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ONAIR REPORT
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今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆2月19日(月)
M.C.ハマー 「ユー・キャント・タッチ・ジス」

カリフォルニア州オークランド出身のMCハマー。幼い頃から教会に通いゴスペルに慣れ親しむ一方で、地元メジャーリーグ・チーム、オークランド・アスレチックスのファンで、野球選手になることを夢見て、アスレチックスのボール・ボーイもしていました。顔がメジャーリーグ・ホームラン王のハンク・アーロンに似ていたことから、そのニック・ネームをもじって、「ハマー」と呼ばれていました。
彼は、野球選手になる夢を断念し、3年間の軍隊生活を終え、オークランドに戻り、音楽活動をスタートさせ、自分の音楽レーベルを立ち上げます。ちょうどランDMCの「ウォーク・ジス・ウェイ」がヒットし、ラップやヒップ・ホップが一般に浸透し始めた頃、1988年にアルバム『レッツ・ゲット・イット・スターテッド』でデビューします。ユニークで斬新なストリート・ダンス・スタイルが注目を浴びて、世界中にダンス・ブームを巻き起こします。
そして、90年にリリースしたアルバムが『プリーズ・ハマー・ドントハート・エム』からの第2弾シングルがこの曲「ユー・キャント・タッチ・ジス」。
80年代のファンク・マスター、リック・ジェイムスの「スーパー・フリーク」のベースラインをうまくサンプリングさせたこの曲は、キャッチーさが受け、ヒップ・ホップをメジャーシーンに押し上げます。
アルバム・セールスはアメリカだけで1000万枚を超し、その人気はヨーロッパ、そしてアジアにまで飛び火しました。特に日本では、「ダンス甲子園」などのテレビ番組の影響もあって、一大ダンスブームを巻き起こし、2日間の東京ドーム来日コンサートはソールド・アウトになりました。
その後、人気が低迷しますが、現在は、キリスト教の伝道師を務める傍らで、アルバムをリリースするなど、音楽活動も続けています。
この曲は、日産のミニバンのハイウェイスターシリーズのCMソングに使われています。

◆2月20日(火)
荒井由実 「卒業写真」

1972年7月、幻のシングルといわれている曲「返事はいらない」でデビューした荒井由実。
デビュー曲は、ガロや高橋(たかはし)幸(ゆき)宏(ひろ)がレコーディングに参加し、かまやつひろしがプロデュースしたにもかかわらず、売上げは、たったの300枚でした。
しかし、1973年11月、細野(ほその)晴(はる)臣(おみ)、鈴木(すずき)茂(しげる)、林立夫(はやしたつお)、松任谷(まつとうや)正隆(まさたか)というスーパー・セッション・バンド「キャラメル・ママ」のメンバーと共に、1stアルバム『ひこうき雲』をリリースし、当時流行っていたフォークとは一線を画したファッション性の高いメロディと写実的な歌詞で、ニューミュージックの女性シンガーソングライターの草分け的な存在として注目されます。そして、1975年、この曲をハイ・ファイ・セットのシングル曲として提供するのですが、同じ75年にリリースした3枚目のアルバム『コバルト・アワー』にセルフ・カバーという形で収録しヒットします。
このアルバムには、細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆以外に、山下達郎、大貫妙子、吉田美奈子、ハイ・ファイ・セットといった、そうそうたるメンバーが参加し話題になり、年間アルバム売上げ2位を記録します。
また、シングル「あの日にかえりたい」、バンバンに提供した「いちご白書をもう一度」がシングル・チャートが1位になるなど、時代をリードするアーティストとして確固たる地位を築いていきます。
また、コンサートも、毎回趣向を凝らした壮大な仕掛けでエンターテイメント性が話題を集め、今年は4年ぶりにロシアのサーカスとシンクロナイズドスイミングをコラボレーションさせた「シャングリラV」を開催させます。
この曲は、卒業シーズンの定番曲として今なお歌い継がれているだけでなく、浜崎あゆみ、徳永英明、松山千春など、多くのアーティストにカバーされています。

