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ONAIR REPORT
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今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆10月30日(月)
エイミー・グラント 「ベイビー・ベイビー」

ジョージア州出身で、ナッシュビルに移住してきたエイミー・グラント。レコーディングスタジオでアルバイトしていた15歳の時に、レコード・プロデューサーと知り合い、クリスチャン・ミュージック・レーベルから見事デビューを果たします。
クリスチャン・ミュージック・シーンでは圧倒的な人気を得たエイミーは、1986年、ピーター・セテラのソロアルバムで「ネクスト・タイム」という曲をデュエットし、全米bPに輝いたことで、世間一般的にも注目を集めます。
そして、1991年にアルバム「ハート・イン・モーション」をリリースし、この曲「ベイビー・ベイビー」が再び全米bPに輝きました。この曲は、生まれたばかりの自分の娘・ミリーに捧げた曲で、全米中の母親の支持を得て、アルバムは、500万枚以上のセールスを記録し、グラミー賞も受賞しました。

◆10月31日(火)
平尾昌晃&畑中葉子 「カナダからの手紙」

1950年代、日劇ウエスタン・カーニバルで人気を博し、ミッキー・カーチス、山下敬二郎と共に「ロカビリー三人男」として一世を風靡し、ロカビリー・ブームを巻き起こした平尾昌晃。その後作曲家に転向し、布施明の「霧の摩周湖」、梓みちよの「渚のセニョリータ」で日本レコード大賞を受賞するなど、演歌からポップスまで幅広いジャンルの作曲家として活躍します。
また、作曲家のかたわら東京をはじめとする全国8ヶ所に「ミュージック・スクール」を設立、石野真子、森口博子といった女性シンガーを輩出しました。そのスクール卒業生の一人である畑中葉子とデュエットを組み、1978年この曲「カナダからの手紙」をリリース。70万枚のヒットを記録し、紅白歌合戦にも出場しました。

◆11月1日(水)
グランド・ファンク・レイルロード 「アメリカン・バンド」

グランド・ファンク・レイルロードは、1969年、マーク・ファーナーを中心にドン・ブリューワー、メル・サッチャーの3人で結成されました。バンド名は、彼らの地元ミシガン州とカナダを結ぶ鉄道グランド・トランク・レイルロードをもじって名付けられました。わずか3人ながら、大音量で、骨太なロックサウンド、ソウルフルなボーカル、一度聞いたら忘れられないメロディーが衝撃的で、その年のアトランタ・ポップ・フェスティバルでキャピトル・レコードと契約し、わずか1年でトップ・スターに躍り出ます。ビートルズでさえ、3週間かかったニューヨーク・シェイ・スタジアムのコンサートチケットを24時間で売り切り、アルバムは4秒で1枚売れるなど、大成功を収めます。
そして1973年、スタジオミュージシャンとして有名だったトッド・ラングレンをプロデューサーに迎え、出来たアルバムが「アメリカン・バンド」。その中に収められていたこの曲が、ハード・ロック・バンドとしては異例の全米bPに輝き、世界のトップ・スターの仲間入りを果たします。
その後も、オールディーズの「ロコモーション」をカバーし、大ヒットさせますが、1976年に解散。しかし、1997年に行われたボスニア救済コンサートで再結成し、現在も地道な活動を続けています。

◆11月2日(木)
今井美樹 「ピース・オブ・マイ・ウィッシュ」

1986年、「黄昏のモノローグ」で歌手としてデビューした今井美樹。すでにモデルや女優として活躍していましたが、レコード会社のディレクターが、プロフィールや写真を見ずに、彼女のオーディション・テープを聴いただけで「歌手としてデビューさせ、何が何でも世に問うべきである」と惚れ込んだほどだったそうです。恋愛をテーマにした歌詞と清涼感いっぱいのサウンドと声が同世代の女性たちの心を虜にしました。4枚目のシングル「彼女とティップ・オン・デュオ」が1988年秋の資生堂キャンペーンソングとなったこともあってブレイク、その年の日本レコード大賞で優秀アルバム賞を受賞します。
そして、彼女が主演のドラマ「あしたがあるから」の主題歌であるこの曲「ピーズ・オブ・マイ・ウィッシュ」が120万枚を越えるミリオン・ヒットとなり、歌手としての人気を絶大なものとします。また、新曲「年下の水夫」を先月25日にリリース、デビュー20周年を迎えた今なお第一線で活躍しています。

◆11月3日(金)
アル・グリーン 「レッツ・ステイ・トゥゲザー」

幼い頃から、3人の兄弟とともに、グリーン・ブラザーズという名前で、ゴスペルソングを歌い、のどを鍛錬していたアル・グリーン。1969年にハイ・レコードの副社長でプロデューサーであるウイリー・ミッチェルに出会い、アルの才能に惚れたミッチェルは、自分のバンドと一緒にレコードを出さないかと誘います。
最初は乗り気でなかったアルも、次第にミッチェルの熱意に押され、一緒にレコーディングします。そして、18週間の準備期間を設けて、満を持して、ハイ・レコードからデビューしたアル・グリーンは、1971年、この曲「レッツ・ステイ・トゥゲザー」で全米bPに輝きます。79年までの9年間に6曲ものbPヒットを放つのですが、1979年ステージから落ちたのをきっかけにアルはソウル・ミュージックを捨てて、牧師になります。
90年代に入ると、牧師を続けながらゴスペルシンガーとしてもアルバムをリリースし、最近では、人気ドラマ「アリー・マイ・ラブ」で、主人公のアリーが憧れるアイドルとして出演していました。この曲は、アイザック・ヘイズやティナ・ターナーなどがリバイバル・ヒットを放ち、今なお、歌い継がれている名曲です。



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