番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆4月23日(月)
キャリン・ホワイト 「ロマンティック」

トランペッターの父と聖歌隊の指揮者をしていた母という音楽一家に生まれたキャリン・ホワイトは、レガシーというというグループからそのキャリアをスタートさせます。清らかで美しい歌声に惚れたジェフ・ローバーが、自分のアルバムのメイン・ボーカリストとしてフィーチャーしたことがきっかけとなり、『キャリン・ホワイト』というセルフタイトルのアルバムで1988年にソロ・デビューします。ベイビーフェイスのプロデュースのもとで、200万枚を超すセールスを記録し、グラミー賞のベスト女性R&Bボーカル賞にノミネートされ、大成功を収めます。
この曲「ロマンティック」は、1991年にリリースしたセカンドアルバム『リチュアル・オブ・ラブ』からのシングル曲で、彼女にとって初の全米ナンバー1に輝きます。デビューアルバムをベイビーフェイスがプロデュースしたのに対して、セカンドアルバムは、売れっ子プロデューサーコンビ、ジャム&ルイスが手掛け、この曲は、キャリン・ホワイトとジャム&ルイスの共作になっています。
そして、この仕事をきっかけに、キャリン・ホワイトは、ジャム&ルイスの一人、テリー・ルイスと結婚し、2人の子供に恵まれます。子育ての間、一時音楽活動を休止しますが、1994年に3枚目のアルバムをリリースします。そして、今年13年ぶりに、『アクション・ファイター』というニューアルバムがリリースされます。

◆4月24日(火)
柏原芳恵  「春なのに」

1979年、テレビ番組『スター誕生』に出場し、合格。その後、グランドチャンピオンになり、1980年、シングル『1』で歌手デビューした柏原芳恵。
1981年にリリースした7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒットし、トップ・アイドルとしての人気を確立します。この曲「春なのに」は、中島みゆきが作詞、作曲を手掛け、アイドルから本格的な歌手への脱皮を果たしますが、その後も、松山千春、五輪真弓、高見沢俊彦、松尾一彦といったニューミュージック系のアーティストから楽曲提供を受け、他のアイドル歌手とは一線を画しました。そして、歌手としてのライブ活動は勿論のこと、女優としてドラマに出演し、ミュージカルや舞台、そして、自らが創作したオブジェの個展を開くなど幅広い活動を行っています。
今年の1月には、井上陽水、長渕剛、オフコース、沢田研二、南こうせつ、飛鳥涼等男性アーティストの名曲をカバーした『アンコール』という初のカバーアルバムを発表し話題になりました。

◆4月25日(水)
アメリカ 「名前のない馬」

ジェリー・ベックリー、ダン・ピークの2人のアメリカ人とイギリス人のデューイ・バネルの3人によって、1969年にロンドンで結成されたバンド、「アメリカ」。
3人の父親がイギリスに駐留するアメリカ空軍で働いていて、3人はロンドンのアメリカン・スクールで知り合い、1971年に『アメリカ』というタイトルのアルバムでデビューしますが、売れ行きはあまり良くありませんでした。そして、長い間住んでいない母国への思いからアメリカというバンド名をつけます。
その後、1972年にこの曲「名前のない馬」を1Stシングルとしてリリースしたところ、まずイギリスでヒット、逆輸入という形でアメリカでもヒットし、1に輝きます。急遽、この曲を加えてアルバム『アメリカ』をリリースし直したところ、アルバムはミリオンセールスを記録して、グラミー賞の最優秀新人賞を受賞してしまいます。
アコースティックなサウンドをバックにさわやかなハーモニー、シンプルなアレンジに共感できる分かりやすい歌詞がセールス・ポイントになって、その後も「金色の髪の少女」「ベンチュラ・ハイウェイ」といったヒット曲を生み出し、バンドの全盛期を築きました。しかし、1976年にダン・ピークが脱退、現在はジェリー・ベックリーとデューイ・バネルのフォーク・デュオとして活動中で、去年2枚組のニューアルバム『ヒア・アンド・ナウ』をリリースし、全米をくまなく回るツアーを敢行しています。

◆4月26日(木)
南沙織 「17才」

アメリカの施政権下にあった沖縄が本土復帰する前の年の1971年に来日し、この曲「17才」でデビューした南沙織。
もともと、地元沖縄のテレビ番組でアシスタントをしていたのですが、その番組にゲスト出演したヒデとロザンナのマネージャーにスカウトされたことがきっかけで、デビューします。小麦色の肌にさらさらのロングヘアーの彼女が歌う「17才」は沖縄=サウスアイランド=まぶしい夏というイメージで、彼女のさわやかなキャラクターとマッチし、同世代の若者に絶大な人気を得て、54万枚を超すセールスを記録します。
そして、その年の日本レコード大賞新人賞を獲得し、紅白歌合戦にも出場します。1975年に発表した「人恋しくて」は、日本レコード大賞歌唱賞を受賞するのですが、1978年に上智大学に入学し、学業に専念するために歌手を引退します。
その後、写真家の篠山紀信と結婚し、3人の子供の母親になりますが、1991年、紅白歌合戦に出場して復帰しました。
この曲は、森高千里や勝野慎子などがカバーし、今なお、歌い継がれています。

◆4月27日(金)
カッティング・クルー 「愛に抱かれた夜」

ニック・バン・イードを中心に1985年にロンドンで結成されたカッティング・クルー。もともとドライバーズというバンドで、ボーカル、ギターを担当していたニック・バン・イードですが、ドライバーズがカナダ・ツアーを行った時に、カナダの地元バンドのギタリスト、ケビン・マクマイケルと出会い、意気投合します。これがきっかけで、ケビンがイギリスに移り住み、ベースのコリン・ファーレイ、ドラムのマーティン・ビードルを加えて、カッティング・クルーが結成されます。
そして、バージン・レコードと契約を結び、1986年にデビューアルバム『ブロードキャスト』をリリースします。そして、このアルバムからこの曲『愛に抱かれた夜』をシングルカットし、1987年に全米ナンバー1に輝き、この年、グラミー賞のベスト・ニュー・アーティスト賞にノミネートされます。
(また、アルバム『ブロードキャスト』は、バージン・レコードで初めてのナンバー1レコードになります。)
その後、2枚のアルバムをリリースしますが、1993年にカッティング・クルーは解散してしまいます。
しかし去年、ニック・バン・イードが新しいメンバーでカッティング・クルーを復活させ、ニューアルバム『グリニング・ソウルズ』を発表し、現在ワールド・ツアーを行っています。

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