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ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆3月26日(月)
マイケル・ジャクソン 「今夜はビート・イット」

現在、世界中の音楽界において、8つのギネス記録を持っている、キング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソン。 CDの世界での総売り上げ枚数は、7億5千万枚以上で、ギネスで、史上最も成功したエンターテイナーと認定しています。この曲は世界で1億万枚以上のセールスと全米で37週間という、最長期間ナンバー1という2つのギネス記録にも認定されているアルバム『スリラー』からのシングルカット。 11歳でモータウン・レーベルからジャクソン5のリード・ボーカリストとしてデビューし、ソロ・アルバムもリリースしていたマイケル・ジャクソンですが、本格的なソロ・キャリアとなったのが、1979年にリリースしたアルバム『オフ・ザ・ウォール』。マイケル自身が作詞・作曲を手掛け、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎え、「今夜はドント・ストップ」「ロック・ウィズ・ユー」という2曲のナンバー1ヒットと700万枚というセールスを記録します。こういった成功の次にリリースされたアルバムが『スリラー』。特にMTV時代の到来をいち早く感じ取ったマイケルは、この曲のプロモーション・ビデオに16万ドルもの自腹で切って話題になります。
さらに、この曲では、音楽の垣根を越え、ソウル、R&Bとロックの融合の為に、バン・ヘイレンのギタリスト、エディ・バン・ヘイレンがノーギャラで参加しています。秀逸なプロモーション・ビデオ、敏腕プロデューサーによる計算された楽曲構成、緻密なサウンド・プロダクションが生み出した大成功が、この後続く、MTV主導型の80年代のヒットの方程式となります。
全部で9曲収録のアルバム『スリラー』からは、7曲がトップ10ヒットになり、グラミー賞では史上最高の8部門での受賞という快挙も成し遂げ、20世紀を代表するアルバムとも言われています。

◆3月27日(火)
マイ・ペース  「東京」

秋田県潟上市にある中学校の同級生である森田貢、伊藤進、根次男が結成した3人組、マイ・ペース。
1970年ごろ秋田のアマチュア音楽シーンの中心にいた先輩である山平和彦をたよって、彼のバックバンドとして名古屋で活動をします。その山平和彦プロデュースのもと、1974年にこの曲「東京」でデビューします。作詞を担当した森田貢は、地元を離れ東京で仕事をしている恋人に休日になると電車に乗って、会いに行っていたという実話をもとに作られた歌で、地方在住者の「東京」に対する強い憧れが多くの共感を呼び、シングルトップ100に45週連続で登場するロングセラーとなり、100万枚を超すミリオンヒットを記録します。しかし、そんなヒットとは裏腹に、マイペースは1976年デビューからわずか1年半で活動を休止してしまいます。
しかし、この曲の人気は高く、ダ・カーポや坂本九などにカバーされるなど、歌い継がれていきました。
去年はビギンがドラマ「東京タワー」の主題歌としてカバーし、話題となったのは記憶に新しいところです。

◆3月28日(水)
ロバータ・フラック 「やさしく歌って」

 ロバータ・フラックは、15歳の時に黒人学生ピアノコンクールで優秀な成績を収め、奨学金をもらいながら、飛び級でハワード大学に進学しました。大学では、クラシックや声楽を学び、卒業後、高校の音楽の先生になりますが、教師としての自分の限界を感じて辞めてしまいます。
そして、ナイトクラブで、ピアノの弾き語りをしているところをスカウトされて、1969年、アルバム『ファースト・テイク』でデビューします。
デビュー当時はあまり話題にならなかったのですが、1972年、この『ファースト・テイク』に収録されていた「愛は面影の中に」という曲が、クリント・イーストウッドの映画『恐怖のメロディ』に使われ、その年のグラミー賞の「レコード・オブ・ザ・イヤー」と「ソング・オブ・ザ・イヤー」に輝き、ブレイクします。
この曲は、もともとロリ・リーバーマンのオリジナルで、ロバータが、偶然、飛行機の機内BGMに使われていたものを耳にして、1973年にカバーし、全米ナンバー1に輝きます。この曲の大ヒットによって、2年連続でグラミー賞の「レコード・オブ・ザ・イヤー」「ソング・オブ・ザ・イヤー」に輝くという快挙を成し遂げます。
また、ダニー・ハザウェイやピーボ・ブライソンとデュエット・ソングも大ヒットさせ、ソウル・シンガーの枠にとらわれない幅広いポピュラー・ミュージック・アーティストとして確固たる地位を築きます。
この曲は、日本では、ネスカフェのCMソングとして起用されたことで有名ですが、世界各国でその国の言葉に訳されてカバーされ、親しまれている曲でもあります。

