番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆4月16日(月)
イーグルス 「ホテル・カリフォルニア」

1970年代のアメリカを代表するロックバンド、イーグルス。結成当時のメンバーは、ギターのグレン・フライとバーニー・リードン、ドラムのドン・ヘンリー、ベースのランディー・マイズナーの4人。
一流のテクニックを持ちながら、自分達のバンドで、成功を収められず、1971年、リンダ・ロンシュタットのバック・バンドメンバーとして集められます。ローリング・ストーンズやザ・フーをヒットさせたプロデューサー、グリン・ジョーンズが1972年アルバム『イーグルス・ファースト』を手掛け、そのアルバムから「テイク・イット・イージー」がヒットし、一躍、話題のバンドとして注目を集めます。
デビュー当時は、カントリー・サウンドの色合いが強かったのですが、ギターのジョン・フェルダーが加わったサードアルバム『オン・ザ・ボーダー』からロック色が強まり、このアルバムから「ベスト・オブ・マイ・ラブ」が初の全米ナンバー1に輝き、名実共にアメリカを代表するロックバンドになります。
しかし、1975年、音楽性の違いが明確になり、バーニー・リードンが脱退、代わりにジョー・ウォルッシュがメンバーに加わり、ハード・ロック色が強まります。そして、合衆国建国200年に沸く1976年にリリースされたアルバムが、歴史的な名盤『ホテル・カリフォルニア』。ハードなツイン・ギターを全面に押し出した内容で、1100万枚を超す大ヒットを記録します。
ところが、スーパースター的な生活に嫌気がさしたランディー・マイズナーが脱退、代わりにティモシー・B・シュミットが加入し、ラストアルバム『ロング・ラン』を発表します。 ロング・ラン・ツアーを行うものの、5人ものメンバーのいざこざは絶えず、ライブアルバムをリリースして、解散してしまいます。
その後は、メンバーはそれぞれソロ活動を続けますが、1994年、ドン・ヘンリーとグレン・フライの再会から再結成が実現し、1994年と2004年にワールドツアーを行い、大成功を収め、ファンの間では、新作が待たれています。

◆4月17日(火)
佐野元春  「SOMEDAY」

1978年にヤマハのポプコンで、最優秀作詞賞を受賞し、その才能を見出され、1980年にシングル「アンジェリーナ」でデビューした佐野元春。この曲は、1981年にリリースされた4枚目のシングルですが、シングルが発表された当時は、あまり話題になりませんでした。
ところが、この「サムディ」を発表した直後、大滝詠一、杉真理の二人と「ナイアガラトライアングルVOL2」をリリース、シングルカットした「A面で恋をして」がヒットしたことで、この「サムディ」を収めたアルバム『サムディ』が大ヒットとなり、一躍佐野元春を代表する1曲となります。
その後、ニューヨークに単身で渡米、帰国後にリリースしたアルバム『ビジターズ』はオリコンのアルバムチャートで1位を記録します。このアルバムの中にはラップが取り入れられていますが、日本人アーティストで初めてラップを取り入れたことで、当時の音楽業界に衝撃を与えました。
さらに、「ポエトリー・リーディング」という自作の詩の朗読手法をいち早く取り入れたり、日本人アーティストとして初めて自分のオフィシャルサイトを開設するなど、パイオニア的な活動を続け、話題を呼ぶ存在となりました。
また、松田聖子、吉川晃司、山下久美子、沢田研二などのアーティストに楽曲提供をするなど、今なお多くのミュージシャンからリスペクトされています。
この曲「サムディ」は、1990年にJR東日本のCMソングになったことで、再び注目を集めました。

◆4月18日(水)
エア・サプライ 「ロスト・イン・ラブ」

1976年にオーストラリア、メルボルンで結成されたエア・サプライ。
イギリス、ノッティンガム出身のグラハム・ラッセルとメルボルン出身のラッセル・ヒッチコックがミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」のオーディションで出会い、意気投合。2人ともオーディションに合格するものの、音楽を優先して、エア・サプライを結成。1976年にアルバム『ストレンジャーズ・イン・ラブ』で6人組バンドとしてデビューし、オーストラリアで人気グループになります。そして、1980年にアメリカでこの「ロスト・イン・ラブ」でデビューすると、瞬く間にアメリカだけでなく世界的な大ヒットを記録します。
さわやかな旋律のポップスとハイトーン・ボイスが人気となって、1981年にリリースした「シーサイド・ラブ」は、オーストラリアのバンドとしては初の全米ナンバー1に輝きます。
日本では、清涼感あふれるAORサウンドが、「ペパーミント・サウンド」と呼ばれ、人気を博します。しかし、1986年にグラハムとラッセルの2人組になると、人気が低迷、1988年に一旦解散してしまいます。
しかし、1991年に2人組で再結成、現在もコンスタントにアルバムをリリースし、ワールド・ツアーを行うなど精力的に活動しています。

◆4月19日(木)
薬師丸ひろ子 「セーラー服と機関銃」

1978年、映画『野生の証明』のオーディションに合格し、14歳で女優としてデビュー。高倉健と共演し、話題になった薬師丸ひろ子。
そして、初主演作となった『セ―ラー服と機関銃』の、主題歌となったこの曲で歌手デビューし、見事に1位に輝きます。
この曲は、1982年の年間2位にも輝きますが、その後も透明感のある声を生かし、歌手活動を展開し、『探偵物語』『メイン・テーマ』『Wの悲劇』など自分が主演した映画の主題歌を歌い、ヒットを飛ばします。作曲者である来生たかおが違う歌詞でうたっている「夢の途中」もヒットしましたが、もともと来生たかおバージョンの「夢の途中」が映画『セーラー服と機関銃』の主題歌になる予定でした。
ところが、映画の総監督を務めた相米慎二監督が薬師丸ひろ子の声に惚れて、薬師丸ひろ子バージョンが主題歌になったというエピソードを持っています。メロディが同じなのに、タイトルと歌詞が異なって、両方ともロングヒットを記録したのは、この「セーラー服と機関銃」が初めてのこととなりました。
さらに、この曲は、去年、長澤まさみが主演したテレビドラマ「セーラー服と機関銃」で長澤まさみが星泉名義でリリースし、ヒットしています。

◆4月20日(金)
パーシー・スレッジ 「男が女を愛する時」

アメリカ、アラバマ州出身のパーシー・スレッジは、ミュージシャンになりたくて病院で看護士として働きながら、ゴスペル・クワイヤに参加したり、さらに週末は地方のクラブの舞台に立つという生活をしていました。
そして、看護士をしていた病院に、クイン・アイビーという音楽プロデューサーが入院。そこでクインと知り合い、その紹介がもとでオーディションを受け、見事に合格します。このクインがプロデュースし、1966年に初めてレコードを世に送り出したのが、この曲「男が女を愛する時」で、切々と歌う男の純愛ソングが話題となり、全米ナンバー1に輝きます。
さらにこの曲をリリースしたアトランティック・レコードにとっては、初めてのミリオン・セールスとなり、パーシー・スレッジは一気にスターダムに伸し上がります。その後も、クイン・アイビーと組んでレコードを出すのですが、あまりパッとした売り上げを出せずにいました。
2004年に『シャイニング・スルー・ザ・レイン』というアルバムをリリースし、往年のソウル・ファンを喜ばせました。
なおこの曲「男が女を愛する時」は、ベット・ミドラーなど他のアーティストが、カバーしていますが、1991年にはマイケル・ボルトンがカバーしたものは25年ぶりに全米ナンバー1に輝いています。

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