◆2月21日(水)
シンディ・ローパー 「タイム・アフター・タイム」

マドンナと並んで、80年代を代表する女性ポップスター、シンディ・ローパー。
シンディは、1978年に「ブルー・エンジェル」というバンドを結成し、1980年にレコード・デビューを果たすものの、全く売れず、バンドを解散してブティックで働きながら、ニューヨークの日本料理店で歌う下積み生活を続けます。その下積み時代のクシャクシャな金髪、ド派手なメーキャップ、過激な衣装という型破りな外見とそれに相反するようなキュートな歌声が、レコード会社の目に止まり、1983年アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』でデビューします。
デビューアルバムは、フーターズのメンバーが全面的に協力したのですが、この曲「タイム・アフター・タイム」はフーターズのキーボードのロブ・ハイマンとの合作で、初の全米1に輝きます。「タイム・アフター・タイム」は、その後マイルス・デイビスをはじめ、数多くのアーティストにカバーされたり、CMに使われる名曲となっています。デビューアルバムの中には全米トップ5入りした曲が4曲もあり、全米だけで450万枚のセールスを記録。グラミー賞では、最優秀新人賞、MTVビデオ・ミュージック賞のベスト女性ビデオ賞を獲得、セールス的にも世界中で大ヒットします。
彼女は日本料理店で歌っていたこともあって大の親日家としても有名で、1990年の紅白歌合戦に出場したり、阪神淡路大震災の被災者へ寄付したり、震災復興イベントにも参加したりしています。

◆2月22日(木)
ドリームズ・カム・トゥルー 「決戦は金曜日」

1988年、ボーカル吉田美和、ベース中村正人、キーボード西川隆宏の3人で結成されたドリームズ・カム・トゥルー。1989年3月、シングル「あなたに会いたくて」とアルバム『ドリームズ・カム・トゥルー』を同時にリリースし、デビューします。デビュー当時から3人が醸し出すハーモニーとR&B、ソウル・テイストを取り入れたポップス、そして、流行・恋愛を等身大に描く歌詞が世代を超えて人気が集まります。
その後、『ラブ・ゴーズ・オン』『ワンダー・スリー』『ミリオン・キッスィーズ』と立て続けに100万枚を超すアルバムを記録します。
そして、1992年に陣内孝則とともにパーソナリティを務めたテレビのレギュラー番組「うれしたのし大好き」がスタートし、この曲「決戦は金曜日」がテーマソングになり、2作目の1ソングになるだけでなく、シングルでの初ミリオンセールスも記録します。この曲を収録した5枚目のアルバム『ザ・スウィンギング・スター』は、発売1週間で200万枚を超すヒットを記録。最終的には360万枚と日本の音楽史上初の300万枚を超すアルバムになり、日本のポップス界の頂点に上り詰めます。
ライブもエンターテイメントとして好評で、特に4年に1度行なわれる、ライブ会場をテーマパークに見立てた史上最強の移動遊園地「ドリカム・ワンダーランド」は圧巻で、今年も9月22日、23日に国立競技場で行われます。

◆2月23日(金)
ハイウェイ・スター 「ディープ・パープル」

70年代にレッド・ツェッペリンと並んで圧倒的な人気と評価を得たブリティッシュ・ハード・ロック・バンド、ディープ・パープル。1968年、キーボードのジョン・ロード、ギターのリッチー・ブラックモアを中心にベースのニック・シンパー、ドラムのイアン・ペイス、ボーカルのロッド・エバンスが、加わって、結成されたディープ・パープル。
オルガンを前面に出したジョー・サウスのカバー曲「ハッシュ」でデビューすると、いきなり全米で4位を獲得。セカンド・アルバムからはニール・ダイヤモンドのカバー曲「ケンタッキー・ウーマン」がヒットし、高い評価を得ます。
しかし、ボーカルのロッド・エバンス、ベースのニック・シンパーが脱退し、ハイトーンでシャウトできるボーカル、イアン・ギランとベースのロジャー・グローバーが加入します。この5人が黄金期と呼ばれた第2期ディープ・パープルで、1972年にハード・ロックのバイブルと言われているアルバム『マシーン・ヘッド』をリリースします。
この曲は、そのアルバムからのシングル曲で、エキサイティングなリッチーのギターとイアン・ギランの野性味溢れる歌声、そして、ジョン・ロードの刺激的なオルガンがかみ合って、多くのロック・ファンのマスターピース的な名曲となります。
アルバムの世界的ヒットに伴い、日本へ初来日も果たし、この時の2枚組みのライブ・アルバム『ライブ・イン・ジャパン』は、ライブ・アルバムの草分け的存在になっただけでなく、ロック史上に残る最高のライブアルバムとまで言われています。
その後、リッチーの脱退をきっかけに、1976年に解散するのですが、1984年、8年のブランクを経て、黄金期と呼ばれた第2期のメンバーで再結成。
現在までに10回のメンバーチェンジを行うものの、イギリス・ロック界で息の長いバンドとして、今なお活動を続けています。



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