◆3月29日(木)
RCサクセション 「ぼくの好きな先生」

中学時代に「クローバー」というユニット名で活動していた忌野清志郎、破廉ケンチ、小林和生の3人が1970年、「宝くじは買わない」で、RCサクセションとしてデビュー。
今でこそ、日本のロック・バンドとして知られているRCサクセションですが、デビュー当時は、3人編成のフォーク・トリオでした。3枚目のシングルとしてリリースされたこの曲「ぼくの好きな先生」は、RCサクセションの初のヒット曲で、1STアルバム『初期のRCサクセション』に収録されました。
しかし、その発売されたアルバムは、彼ら以外の演奏がオーバーダビングされ、さらには、知らないうちにジャケットのデザインが決まっていて、彼らを驚かしたそうです。フォーク・サウンドが全盛ということもあり、フォーク・ギター主体で3枚目のアルバム『シングルマン』までリリースしますが、人気は低迷し、バンドは解散状態に陥ってしまいます。破廉ケンチに代わって、ギターに仲井戸麗市が加入。さらにドラムの新井田耕造、キーボードの柴田義也の2人が加わって、5人編成のRCサクセションになり、パワーあるロックバンドに変貌します。
「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」といった、日本のロック・クラシックと呼ばれるヒット曲を連発し、絶大な支持を獲得します。また「いけないルージュ・マジック」で坂本龍一とコラボレーションを果たしたことで、知名度は爆発的にアップします。
しかし、1990年、アルバム『ベイビー・ア・ゴー・ゴー』をリリースし、武道館でのライブを最後に、その活動に終止符を打ちました。

◆3月30日(金)
ボーイズ・U・メン  「エンド・オブ・ザ・ロード」

1988年、同じフィラデルフィアの高校に通っていたウォンヤ・モリス、マイケル・マッケリー、ショーン・ストックマン、ネンザン・モリスの4人で結成したボーカル・コーラス・グループ、ボーイズ・U・メン。
このグループ名は彼らの憧れで、ボビー・ブラウンがいたニュー・エディションの曲から引用したもの。そして何と彼らを見出したのは、偶然にもニュー・エディションのマイケル・ビヴンズでした。まだ高校生だったボーイズ・U・メンのメンバーが、ニュー・エディションのラジオ・ショーを観に行った時に、マイケル・ビヴンズの前で歌ったことで、ビヴンズが彼らの才能に惚れこみ、その場でレコード契約を結びます。
そして、1991年にシングル「モータウン・フィリー」でデビュー。そしてデビューアルバム『クーリー・ハイ・ハーモニー』をリリースすると、このアルバムから立て続けに7曲のヒット曲を生み出します。その中でも最大のヒットとなったのが、エディ・マーフィー主演の映画「ブーメラン」の主題歌である「エンド・オブ・ザ・ロード」でした。
この曲は全米で13週連続ナンバー1という当時の最長記録を打ち立て、90年代のコーラス・グループ・ブームの火付け役となりました。その後、マライヤ・キャリーとデュエットした「ワン・スウィート・デイ」が16週連続1位を記録、世界で最も美しいコーラス・グループとしての地位を確立させます。
現在は、マイケル・マッケリーが病気療養のために脱退したことで、3人で活動中。今年の1月には、3人で来日して、その美しいコーラスを聞かせてくれました。



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