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ONAIR REPORT
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今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆1月8日(月)
プリテンダーズ 「ドント・ゲット・ミー・ロング」

プリテンダーズは、イギリスの音楽雑誌 「ニュー・ミュージカル・エキスプレス(NME)」 の記者だったクリッシー・ハインドが1978年に結成したバンド。クリッシーは、アメリカ・オハイオ州の出身で、20代でイギリスに渡り、日本のサディステック・ミカ・バンドを世界に知らしめたプロデューサー、クリス・トーマスの勧めで、プリテンダーズを結成しました。
1979年に憧れのキンクスのカバー曲 「ストップ・ユア・ソビン」 でデビュー。1stアルバム 『愛しのキッズ』 は、イギリスでbPに輝き、大成功を収めます。私生活でも、そのキンクスのリード・ボーカル、レイ・デイビスと結婚し、娘をもうけるなど、順風満帆な生活を送っていたのですが、バンドのギターとベースがドラッグの過剰摂取によって亡くなってしまいます。さらにレイ・デイビスとも別れ、失意のどん底に落ちてしまいますが、ライブ・エイドで競演したシンプル・マインズのボーカル、ジム・カーと結婚、二人目の子供をもうけ、バンドも活動を再開させます。
その後さらにメンバーチェンジを行い、よりポップなサウンドを打ち出したアルバムが1986年の 『ゲット・クロース』 で、このアルバムの中の曲 「ドント・ゲット・ミー・ロング」 が全世界で大ヒットしました。この曲のモデルは、テニスのジョン・マッケンローで、日本では、三菱シャリオ・グランディスのCMソングやテレビ番組のテーマソングにもなっています。プリテンダーズは、去年も夏のフェスティバルに参加するために来日しており、まだまだ健在で、2005年にはロックの殿堂入りも果たしました。

◆1月9日(火)
光GENJI 「ガラスの10代」

美少年の代名詞ということで、「源氏物語」 の主人公、光源氏から名前をとって、1980年代終盤に一世を風靡した7人組アイドルグループ、光GENJI。メンバーは、内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂 晃、佐藤淳啓で、1987年に結成され、「スターライト」 でデビューします。
当時イギリスでヒットしていた機関車たちがレースを繰り広げるミュージカル 『スターライト・エクスプレス』 でローラースケートを使っていたこともあって、光GENJIは、ローラースケートを履いて歌いながらパフォーマンスを披露し、全国の小中学生の間でローラースケートを流行らせました。
この曲は、光GENJIのセカンドシングルで、「スターライト」 同様、チャゲ&飛鳥の飛鳥涼が作詞・作曲を担当し、3枚目のシングル 「ダイヤモンド・ハリケーン」 、4枚目のシングル 「パラダイス銀河」 と共にヒットし、1988年度のオリコンの年間チャートでは、「パラダイス銀河」 「ガラスの10代」 「ダイヤモンド・ハリケーン」 がトップ3を独占するという1978年のピンクレディ以来の大ブームを巻き起こしました。また、SMAPのメンバーも光GENJIの弟的な存在として、バックのスケート・ボーイズの中で、ダンスやスケボーを披露していました。しかし、1995年解散し、各々ソロ活動をしています。

◆1月10日(水)
テリー・デザリオ 「オーバーナイト・サクセス」

テリー・デザリオは、アメリカ・フロリダ州マイアミに生まれ、地元のクラブで歌っているところを、「サタデー・ナイト・フィーバー」 のヒットで知られているビージーズのバリー・ギブに見出され、1978年にカサブランカ・レコードから 『プレジャー・トレイン』 というアルバムでデビュー。 「エイント・ナッシング・ゴナ・キープ・ミー・フロム・ユー」 という曲がヒットします。
この曲のヒットがきっかけで、同じマイアミ出身の幼馴染であるKC&ザ・サンシャイン・バンドのリーダー、KCと 「イエス、アイム・レディ」 という曲をデュエットし、全米2位の大ヒットとなります。その後、彼女の夫、ビル・パースがプロデュースしたアルバムなどをリリースしますが、所属していたカサブランカ・レコードのいざこざに巻き込まれ、活動が制限されてしまいます。一方、日本ではこの 「オーバーナイト・サクセス」 が1984年、ソニーのカセットテープのCMソングに使われたこともあって大ヒットします。

◆1月11日(木)
チューリップ 「サボテンの花」

チューリップは、1970年代に歌謡曲でもフォークでもないポップスを吹き込み、「ニューミュージック」 という新しい音楽の分野を開拓しました。1970年に和製ビートルズを目指した財津和夫が中心となって、大学在学中、チューリップを結成。1972年に、「魔法の黄色い靴」 というタイトルのシングルとアルバムを同時にリリースし、メジャーデビューしました。一部の音楽関係者には高い評価を得ますが、ヒットには至らず、その後、アルバムとシングルを1枚ずつリリースしますがヒットせず、最後の賭けということで、「心の旅」 をリリースします。
その 「心の旅」 が5ヶ月かけてレコード売り上げ1位を記録し、一躍有名になり、「青春の影」 そして、この 「サボテンの花」 といった名曲を輩出し、その名を不動のものにします。また、ライブを中心に活動したチューリップは、日本初の単独野外ライブ、単独田園コロシアムライブ、よみうりランドを借り切っての野外ライブといった、先進的な大規模ステージセットやライティング革命など日本のミュージックシーンの先駆け的な役割を果たしました。
しかし、1989年に解散。財津和夫はソロ活動に入りますが、デビュー25周年となった1997年に再結成したことをきっかけに、4度全国ツアーを行い、35周年を迎えた今年、18年ぶりのオリジナル・アルバムのリリースと35周年ツアーを行うことが決定しています。この曲は、ドラマ 「ひとつ屋根の下」 の挿入歌としてリバイバルヒットするなど、今なお多くの人に愛される作品になっています。

◆1月12日(金)
マーサ&ザ・バンデラス 「ダンシング・イン・ザ・ストリート」

1960年代を席巻したモータウン・レーベルを代表するガールズ・グループ、マーサ&ザ・バンデラス。リード・ボーカルのマーサ・リーブスは、レコードを出した事がある歌手でしたが、モータウンには秘書として入社し、デモ・テープの歌入れやマービン・ゲイのバック・コーラスなどをして秘かにそのチャンスをうかがっていました。
そしてある時、モータウン初期の大御所、メリー・ウェルズがレコーディングをさぼったことで、そのチャンスをつかみ、1962年にデビューします。そして、その当時はまだ駆け出しだったマービン・ゲイが書いたこの曲が大ヒットし、彼女たちの代表曲となります。
その後モータウンの方針で、同じ女性3人組のシュプリームスにその座を追われてしまい、マーサはモータウンを離れ、ソロとして何枚かアルバムをリリースします。この曲は、キンクス、バン・ヘイレン、グレイトフル・デッド、ミック・ジャガー&デビッド・ボウイなど、ロック系のアーティストにカバーされ、リバイバル・ヒットしています。



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