番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆3月12日(月)
サイモン&ガーファンクルム 「サウンド・オブ・サイレンス」

ニューヨーク、クィーンズ地区で小学校からの幼馴染だったポール・サイモンとアート・ガーファンクル。2人は、15歳でトム&ジェリーというグループ名で、1957年に「ヘイ・スクールガール」という曲でデビューし、トップ50に入るヒットを記録します。しかし、2人は、トム&ジェリーを解散させ、お互いソロで活動してしまいます。60年代に入り、フォーク・ブームの波が来たことで、2人は、1964年にサイモン&ガーファンクルとしてデビューし、アルバム『水曜の朝、午前3時』をリリースします。ところが、3000枚しか売れず、ポール・サイモンはイギリスに渡り、ガーファンクルは大学へ戻ってしまいます。
デビューアルバム『水曜の朝、午前3時』に収録されていた、この曲の美しいメロディを気に入っていたプロデューサー、トム・ウィルソンが、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」のバック・ミュージシャンを使って、2人のボーカルにドラムとエレキ・ギターを乗せて、オーバー・ダビングしたものを2人に知らせずに発売してしまいます。このロック・アレンジされた「サウンド・オブ・サイレンス」は、あれよあれよという間にヒット・チャートを駆けのぼり、初の全米ナンバー1に輝きます。
この曲は、映画『卒業』にも使われ、映画のテーマ曲となった「ミセス・ロビンソン」も全米1位になるなど、フォーク・ロック・デュオとして一世を風靡した2人でしたが、音楽性の違いが表面化し『明日にかける橋』をリリースした1970年に解散してしまいます。しかし、81年に53万人を集め、セントラル・パークで再結成チャリティコンサートを開きました。さらに、1993年、2003年にも再結成し、全米ツアーを行うなど、ソロ活動の合間で美しいメロディと抜群のハーモニーを聞かせています。

◆3月13日(火)
パーソンズ  「ディア・フレンズ」

1984年、ボーカル・ジル、ギター・本田毅(たけし)、ベース・渡辺貢、ドラム・藤田勉の4人が結成したパーソンズ。 パーソンズという名前は、人間発電所という異名を持つドラマー、テリー・ボジオが在籍したミッシング・パーソンズから来ていて、8ビートを基調にした骨太なサウンドに、ジルの熱い青春メッセージをのせて、着実にファンを増やしていきます。
1987年、アルバム『パーソンズ』でメジャーデビュー、1989年、インディーズ時代からあたためてきたこの曲「ディア・フレンズ」が、浅野温子主演のテレビドラマ『ママハハ・ブギ』の主題歌になり、大ヒットを記録し、一気にブレイクします。
この曲を含むアルバム『ノー・モア・ティアーズ』はオリコンで初登場2位を記録し、翌年には武道館2デイズを行うなど、トップバンドの仲間入りを果たします。
1992年、ギターの本田毅が脱退し、3人でバンド活動を続けることになりました。
2001年には、布袋寅泰がギターで参加し、「ディア・フレンズ〜21STバージョン」をセルフカバーしますが、2002年に再び本田が復帰し、オリジナルメンバーでバンド活動を再開させています。
2004年にはバンド結成20周年を記念して、2枚のオリジナルアルバムを同時に発表するなど、コンスタントに作品を発表しながら、ライブ活動を続ける一方で、メンバー個人個人でも勢力的に活動しています。

◆3月14日(水)
オーリアンズ 「ダンス・ウィズ・ミー」

シンガー・ソングライターだったジョン・ホールを中心に1972年、ニューヨークの名うてセッション・ミュージシャンのケリー・ウェルズ、ラリー・ホッペンの3人で結成されたオーリアンズ。
そこへラリーの弟ランス・ホッペンが加わって、1973年にアルバム『オーリアンズ』でデビューします。デビュー当時、抜群のスキルを持ったメンバーによるニューオリンズR&Bをルーツに持つファンキーなロック・サウンドを売りにしていましたが、セカンドアルバム以降からはウエスト・コーストを意識したカントリー・ロックと軽いハーモニーの音楽に方向転換して次第に人気が出てゆきます。
そして、オーリアンズの転換点となったのがこの曲「ダンス・ウィズ・ミー」で、レコーディングされたにもかかわらず、発売直前にヒット性に欠けるという理由で一度はお蔵入りになってしまいます。その後、レコード会社を移籍、1975年にこの曲を含んだアルバム『歌こそすべて』にレコーディングし直して、ようやく発表にこぎつけ、彼らの執念が実ったのか、この曲は全米で大ヒット、彼らの人気を不動にしました。
そんな順風満帆だったオーリアンズでしたが、1977年にグループの中心人物であるジョン・ホールが脱退、その後、残ったメンバーで存続したものの結局バンドは解散してしまいます。
そして1984年、メンバーの一人であるケリー・ウェルズが亡くなったことで、彼の遺志を継ぐ形でバンドは再結成され、2005年にはニューアルバムもリリース、今も精力的に各地でライブを行っています。

◆3月15日(木)
斉藤由貴 「卒業」

斉藤由貴は、高校に在学中、「ミスマガジン」でグランプリを受賞し、1985年2月、この曲でデビューします。彼女がちょうど高校を卒業することから、「卒業」をテーマに、松本隆に作詞が委託され、筒美京平が松本隆が書き上げた歌詞に曲を乗せる形で出来上がりました。作詞を担当した松本隆は、以前、松田聖子に書いた『制服』以上の歌詞が書けるか戸惑ったそうです。
デジタルと生楽器をうまくアレンジした武部聡史のサウンド・プロデュースと斉藤由貴のルックスが見事に相まって、卒業シーズンを代表する1曲になっています。
この曲でアイドルとしての確固たる地位を築いた彼女は、その後、「スケバン刑事」でドラマに初主演し、86年には、NHKの連続ドラマ「はね駒」でヒロインに抜擢され、平均視聴率も40%を超え、その名は全国区となります。さらにその年の紅白歌合戦では初出場ながら紅組のキャプテンも務めます。
90年代以降は、アイドルから脱皮し、女優として映画・テレビ・舞台で活躍するだけでなく、作詞家としても活動するなど、幅広く活躍しています。
また、今年1月には7年ぶりとなるニューシングル「風の向こう」をリリースしています。

◆3月16日(金)
ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ 「二人の絆」

1954年にハロルド・メルヴィンを中心にフィラデルフィアで結成されたハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ。
1956年にレコード・デビュー果たすものの、目立ったヒットがなく、ブルー・ノーツのメンバーも変わり、いくつかのレコード会社を転々とし、70年代を迎えます。
そして、ハロルドがフィラデルフィア・インターナショナル・レコードのオーナーであり、名プロデューサー・コンビ、ギャンブル&ハフと同級生だったということで、1972年、アルバム『ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ』をリリースし、一躍脚光を浴びます。
この曲は、ギャンブル&ハフが書いた極上のスロー・バラードで、ブルー・ノーツのリード・ボーカルであるテディ・ペンダーグラスの力強いボーカルとうまくはまり、全米3位にまで昇り、ミリオン・セールスを記録します。
しかし、テディ・ペンダーグラスがブルー・ノーツを脱退すると、ヒット・チャートには顔を出さなくなってしまいます。
1997年にハロルド・メルヴィンは亡くなってしまいますが、ハロルド・メルヴィンズ・ブルー・ノーツとして、今なお、活動を続けています。
1989年には、シンプリー・レッドがこの曲をカバーし、1989年に全米ナンバー1に輝いています。



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