番組について
ONAIR REPORT
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今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆2月5日(月)
ママス&パパス 「夢のカリフォルニア」

ママス&パパスは、キャス・エリオット、ジョンとミッシェルのフィリップス夫妻、そしてデニー・ドハーティという男性2人、女性2人から成る4人組です。ウエスト・コースト・フォーク・ロックの先駆者として名高いママス&パパですが、元々は、ニューヨークを中心に活躍していたフォーク・アーティストでした。ジョンとミッシェル夫妻が所属していたニュー・ジャーニーメンというバンドに、ソロとなっていたデニー・ドハーティとキャス・エリオットが参加する形で1965年にママス&パパスが結成されます。
そして、「青空を探せ」という曲でデビューするのですが、その翌週にこの曲、「夢のカリフォルニア」をシングル・カットした為に、この曲の方があっという間にヒットチャートを駆け上がり、記念すべきファースト・ヒットとしてミリオン・セールスも記録します。
その後、さわやかでソフトなハーモニーをセールス・ポイントに「マンデー・マンデー」がナンバー1に輝き、フラワー・ムーブメントの流れに乗って、1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルのトリを務めるほど、一気にブレイクします。
しかし、ミッシェルとデニーの不倫をきっかけにバンドに亀裂が生じてしまい、1968年にバンドは解散、一度再結成してアルバムをリリースしますが、メンバーはそれぞれソロで活動していきます。
ソロで成功を収めたキャス・エリオットは心臓発作で、32歳で他界し、2001年にリーダーだったジョン・フィリップが、そして今年1月にデニー・ドハーティが亡くなっています。
この曲は、曲名がドラマのタイトルになったり、映画の主題歌になるなど、40年以上経っても多くの人に愛されている1曲です。

◆2月6日(火)
ザ・ゴールデン・カップス 「長い髪の少女」

1960年代のGSブームの中で、日本発のR&Bバンドとして、強烈な個性を発揮して いたザ・ゴールデン・カップス。横浜でスフィンクスというバンドのボーカルを担当していたデイブ平尾を中心に、ギターのエディ藩、ベースのルイズルイス加部、サイドギターのケネス伊東、ドラムのマモル・マヌーが加わり、本牧のダンスホール、ゴールデン・カップのレギュラー・バンドとして活動をスタートさせます。当初は、平尾時宗とグループ・アンド・アイと名乗っていたのですが、レコード・デビューするにあたり、この本牧のダンス・ホールにちなんだバンド名、「ザ・ゴールデン・カップス」に改めました。
そして、1967年6月、シングル「いとしのジザベル」でデビュー。
この曲は、翌1968年にリリースした3枚目のシングルで、この曲のヒットで、GSシーンのトップに躍り出て、名実共にトップ・バンドの仲間入りを果たしました。
その後、キーボードにミッキー吉野が加入するなど、幾度かメンバーチェンジが行われ、1970年には、柳ジョージがベーシストとしても参加しました。
1972年、沖縄返還記念ライブと称した沖縄ツアーの最終日、演奏中に火災が発生し、命からがらライブハウスから逃げ出すのですが、機材が丸焼けになるという劇的な幕切れの中での解散となりました。
解散から32年経た2004年、彼らの軌跡を残すため、ドキュメンタリー映画「ザ・ゴールデン・カップス〜ワンモアタイム」が公開されました。
それに伴い、再結成され、往年のロック・ファンを喜ばせました。

◆2月7日(水)
スザンヌ・ベガ 「ルカ」

アメリカ、カリフォルニアのサンタモニカで生まれたスザンヌ・ベガは、幼い頃、ニューヨークで育ち、80年代初頭からそのニューヨークのフォーク・シーンで、シンガー・ソングライターとして活動し始め、1985年、『街角の詩(うた)』でデビューを果たします。
アコースティック・ギターを抱え、洗練されたメロディと現実を鋭く捉えた歌詞に注目が集まって、ネオ・アコースティックの新星として台頭していきます。
そして、ミッシェル・フルームをプロデューサーに迎えて出来た『孤独』というセカンドアルバムを1987年に発表。
このアルバムからのシングル・カットされた、この曲「ルカ」が全米で3位になるなど、全世界的にヒットし、一躍脚光を浴びます。
特にこの曲は、現在でも深刻な社会問題となっている幼児虐待がテーマであり、淡々と語るようなボーカルが現代のアメリカを鋭く映し出し、世の中に一石を投じる作品となりました。
その後、この曲は、レモンヘッズがカバーするなど、今なお歌い継がれています。

◆2月8日(木)
広瀬香美 「ロマンスの神様」

1992年にアルバム『ビンゴ』でデビューした広瀬香美。映画『病は気から〜病院に行こう2』の主題歌「愛があれば大丈夫」に続くタイアップ曲として、アルペン・スキー用品のCMソングとして発表したのが、この「ロマンスの神様」でした。
広瀬香美にとって、初のオリコン1位に輝くだけでなく、170万枚を超す大ヒットとなり、それ以降「幸せをつかみたい」「ゲレンデがとけるほど恋したい」「プロミス」などのヒット曲を生み出します。
特に冬にヒットすることが多いことから、「冬の女王」のイメージがあります。
ドラマやミュージカルの音楽プロデュース、広末涼子、内田有紀、川中みゆきといった他のアーティストへの楽曲提供も多く、2000年からは未来のアーティストを育てるべく「ボーカルスクール」を設立するなど幅広い活動をしています。
2月3日からは、5年ぶりとなる自身2度目となる全国ツアーをスターとさせており、精力的に音楽活動も展開しています。

◆2月9日(金)
キャメオ 「ワード・アップ」

キャメオのリーダーであるラリー・ブラックモンは、ニューヨーク出身ということもあって、幼い頃からアポロシアターに通い詰め、ジェイムス・ブラウンやオーティス・レディングといったアーティストのステージを見て育ちます。
高校からジュリアード音楽大学まで本格的に音楽を学び、レコードデビューに向け「ニューヨーク・シティ・プレイヤーズ」というバンドを結成しますが、この名前のバンドが存在していたことで、「キャメオ」に改名。
1975年、シングル「ファインド・マイ・ウェイ」でデビューします。
最初は8人組でしたが、ホーン・セクションを含む大所帯バンドとして、ファンク・サウンドを展開し、10人以上のバンド編成になることもありました。
しかし、デジタル時代の到来を感じたラリーは、よりシンプルかつ、スタイリッシュな方向性を目指し、メンバーをトミー・ジェンキンス、ネイザン・レフトナントと3人に絞り、1986年にアルバム『ワード・アップ』をリリースします。
この曲は、そこからのシングルカットで、ゴルチエデザインのアーバンなスタイルとシンセサイザーがグビグビうなるデジタル・ファンク・サウンドがその時代の最先端となり世界的にヒットしました。
80年代後半には、このキャメオ・サウンドが主流となり、キャメオは、コンスタントにアルバムを発表し、精力的に活動を続けています。
また、この曲は、ハードロック4人組のガンがこの曲をカバーするなど、音楽のジャンルを超えて、多くのアーティストに支持されています。



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