプロデューサー、マイク・チャップマンと仕事をして、80年代を代表する人気ポップバンドになります。
この曲は、1980年に6週連続で全米bPを記録したヒット曲で、ポール・シュレイダー監督の映画
「アメリカン・ジゴロ」のテーマ曲としても有名な曲です。
リード・ボーカルのデボラ・ハリーのプラチナ・ブロンドの髪にミニマルなドレスという姿は、現在もなお「80年代のセックス・シンボル」と称されるほどのカリスマ性をそなえた存在でしたが、その後、バンドは解散し、デボラ・ハリーはソロデビューします。しかし、しばらくしてクリスの看病のため、メディアから
姿を消しましたが、クリスが病気から回復したことで、1998年に再結成。難病を克服したクリスは、
デボラ・ハリーのソロ作品のほとんどを手掛け、良きパートナーとして音楽活動を続けています。

◆7月20日(木)
B'z 「太陽のKOMACHI ANGEL」

6月にリリースしたシングル「スプラッシュ」で、“38作連続初登場首位” という記録を更新したB'z。
この記録の最初の曲が、1990年にリリースされた、この曲です。B'zは、シングルだけでなく、アルバムの総売上枚数も4000万枚を突破しており、歴代1位の記録も持っているというモンスター・ユニットです。メンバーは、ギターの松本孝弘と、ボーカルの稲葉浩志の2人で、20歳からプロギタリストとして多くのセッション、ライブに参加していた松本孝弘が、稲葉のデモテープを聴き、1988年にB'zを結成し、その年に「だからその手を離して」でメジャーデビューしました。その後、「ZERO」「Calling」「ultra soul」など、数多くのヒット曲を飛ばし、日本の音楽シーンを駆け抜けています。
ライブにおいても、全国のスタジアムを縦断するツアーで、ライブ動員数も更新し続けているB'zですが、現在は、「モンスターズ・ガレージ」ツアーを行なっており、7月23日からは、5大ドームツアーが
スターします。

◆7月21日(金)
ボビー・ヘブ 「サニー」

1941年にテネシー州ナッシュビルに生まれ、12歳のときにロイ・アキューフのグループ・メンバーとして、白人の音楽といわれているカントリーの殿堂「THE GRAND OLE OPRY」に黒人で初めて出演したボビー・ヘブですが、1958年ごろからオリジナル作品を書き始め、3000曲のレパートリーを持っていて、1000社近い音楽出版社やレコード会社を訪ねて、自分の曲を売り込んだのですが、8年間、
1曲もヒットが生まれませんでした。
この『SUNNY』はオールディーズ・ファンにはお馴染みの曲ですが、とくに「キング・オブ・カヴァーソング」と呼ばれるほど実に500回以上のカバーをされていて、スティービー・ワンダー、フランク・シナトラ、シェール、ボニーM、日本では、奥田民生など多くのアーティストにカバーされて、今なお歌い継がれる名曲になっています。



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